メモリ編集モードです
俺は変な爺さんに居酒屋で出会い、modの使い方についてヒントを与えられていた。
全力でおかしな爺さんは、modの編集機能は右クリックすると出てくるとのたまった。
不思議な事ばかりのmodだが、この四日間に起きたことを総合すると重度の中二病で片づけられるとも思えない。
俺はノートPCのカバーを開けて画面を確認する。ブラッディローズ色のノートPCは、充電切れを起こしておらず、液晶はしっかりと光を放っていた。
modと筆記体で書かれたアイコンをダブルクリックして、プログラムを起動する。
『Memory Operative Dialogへようこそ佐藤翔太さん【OK】』
『前回終了した位置から動画を再生しますか【はい】【いいえ】※いいえを選択すると、現在までの記録は失われます』
俺は【OK】と【はい】を選択して画面を注視した。
『再生時間:99:35:04/309602:40:25』
シークバーは土曜の朝にPCが届いて、動画の再生を開始してから九九時間三五分後を示して止まっている。
焼き鳥屋で会った爺さんの言葉に従い、俺は画面右のコメント欄から『会議で資料を発表する 2018/10/03 14:05』選び、右クリックした。
『メモリ編集モードです。テキストを編集し登録ボタンを押してください。
会議で資料を発表する 【登録】』
やはりと言うべきか、コメントを編集するウィンドウが開いた。
【登録】のボタンのすぐ左側でカーソルが点滅しているので、キーボードを使ってテキストを編集できそうだ。
さてさて。ここですぐにコメントを書き換えるようでは、いくらなんでも軽率に過ぎる。
ちゃんと考える必要があるぞ。
現在の所、会議で発表できる資料は二種類ある。
modが映す動画が、明日の会議を忠実に再現しているとすれば、明日は部長に怒られる事になる。このままいけばバッドエンドだ。
では、代わりに別の資料を発表した場合どうなるだろう。modのヘルプを信じれば、その先の出来事も変更されそうだ。
これについては、実際に動画を見てみれば分かるような気がする。
もう一つ。
焼き鳥屋の爺さんのアドバイスは正しかったことになる。あの爺さんは、modのヘルプを見ても分からなかった事を知っていた。
modと爺さんには何らかの繋がりがあるのだろう。これは確実だ。
なぜ知っていたのか?
あの爺さんは何者なのか?
これについては、考えても分からない。知る術がない。
ならば、一旦は棚上げしておくのがいいのか。
爺さんは死神で、modを使う人間の欲望を糧にして生きながらえているとか……やっぱり知る術がない。
爺さんの見た目は死神というより仙人とか神様に近く、あまり邪悪そうな印象は持たなかった。
これについても確かめる術はない。
最悪のケースを考えて、modの使用は控えるべきか。
でも、怖さよりも好奇心の方が勝っている自分がいる。
とはいえ、今回の場合は発表する資料を違う物にした場合、どのような未来が待っているかを確認するだけだ。
最初の動画より悪い結果になれば、テキストを再編集して元に戻せばいい。一度編集したコメントを元に戻せないような仕様もあり得るが、そんな事はヘルプに書いていない。
これはヘルプを信じるしかないだろう。
俺はテキストを編集し【登録】ボタンをクリックした。
『メモリー編集を行いますか?【はい】【いいえ】※はいを選択すると動画は更新されます』
【はい】をクリックすると、画像を映す領域が暗転した。
よし。
死神とか黒いスーツのセールスマンみたいなのは出てこない。大丈夫そうだ。
◇◇◇◇◇
「では、派遣会社の選定に関する比較検討資料について、私からご説明いたします。皆さんスクリーンをご覧ください」
俺は少し緊張しながらも、パワーポイントの資料を説明した。
「続いて、派遣社員の勤怠と、業務スキルのレベルを、派遣会社ごとに平均値を算出しました。赤井サービスが勤怠でトップ、青田テクノロジーが業務スキルでトップ。黄村スタッフスはどちらも最下位という結果です」
俺は参加者をさらりと見渡すと、手元のノートPCに戻って淡々と説明を続けた。
「ここまでで。何か質問はございますでしょうか?」
俺は主に部長の方を見て質問を促した。
「佐藤君、これで終わり?」
部長の表情には『物足りない』と書いてあるかのようだ。
ほら来た!ここからが勝負だよ。
「いえ。私としては、こうした数字が出ていることは存じていました。少々踏み込んだ情報を、別の資料にまとめてありますが、お聞きくださいますでしょうか」
「ああ。まだ会議終了の時間じゃないだろ?もちろん聞くよ」
部長は椅子の上で姿勢を正し、スクリーンの方を向く。
よしよし、ちゃんと聞いてくれるぞ。
「私個人の感想としては、黄村スタッフスに所属する派遣社員の、勤怠と業務スキルのスコアが低いのは、モチベーションの低下が原因ではないかと仮定しました」
俺は手元の業務用PCを操作して、スクリーンへ別のパワーポイントを表示させた。
「この資料は、あくまで個人的な聞き取りを元に取得したデータです。これは、赤井サービス、青田テクノロジー、黄村スタッフスに所属する複数名の派遣社員の時給額です。隣の数値は、それぞれの派遣社員に対し、わが社から派遣会社へ支払われた費用です」
俺は説明を続けながら、素早く参加者を見渡した。
部長が何か聞きたそうにしている。
「ご質問があればお願いします」
「佐藤君、これはどうやって調べた数字なの?」
部長が驚いた顔をして俺を見てきた。
派遣会社から社員への支払い給与など、秘密にされるのが当然だからだ。
「派遣社員の方の数名から聞いてまとめました。具体的な個人名は控えさせてください」
「すげぇな。よく聞けたな」
他に質問をする人はおらず、俺は資料の続きを説明していく。
「さらに、赤井サービスは皆勤手当てを設けており、出勤率や遅刻の減少に寄与しているようです。同じように青田テクノロジーは資格取得に報奨金を出しています。黄村スタッフスにはそうした制度はありませんでした」
参加者が時折頷く。
よしよし、順調だ。
「また、黄村スタッフスで問題となっている勤怠と低スキルの派遣社員には、相当なばらつきがあることが分かります」
俺はパワーポイントのページを進め、黄村スタッフスの十五名を横軸に、勤怠とスキルのスコアを縦軸にした分布図を示し、個人差が大きい事を説明した。
「以上のことから、黄村スタッフスにおける問題点は、社員への支払い原価を低く抑えるあまり、そこに強く反発した一部の社員がモチベーションを低下させている事が問題点と考えられます」
「ありがとう翔太。よくわかったよ」
部長は飲み会の時のようなくだけた呼び方に変わり、説明する資料に理解を示してくれた。この上司はやっぱいい人だよ。なんていうか……人間味があるっていうか。
「ただ、原因は分かったんだけど、単純に黄村を切ればいいのかなぁ」
部長は悩まし気な表情で固まってしまった。
そうだ、この会議は一社との契約を打ち切るか否かの意思決定をするための会議なのだ。
説明した内容は黄村のピンハネが大きいという事を示しただけで、契約を『切る』か『続ける』かを判断するには少々弱いのかもしれない。
ダメなら契約終了といのは、少々殺伐とし過ぎている。こうして悩むのは日本型経営の良いところ……かな?
世界からぬるいと言われればそれまでだけど。
「私の方から黄村と話し合ってみましょうか?他社の施策を知れば、黄村も真似するかもしれません。それに、どうしても黄村が阿漕なピンハネを止めないようでしたら、黄村所属の派遣社員さんを穏便に他の二社に移籍できるように働きかけてみます」
ここで加藤さんが発言した。
「それでダメなら契約を打ち切ればいいか。新人を入れると教育費もバカにならないしな。結構大変そうだけどできる?」
部長が加藤さんに期待の視線を送った。
「ええ。何とかやってみます。最終的には部長にフォローをお願いすると思います。幸いにも佐藤君は黄村の社員さん達とも仲が良いみたいですので。佐藤君もサポートお願いね」
加藤さんに笑顔が弾けた。
「よし。それで行こう。加藤さんと翔太、よろしく頼むぞ!」
こうして、会議は上々の結果で終了した。
俺は加藤さんだけに見える位置で、ぐっと握った拳を示した。
親指を立てながら。