若手社員は会議でピンチ
modがこの世ならざるプログラムなのは、信じざるを得ない事実だろう。俺は確信した。
あと、合理的な説明ができるとすれば、俺の頭がおかしくなっている可能性だ。
だが、俺が俺の思考の正常性について検討するのは時間の無駄だろう。壊れた秤で正確な重さは測れない。
冬物のセーターを着て震えながらも、俺の心中では怖さよりも好奇心が勝っていた。
怖いだけで実害が出ていないのも、好奇心がブレーキを踏まなかった原因の一つだろう。
これで画面から白い服を着た女でも出てきたら、俺だって平常心ではいられない。
もう一度、今度は恐る恐る、俺はノートPCのカバーを開けた。
『Memory Operative Dialogへようこそ佐藤翔太さん【OK】』
『前回終了した位置から動画を再生しますか【はい】【いいえ】※いいえを選択すると、現在までの記録は失われます』
また同じメッセージが表示される。俺は【OK】と【はい】を選択して、modの画面に見入る。前回特に気にしていなかった『×1』は、再生のスピードだろう。最大で六〇〇倍速という常識外れの倍率も、三〇万という膨大な総時間を考えれば納得がいく。
600倍速再生ってことは……一分が六〇秒で、一時間が三六〇〇秒だから……一時間を六秒で再生しちゃうんだ。一日は一四四秒だな。
と、ここで俺は画面の右上に『?』のマークがあるのに気付いた。
これってヘルプじゃね?押してみよう。
これまた別のウィンドウが開いて、装飾の無い文字だけのヘルプが表示された。
【基本機能】
登録されたユーザーが目と耳で体験する出来事を、ノーカットで再生できます。
画面右にあるコメント欄には、ユーザーにとって重大と思える出来事がテキスト表示されます。
テキストは登録ユーザーの行動に限り、自由に編集可能です。テキストを編集すると、その内容に応じて、その先の出来事が変更されます。
【便利な機能】
一~六百倍速までで再生速度を変更できます。
一時間、一日、一ヶ月、一年単位で動画をスキップする機能があります。
なるほどね。
確かにPCの画面には、花蓮との喧嘩が再生された。俺の目と耳で体験した事だ。目と耳だから、心の中は覗けない。
登録されたユーザーってのが、俺の意向を無視してて納得がいかないけど。
ユーザーにとって重要と『思える』ってのもなんだかなぁ……思うって主観じゃん。
誰の主観で重要とされているイベントなのか。
他人の主観ならば、俺にはどうでもいい出来事は表示されないって理屈になるな。その逆もあり得る。
その下が一番分からん。ユーザーがした選択に限り?編集可能?内容に応じて出来事が変更される?やっぱり意味が分からない。画像付きでやり方とか書いとけよ。『よくある質問』とかさ。
不親切な洋ゲーみたいだよ。
便利な機能の意味は分かる。倍速再生については予想通りだ。
お?スキップとかできるんだ。
再生の右にある矢印のボタンがこれだろう。
右矢印が二本のが一時間で、三本が一日、四本が一ヶ月で、五本が一年かな。一年のスキップってスゲーな。ざっと計算して……八千時間以上か。
とりあえず、さっきは花蓮との喧嘩のシーンで一時停止してるけど、別のシーンを見てみようか。
『会議で資料を発表する 2018/10/03 14:05』
これって、来週の水曜日に俺が発表する会議の事だよな。まあ、確かに俺にとっては重要だ。時間帯も午後2時からの会議だからドンピシャだ。
俺はタッチパッドを操作して、このコメントをクリックした。
画面の静止画が花蓮との喧嘩のシーンから、会社の会議室に切り替わる。
俺は再生ボタンを押して、会議の動画を再生した。
◇◇◇◇◇
「では、派遣会社の選定に関する比較検討資料についてご説明いたします。皆さんスクリーンをご覧ください」
動画の視線はノートPCと映写用のスクリーンを交互を行ったり来たりしている。
やがて、ノートPCに表示されたパワーポイントにアングルが固定され、資料の内容が口頭で説明される。
説明している声は俺のものだ。
姿の見えない俺の声は、淡々と三社の原価を読み上げる。ここで言う原価とは、人を派遣してもらう対価として、うちの会社から派遣会社へ支払われるお金の事だ。労働者への給料は派遣会社から支払われるが、俺達は実際に支払われる給料がいくらなのかは分からない――事になっている。
「続いて、派遣社員の勤怠と、業務スキルのレベルを数値化し、派遣会社ごとの平均値を算出しました。赤井サービスが勤怠でトップ、青田テクノロジーが業務スキルでトップ。黄村スタッフスはどちらも最下位という結果です」
時折視点が会議への参加者、特に部長を重点的に映すが、特に反応せずに説明に聞き入っているのが分かる。
「以上です。何か質問はございますでしょうか?」
動画の視点は参加者をゆっくりと見回すようにアングルを変える。
「佐藤君、これで終わり?」
部長一人だけが質問を投げた。飲み会の席とは異なり、呼び方も『翔太』というフランクなものではない。
「はい。以上です」
俺の声が告げる。視点は部長に据えられている。
「はぁ。正直がっかりだよ。これくらいの情報は、タイムカードのシステムを見ればすぐに分かる。そもそも今回、派遣会社を減らそうとしている理由って分かってる?」
「黄村スタッフスのレベルが低いからと考えています」
「おう。そこまでは合ってるよ。でな、その黄村スタッフスを会社ごと切っていいかどうかってのが、今回の会議の目的だよな?」
「はい。心得ています」
視点が手元のノートPCを捉えた。
「じゃあよ、もう少し自分で考えて資料作れよ。なぜ黄村のレベルが低いのか、他社と比べて何が違うのか、本当に黄村のレベルが低いのか、特定の個人に偏っていないのか。それと、判断を仰ぐために大切なのは……はぁ、もういいや」
と、なぜか部長はここで言葉を切ると、表情を引き締めて、もとい、引き締めまくってそりゃもう怖い顔におなりになって睨んだ――と、思う。
modが映す画像はノートPCのままだ。
恐らく、未来の俺は部長の顔を直視できず、下を向いて時が過ぎるのを待っている。
「で、佐藤君はこちらを馬鹿にしてるの?」
「え?」
佐藤君こと俺が怒られてる。
「見ればわかる資料を作って、人を集めて場を設けて、これっぽっちの薄っぺらい資料をだらだら喋ってさ、それなのに目も合わさないで時間が過ぎるのを待ってんの?だから馬鹿にしてるのかって聞いてるんだよ」
「いえ。そんな事は……」
「部長、ちょっといいですか?」
ここで、加藤さんが部長の叱責に割って入ってきた。
マジで勇気があるよ加藤さん。部長のこのノリに割って入ってくるって、どんだけ鉄仮面なんだよ。
鉄仮面伝説の幕開けだよ。
「何だ加藤」
「申しわけありません。これは私のサポート不足です。佐藤君に具体的な指示を出さず、丸投げ状態でしたから」
「じゃあ加藤が悪いな。来週もう一度会議やるから、今度は無駄な時間にしないようにな。じゃあ解散!」
部長の掛け声で会議はお開きになった。
参加者が退出していく中、加藤さんが近寄ってきた。
「佐藤君、部長の手前はああ言ったけど、私も同じ気持ちよ。あんな資料しか作れないとは思わなかったわ。分からなければ相談してって言った筈なんだけど……」
加藤さんはがっかりした態度を隠そうともせず、肩を落として去っていった。
俺は心の中で中指を立てて、ノートPCのカバーを閉じた。
水曜日の会議らしき動画は、俺が叱られて終わる結果だった。動画の内容はやっぱりリアルで、とても作り物とは思えない。
どこで間違える?俺はどうすればいい?
そもそも、花蓮との喧嘩は既に起きた出来事だが、水曜日の会議は未来の話だ。
動画の内容は確実に起きる事なのか?悪徳業者が手の込んだ悪戯をして、俺を騙して楽しんでるだけじゃないのか?
あー!やっぱ分からない。
動画の内容が真実の未来を映してるなら、何らかの対策をすべきだろう。
だけど、本当に信じていいのか?
悩める俺がこんな時に相談する相手は決まっている。
ビシッと俺に意見を言ってくれるナイスガイ、親友の豪介に相談しよう。
◇◇◇◇◇
蒲田駅近くにある、モクモクと煙の漂う焼き鳥屋で、俺と勝山豪介はカウンターに並んで黒ホッピーを飲んでいる。
水曜の会議を明日に控え、どうしても悩んでいる点を相談するためだ。
本当はすぐにでも豪介を呼び出したかったが、日、月曜日と豪介の都合が合わず、本日十月二日の今日になりようやく時間が取れた。
「まあ、俺だったらこっちの方がいいと思うぞ。学が生きてたら、もっといいアドバイスもできるのかもしれねぇけどよ」
俺は、明日発表しようと思っていた資料に加え、別の資料を用意していた。
豪介に双方を見てもらい、どちらがいいかを判断してもらおうと考えたのだ。
ちなみに学とは、俺と豪介の共通の同級生だ。
大学生の時に亡くなってしまった。
豪介は今でも学の死を悔やんでいて、事あるごとに名前を出してくる。学はとても頭がよく、脳筋派の豪介とも不思議とウマの合ういい奴だった。
過ぎた事は一旦置いといて、俺は豪介に感想の続きをせがんだ。
「その理由は?」
「まず、こっちは全然ダメだな。単に数字が並んでるだけだ。ホントそれだけ。お前の会社って、単価と平均値の計算もできない奴ばっかりなの?」
豪介の言っている事は部長のお叱りと似ていた。やはり同い年の友達に言われれば、それほど傷つかずに済むもんだ。
「それに比べて、こっちは派遣会社への支払い単価に加え、派遣社員に支払われた給料が書かれてる。こんなのどうやって調べたんだ?」
「それはね、仲のいいオペレータの子に、こっそり教えてもらったんだよ」
休憩室でランチを食べている時に教えてもい、三社の派遣社員に上手く聞き出すことができた。
「この黄村スタッフスってのは、ピンハネが酷いな。これじゃ従業員のモチベーションが上がるわけがない」
「そうなんだよ。これを知って、俺も悲しくなった」
黄村スタッフは、うちの会社から支払われる代金は三社中トップなのに、従業員への給料が三社中ワーストだったのだ。コストに対するパフォーマンスが悪い。
「じゃあ、こっちの資料なら評価してもらえるかな?」
豪介はグイッとホッピーの入ったジョッキを飲み干すと、仁王像のような顔でこちらを見てくる。
「そんなの分かんねぇよ。ちっとは自分で考えろ。俺だって未来が分かるわけじゃねぇ」
というと、豪介は席を立って店の奥に歩いて行った。トイレだろう。
そうだよな。
動画の中で部長が言っていたのを要約すると『黄村が他と違う原因を考えろ。誰にでも分かる資料を出すな』だった。
ピンハネが原因ではないかと仮定したのは俺で、それについて調べたんだけど、果たしてこれが部長が知りたかったポイントなのか分からない。
新しく作った資料を部長に見せても、同じように怒られるかもしれない。
『未来が分かるわけじゃない』ねぇ……。
まぁ、それに近いイカサマツールは家にあるんだけど…。
ただ、modってこれから起こる未来を知る事は出来ても、別の未来を教えてくれるわけじゃないしな……。
ん?
そういえば、modのヘルプには、それに近い事が書いてあったような気がするぞ。
でも、それっぽい機能あったかな?あのヘルプって不親切なんだよな。
「不親切で悪かったのぅ」
突然、カウンターで隣に座るじいさんに声をかけられた。
じいさんは、焼き鳥を食べながら、おちょこで日本酒を飲んでいる。クイッとおちょこの中身を飲み干すと、傍らに置いた赤いひょうたんから、日本酒を手酌で継ぎ足した。
この店ってすげぇな。日本酒をひょうたんで出すのかよ。何合ボトルだ?
それにしても変なじいさんだな。
きっと、ボケてるか泥酔してるかで、脳内の妖精さんと会話でもしてるんだろう。
「お前、儂の事なめてるじゃろ?」
じいさんは、はっきりと俺の方を向いて『じゃ』口調で語りかけてきた。ふさふさの眉毛に、ふさふさの髭、ふさふさというかボサボサの髪の全てが真っ白で、浴衣姿も相まって神様のような見た目だ。
「えっと、スミマセン」
俺はじいさんのオーラに気圧されてしまい、無意識に謝っていた。
「分かればいいんじゃよ」
と、じいさんは帽子を取ってペコリと頭を下げるように、ボサボサヘアのヅラを取り外した。
「って、ヅラなのかよ!!」
それは見事なスキンヘッドだった。神々しいほどにシャイニングだ。
どうせヅラを被るんなら、あんなボサボサなのにしなくてもいいのに……。
「不親切と言われて黙っている訳にもいかんからのぉ。一つ教えてやろう。ヒントは、右くりっくじゃ」
じいさんの口から右クリックなどというハイカラな用語が飛び出して、俺は意表を突かれた。
「何の事ですか?」
『不親切』なんて、俺は口に出してはいない。
読心術?……まさかな。
その時、先ほど豪介が飲み干したホッピーの、中身のお代わりを持って店員さんが現れた。
自然と俺の目線が店員さんの動作に向けられる。俺は空いたグラスをまとめて、店員さんに渡してあげた。
「もっどの編集機能に決まってるじゃろ。右くりっくすれば、別の窓が開くじゃろうて」
俺は今度こそ度肝を抜かれて、店員さんからじいさんに視線を移すも、もうそこには誰もいなかった。
カウンターには、焼き鳥の乗っていた皿と、空になったおちょこだけが置かれていた。
まだ飲み足りない豪介の誘いを固辞して、俺は家路を急いだ。
あのじいさんからmodというキーワードを聞かされ、気持ちはとても動揺している。
それにしても、あれは只者ではない。
オーラという意味では部長の偉い人オーラも大したものだが、あのじいさんはちょっと規格外だ。一瞬で雰囲気に飲み込まれるというか、手の上で転がされるというか、とにかく感じるものがあった。
話しかけられたタイミングもばっちりで、modのコメントの編集方法に戸惑っている時だったし、それに対するアンサーとして右クリックというのも、なんだか正解を言っている気がする。
大急ぎで帰ってきた俺はドタバタとワンルームに滑り込むと、早速ノートPCのカバーを開ける。
じいさんの言っていた事が本当か、しっかりと試してみよう。