幽霊少年
僕は幽霊を見ることが出来る。
と言ってもあなたは信じてくれないだろうけど。
そもそもそいつが幽霊なのか、僕も自信を持って言うことは出来ない。
足はあるし。
壁に普通にぶつかるし。
特に恨めしいこともなさそうだし。
今だって隣でシチューの具材を切ってるような奴なんだ。
初めてこいつを見たとき、僕はまだ小学生だった。
公園で遊んでいて道路に飛び出たボールを追いかけようとした時、道路の向こう側に突然こいつは現れた。
病的なくらい白い肌と真っ黒な髪のそいつは、しばらく辺りを見渡したり自分の手をまじまじと見た後、僕を見つけて飛び上がった。
そして、何か信じられないものでも見たような表情で僕を見た。
まあ僕も同じような顔をしていただろうけど。
我に帰った僕は、道路に出たブルーのボールを拾おうとした。
彼ははっと何かに気づいたような顔をして、こちらに走ってきた。
僕は恐ろしくなって、さっさとボールを取って逃げようと道路に飛び出した。
耳をつんざくようなブレーキ音と響くクラクション。
こちらに飛び掛ってくるさっきの男の子。
僕は目をつぶった。
トラックは過ぎ去った。
再び目を開けると、目の前に彼の顔があった。
僕は両親にこの子が助けてくれたんだと説明したけれど、両親には彼が見えていなかった。
こいつはきっと幽霊だ。
僕はそう思った。
彼は、話せないことと僕以外の人には見られないこと、食事をしないこと以外は普通だった。
僕の成長に合わせるように、彼もまた成長した。
彼はテスト中に代わりに問題を解いてくれたり(僕と彼は筆跡が似ていた)、宿題をやってくれたりするので(頭の出来は僕と変わらなかったが)、僕は彼を怖いとは思わなかった。
むしろ毎日が楽しかった。
僕が言うのもなんだが、僕達は仲が良かったと思う。
「野菜は全部切ってくれた?」
今や大学生となった僕が彼に聞くと、彼は切ってボウルに入れた野菜を指差した。
「ありがとう」
彼はそれには答えず、なにやら思いつめた表情で手元を見つめている。
「幽霊さん、どうかした?」
僕はそう言って彼の手元を覗き込んだ。
彼の手は、意を決したように野菜を切ったばかりの包丁を再び握り締めた。
そして――
僕は彼に刺された。
何が起こったのか理解できなかった。
「どう……して……」
彼のほうを見ようと顔を上げると、周りの景色はがらりと変わっていた。
僕は外にいた。
頭の上には青空があった。
訳が分からずふと違和感を感じて自分の手を見ると、真っ白で子供の手のように小さかった。
妙な既視感があった。
目の前には道路が広がっていて、向こう側には見覚えのある少年がいた。
あれは……僕だ。
僕は驚いて飛び上がった。
それは幼い頃の僕だった。
頭は既にパンクしていた。
彼はこちらに向かって駆け出した。
こちらではない、道路に転がったボールを取ろうとしているのか。
彼が取ろうとしているブルーのボールを見た瞬間、僕は突然思い出した。
僕はこの後、トラックに轢かれかけるのではなかったか。
迷う必要はなかった。
僕は道路に飛び出し、必死に過去の僕に飛びかかった。
耳をつんざくようなブレーキ音と響くクラクション。
目をつぶって立ち止まる少年。
僕は彼の肩に抱きついて、そのまま一緒に倒れこんだ。
トラックは過ぎ去った。
再び目を開けると、目の前に少年の顔があった。
少年は両親に、この子が助けてくれたんだと僕のことを説明していたが、彼らには僕が見えていなかった。
幽霊の正体は、僕だった。
それから僕は、行くあてもないので過去の僕と一緒に過ごした。
幽霊である事、筆跡が同じ事を利用してテストで問題を代わりに解いてやったり、かつて僕がそうしてもらったように宿題をやったりした。
僕ら二人は、何しろ同一人物だから仲が良かった。
「今日はシチューにしようか」
今や大学生となった彼が僕に言った。
ご飯を必要としない僕にとっては夕飯の献立など興味はないが、この日は事情が違った。
昔からカレー派だった僕は、自炊するようになってから一度しかシチューを作らなかった。
そう、最初で最後になったシチューの日。
それは僕が幽霊に殺された日。
「野菜を切ってくれる?カレーと同じだから分かるよね」
彼は僕に言った。
僕は包丁を洗い、まな板を洗い、野菜を取りに冷蔵庫に向かった。
数分後に、いや数年前に、僕はこの包丁で幽霊に刺された。
刺された僕は幽霊になって、過去の僕自身の命を救った。
僕も昔、幽霊に助けられている。
つまり……
「野菜は全部切ってくれた?」
僕は切り終えてボウルに入れた野菜を指差した。
つまり、幽霊がいなければ僕は少年の頃にすでに死んでいたはずなのだ。
幽霊を出現させなければならない。
つまり……
僕は今、横にいる僕を殺さなければならない。
「幽霊さん、どうかした?」
僕はなぜあの日、彼に刺されたのか。
今なら分かる。
――僕は包丁を握り締めた。
fin
このような駄文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
気に入っていただけましたら幸いです。