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シリーズ化した短編

奇行に走る義姉と

 俺は6つになる前に本家であるスーフィン家に引き取られた。

 数ある分家の中から、たくさんいる子供たちの中からなぜ俺が選ばれたのか、その時の俺は知らなかった。

 けれど、本家スーフィンの唯一の子どもが女児であったことが第一の理由として知らされた。

 ならば婿養子でもとれば済む話ではないのか、当時の俺と両親はそうは考えなかった。

 本家に引き取られるということは、次期当主としての座を確約されるということは本当に名誉なことで断るわけがないのである。

 だがもし過去に戻れるのならば俺は幼い自分の手をとって納屋にでも隠してしまうことだろう。次の候補が選ばれるまでの間、泣きわめく幼い子どもの口を塞ぎでもして回避させる。きっとわかってくれるはずだ。

 なにせ俺は学力でも社交性でもなく、適応能力が子供たちの間でずば抜けて高かったという理由だけで本家の跡継ぎに選ばれたのだから。



 義姉がやっと長年婚約者であったガイン様に嫁いでいって数年たった今ならそうやって落ち着いて昔を思い出すことができる。

 昔は良かったと、人生まだ18年しか生きていない俺は宰相様お勧めの胃薬片手に思い出に浸るのであった。




 本家に養子として迎えられるとすぐに本家の令嬢、ロクサーヌと顔を合わせた。可愛らしいというよりは顔のパーツがよく整っている少女は将来きっと美しくなるであろうことが簡単に予想できた。義姉になる人がこんなにも綺麗だとはスーフィン屋敷に来るまで全く見当もついていなかったせいか彼女を前にして挨拶する声はひどく震えたものとなった。

 そんな俺を馬鹿にすることなく、義弟になることを嬉しそうに受け入れてくれた。



 その時は目の前の少女があんなことをするとは思いもよらなかった。



 衝撃が走ったのはスーフィン家に身を寄せてから半月ほど経った時のことだった。その時はまだなぜ分家の少年にここまで尽くしてくれるのか見当もつかず、未だに慣れない本家で戸惑っていた。

 そんなある日のこと、義姉の元に彼女の婚約者がやって来るということで顔を合わせることとなった。

 なぜ義姉の婚約者に?と少しだけ疑問を持ったものの、口に出すことなく義姉とともにソファに腰掛けながら義姉と共に婚約者を待った。そんな俺の目に飛び込んできたのは彼女の手に握られた小さな箱だった。義姉弟になったとはいえまだ日が浅く、彼女のことをよく知らなかった俺は真っ白い箱に赤いリボンがかけられたそれをおそらく久しぶりに会う婚約者へのプレゼントか何かだと思ったのだ。

 だから彼女の婚約者、ガイン様がリボンを解いた瞬間に飛び出して来る羽根のついたムシたちにひどく驚いて、そして気を失った。視界が暗くなる中、耳に入るのは義姉の楽しそうな笑い声とガイン様の呆れたような声だった。


 その日、俺は初めて義姉の奇行を目の当たりにしたのだ。


 義姉が婿養子をとらない理由、そして彼女の婚約者が公爵家次男である理由、そして俺がこの屋敷の養子として選ばれた理由の全てを理解した。


 それからも義姉は奇行を繰り返した。

 それは大抵婚約者、ガイン様に向けて行われるもので、スーフィン屋敷の外では決して行わなかった。

 婚約者さえ絡まなければ義姉は普通の公爵家令嬢だった。けれど俺にとっては度々婚約者に嫌がらせをする変人な義姉だった。時たま、実験だからと俺にも何か仕掛けて来るのは本当にやめて欲しかった。だが彼女の両親が微笑ましそうな視線を度々向けてくるためそれを無碍にすることは出来なかった。

 義姉は実験で俺が嫌そうな顔をすると決まってそれをガイン様にもして見せた。そして彼の度肝を抜けると嬉しそうに「成功したわ!」と俺の元へと駆け寄ってくるのだった。


 ある日、義姉が少しだけ席を外すとガイン様は俺に向けて手を招いた。招かれるがままに身を寄せると彼はニッコリと笑って小さな声で囁いた。

「君はよほどロクサーヌに気に入られているようだ」と。

 言葉だけ捕らえればいいのだが、生憎俺は彼の暗く低い声音をはっきりと聞いてしまったし、好意など全く持っていないであろう冷たい笑みを真正面から受けてしまったのだ。


 それからしばらく中々寝付けない日が続いた。

 寝ようと目を閉じる度にガイン様の声と顔が頭に蘇るのである。


 俺は義姉が婚約者ガイン様に繰り返す嫌がらせを止めなければいけなかったのだと震えながら彼女の奇行を必死で止めた。

「義姉さん、お願いだからどうか、どうかガイン様への嫌がらせをやめてほしい……」

「でも、それじゃあダメなのよ? ちゃんと嫌われなくっちゃ」

 不満げに呟く義姉に何とか、一度だけはと頼み込んだ。すると彼女は必死な俺を可哀想に思ったのか「一度だけだからね」と折れてくれた。


 そうして俺にも安寧の日々が訪れるはずだった。


 ……だが現実は世知辛いものだった。

 ガイン様は義姉の奇行を、嫌がらせを止めない俺を気に入らなかったのではなかったのだ。


 それは帰り際、彼が俺の耳元でボソリと囁いたことによってやっと理解した。


「たった一ヶ月見ないだけで君たち姉弟は一層仲良くなったんだな……」

 彼が気に入らなかったのは彼の婚約者である義姉と俺が仲よさそうにしていたのが気に食わなかったらしい。

 決して仲がいいわけではないのだが、彼の目にはそう見えてしまったのだから仕方がないことだろう。


 その日から俺は義姉であるロクサーヌを蔑ろにするようになった。

 そうでなければガイン様に殺されてしまうとまで思えたのである。何をおいてもまず大事なのは我が身である。

 初めの二、三年は義姉の寂しそうに垂れる眉毛に罪悪感さえ抱いたものだが、それはガイン様のあの声音と視線をもう一度向けられる恐怖に比べたら些細なことだった。義姉自身も次第に諦めたように俺がくる前と同じように一人で次は何をしようかと考え込むようになった。


 そんなただでさえ変わり者の義姉がさらに奇行に走しるようになったのは義姉が高等学校へ入学する一ヶ月ほど前のことだった。


 突如として義姉の部屋から高笑いが聞こえてきたのである。

 長年蔑ろにし続けたせいで気でも狂ったのかと心配してすぐに義姉の部屋の戸を叩いた。

「義姉さん! 義姉さん!」

「何?」

「何があったんだ!?」

「何って?」

「おっほほほほって大きな声が聞こえたから」

「ああ、これ? 高笑いの練習よ!」

「……何で高笑いの練習なんかしているんだよ?」

「だって一ヶ月後にはついに学園入学でしょう? エンディングが三年後とはいえ、それは三年間の集大成を飾るわけで……ということは初日から気が抜けないってことじゃない! そして初日から失敗しないように今から練習を、と思って」

「ええっと、意味がわかんないんだけど?」

「わからなくてもいいの。これは私の欲求を満たすための行動だから!」

 義姉はそう言うと再び高笑いの練習を開始した。

 意味のわからないそれを止められなかったのは俺だけではなく、義姉専属の使用人ですら止められなかったのである。


 だがまさかその高笑いがその後三年間も継続して聞くことになるとはそのとき誰もが思いもしなかっただろう。



 数ヶ月先に生まれた義姉と同じ年に入学した俺の同級生はあまりにもバラエティに富んでいた。

 まずは奇行に走る義姉。

 義姉へ対する愛が深すぎるくせに自覚症状が全くないらしいガイン様。

 義姉の幼馴染で俺自身も何度か顔を合わせたことのある二重人格のような爽やかと腹黒さを使い分ける王子様。

 日々胃薬が手放せない苦労人宰相様。

 そして平民でありながら国王様によって類稀なる才を認められた平民。


 もう本当に色々詰め込んだ結果がここにあるといった感じである。

 入学式ではただでさえ目を引く王子様が平民に話しかけているというだけで事情の知らない貴族たちは彼女に敵意を剥き出しにした。

 そしてそれを守るは未来の騎士団長と名高いガイン様と次期公爵家当主の俺である。宰相様はその間も胃薬と水を腹に流し込んでいた。

 これだけの者が付いていればいくら平民に対しての敵意があろうとも彼女に手を出そうという者はいないだろうと思ってのことだった。事実、たった一人を除いて実行に移した者はいない。その一人というのは義姉である。そう、あの奇行令嬢ロクサーヌなのだ。


 どうやら義姉は平民、フローラルと自身の婚約者、ガイン様が共にいることが気に入らないらしく、一週間ほどは恨めしそうにガイン様を睨んでいただけだった。

 だがそれすら意味を持たないと悟ったのか、突然奇行に走った。

 どこからか黄色い果実の皮を出すと廊下の真ん中にそれをボトボトと落としてその場を去っていったのである。

 意図的に落としていたようなのであえて誰も何も言わなかったのだが、その一時間後彼女はそれに足を取られて盛大にすっ転んだ。

 どうやら落としたことをすっかり忘れていたらしい義姉はその後、ガイン様の手によってスーフィン家に運ばれた。俺はその馬車に同行するのはちょっとばかり気が引けたのでガイン様の家の馬車から一定距離開けて走ってもらった。

 両親は気を失った代わりにタンコブをこさえて帰ってきた義姉を抱きしめながらひとしきり泣くと、義母はそのまま義姉の隣に残り、義父は書斎へと消えていった。

 その翌日から義姉には3人の護衛がついた。護衛といってもパッと見はただの令嬢にしか見えず、義姉自身も公爵家という名前に釣られてやってきた下級貴族か何かにしか思っていないのだろう。義姉はそれからも奇行を繰り返したが、彼女たちの活躍もありその後卒業まで怪我一つすることはなかった。

 俺は彼女たちの活躍を本当にありがたく思っている。彼女たちさえいなければ義姉は卒業を待つことなく、学園から姿を消していただろうから。


 義姉の奇行の一環でフローラルの筆箱を隠された日、王子様やガイン様からロクサーヌの幼い頃からの奇行の数々を聞かされたフローラル嬢はすっかり義姉を猫と重ね、餌付けを目論んでいた。彼女がそんなことをすれば嫉妬に狂った王子様によって手を下されていたことだろう。そして宰相様の胃は今以上に荒れ狂う。


 この数々の悲劇を免れたのは三人の少女のおかげである。


 卒業式が終わると王子様と宰相様はさっさとフローラルを娶るために城へと帰るし、なにやら講堂付近で誰かを待っているような義姉にガイン様はイラつくし、俺も胃薬常備しようかなと思いながら一足先に屋敷へと戻るのであった。


 俺が屋敷についてからしばらくすると騒ぐ義姉と落ち着いた様子のガイン様がスーフィン屋敷を訪れる。

 義姉は気づいていないのだろうが、結婚に後ろ向きな態度を示されているせいかガイン様からは愛と殺気が漏れ出ている。

 愛と殺気って同時に出されるようなものではないと思うのだが、それはさすがガイン様と思っておくことにしよう。

 これ以上揉められても困るし、そもそも二人の婚約はもうずっと前から、俺がこの家に養子に来る前から決められていたことだ。

 それを今更覆そうとする義姉は今度は一体何を企んでいるのだろうか?

 フローラルを見習って、義姉を猫に見立ててしっしっと手で追い払ってやるとショボンと頭の上に耳が見えたような気がした。


 ガイン様はそれから彼の実家へと義姉を連れ帰ったのであった。

 彼らの背中を見送りつつ、はぁこれでやっと平穏が訪れると安心した。



 だがその時の俺はガイン様の無自覚の溺愛を甘く見ていたのである。



 結婚後、ガイン様は義姉を一歩たりとも屋敷の外に出すことはしなかった。

 彼女の取り巻きもとい護衛をしていた令嬢に様子を探って欲しいと頼んだのだが、手紙の返信すらないらしい。そこらへんはしっかりしている義姉が手紙を返さないとはおかしなことで、恐らくは義姉の手まで届いていないのだろうと令嬢達は話した。

 今度はロクサーヌの両親に頼まれ俺がいつまで経っても子が出来ないのはなぜかと探りを入れれば『ロクサーヌに子どもなんて産めるはずがないだろう?』と聞いたこちらが悪いと言わんばかりに眉を下げられ、挙げ句の果てに武者修行に出たというガイン様の兄の子どもを養子にとった。

 そもそもそのガイン様の兄君は剣にはあまり興味がなかった人で、武者修行に自ら行くような人ではない。彼は次期当主として勉強をしていくうちに勉学に目覚めたらしく、研究の道に進みたいとボヤいていた。大方何かを交換条件掲げたガイン様が当主の座をもぎりとったのであろう。そしておそらく養子の件ももうその時には計画されていたことの一つに過ぎないのだろう。ガイン様の話によるとその養子というのはひどく利口な子で、まだ三つほどだというのにほとんど母に甘えることがないのだという。


 俺はこの時悟った。

 ガイン様は我が子ですらも義姉を譲る気などないのだと。


 彼女を妻として娶った後もガイン様は仕方ないとばかりに眉をひそめながら言うのだ。

 ロクサーヌを世話できるのは自分だけであると。


 他人への殺気を垂れ流しておきながらそのことすら無自覚な彼が有り余る義姉への愛を知ってしまった時、その独占欲はどこまで増幅するのか考えるだけでも胃が痛くなる。


 もう数年も見ていない奇行令嬢ロクサーヌは卒業式の直後にそれに気づいたのかもしれない。

 けれどもう手遅れだったのだ。

 彼の独占欲は俺が養子にやってきた頃にはすでにそこにあったのだから。


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