小説の良いところ
私が知らないだけ、もしくは知り合いが少ないだけなのかもしれないが、小説好きの知り合いはそんなに多くないように感じる。しかし、そんな小説を好まない人達も決して物語が嫌いな人間ばかりというわけではない。皆それなりにドラマ、漫画、映画、ゲームを通じで物語を楽しんでいる。もちろん物語を必要としない、物語以上に現実を魅力的に感じている人間もいるかもしれないが。私はそれらの映像や絵を用いた表現も好んでいるが、自ら小説を書くくらいには小説が好きだ。自分の好きな物を他人に理解・共感してもらう事は幸福の一つの形だと思う。なので、今回は自分が思う小説の良さをつらつらと書く。
小説の良さは想像する余地があること、だと思う。字だけなのだから想像しないとどうしようもないのだが。
ある友人がこう言った。
「AVで好みの女を捜すのは骨が折れるが、官能小説なら絶対自分好みになる。」
例えが非常に悪いが、想像する余地とはつまりはこういう事だ。文章の中に“黒髪の乙女”という言葉があったとする。文章にそれ以外の情報が無い場合、その黒髪の乙女が長髪でも短髪でもいいし、長身でも華奢な身体つきでもいいわけだ。自分の思い通りに描ける(書ける)余白が小説には残っているのだ。
想像する余地があるおかげで小説ならではの表現方法もある。私が好きな文章に“いたずらっぽい目をした娘”というものがある。しかし、実際にいたずらっぽい目をして下さいと言われたら非常に困る。そんなもの現実に定義づけられて存在するのだろうか。なので、この文章を読む際には自分の中での“いたずらっぽい目をした娘”を思い浮かべる。これは十人いたら十人違うものが出来上がるだろう。このように伝えたい雰囲気さえを書いておけば、後は読者が自分好み百点満点の想像をしてくれる。絵や映像で自分好みの百点満点は中々世の中に存在しないでしょう?
文字だけの表現は思っているよりも自由度が高いのだ、作者側にも読者側にも。
想像して、自分の世界を膨らませるのはとても楽しい。小説を読む事は自分の内側から世界を広げる作業なのだ。世界一周して自分の世界を広げるのも素敵だが、小説の方がお手軽である。
もちろん絵や映像が悪いわけではない。想像する余地が少ないという事は逆に作者側の意図が弯曲することなく相手に伝わるという事だ。自分の世界をそのまま相手に伝えられて、それを好きになってもらえたらすごく幸せだろうなぁと思う。
もっと小説の良い所があるだろう。また自分の中でしっかりとした形になったら書いてみる。少しでも私の好きな物を好きになってくれる人が増える事を願って。
小説の良いところ、物語の良いところ、どんどん増やしていきたい。