1.礼から始まる
「あぁ…負けちまったよ…」
ーーーーーーーーーやめろ
「せっかくここまで来たのになぁ」
ーーーーーーーーーー何で
「お前のせいで」
ーーーーーーーーーー仲間じゃないのか
「負けたんだよ」
ドゴォ!!!!!
「ウボァー!!!!」
何とも情けない声が耳に響く。
目を開けているはずだが暗闇の中にいる。
あぁ、そうか腕を枕にして寝てたな。顔をあげるとついさっきまで教室には学生が半分いたはずだが、俺含め4人しかいなかった。
悲鳴があがった方に顔を向けるとデコを抑えて悶えている奴がいた。
またやってしまった…
「くぁー…あっ、すまんな皇帝…」
「っく…誰が皇帝だ!!…ぃってぇ…」
どうやら今回はクリティカルヒットだったようだ。裏拳が綺麗に入ったようで自分の手の甲を見ると少し赤い。
まだ悶えているコイツは鳥嶋 公定。下の名前が こうてい とも読めるためそう呼んでいる。
睫毛が長い一重の目が涙目になっている。鼻筋は通っており、短く整えた髪は毛根が強いのか常に逆立っている。たしか身長は180cm手前だったかかなりでかい。
そんなやつが涙目でデコをおさえているのは何とも滑稽だ。
「いやぁほんとすまないと思ってるよ…ケアルでも唱えようか?」
「いらねぇってか唱えられねーだろ…つか早く道場掃除しとかねーとまたライオン先輩に怒られるぞ?」
壁にかかっている時計を見ると16時25分になっていた。うーん1時間は寝てしまってたか…てかやばいな…
「あぁ…夕焼けがきれいですね…」
「たそがれてんじゃねーよ。おら、早く行くぞ!」
いつの間にか公定は通学カバンを右手、大きめのエナメルバッグを左肩肩にかけている。
ひと欠伸して俺もまた部活に行くための準備を始めた。
学校敷地内でも正門から最も遠い場所に部活場所はあった。
赤い屋根。両引き戸の玄関。真っ白な壁。建物の上と下にある窓。それが俺の部活場所だった。
うーん、物音一つ聞こえないからまだ先輩達来てないかな?先輩達が来る前に早く掃除終わらせないと…
「よかった…まだ窓も開いてないし、ちゃちゃっと掃除しよ…う…」
ガラガラと引き戸を開けながら俺に話しかけていた公定が道場の方を向いて固まる。
何かあったのか、俺も公定の視線の先をみると
バランスボールの上に乗っているムキムキの熊がいた。
「ハァーッハッハッハッハ!!!遅いぞ1年!!!」
いやぁ最近の熊は玉乗りどころか言葉も話すのか。芸を仕込んだのはどなたかな。とりあえず、引き戸を閉める。
扉の向こうから「ハァーッハッハッハ!!!!無視かな!?」との声とともにドドドドと足音が聞こえる。
「公定、お前行け」
「何で俺だよ。てかなぜ閉めたよ」
「いやもう、反射的というか、脳が考えるのをやめてた。気づいたら閉めてた」
「ショックでかすぎんだろ。とりあえず熊さんは端っこで玉に乗っててもらってその間に掃除しよう。ライオン先輩来る前に終わらせないとマズイって」
「ほぉ?それは誰のことかな?」
後ろからドスの効いた声が聞こえ、2人で跳ね上がった。
ゆっくり振り返るとそこには
真っ白な道着を着た金髪のチビライオン(♀)がいた。
もうなんだここは動物園かな?とりあえず最敬礼して、ご機嫌を伺おう。
「お…おざぁーっす!!」
「何でおはようなの。もう夕方だし、それに挨拶軽すぎない?」
「いやぁ体は最敬礼、口はナンパ者でギャップ萌えです!でも敬う気持ちはあります!俺、体は正直っす!!」
「変な風に聞こえるからやめて」
「し、獅子倉先輩!こんちわっす!!」
「うん、公定くんは土下座やめて。デコを地面に擦り付けるのもやめて」
ふむ、まだ2週間くらいしか接してないが、そこそこ機嫌は良さそうな雰囲気とみた。
極端に機嫌悪い所は見たことないが、機嫌悪い時は例えば今の状態だと「……ぇぃ…」くらいしか言わない。こわい。
俺と公定が姿勢を正したと同時に後ろの引き戸がズバァン!と勢いよく開いた。
俺と公定は来ると分かっていた為、ビックリすることも無かったが、目の前のチビライオンは「わぁ!」と驚いた。リアクション意外とかわいいな。
「ハァーッハッハッハッハ!!!ランニングお疲れ様だ獅子倉くん!!」
「あぁ…お疲れ様です…熊さんビックリしたじゃないですか…」
「すまなんだッハァッ!!!リアクションいいなハァーッ!!!準備しッハァーッハッハ!!!」
熊さんは獅子倉先輩が驚いたのにツボにハマったのか豪快に笑いながら道場内に戻っていった。
獅子倉先輩はちょっと恥ずかしかったのか耳がほんのり赤くなり、むーっと唸っている。そしてフゥーっと息を吐き、俺達の方を向いた。
パッチりとした目に長い上向き睫毛。茶色い瞳で鼻はそこまで高くないが団子っ鼻でもない。白い肌にさっきまで走っていた為か、赤い頬がよく映える。髪は本人いわく地毛の金髪であり、日光の下だとキラキラ輝いている。肩までの長さで、前髪はまとめて髪ゴムで留めてデコ見せチョンマゲである。
俺の一学年上であり、そしてチビライオン(♀)、 獅子倉 夏美である。
獅子倉先輩が八重歯を見せながらこう言った。
「さ、熊さんの言った通り!練習始めるよ!!早く着替えてね!」
道場の引き戸の先には土手床がある。右手と左手に靴棚がそれぞれあるが、左手側は違う部活の靴だなのため、右手側の靴だなに向かう。
靴を脱ぎ、すのこの上に乗る。ちょっと冷たくて気持ちがいい。
そして、五段ある靴だなの一番下段、左から2番目の棚に書いている名前 羊谷 文弥を確認して靴を入れる。
土手床より一段高くなっている あがりかまち をのぼり、道場の畳の一歩手前で一礼。
これは獅子倉先輩に最初に教えてもらった事だ。
「入る時と出る時は必ず道場に向かって一礼すること!
礼に始まり、礼に終わるだよ!」
礼をして薄緑色の畳をふみ、道場奥に向かう。
道場内は薄緑色の畳と真っ赤な畳の二種類で構成されている。道場の端にはマットが2枚置かれ、その近くに3本の太縄が天井からぶら下がっている。
壁には今まで入部した人の名前が書かれてある表札があり、綺麗に額縁にいれられている。その隣の額縁には技の名前が色々書いてある。まだ全部覚えてないけど後々必要らしい。
畳を降り、裏口に隣接された所に部室はある。
部屋が二つあり、左手の方のドアの上に達筆な文字で「男子部室」と書かれた古びた表札がある。
右手には何ともポップな文字で「女子部室♪」と割と新しい表札に書かれており、小さな文字で「男子禁制!男即斬!」との文字。ナニを切られるんだ。
部室のドアをあけると、少しホコリ臭い。やっぱここ大掃除しないとな…。
バッグから道着を取り出し、着替えていく。
まずズボンを脱ぎ、道着の下ばきを履く。腰紐がありこれをしっかり縛らないとスルスルと落ちてしまう。
ちなみに公定は道着の下にパンツを履かない。破れてしまうためだそうだ。その為しっかり紐を締める。
次に上衣。
真っ白な上衣の袖に腕を通し、襟が左前になるようにして真っ白な帯を結ぶ。ちなみに右前にすると、死装束なので注意。
帯の締め方は公定に教えてもらいながらやっと最近綺麗に結べるようになった。
ちなみに公定は既に着替えを終えている。流石経験者。黒い帯が鈍く光るぜ。
よし、準備完了。
部室を出て道場に戻る。
熊さんは獅子倉先輩に股を割られていた。
「ンハァーッ!!!痛い!!痛いぞ!!!獅子倉くんっ!!!」
「熊さん体硬いですもん…」
股割り。ようは柔軟体操である。男即斬されているわけではなかった。
拷問に見えるが怪我をしない為にも、強くなる為にも必要不可欠である。
ブルブル震えながら柔軟する熊さんたちに公定が声をかける。
「準備できました!」
「お、きたね!じゃあ礼をしてはじめよっか!あ、ちなみに1年2人は練習後に綱上り10本ね!」
「「えっ!?」」
「だって掃除してないじゃん。話聞いたら熊さんがしてくれてたみたいじゃない」
「ハァーッハッハッハッハ!!!1人寂しかったからやっといたぞ!!!獅子倉くん!!そろそろ柔軟いいんじゃないかな!?」
あのキンニクマぁ……遅れたのは俺が悪いし何も言えないが黙っておけばよいものを。
ほら公定も殺気ムンムンじゃないか。俺に対して。
「…よし!まだ皆来てないけどやろっか!」
「ハァーッハッハッ!!それ下級生主将の俺のセリフなのだけどな!!!」
まだ4年生も5年生も来てない。忙しいのだろうなぁ。
そして、我々、桜野工業高等専門学校、柔道部の部活が始まる。
これはとある男子高専生の柔道を通じて色んなことを経験していく5年間の青春譚である。
「ほら!あと綱上り5本だよ!早くしないとご飯間に合わないよ!」
「くそおおおおお!!!!!文弥ァァァァァ!!!」
「すまねえええええええ!!!!」