① 授業参観
ラブホテルの廃屋。
くすんだ白い壁は半分程、色が剥げ落ち、無機質なコンクリートが顔を出している。
部屋を区切っていたと思われる壁もほぼ倒壊しており、一つの大きな部屋のようになっていた。
その中央で俺は血まみれで倒れている。
両手両足を撃たれ、動くことができない。
ただ、天井を眺めている。
古ぼけた、いまにも落ちてきそうなシャンデリアがそこで揺れている。
人の気配が近づいてきていた。
俺を撃ったであろう人物。
恐らく、この世界で最強の殺し屋。
ゼロと呼ばれ、誰もその姿を見た者はいない。
どんな困難な殺しも、一瞬で片付ける伝説の男。
最後にその顔を一目見たかった。
最後の力を振り絞って気配のする方に顔を向ける。
途絶えそうになっていた意識が一瞬で覚醒した。
「えっ、ええっ? 何っ? 誰?」
生まれてから、これまでで一番間抜けな声を出したと思う。
なぜならそこにはピンクのランドセルを背負った女の子が立っていたからだ。
十歳にも満たない少女。大きな紅い瞳に赤いメガネをかけている。少しツリ目で唇はぷっくらとしていた。
少し痩せいて、三つ編みの紅い髪が揺れている。
黒いタンクトップと黒のスカート。
もし、右手にライフルを持っていなかったら、迷子が迷い込んだと勘違いしただろう。
「まさか、お前がゼロなのか?」
「違うわ」
そうだろう。ゼロは何十年も前からいる。計算が合わない。
なら、この少女は一体なんなんだ?
「お前が俺を撃ったのか?」
「そうよ」
単調に答える少女に背筋が寒くなる。
「お前はゼロの娘か? 奴は何処にいるんだ?」
「ここにいる」
背後から男の声がした。
振り向くことは出来なかった。
気配がまったくない。部屋には少女と俺しかいないはずだった。
しかし、奴はすぐ近くにいる。
ゼロとあだ名されるのを理解し、戦慄した。
「俺ごときがあんたをやろうなんて、とんだ思い上がりだったよ」
伝説の殺し屋に狙われていると知って、俺は最後の悪あがきをした。
アジトを探し出し、奇襲をかけた。
だが今にして思えば、俺は罠に嵌められて、ここに誘い込まれただけだったのだろう。
「まんまと罠に嵌ったという訳だ。さすが伝説の殺し屋といったところか」
「俺は何もしていない」
低い威圧感のある声だけが響く。
「全部、コイツがしたことだ」
ランドセルを背負った少女がドヤ顔をしていた。
まさか、俺がこんな少女に嵌めらたのかっ!
「伝説の殺し屋とか尾ひれがついてるけど、ゼットンは計画なんて立てないわ。依頼が来たらすぐに向かって殺すだけ。影が薄くて気配がないのをいい事にあぐらをかいた、ただのズボラよ」
「そんなことはない」
威圧感があった声が、少し頼りない声になる。
「あるわよ、ズボラするからお腹が出てくるのよ、中年太りの殺し屋なんてみっともないわ」
イメージがガタガタと音を立てて崩れていく。
俺が憧れた殺し屋はどう見ても小学生の少女に説教されていた。
「なあ、ゼットンてのはなんだ?」
「ゼロなんてあだ名大袈裟だから私がつけたの。お腹が出て豚だから、ゼロと豚を合わせてゼットンよ」
ひどいあだ名だ。こいつはヤバイ少女だ。
「まて、ウルトラマンを倒した最強の怪獣の名前じゃなかったのか?」
声にはもう威圧感がない。悲しみを含んだ声が廃屋に響く。
「痩せたらそっちにしてあげるわ」
眼鏡をくいっと上げて少女が残酷な笑みを浮かべた。
「はっ」
思わず笑ってしまう。俺はこんなコントのような中で終わるのか。
「子供、一体お前はなんなんだ?」
「ランドよ、私はランド」
ランドセルのランドだろうか? ディズニーランドのランドだろうか? まあ、どちらでもいいか。
「ゼットンの一番弟子。今日はその一周年記念に初めて人を殺すのよ」
「俺はそれを見学しにきた」
ああ、なんだろう。この気持ちは。苛立ちではない。子供に殺されることに、例えようのない感情が溢れてくる。
「今日の先生はあなたよ。命を教わるわ。ありがとう」
「中々、笑えるな。俺が先生か。ゼロは授業参観というとこか」
「ゼットンよ」 「ゼットンだ」
二人の声がかぶる。いや、ゼットンというあだ名気に入ってるのかよっ。
「いいさ、やればいい。沢山の命を奪ってきた俺が最後に命を教えるなんて洒落ている」
自虐的な笑みを浮かべて目を閉じる。
これでいい。破滅に向かっていた俺に、最初から生き残る選択肢はなかった。
「命ごいとかしないの?」
「しない。俺はもう満足だ」
ランドが銃を構える音がした。
「ねえ、命ってなんだと思う?」
「それに答えて俺にメリットはあるのか?」
しばらくの沈黙。撃たれると思ったが銃声は響かない。
目を開けるとランドがしかめっ面で悩んでいた。
「うーん」
手を組んで首を傾げ、ようやく答えが出る。
「もし、私が納得したら殺さないであげるわ」
「はっ、そりゃ嬉しいね」
しかし、命についての答えなど持っているはずがない。
「ゼットンは教えてくれなかったのか?」
「ええ、ゼットンは人に教えるの、壊滅的にダメなの」
「......壊滅的なのか」
哀愁がただようゼットンの声。伝説の殺し屋が形無しだ。
「それじゃあ、最後の授業をするか」
ゴミのような街で生まれ、ゴミのような人生を送り、ゴミのように死んでいく。
命の正解はわからない。だが俺にとって命とは......
「ゴミだ。命は俺にとってゴミそのものだ」
生き残るための答えではない。
思ったままを口にする。
「生まれた時は綺麗なものだったろう。だがどんな命も汚れて崩れてやがてゴミになる。ずっと綺麗なままの命など存在しない」
再びランドが銃を構える。
「それが俺の命の解答だ」
目を閉じる。
沈黙。ランドもゼットンも何も言わない。
銃声が鳴り響き、俺は深い暗闇に落ちていった。
気がついた時、俺はベッドの上にいた。
薄汚れ、スプリングがいかれているボロボロのベッド。
ここは、あの廃屋のラブホテルの一室だろうか。
ランドは俺をどうして殺さなかったのか。
正解を言ったとは思えない。
「水曜日で助かったな」
ゼロ、いや、ゼットンの声が聞こえてきた。
姿は見えない。
「ゴミの日は火曜日と金曜日だ」
「はっ」
所々に穴の空いた天井を見ながら笑う。
「アレはなんだ? どうして伝説の殺し屋があんな少女を弟子にしている?」
「......親の仇を討つそうだ。仕方なく教えている」
様々な疑問が頭に浮かぶが最初に思ったことを口にする。
「あの腕なら仇なんてすぐ討てるだろう?」
「まだ無理よ」
いつの間にかランドがベッドの横に立っていた。
「私の仇はゼットンだからね」
「......それは確かにまだ無理そうだな」
少しの沈黙の後に俺がそう答える。
ランドは黙って俺を見下ろしている。
なぜか、少し嬉しそうな顔をしているのは、俺の気のせいだろうか。
やがて俺はウェンズディというあだ名をつけられ、ここで働くことになるが、それはまだ先の話だった。