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雪夜

作者: SUPY

 弱ったなあとぷかりと煙を吐いた。昇る煙を目で追いかけてもうひとつ弱ったなあと頭を掻いた。最近風呂で頭を洗うのをさぼったせいか少々ふけが飛んでこれにも多いに弱った。

そうしてまわりでは大の大人が雁首を並べておれが喋り出すのを今か今かと待っている。そんなに沢山の目玉で見られる事には慣れて居ないものだから尻の下が痒くなった

向かいに座っているじいさんはこっくりこっくり船を漕いでいて、人の気も知らずに呑気なものだ。こんな田舎に来るんじゃなかったと大変後悔した。

それでいて動くに動けず喋るに喋れぬ。全く似て弱った。


 おれは学問は嫌いだったから学はない。学は無いが、こじんまりとした探偵事務所を持っている。大して繁盛しているわけでもなかったがどうにかして食っていける分は稼いでいた。それでも盆正月は実家に帰らずに働いていたら、大家がやって来て、田舎に少し骨休めにでも行ったらどうかと勧めてきた。静かで温泉のある良い旅館を知っているからあははと云って、おれはその旅館というのは何処ら辺にあるかと聞いたら全くの雪国だった。

おれは雪が大嫌いだ。冷たくってなんにも楽しいこともないし、何より不便だ。そう云っておれは最初断ったが、大家曰く温泉に浸かれば雪もそう悪いものではないからのんびりしてくるといいと云う。働き詰めだったからたまにはそんなのもよかろうとさっそく昨日やって来た。

 電車に揺られて着いてみるとやっぱり雪国だ。あちこちが真っ白でなにも面白くない。宿の者が迎えに来ていたから迷わず旅館に向かった。こんな田舎では他に見るところもなかろう。

 旅館は古くってなかなか趣があるが、とんだ山奥だ。猿が温泉に浸かりに来ると聞いたがもっともだと思った。ここまで秘境だと猪や狸が手拭を頭に乗せて湯に浸かっていても驚かぬであろう。おれは真っ直ぐに温泉に入ってそれから酒を飲んでごろんと布団に横になって寝た。猿はいなかった。

 湯に浸かれば雪も良い物だと大家は云っていたがそう良い物でもなかった。肩まで浸かり温まったと思って立ち上がる。すると雪が肌にひっついて途端に寒くなる。だからまたどぶんと湯に潜る。ずっとそうしていたから頭がくらくらした。

 目が覚めるとばたばたと五月蠅いからなんだろうと思って朝飯を持ってきた仲居を掴まえたら、脱衣所で男が殺されていたそうだ。おれが警察は来たのかと聞いたら雪がひどくてまだ来れそうも無いと云った。悪いのは全部雪なんだろうが、こんな警察も動けぬ程の雪の降る地域の山奥に旅館を建てれば何かと不便なことは少しは予想できそうなものだ。もし次に建てるときは駅の隣りに建てるがよかろうと云ってやった。ってやった。仲居は町中では風情がないと云って何処かへ行ってしまった。朝飯は精進料理かと見紛う程に不味いから少し食って後は残した。

 朝飯を下げに来た仲居から警察が来るまでみんなで大広間に集まった方がよかろうと云うことで客も仲居も全部広間に集まっているから、お客さんも着て下さいましと云われた。そうして朝飯がやたらと残っているものだから、お口に合いませんかと聞いてきた。おれは何も云わなかった。

煙草をぷかぷかしてから広間に向かった。

 広間には十七八人程がいておれは隅の椅子にどしんと腰掛けた。女将がおれに近付いて今回はご迷惑を御かけしまして云々と云うからおれは何かまわん、とんだ災難だなと答えた。

ついでいつもの癖で名刺を出してしまった。今思えば何でわざわざ名刺等持って来たのだろうかと甚だ後悔した。女将は細い指で名刺を受け取ると額面を見て、まぁと声をあげた。こんな田舎では探偵業も珍しいのだろうと少し商売っ気が出て、何かありましたらどうぞ御声をかけなすって下さいと云っておいた。そうしておれは隅でぷかぷかしていたが女将はおれの名刺を仲居達に見せびらかしていた。

 おれは今の今まで探偵なんていうものは当人が知られたくないものをわざわざ掘り当てる、こそこそしたようなものだと思っていた。実際におれがやってきたのも浮気調査や素行調査のような他人の秘密を暴くのが主で、堂々と世に顔向けできるような事ではないと思っている。

他人の尻の穴に毛が何本生えていようがおれはとんと気にならないが、他人の尻の毛の具合を知らねば済まぬ物好きもいる。そういう輩を相手にしていたから、あいつの尻には毛がいく程かと聞かれればおれは調べた。ところが今では探偵というものはなかなか勝手が変わってきたようだ。

 女将はおれを呼ぶと真ん中にでんと構えたテーブルの上座に座らせてこんな事を言い出した。

「先生、私推理物の小説はよく読むんですけれど探偵って云うのはこんな時犯人を突き当てるのが仕事なんでございましょう」

 女将はおれに犯人を捕まえてくれと、そういうのだ。そんなものは本の中か漫画の話であろう。そんなものと一緒にされては全く迷惑被る話だ。しかしここにいる者は全員田舎者なのか全く要領を得ない。是非先生先生と云って手を合わせている。おれは医者でもなければ教師でもない。先生なんてまっぴらごめんだ。まるで酔狂の極みだが、本人達はまことにもって本気なものだから弱ってしまった。

 そもそも昨日男を殴ったのはこのおれなのだ。おれは酒には強い方だが、昨日は風呂に長く入り過ぎたからか早い時間から良い心持ちになった。そうして千鳥足で一升瓶を抱えたままふらふらと温泉に行ってみた。猿がいれば一緒に酒を飲もうと思ったのだ。 脱衣所には一人の男が服を脱いでいる所であった。おれはどういうわけか一升瓶で男を後ろから殴った。何故殴ったかと聞かれてもさっぱりわからぬが、確かに殴った。男はどさりと倒れたのでおれは部屋に戻ってそのまま寝た。

 そんなわけだからおれは犯人を知っている。知ってはいるが云うわけにはいかぬ。まわりでは先生先生と囃立てる。


 おれは全く弱ったなと思いながらぷかぷかと天井を眺めている。

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