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第9章:忌まれた地にて その1

 吸い尽くした獲物を放り出して牙を剥く黒髪の男たちの行く手を阻み、聖なる呪文を発動させる老アルバ。だが、不滅の魂に呪縛された魔性を解呪するはずの精神の嵐は、予想に反して相手の手前でほどけて散じる。顔色を変えた修道士に襲いかかる二人の前に飛び出すや、盾で突き放すアラードとボルドフ。その背後からアルバが叫ぶ。

「術式に織り込まれた禁忌が発動しておる。そやつらは吸血鬼ではない。なにか似て非なるものだ!」

「わかった!」

 応えるや否や目前の敵の胸に剣を突き立てる剣士たち。倒れた相手を油断なく注視するが、傷が回復を始める様子はいっこうにない。

「……確かに吸血鬼とは違うようだ」

「では、これはいったい……?」


 いいかけた言葉を再び断ち切る悲鳴! 振り返った戦士たちの視線の向こうで、吸い殺されたはずの移民の若者が起き上がり、半狂乱の村娘の腕を引き寄せようとしている。反射的に駆け出すアラードだが、遠くてとても間にあわない!

「やめろーっ!」

 絶叫しつつ斬りかかろうとした赤毛の剣士の眼前で、村娘に食いつく寸前の怪物を三つの光が次々と貫く。爆発したかのように燃え上がるや地に打ち倒される若者だったもの。気を失った娘を負い紅蓮の炎から転がり出たアラードに、ボルドフが駆け寄ってくる。

「大丈夫か!」

 師の手に剣がないことに気づき、背後を振り返る赤毛の剣士。炭化した残骸に突き立つ焼けた大剣に思わず上げた驚嘆の声を、だがボルドフは苦い顔で遮る。

「とっさに投げてしまったが、剣士が剣を手放すのは下の下だ。あれではしばらく触ることもできん。しかも間にも合わなかったのだからな」

「では、誰が?」


 そんな二人の耳に届く、オルトの誇らしげな声。

「いや、さすがはアルデガンに身を置いておられただけのことはある。気を取られていたそこの両君はともかく、まさかあなたが私より早く呪文を開始できたとは! あの状態ではまず無理だと踏んでおったのだが」

 振り向いたアラードの視線の先に、錫杖を前に突き出したまま半ば自失しているグロスの姿があった。

「あのような精神状態にありながら、事あれば反射的に魔物との戦いに身を投じる。生易しい鍛練では至れぬ境地だ。だが」

 語る少壮の僧院長の顔が紅潮する。

「詠唱の開始こそ遅れを取ったが、間に合ったのは私の呪文だ。この呪文なくばその娘は救えなかった!」

「そなた、魔道書の呪文を使うとは……」

 呻くアルバに向き直るオルト。

「いったであろう老師よ。我らにはこの力が必要なのだ。禁忌を織り込んでおらぬがゆえ発動が早く習得も容易であるばかりか、格段に威力の高い呪文。これなら侍祭どもにも扱え十分な戦力となる。なればこそ聖なる勤めも果たせるというもの!」

「だからこそ禁断の術なのだとなぜわからぬ。これが世に出ればどれだけの災いとなるか理解できぬのか。一人が街を、十人が国を屠る地獄を見たいのか。我らとて粗末な火矢でなくこの術を受けておれば、全滅するしかなかったであろうが!」


 アルバの言葉はアラードの脳裏に、望まなかった戦いの数々を想起させた。村を略奪する敗残兵やならず者。狭い土地を巡って夜襲してきた村人たち。もし彼らの武器が蛮刀や鋤鍬の類でなくこんな術だったら、いかに恐るべき事態であったか。それは自ら体験した戦いだからこその実感だった。そんな弟子の姿を見て、ボルドフが重々しく語りかける。

「昔、ゴルツ閣下にお聞きした話だが、尊師アールダは西の森で闇姫とまみえたとき、上古の遺跡を見つけたという。それは尊師の想像すらはるかに越えた魔法文明の精華であり、強大な魔力を宿した品々もいくつも残されていたそうだ」

 なぜアルデガンの長との間でそんな話になったか、アラードは察しがつくような気がした。年ごとに優れた人材、とりわけ術者の確保がままならなくなっていった末期のアルデガンで、十分な援護を得られずあたら命を落とす教え子たちを見なければならなかった戦士隊長。構造的な問題と知りつつも、なにか手だてをと訴えずにいられぬこともあったのだろう。

「だが尊師はそれらを持ち出そうとしなかった。人の手の及ばぬ闇の森に沈みしは僥倖なり。そんな御言葉も伝えられているとのことだった。そして閣下はいわれた。ラーダ教団に伝わる術式が威力に見合うだけの資格が術者に備わっているかを問う形にならざるをえなかったことに、それら上古の魔法文明の滅びの理由もうかがえるのではなかろうかとな」

「……わかるような気がします」

「少なくともあんなものが武器になれば、俺たち剣士の出る幕はなくなる。だが人間が獣である以上、鉄で作った爪がお似合いということなのかもしれん」


 そんな剣士たちに向かって、おずおずと声をかける村長や村人たち。

「……助けてくれたのか? わしらを」

「化け物を退治してくれるのか?」

「村を守ってくれるのか?」

 なにをいまさらと振り向いたアラードだったが、怯えた子供のような彼らの様子に軽蔑が憐憫に転じるのを覚えつつも、かけるべき言葉がとっさに見い出せない。そんな若き剣士の耳に届いた師の応えは、だが予想もつかぬものだった。

「相手が魔物ならそうしたい。それが俺たちの使命なのだから。だが、事態はもう俺たちの手に余る。もはや村の命運は尽きた。おまえたちは村を捨てるしかないんだ」


「それは、どういう……?」

 いいかけて向き直ったものの、唇を噛む師の厳しい表情に驚くアラード。とまどいつつグロスに目を転じたものの、白衣の神官も虚を突かれた面持ちでまじまじとボルドフを見つめているばかりだ。いい合っていた老修道士と僧院長も剣なき戦士を見つめていたが、彼らの顔には驚きではなく、得心の色が等しく認められる。とまどいを深める若者の耳に、ようやく村人たちの声が届き始める。

「な、なにをいうんだ。あんた……」

「いいかげんなこというんじゃねえ!」

「さっきのこと根に持ってやがるのかよっ」

 得物を持たぬと見たせいか、嵩にかかってわめきだす男たち。そんな彼らに、ボルドフの苦い声が告げる。

「周りを見るがいい」


 いわれてアラードも周囲を見回した。そして気づいた。その場に残る村人たちが黒髪の民ばかりであることを。不安げな様子で遠巻きにしていたはずの雑多な髪や目の色の移民たちが、残らず姿を消していた。

「みな逃げていった。恐怖にかられて。これがどんな事態を招くか、お前たちにはわからんのか?」

 巌のごとき戦士の野太い声に、はっとして振り返るアラード。その視線の先で、蒼白の顔でボルドフを見つめるグロス。だが、村長ハーリや村人たちは戸惑いを隠せぬまま、互いの顔を見交わすばかり。やがてしびれをきらしたのか、オルトの呆れたような声が告げる。

「どうやらあなたが考える以上に、この者たちは察しが悪いようだ。はっきりいってやったほうがいいのではないか?」

「せめて気がついてほしかったが……」

 やるせない面持ちで呟くと、黒い目で村人たちを見据えて告げるその宣告!

「彼らは行く先々で、ここでの出来事を語るのだぞ。自分たちは黒髪の吸血鬼に襲われた、イルの村は呪われたと。ほどなく東の地のあらゆる民が、おまえたちを化け物と見なすだろう。そのときどんなことが起こるか、おまえたちは誰よりも知っているはずだろうが!」


 唖然とした面持ちのまま絶句する村人たち。ややあって一人の男が、掠れた声でわめき出す。

「ば、馬鹿なこというな。俺たちは人間だぞ。そんなの見りゃあわかるだろうがっ」

「お前たちは俺たちを、この村を訪れた者たちをどう扱った? 目を向ける意気地もないまま、焼き打ちにしただけだろうが! 自分たちだけ人間扱いされるなどとなぜ思える!」

 怒りの中に、紛れもない悲しみの響きを帯びた巨漢の一喝に、あたりをいいようのない沈黙が押し包む。その沈黙をさらに重いものに変えるボルドフの言葉が続く。

「とりわけ大国イーリアは、国境近くに発生するいかなる脅威も見逃さぬ。レドラスの侵攻と瓦解以来、かの国は災いが国境を超えることを恐れているのだ。最悪の場合軍が動くだろう。脅威の種かもしれぬものを確かめる危険など冒すことなく、すみやかに完全に除去するために。お前たちがしてきたこととなに一つ違わぬ。今度はこの村の番が巡ってきただけのことだ」


 誰もが声ひとつ出せなくなったその沈黙の底から、だが遂に絞り出すような声が一つ、捩れるように這い上がってくる。

「繰り返されるのか? こんなことが……」

 全ての視線が集まった先で、白衣の神官が頭を抱え身をわななかせていた。

「なぜこんなことが広がってゆく? 教えてくれ! 誰のせいなんだ!」

 髪振り乱してあたりを見回すその目は血走り、熱に浮かされたかのようだった。

「川上の民の亡霊の呪いか? 火の山に巣食う魔物の仕業か? われわれ人間はなにに毒された? なにゆえかくもこの地は忌まれねばならんのだ!」

 錫杖にすがりつつ、よろめくように仲間たちに近づくグロス。だが激情が迸るかのごときそのまなざしは、もはや仲間たちを見ていなかった。獲物を見つけた獣のように、ひたすらなにかを見据えていた。師の中で出口を見出せずにいた黒々とした憎念がついに、この事態を引き起こしたものへ向けられるに至ったのだ。正しいはずのそのことは、だがアラードをなぜか戦慄させた。温厚でむしろ優柔不断でさえある呪文の師の変貌は、赤毛の剣士の目にそれほどまで鬼気迫るものに映ったのだ。


「……行こう。川上の村へ、火の山へ! もうこんな所に用はない。そうだろう?」

「確かにこの村には、もう私たちにできることはなさそうだ。身の振り方は彼ら自身に考えてもらって、我らはこの災いを除くために行くべきではないか?」

 オルトの言葉に、ボルドフもうなづく。

「いいだろう。だが他にこんなものが潜んでいないとも限らぬ。ここはこの死体が甦らぬか見張りながら夜明かしして、日の出を待って出発するべきだろう。川沿いの道を離れずに。また川舟で下ってくるものがいないか見張れるように」


 ついにこの地を数百年もの間毒してきたものと対峙する時がきた! 武者震いするアラードだったが、その裏側にべったりと先ほどの戦慄が粘りつき、えもいわれぬ不安を醸し出しているのを意識せずにはいられなかった。



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