第6章:昏き落日
「話すことはなにもない」
強硬に言い張るイルの村長ハーリ。その顔の赤みが西日のせいかそれともいらだちによる紅潮なのか、アラードはにわかに判別できなかった。そんな壮年の村長にオルトも食い下がる。
「水源の地で行方不明になる者がいるとの噂だが?」
「おかしな話を広めてもらっては迷惑だ。帰ってくれ!」
そんな言い合いに野太い声が割り込む。
「なにを怖れている?」
巌のようなボルドフの巨体に気押されたか、こわばった表情で後じさる村長。そんな相手をまじまじと見つめた後、ため息混じりに続けるボルドフ。
「俺たちは山賊でもなんでもないぞ。まあそんなに嫌なら無理にとは言わん。だがもう日暮れだ。今夜だけは泊めてくれないか。納屋でもどこでも、寝られる場所さえあればいい」
ややあって、無言のままうなづく村長。だがその黒い目が、そして遠巻きにしている村人たちのまなざしが、オルト院長やボルドフではなく背後の自分たちに向けられているのにアラードは気づいた。恐怖と敵意に等しく塗り潰されたそれらのまなざしに、赤毛の若者はわけがわからず、ただとまどうばかりだった。
「徴を持つ者じゃと?」
雛段の両脇に控えた年の離れた二人の女が異口同音にいう中、段上の炎を背にした椅子に座す小さな人影に額づき呼びかける村長ハーリ。
「大婆様よ、わしらを導きたまえ。災いの影来たる今、わしらのなすべきことを指し示したまえ!」
女たちが立ち上がり、炎を背にした人影の横へ登ると、若い女が椅子の横に立てかけられた白木の薄い板の一本を捧げ持ち、年嵩の女が押しいただく座した人影の手に触れさせるや、気合の声とともに炎の中に突き込み、たちまち燃え上がるその板を雛段に叩き付ける。折れ飛ぶ板から舞い散る火の粉が、椅子の中の信じ難いほどしなびた顔を一瞬照らす。
「折れましたぞ!」「務めを果たせとの卦じゃ」
告げる女たちに口を引き結んだまま一礼すると、異様な顔つきで出て行く村長ハーリ。それは恐怖にぎりぎりまで追い詰められたことで、その恐怖自体がなにか別のものに変貌し始めた表情にほかならなかった。
だがこのとき、沈む西日の赤い光と長い影が恐怖を投げかけていた場所は、決してこの村だけではなかったのだ。
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「お、親方、日が落ちる」
見事な雄鹿を仕止めた高揚に水を差され、ゾルタンは憤然と振り向いた。叱ろうとしたその目が、猟師見習いの恐怖に塗りつぶされた顔を捉えた。背筋に走った悪寒にいらだち、ゾルタンは若者を怒鳴りつけた。
「なんだフェレンツその顔は! 日が沈むぐらいでオタつく奴に猟師がつとまるか!」
「で、でも火の山の見える所で日暮れを迎えちゃなんねえって。これまで何人も行方不明にって」
「そりゃ一人でうろついた奴の話だろうが。俺たちなら狼だって怖かねえ! とにかく帰るぞ。とっとと走りゃすぐ舟だ」
弓矢や蛮刀を弟子に持たせ、雄鹿を背負い上げるや走り出すゾルタン。フェレンツも必死の形相で後を追う。
丘を一気に登り切り、荷の重さに立ち止まり息を整える二人。振り返った四つの目が、暮れゆく遠い空の下で薄い噴煙を静かに立ち登らせる彼方の火の山を捉える。その光景に背を向けた二人の眼下には、ゆるやかに下る坂の先に大きな弧を描く流れが闇に溶けゆく残照を微かに照り返している。その淡い光に浮かぶ木の葉のような黒い影こそ、彼らが岸に結わえた川舟に他ならない。荷を背負い直し坂を下ろうと踏み出した二人だったが、そのときどこからか漂ってくる異臭に気づくゾルタン。
「これは、硫黄じゃねえか」
すると背後のフェレンツが裏返った声を上げる。
「親方。あ、あれ」
振り返った猟師の目の前で、駆け上がってきたばかりの坂道が白いものに覆われようとしていた。坂の途中の大岩の向こうから蒸気混じりの煙が風に乗り、坂道へ流れ出しているのだ。竦んだ二人の視界がたちまち闇の黒と煙の白に塗りつぶされていく。
「火の山の地脈だと?」
「親方ぁ……」
そのとき煙の彼方から、異様な音が二人に届く。
「な、なんかじゃらじゃらってよぉ」
怯えた声が宙に溶け、若者の姿が目の前から薄れかけた瞬間、その音が突如として迫ってくる!
「気づかれた! 逃げろっ」
背中の荷を放り出し、後も見ずに長い下りを駆け下りるゾルタン。だが猟師としての耳が背後の相棒の、そして鎖の音にからむ多くの足音を捉え、それが鎖を付けた百足とも竜ともつかぬ怪物の姿を脳裏に描き出したとたん、すぐ後であがる短い悲鳴!
「フェレンツ!」
押し寄せる煙に巻かれつつ川舟に転げ込んだゾルタンの目の前で、煙の向こうから突き出た手が舟の縁を掴む。
「早く乗れっ」
引っ張り込もうと掴んだ手が握ってしまった長い爪! 悲鳴をあげるその喉笛を鋭い一撃が穿つ。しかし断たれたその悲鳴に、水源の村よりさらに川下の小さな洞で眠りから覚める少女の姿の吸血鬼!




