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第14章:僧院にて その2

 白い壁に囲まれた僧院アーレスは、アラードにとってそれまで想像もしえなかった平穏に満ちた場所だった。別世界といっても過言ではなかった。


 日の出とともに起床して朝の礼拝にはじまる日課に勤しみ、夕べの祈りの後はそれぞれに教義や本草学などの研究にふける侍祭たち。その静謐な日々はアルデガンにおいては魔物たちと、その崩壊の後にはそれに加えて戦火の元にある人々との対峙を強いられてきた若き戦士の心をたしかに癒した。流浪の旅の空の下では得ることの難しかった内省の時間をもたらしてくれた。それらが赤毛の若者に及ぼす影響にも留意しつつ、老アルバはアラードを導いた。呪わしき不死の定めに呪縛された吸血鬼の肉体を滅ぼし魂を解き放つ解呪の技。恐怖に惑わされぬ慈悲の心と閉ざされた魂の真のありかたを視る力が欠かせぬ最高難度の術。6年に及ぶグロスとの術式の探求の下地に加え、修行に専念できる環境でのアルバの導きは大きな成果をもたらした。熟した蕾がほころぶかのごとく、アラードはそれまで越えられずにいた段階をいくつも上がることができたのだった。

 けれど同時に、アラードは感じてもいた。ここが己の場所ではないことを。いずれ自分がここから去らねばならないということを。


 きっかけは夕べの祈りだった。教義に由来する数多くの詩句を週替わりで用いるその祈りに、ある日アルデガンでも用いられていた詩句が登場した。かの地において、それは寄宿舎の子供たちが唱和していたものだった。

 字句はもとより節回しも同じはずの祈りの歌が、だがアラードにはまるで別物に聞こえたのだ。かつてのあの痛切さが、ここで聞く祈りからは完全に抜け落ちていた。誰もが常に魔物の脅威を肌で感じつつ暮らしていたかの城塞都市での祈りに対し、ここの祈りは時が静止したような満ち足りた響きがどこまでも続くかのごときものだった。アルデガンでは常に脅かされていたからこそ希求されていた平安が、ここでは永遠に続くことを願われるものとして顕現しているのを見せつけられる思いだった。


 そんなアラードの脳裏に、リアの面影が浮かび上がった。


 記憶の中のその面影は悩ましげな面もちで中空を見上げる横顔だった。それが寄宿舎の表の路上で子供たちの祈りを耳にしたときのものだったことを彼は思いだした。そのときのリアは倒した魔物の心に感応したことが仇となって、思うように魔法を使えぬ状態となっていた。そんな彼女を励まそうとしていたそのとき、聞こえてきた祈りを見上げた横顔だった。

 けれどそのとき、自分は気づけなかったのだ。その翳りが示す心情に。それが子供たちを救えない自分への懊悩であり、祈りの痛切さを人一倍感じていればこそのものだったことに。遠い面影が今になって暴くものに胸を突かれつつ、アラードは思わずにはいられなかった。リアは今どこにいるのかと。自分の手で人外の身に閉じこめてしまったその魂はなにを思いなにを感じているのかと。よもやあの火の山で彼女が自分たちに先立ち黒き魔導師と対峙していたことなど、ましてやその結果自分たちの運命さえも変わったことなど想像すらできぬまま。


 その日以来、アラードはそれまでに倍する熱意で修行に打ち込んだ。だがそのわずか一月後、老アルバが病に冒された。当初はその身を案じるアラードを遮りつつ導き続けたアルバだったが、アラードが術の発動に成功したのを見届けて以来、ついに病床に伏せるようになった。思わぬ事態に動揺した若者がなかなか術を安定させられずに数ヶ月が過ぎるうちにも、老師の体はますます衰えてゆくのだった。

 ある夜、アラードはアルバに呼ばれた。床から半身を起こした老師の目には悩ましげな色が見え隠れしていたが、それを押さえつけるようにアラードへ語りかけてくるのだった。


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