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第12章:修羅の洞窟 その12

 確かにそれは訴えだった。言葉の態こそ成さずとも、心の声音というべきものが相手の、大空高く放逐したはずのあの魔少女の思いを痛いほど伝えてきたから。彼は悟った。あまりにも長い間対峙してきたがため、かの魔性のものとの感応がいまだ解けずにいることを。そして思った。きっと相手はこちらが感じ取れないものを、秘した思いや意図さえ感受しているのだと。あの一瞬の動揺が、歪められた生涯を通じひたすら隠し続けてきた真の名を暴かれた衝撃が戻ってきた。

 だがそれが呼び起こしたのは、苛立ちとも憎しみともつかぬものがないまぜになった黒い怒りだった。いかなる経緯だったかは不明ながら、本来の人格を保ったまま不滅の生命を得たばかりか他人の心を読む力まで備えるに至ったあの少女。それだけの力を独り占めしたままどうしても口を割ろうとせず、とうとう自分に秘密を明かさなかった憎むべき小娘。にもかかわらず、いまだに遮りようもなく自分の心へ踏み込んでくる小癪な魔女……。

 だが思考が核心に、自分のなにに触れたからそこまでの動揺や衝撃を及ぼしたのかへ至りかけた瞬間、痛打が顔面を襲い意識を現実へと引き戻した。はずみで倒れた姿勢から見上げた隻眼が、苛立ちと怒りに身を震わせるオルトという男に焦点を結んだ。


「おのれこの期に及びだんまりを決め込む気か? 応えよ悪党、さっさと吐かぬか!」

 足蹴にされ身を折ったところを胸ぐらを掴み引きずり起こされつつも、束縛された邪法師は唇の端をほんのわずか、黒い笑みに歪めた。自分が殴り倒された瞬間、訴えかけていた魔少女の声が悲鳴を上げたのを感じたから。苛立ちと怒りを冷笑に換え、彼は夜空に放り出した吸血鬼を心の声で嘲った。

 おかしいじゃないか、そうだろう? おまえを責めていた俺が今度は責められているんだぞ? 化け物の分際でなにを悲鳴など上げている? 笑えよ、笑えばいいじゃないか!

 だが、俺はおまえとは違う。こんな責め苦に逢ってまで黙っている気はさらさらない。こいつはあの術を知りたがっているが、俺も教えたくて仕方がないんだ。俺の血と肉で編み出され、この身が最初の実験台とされた術がどんなものかを!


 縋りつかんばかりに返される魔少女の訴えの声も襲い来る発作さえも振り払いつつ、刑場へ引かれゆく咎人のごとき吐息の一つ一つに呪詛を込め、必殺の禁呪を積み上げてゆく隻眼の邪法師。空間にとぐろを巻きたわめられてゆく魔力を感じることもできぬ風情でひたすら呪文を書き写しつつ、発作で詠唱が止まるたびに苛立っては殴りつける学者臭い敵。その苛立ちや怒りのどこかに自分に似たものをも感じつつ、己が戯画めいたそんな類似に彼も苛立ち、わざわざ暴力に訴えて自らの破滅に突き進む敵を嗤う。そんな黒き激情煮え立つ魂に絡みつき訴えかける言葉なき声を、当の獲物の拳がそのつど粉砕するグロテスクな喜劇が切れ切れに呪文を詠唱するその口を凄惨に歪ませ、見えざるとぐろを虚空に重ねゆく猛毒の巨竜のごとき魔力を見据える隻眼を勝利の高揚に染めてゆく。


 そしてついに、発作で断たれた結尾の句を、しかるべき法則のもとで術式に織り込んだミルチャ・オルトの名を当の本人の拳が叩き出した瞬間、限界までたわめられた膨大な魔力が哀れな男へ雪崩落ち、凄まじい絶叫が洞窟を一気につんざいた!

 もはやそれは言葉の、人間の声の範疇を逸脱したものだった。石畳にのたうち苦痛そのものの衝撃波めいた叫びを上げるばかりのオルト。その顔ばかりか手も足も瞬時にどす黒く変色しながら腫れ上がり、たちまち原型を失ってゆく。体内の血を一気に毒化された男の断末魔が長大な洞窟の端から端まで反響し続ける中、束縛の術から解かれた黒き術者の切れ切れの勝利の哄笑がそれをずたずたに寸断する!

「思い知ったか愚か者め! これが俺の、この血と肉で購われた術だ! ここには身を投げる流れはない。楽に死ぬすべもありはせぬ。自分がなにに手を出したのか、存分にその身に叩き込むがよいわっ」


 だがその嗤いは突如として断たれた。死にゆく唇が放ったただ1つの言葉に、名によって。

「リディア、リディアァぁ……」


 それは無念の叫びだった。未曾有の苦痛さえ越えずにおかぬ、永劫の恨みの声だった。彼は感じた。それが心のどこかを射抜いたのを。そして悟った。それがオルト自身の拳で中断された思いの先に見えかけていたなにか、人外の少女によりこじ開けられた心の領域に我知らず秘してきたものにかかわるものだからこそ、自分に衝撃をもたらしたのだと。勝利の高揚は瞬時に消え失せ、名状し難いざらりとした感触が心を丸ごと覆い尽くした。そして絶命し沈黙したオルトに代わり、またも魔少女の心が、言葉なき涙色の声が届いてきた。彼は呆然たる心地で呟いた。

「……同じだと、いうのか。こいつと、俺が……」


 応えはやはり言葉の体をなしてはいなかったが、もはや彼にはそんな必要もなかった。あの叫びに込められた誰かへの思いが、この手で握りつぶした男の生涯を呪縛していたことはあまりにも明らかだったから。そして否応なく知らしめたのだ。自分もまた呪縛された者に他ならなかったことを。オルトを殺したのは鏡の向こうの自分を殺したも同然だったのだと。

 苛立ちが、憎しみがまたもや憤激と化した。空しき否定であり拒絶であるとわかっていたが、だからこそ、もはや自分を抑えることができなかった。

「なぜだ、なぜ俺は何も得られない? この惨めな生涯の最後の勝利にすら酔うことが許されない? 呪われよ小娘よ! 地獄へ堕ちよオルトとやら! 裂けよ惰弱な我が心!」


 咳込みつつもオルトの骸を蹴りつけ踏みにじる邪法師の耳に、そのとき届く新たな叫び!

「オルト、オルトおっ!」

「おのれ許さぬぞ悪党!」

 背後に向けられた血走った隻眼が、こわばった顔の老修道士と怒りに燃えて身構える白衣の神官の姿を捉えた。


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