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第4章:川沿いにて

「北の国ノールドへの路傍の小さき我が僧院イリアランに尊師は寄られたり。その尊顔を拝せし驚きを記すに足る言葉を我が筆は紡ぎ得ぬ。大柄な体躯は無残にも肉が削げ、骨浮きし頬は凡夫にすら死相を隠せず。されど窪みたるその目に光宿り、その尊さに我は知らず額づきたり。

 ユーラの村のアレスなる者に尊師は感謝の祈りを捧げ、御心は永久に彼の者と共にありとの誓いのもと東の櫓を意味せしイリアランの名をアーレスと改名せり。

 北への旅立ちに臨み尊師は御言葉を我に托す。必ずや我が目に代り金の髪と緑の目持つ東の村の民を見守りたまえと」


 オルト院長は古文書から顔を上げ、アラードたち三人に視線を戻した。

「こうして当時の院長は川上の村に赴いたのだ。だが彼が見たのは凄まじい破壊の跡だった。続きはとても読むに耐えぬ。家々はことごとく焼け落ち、人々は無残に焼け焦げるか山嵐かなにかのように全身に矢が突き立った骸と化していたとだけ伝えたい」


 重い沈黙が、しばしあたりを支配した。アラードはかつて目撃したいくつもの滅ぼされた村や街の光景を思い出した。それらのほとんどが人間の手でなされたものだったことに、赤毛の若者は身震いを禁じ得なかった。その耳に、ボルドフが念を押す低い声が届いた。

「吸血鬼に転化した痕跡のある死体は?」

 少壮の院長はかぶりを振った。

「手分けして調べ上げたが、異常は認められなかったとある」

「ではなぜ、誰がそんなことを!」


 思わず叫ぶアラードを一瞥すると、オルト院長は次のページを開いた。

「それだけの破壊をなしうる人数の集落は、川下にあるイルの村だけだった。そして院長は知っていた。髪や目の色の違うユーラとイルの二つの民は昔から仲が悪く、黒き髪と目のイルの民は水源に村を構えるユーラの民と幾度も争ってきたのだ。滅びた村を後にした院長たちは川沿いの道を下りイルの村へと走った。

 イルの村長ヤノスはユーラの村を滅ぼしたことを認めた。だがそれはユーラの民が吸血鬼と化し、自分たちに牙を剥いたからだといい張った。村娘が行方不明になった直後に、吸血鬼と化したユーラの村長の息子アレスが川船で下ってきた。自分たちは村を守るため化物を殺し焼き捨て、その仲間も巣ごと焼き払っただけだとな」

「アレス? では!」

 驚くグロスに頷くオルト。

「そう、尊師が心を寄せこの僧院の名を変えるきっかけになった青年は、無残な死をとげていたのだ。死体はすべて人間だったと院長が告げても彼らは耳を貸さず殺気立つばかり。ついに院長も身の危険を覚える事態に至り、退去するしかなかったという」


「……つまり、証拠はないのだな?」

 苦い口調のボルドフに首肯するオルト。

「院長は書いている。彼らの様子には恐怖の影が認められると。だがそれだけで彼らの言葉を信じていいか、判じかねるとも」

「それで、この記録は秘されたのか?」

「尊師の耳には入れられず、真偽の確証も得られておらぬ話だ。そのまま門外不出として代々の院長しか読むことができぬものとなってしまった」

「では、なぜこの話を私たちに明かされた?」


 問いかけるグロスの声の常ならぬ響きにアラードは驚いた。それはひどく不安げな、怖れに近いものすらにじませているように感じられるものだった。オルトも気づいたのか、白装束の司教にちらりと視線を投げかけた。ややあって口を開いた少壮の院長の言葉は、どこか歯切れの悪い、慎重なものになっていた。


「……今の話でおわかりと思うが、我々はイルの村と疎遠になってしまった。それ以来あの村の様子についての情報といえば、流浪の民がもたらす断片的な噂に限られているのが実状だ。確たる証拠があるわけではないし、それぞれの話にも食い違うところがある」

 オルトはグロスから目をそらしたが、アラードはそのしぐさになにかわざとらしいものを感じた。


「黒髪の民は滅ぼしたユーラの村の跡へすぐに進出したわけではなかった。それは代々の院長の調査でわかっている。彼らが水源を広げるために進出したのは事件から百年後、つまり今から百年前のことだ。それ以来、下流のイルの村の本体は水を得て大きく拡張され、それを耳にした人々が移住を希望するようになったという。そこまではどの話も一致するのだが……」

「受け入れられた者と、そうでない者がいるといわれるのか」


 黙り込んだオルトを見つめるグロスの顔は蒼白だった。意味を掴めず困惑したアラードが二人に尋ねようとすると、ボルドフの太い腕がそれを制した。巌のようなその顔に浮かぶ重い表情に、赤毛の若者は言葉を失った。そんな師弟の様子に意を決したのか少壮の院長が再び口を開いた。


「流浪の民の話は必ずしも一致していないが、少なくとも入植を認められ働いている者たちがいるのは事実だ。彼らの最も新しい消息は、入植していた者がつい最近もたらしたのだから」

「それは、村を離れる者が出てきたということか?」

 ボルドフの言葉にうなづくオルト。

「彼らの話では、黒髪の民は入植した者を同格には扱わなかったらしい。たとえば村の生命線の水源の地、つまり焼かれたユーラの跡地だが、そこへは決して入植者を送り込まず、自分たちの手で管理しているという。かつてそこで起こったことも、もちろん明かすことのないままに。

 ユーラの村を滅ぼして百年もの間、彼らは水源の地へは近づかなかった。恐怖か罪悪感か判ぜられぬが、忌避したのだと思う。ともあれ黒髪の民の入植からさえ百年もたった今になって、水源の地に入植した黒髪の民が何人も行方不明になっているらしいのだ。黒髪の民は他の者たちに隠しているが、明らかに何かを怖れている。だから逃げることにしたのだと彼らはいっていた。話を聴く限り、黒髪の民の秘密は断片的な噂としてではあるが、彼らにも漏れているようだった」


「では、吸血鬼の仕業だと?」

 アラードは呻いた。その脳裏にかつて出会った吸血鬼の姿が、二十年もの間洞窟の奥深くに閉じ込められたまま、果てしなく憎悪を募らせるしかなかったラルダの鬼相が甦った。その恐ろしい記憶ゆえ赤毛の若者は、アールダが水源の村近くの火の山に潜むと喝破した吸血鬼が二百年もの間洞窟の中で憎しみと渇きを募らせた果てに、間近に戻ってきた獲物を襲い始めたのだと思えてならなかった。真相が自分の思っているような単純なものではないことなど、ましてあのとき自らの眼前でゴルツに討ち果たされたラルダの仇敵こそがこの二百年の混迷をもたらした張本人だったことなど、想像できようはずがなかった。


「断定はできぬ。だが、ただごととも思えぬ。だから私はこの東の櫓を預かる者として、あなた方に協力を要請するのだ」

 古文書を閉じ、少壮の院長は立ち上がった。

「魔物の暗躍が疑われる以上、ラーダの教えを奉じる者は事態の真相を見極め人々を災いから守る責務を等しく負う。アルデガンの戦士として戦い多くの戦渦さえも潜り抜けたその力、ぜひともお借りしたい」


 その言葉に身の引き締まるのを覚えつつ、院長オルトを見上げるアラード。アルデガンを出て以来この六年余、吸血鬼とじかに出会うことはなかったが、自分がその最凶の魔物といずれ対峙しなければならないことを片時も忘れたことはなかったから。だがそんな高揚に身震いする若き戦士の横で、ボルドフが苦渋の表情で口を開く。

「腕を買ってくれるのはいいが、相手が吸血鬼となれば俺たちは役に立てんぞ。まだ誰も解呪の技を習得できてはおらんのだ」

 それを聞き、高揚から苦い現実に引き戻されるアラード。


 解呪の技。不死であるのみならず人間を転化させる魔力を持つ最凶の魔物たる吸血鬼を滅ぼしうる唯一の呪文。もとはといえば邪悪な呪殺の技であったものを聖なる教義に合致するよう無理に作り替えたものであり、それゆえ多くの矛盾を内包するに至った最高難度の術式であった。習得するには優れた導師の導きなくば半生に匹敵する歳月を要するといわれ、アルデガンにおいてさえ意のままに術を発動できたのはゴルツだけだった。そのゴルツも今は亡く、それまで魔術を学んでいなかったアラードはグロスに教えを請うたのであったが、師自らが習得に至っていない解呪の技は両者の必死の努力にもかかわらず、発動のきっかけさえ未だ得られずにいるのが現状だったのだ。そんな赤毛の若者の思いをよそに、だが院長オルトはボルドフに答えた。


「アルバが習得している。私もかの術こそ使えぬが、腕に覚えがないわけではない。だが侍祭たちでは足手まといになりかねず、さりとて二人だけではいかにも心もとないと正直苦慮しておったのだ。同行していただけるな?」

「そういうことなら。いいな? 二人とも」

「もちろんです!」

 意気込むアラードの声。だがそれに続く声は、あたかも地の底から響いてくるかのようだった。


「真相を見極め、人々を守る……」

 驚いて振り返った若者の視線が、土気色になったグロスの顔を捉えた。微かに震える拳から、あの三日月形の石に結ばれた紐の端がのぞいていた。



--------------------



 じくじくと湿った岩肌と絶えざる水音が水脈の存在を告げる洞窟。その空洞に乾いた足音が響くたびに、灯火の影が剥き出しの岩肌に踊る。仮面の穴から覗く右目がゆらめく灯火を受け、緑の瞳に血色の光が宿る。それは傷だらけの顔を覆いつくす仮面でも隠しきれぬほど、激しい焦燥の色に染まっている。


 やがて通路が広くなり、明らかに人の手が加えられた奥に長い玄室に出る。左右の岩壁には鉄格子がはめられた深い窪みが列をなし、明かり一つないそれらの石牢の奥からは重い鎖を引きずる音がする。

 その中の一つに歩み寄る黒衣の男。その牢だけからは鎖の音がせず、奇妙に静まりかえっている。指の欠けた手が燭台を掲げ、仮面の奥の隻眼がゆらぐ明かりを頼りに格子の中を覗き込む。


 粗く削り出された岩肌の斑の影を背に、人間の背の何倍もある不細工な石の人形の姿が浮かびあがる。目も口もない平らな顔は赤い水晶玉がはめ込まれているだけであり、角を落としていない胴も太い鎖を握ったままの巨大な腕も微動だにしない。拳から垂れた鎖は床を這い、ひと山の灰に半ば埋もれた人の胴ほどもある金属の輪に繋がっている。その奇妙な床の上の残骸を、食い入るように見つめる歪んだ男。


「……なにが、足らない?」

 軋むような声が呻く。

「なぜ、復活しない……っ」


 その声が苦し気によじれ、体を大きく折って咳込む男。木製の右足が床を流れ、仮面をずらして口元を押さえ苦しむ影のような姿。すると周囲の石牢から岩の床を鎖が走るらしき凄まじい音がしたとたん、格子という格子からいっせいに突き出る鋭い爪もつやつれた手! のけぞる男の隻眼が、たちまち憤怒と憎悪に燃え上がる!


「この上まだ奪う気かおのれらっ!」

 叫ぶや否や呪文と共に突き出す結印した手。正面の牢が瞬時に業火を吹き上げ、男をあかあかと照らし出す。その仮面の顎から喉元にかけてぬらりと伝う赤黒い筋。再び苦し気に体を折るや、むせる中から絞られる呻き。

「また、試さねば。でないと、もう……」

 その声を鎖の音がかき消し、無数の爪が虚空を掴む。ようやく発作が収まり顔を上げた男の呪咀!


「あさましい役立たずどもめ! ならば帰してやる。おのれらにふさわしい餌場へな!」

 自暴自棄の色さえ帯びた叫びが無数の鎖の打ち鳴らされる響きにまとい付かれつつ、迷路のごとき洞窟の奥へ深く深くこだまを引いてゆく。


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