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第12章:修羅の洞窟 その3

 ここまでなのか。あれほどの思いで奴を倒したのに、結局俺は奴に蝕まれたまま死ぬしかないというのかぁっ!!!


 声として発せられたとしても微かな掠れ声でしかないはずのそれは、だが込められた無念の激しさゆえに打撃ともまがう衝撃をリアに与えた。とたんに強烈なイメージの濁流が現実と記憶の両面から襲いかかる苦悶に寸断されつつも、震撼する魔少女の意識の中へ一気に流れ込んできた。思わず悲鳴を上げたリアの眼前で現実の景色がぐにゃりと歪み、渦巻く混沌を背景に一つの人影が浮かび上がった。

 黒いローブの男だった。老いがその背を大きく傾がせ、皺だらけの右手が捻れた杖を握っていた。そして左手は羊皮紙を綴った黒い表紙の本を抱え込んでいた。


 老人とおぼしきその男の顔は、なぜか判然としなかった。にもかかわらず、それが笑っているのをリアは感じた。残忍な笑い、邪悪な喜悦に歪んだ笑みが、あたかも掴めぬ容貌の実体そのものであるかのように。


 お別れだヨハン。おまえはもう役にたたぬ。

 くつくつと笑いを漏らしつつ、声がそういった。


 おまえの血はすっかり濁った。もはや薬を試す役にはたたぬ。村から代わりも連れてきた。だからこれで終わりだヨハン。

 ちり毛立つような猫撫で声が、そんなことをいった。


 完成したのだよ。体内の血を思いどおりに変質させる呪文が。あとは吸血鬼の血の秘密さえ解ければ、私はその場で不死者になれる!

 形も定かならぬ顔が、舐めるような動きでこちらを向いた。


 試されてくれるだろう? ヨハン。この記念すべき日を言祝ぐために。おまえは私のものなのだから。

 黒い影がにじり寄ってきた。


 おまえの血を毒化してみたいんだ。いいだろう? 猛毒なんかじゃない。ほんの弱い、弱い毒だよ。少しでも長く、おまえの声を聞いていたいんだ。あっさりお別れなんて寂しすぎるじゃないか……。

 とたんにその姿が視野から流れ、洞窟を進む映像に切り替わった。敵から逃れようとしていると思ったリアを、だが飛び込んできた思念の記憶が否定した。


 やっと俺を殺す気になったか。ついて来い! どちらが生きて戻るか、決着を付けてやる!

 走ることなどできぬ足で一本道をひたすら下る男。背後からは老いた身ゆえ、やはり走れぬ死神さながらの追跡者。もどかしいほどのろのろとしたその追跡劇のさなかに流れ込んでくる想念がリアに告げる。これは罠なのだと。五十年にも及ぶ年月を無惨に踏みにじられながら待ち続けてきた、最初にして最後のチャンスなのだと!


 我が身に向け仇敵が唱える呪文を聞き覚えることで魔道の技を身につけたこの男は、とっくに同じ呪文を相手に唱え返すことができるようになっていた。そして男は知っていた。特定の相手に術をかけるには、相手の名前を呪式に織り込まねばならないことも。

 相手が間違って覚えたヨハンという名は、それが自分を指す名であるがゆえに確かに術を発動させる。だが、それが真の名ではない事実をよすがに呪文に抵抗すれば、ある程度まで術の威力を削ぐことができる。そのことに気づいた男は、試みに自分に真の名で弱い呪文をかけてみた。凄まじい苦痛の落差がそれが正しいことを男に告げた。


 それから彼は待ち続けていたのだ。敵が自分に致死の呪文を、単になぶり苛むに留まらぬ威力の術を唱える日を。唱え返す術が致死のものでなければ敵は倒せぬ。し損じれば、もはや待つのはなぶり殺しの定めのみ。致死の術になんとか耐えた上で同じ技をその場で聞き覚え唱え返す。たった一つの勝利への方策を試す日が、ついにその時がやってきたのだ!


 懸念は仇敵の名が正しいかどうかだけだった。相手はこれまで自分にその名を教えたことがなかった。たまたま薬の材料にする毒蛇を捕らえ損なって噛まれ解毒の術をかける場にいあわせたことで、織り込まれた名を解読しただけなのだ。

 もし解読が誤りならば、もはや敗北は避けられぬ。だからこそこの坂を下るのだ。唱え返した術が奴を倒せねば、なぶり殺しの運命にあうばかり。そのとき最後の力で自死できる場所、地下を流れる川に身を投じることができる、あの岩場こそ決戦の場!


 いまや明らかになった最後の真相。そして男が秘め続けてきた真の名前! だがリアは圧倒されていた。あまりにも悲壮なその情念に呑まれ、目を見開いたまま呆然とするばかりだった。


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