第3章:村外れ
閉じた右瞼の奥の緑の瞳に焼き付いたあの炎。燃える納屋から最後に転げ出た火だるまの父を、駆け寄った母を無残に打ち抜く矢の嵐! 登りかけた馬車の荷台から振り返って叫ぶ自分。
「父ちゃん、母ちゃん!」
瞬間、右足が砕けるような激痛に地面に叩きつけられる自分。音を立てて荷台に突き立つ何本もの矢。脅えた馬のいななきとともに駆け出す馬車から上がる妹の泣き声。
「ヨシー兄ちゃん!」
「メリー! ポール!」
叫び返す声も空しく、なおも射掛けられる矢に追い立てられた馬車はあっという間に闇に消え、代って姿を現わす弓矢を手にした黒髪の男たち。その顔を塗りつぶす、醜く歪んだ恐れの表情。父母が移住を願い出たとき、彼らの顔をよぎった異様な翳の正体に気づけなかった自分に突きつけられる刃。
「化け物め……」
「違う。化け物なんかじゃ」
「ごまかすな! その髪と目が動かぬ証拠だ。大婆さまの占いにだって出てるだぞ。てめえらが昔この川上に棲み付いた吸血鬼の同族だってなぁ」
そこへ駆け戻ってくる幾人もの足音。
「だめだ、追いつけねえ」
自分に刃を突きつけている男の顔が歪む。
「こいつを吊るし上げるだぞ! 戻ってくるかもしんねえ」
突き立った矢もそのままの足をぎりぎり荒縄で締め上げられる激痛に上げる悲鳴。一人の若者が思わず手を止め、呟く。
「……まるで人間みてえだ」
「馬鹿野郎! こいつらはずっと人間のふりして、いきなり牙を剥きやがるだぞ。言い伝えを忘れただか!」
いいながら力任せに縄を引く最初の男。逆さに吊り上げられる激痛に気が遠くなりかける自分。だが高く吊られたことで、その目が男たちの背後で見えなかったものを、蛮刀や斧を手にした別の男たちが父母の亡骸を切り刻み、炎に投げ込む呪わしい光景を捉えてしまう。
瞬間、どす黒い激情の塊が小さな胸の奥から突き上がり、呪詛という言葉も概念も知らぬ少年の喉から名状し難き絶叫と化して迸る。一瞬身を凍てつかせた男たちが、さらなる脅えに塗りつぶされた顔で一斉に打ちかかるとたん、かっと見開く瞼が剥き出す血走った眼!
悪夢は消え失せ、古傷だらけの顔に見開かれた緑の炎のごとき隻眼が散じた過去をねめつける。洞窟の壁にゆらめく獣脂蝋燭の明かりがすっかり色あせた金髪に、もはや銀色に近い燐光を纏わせる。
床に降ろした右足が乾いた音をたて、あのときの傷で無くした足の代りの粗末な木製の義足が石畳を踏む。二本しか指の残っていない左手が枕元の仮面を顔にあて、黒のローブとマントに身を包んだ影が背の傾いた幽鬼のごとく暗がりの中に立ち上がる。
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「そなたなぜ二十年もたった今になって現れた!」
夢の中、真正面に仁王立ちになった老いたる高僧が錫杖を突きつけ一喝した。アルデガンの長にして最高の使い手たる大司教ゴルツその人だった。
「仮にも神に仕える者として修行をした身でなんたるありさま。この世での妄執から解かれ、神の御元へ還るがよい!」
瞬間、煮え返るような怒気が胸から突き上がり、呪詛の叫びと化して喉から迸った。
「私に神などという言葉を吐くな!」
とたんに空色の目が見開かれ、幻は霧散した。狭いうろの闇の中、リアは脂汗にまみれた身を起こした。とまどいが呟きの形を取り、小さな唇から漏れた。
「なぜ、こんな夢を?」
身をおののかせつつ、少女は薄い胸をそっと押さえた。まるでその奥をよぎったものの痕跡を確かめようとするかのように。
人外のものと化したその身はもはや眠りを必要としていない。だが身を苛み渇きばかりをもたらす陽光を避ける昼の間、リアは自らを強制的に仮死の眠りへ追い込むのが常だった。代謝を意志力で可能な極限まで落とし、少しでも渇きの到来を遅らせるために。自分が殺めることになる者の数を少しでも抑えたいとの願いゆえに。
その深い眠りの中、夢はめったに訪れなかった。放浪していた頃のように身を隠すだけの場所がなく漏れ注ぐ陽光の苦痛を十分防げなかったり、凄まじい渇きが意識の眠りを許さない場合ならともかく、今の眠りはまだ日の沈んでいないこの刻限ならば夢を見ることも、そのせいで覚めることもないはずのものだった。
「どうして、ラルダの……」
呟きはいまや呻きと化し、あのときのように闇を見上げた瞳に翳りがさした。それは魔性の身に堕ちた自分が牙の呪いで視た初めての光景であっただけでなく、自分を呪った女吸血鬼の心象の記憶でもあったから。
吸血鬼の犠牲となった者は、自分を転化させた相手の支配下に置かれる。それは牙の呪いで結ばれた特別な関係であり、精神の奥底に刻まれた恐怖の記憶に基づくものであるがゆえに、通常は支配する側から働きかける力として発現する。リアがついに転化したとき、ラルダはこの力を通じリアを嘲笑ったが、本来それは一方的なものに留まるはずだった。しかし転化の影響は生来の能力にまで及ぶものであったため、リアの場合はその高い感応力がさらに強化され変容した結果、相手の意図せざるものまで見聞きしたばかりか、その記憶や心象さえも感受した。
それゆえリアは、ラルダが嗜虐的な吸血鬼の手に落ち、不死の呪いを受けた身を二十年も無残に苛まれた苦悶と絶望の果てに、何もかも憎み呪うしかないまでに魂を歪められていったことを、いわば同化した状態であのとき追体験したのだった。それはもし同じ目にあえば、自分もそうなったに違いないとしか思えぬほど酷いものだった。本来どれほど怨んでも足りない相手であるはずのラルダを、その後の自分に訪れた苦しみを体験してさえついに怨めなかったほど痛ましいものだった。それは渇きに耐えかねて殺めざるを得なかった者たちを、せめてこの連鎖してゆく苦しみの中には決して甦らせないことを、自らに課さずにおかないものだった。
魔性の身に人の心を残してしまった少女は、胸の奥にどす黒い情念の痕跡を認めた。けれどそれが外部から来たのか、それとも魂に深く刻み込まれたあのときのラルダの心だったのか、判別がつかなかった。なにか漠然とした予感めいたものに心ざわめかせつつ、リアは辛くも身を守れるばかりの小さな闇の中、もう目にすることのない青空の色を残す瞳をただ見開くばかりだった。




