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第11章:暴かれし荒野 その2

 姿だけ見れば、それは彼らと共通点を持たぬでもなかった。緑と赤の鱗に覆われた蛇体を持つ小型の飛竜めいたそれも、人面を有するものであったから。たとえその頭部を覆うのが蛇の頭部や尾に似た触手の束であろうとも。

 だがそれは破格の存在だった。人間よりいくらか大きいだけの細身の姿にもかかわらず、それは洞窟の奥底を流れる溶岩の中で炎の力を直に取り込み、様々な形に変えることで洞窟の環境すら一変させることができた。そうすることで、それは洞窟の各所を異なる環境に作り替え、人間に追い込まれた様々な魔物の生存に適した環境を作り出していた。洞窟に棲む全てのものにとって、まさに守護神とさえ呼びうるものだったのだ。


 しかもそれが変えたのは、物質的なものにとどまらなかった。黒き魔獣はかつて親から1人立ちしたばかりの自分の夢の中で、それが告げたことを思い出していた。



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>汝らは本来かくも狭き場所で隣り合って生きるものではない。だが人間にここへ追い込まれたことで、汝らは縄張りを確保することもできぬまま、ひしめきあうことを強いられている。放置すれば汝らは、人間と戦う以前に互いを喰らい合い消耗してゆく。多くのものどもがその中で姿を消してゆくだろう<


 夢の中にもかかわらず、炎を割って現れた蛇体は背の緑も腹の赤もたとえようもなく鮮やかで、途方もない力を秘めていることをいやがうえにも実感させた。心に畏怖を覚えつつも若き魔獣が恐慌に陥ることがなかったのは、その思念の声が威圧とは異なる響きを帯びていたからだった。まだ名前を持たなかった黒き獣はその響きに覚えがあるような気がした。だがその正体に思い至るよりも早く、女面の飛竜の思念は続けた。

>だから我は、汝らの本能に干渉する。ある水準の知能を持ち、親が子を育てる種族では、攻撃性は無差別に発揮されるわけではない。ゆえに本来喰い合う関係ならざる種族同士がいたずらに殺し合わぬよう、我は汝らの闘争本能の対象となる範囲に制約を加える<


 金色の翼が目もくらむような光を放ち、その鮮やかな姿が夢の定かならぬ背景ともども白き闇に塗りつぶされていく。みたび聞こえたその声は、いまや頭の中にじかに響くかのようだった。

>汝らが洞窟より解かれし時、この制約もまた解かれよう。だが影響を脱する時期は一様とは限らぬ。早々と己を取り戻すものもあれば時を要するものもあるやもしれぬが、後の世代まで影響が残るものではない。種族としての汝らを曲げるは我が意とせざるところゆえ<


 まばゆい光が薄れ始める中、遠ざかりゆく思念の声が彼方から呼びかける。

>だが猛き獣よ。遙かなる時の果て、汝の種族が己が力で自らを律するときが来ぬと誰がいえよう……<

 すべてが眠りの闇に呑み込まれる寸前、若き魔獣は思念の声の響きが別れの刻を自分に告げた母の声に似ていたことに気づけたと思った。だがそれが本当にそうだったのか、それとも守護者の業が早くも効果を発揮し始めたせいだったのか、判じることはかなわなかった。



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 守護者の言葉の意味するところをあのときすべて理解できたわけではなかったが、それでも違いはすぐに実感できた。それまで遭遇するたびによくて小競り合い、最悪の場合は殺し合いにまで発展することのあった異種族の魔物たちのいくつかの存在が気にならなくなっていた。彼らは餌となる亜人を共に狩っていたが、黒き魔獣もほどなくその中に加わるようになり、やがて連携して狩るすべをも身につけていった。それはまだ稀に洞窟に侵攻してくることもあった人間との戦いにも大いに役立った。バラバラで戦えば敗北は避けられぬ強敵との戦いに生き残り、勝利まではゆかずとも撃退することさえあったのだから。そもそもそれはかの洞窟に彼らの父祖が追い込まれたとき、後の時代に比べはるかに熾烈だった人間たちの猛攻に耐える決め手とさえなったものだった。だから人面の獅子のごとき魔獣は我が身の変化をむしろ歓迎こそすれ、それが自分たちの種族を曲げるとの言葉を解するには至らなかったのだ。


 そのことを実感したのは、洞窟から解放され外界に出てからのことだった。去りゆく守護者から自分たちを引き継ぐようにして束ねたのは吸血鬼と化した娘だったが、守護者の業が解け切らぬ自分たちは相手の強い感応力を通じ、娘が自分たちを本来の姿で棲むことができる場所へ帰そうとしていることを知った。そして自分たちは彼女に従い導かれ、長く苦難に満ちた旅の中、多くのものが解放されていった。

 自分にも群れを離れる機会はあった。ある岩砂漠で本能の声がここが自分たちの棲むべき地であると告げ、同族たちは声に従い群れを離れて散っていった。にもかかわらず、自分は娘を置いて去ることができなかった。そのとき初めて、自分が仲間たちより強い呪縛のもとに在るのを悟ったのだった。


 かの守護者は異種族間の殺し合いを避けるべく、本能に基づく親子の絆に働きかけた。その影響が自分や目の前の妖鳥にはより強く残ってしまったのだ。そんな自分たちのことを、娘は悲しみ涙さえした。そして心を残しつつも人として生きられなくなった苦しみを知るがゆえのその悲しみが自分たちへの思いの深さの証であることさえ、彼女の力はその意に反して自分たちに伝えずにおかなかったのだ。


 そんな思いの交錯が自分たちの心のあり方を変え、自然といい難い絆をより強めているのを黒き魔獣は感じていた。たとえ守護者の業の影響が薄れても呪縛が解けることはないとさえ、漠然とながら思えるほどだった。いまや彼の望むのは娘の心の安らぎにほかならなかった。たとえ歪められたものであれ、それが本能に根ざすものであるがゆえ、その望みは無私のものでさえあった。彼は人間と言葉を交わす機会も失った彼女から言葉を学び名前を得さえした。そのことがリアに慰めをもたらしたことを感じたとき、ガルムは充足感を覚えた。持つはずのなかったその名は彼がいかに本来のあり方からかけ離れているかの証でさえあったが、ガルムは意に介さなかった。同族殺しの罪悪感に絶えず苛まれるリアの懊悩と彼は無縁でいられたのだから。そしていま、地の底から微かに伝わってくるリアの心は、苦しみと悲しみのただ中で誰かに何かを必死に訴えるようなものになっていた。詳しい状況がわからぬまま、ガルムは焦燥を押し殺しつつそれを見守るしかなかったのだ。




 低く傾いた太陽が眼前の白き女面に微かな赤みを添えたとき、それが紫の目を見開いた。黒き魔獣も嗅ぎつけた。夕方を告げる南風に混じる馬や人間たちの臭いを。やがて地平線に小さな土煙がいくつも上がり、廃れた街道を迫り来る蹄の音までも届き始めた。


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