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第10章:禁断の魔牢 その8

 彼らは気づけなかったのだ。牙を介して人間を転化させる力は呪いの一種だということに。肉体を魂に縛りつけ、霊的な不滅を肉体にまでいわば拡張しているのだということに。それに気づけなかったのは、彼らにとって転化することが願いだったからに違いない。

 その呪いはもちろん、リアの牙にも宿っている。この地へ旅立つ前、あの平原で牙にかけた旅人は一昼夜かけて甦り、動く死体の状態のまま目覚めの血を求めてさまよい出ようとした。そんな己が犠牲者に人間としての死をもたらすため、彼女はあの洞穴の中で暴れる骸を一昼夜の間押さえていなければならなかった。

 だがここにいるのは、そんな呪いにしか希望を持てなくなった者。それも邪悪な魔術師にあまりにも長く苛まれ人生を奪われた犠牲者にほかならない。確かに彼は罪を犯した。だがこんな境遇に置かれた者が、彼のように振る舞わずにいられるだろうか。


 おまえならどうだと赤き欲望に冒されゆく心の声に責められ、少女の姿の吸血鬼は呻吟する。心のどこかがいまだ違和感を訴え続けていたが、牙に疼く狂気が思考を歪めるのをリアはしだいに自覚できなくなりつつあったのだ。

 吸血鬼は自分だけではない。どれほど苦しい思いをして抗ったところで、白髪の乙女をはじめとする数多くの吸血鬼は夜ごとに狩をしているのだ。自分一人が抗っても大勢は変わらない。

 なにをためらうことがある? この男は尽きようとする寿命を延ばすためなら、牙にかかることも辞さないだろう。相手が望むのだから叶えてやればよいではないか。もはやそこにしか希望を見いだせぬ者に、それでも死ねというつもりか?


 魔性の身の最奥に心残した娘にとって、その声は恐るべき痛撃だった。男の意識から流れ込んできたあまりにも残酷な記憶が、かくも無惨な生涯のまま死ねぬとの妄執めいた思いへの同情へとリアを誘っていたところへ、紅き狂気がつけ入るかのごとき様で重なったのだから。切なげな喘ぎともため息ともつかぬものが、伸びた牙のせいで閉ざせなくなった小さな唇から漏れる。そんな自分の口元を、仮面の奥の隻眼が食い入るように見つめている。それを感じたとたん、欲望を滲ませた声がさらにいい募る。


 一言教えてやるだけでいい。牙にかかりつつ死なずに人の血を得た者が、心残したまま転化するのだと。そうすればこの男は自らその身を差し出すだろう。慈悲を乞い、跪きさえするだろう。望まぬ者を何人も牙にかけた身で、いまさら何をためらう。それほど転化させたくなくば、いっそ吸い殺してしまっても!

 膨れ上がる己が欲望のその浅ましさが麻痺しかけていた心を震撼させ、そんなことを思ってしまった我が身への嫌悪が出ようとした言葉をすんでのところで噛み殺す。そんな葛藤に身さえ捩るリアの姿に、もはや憎しみと区別できぬいらだちにかられた男が叫ぶ!

「そうまでして拒む気か! ならばこうするまでだっ」


 呪文を唱え印を結ぶや、岩の拳が再びあばらを軋ませる。だがその激痛が狂気に陥る寸前の意識を繋ぎ止めた瞬間、唱えた男の内なる苦痛が意識にぐさりと突き刺さる。苦鳴をあげつつリアは悟る。やはり彼は、吸血鬼に身を堕とすことが意味するものを理解できずにいるのだと。その喀血がこの身をどれほど追い詰めていたか、想像もできずにいるのだと。


 そして彼が迫る死への焦りゆえ、自らの真の願いも姿も見失いつつあることを。


 ラルダを苦しめた残酷な男や彼を苛んだイルジーのようにその本性が邪悪なら、心を残して堕ちても当人が苦しむことはない。だがこの男は自ら記憶を封印してまで呪詛の対象となるのを防いだ妹のイメージを重ねてしまったばかりに、唱えた呪文に苦しむこの姿に苦痛すら覚えている。恨みなき相手に非情になれぬ者が道を違え、それでもその真の願いが叶わなければ、もはや不滅の肉体に呪われし魂を待つのは永遠の業苦と後悔のみ。歪められたその身も心もさらに苛まれるほかないだろう。

 拒むことはこの哀れな男にとって、死の宣告にほかならない。だが自分はなんの罪も咎もない人々を、あれほど殺めてきたではないか。そうしなければならないのだとの決意を固め、ラルダを通じてかの残酷な男に運命を狂わされた娘はその苦しみを知るがゆえ隻眼の邪法師にいい放つ。相手もまた同じ男がアールダへの恨みゆえこの地に蒔いた災いの犠牲者であるなどと、知るすべもないままに。

「教えるわけにはいかないわ。どんな目にあわされても!」


 たちまち叫びとともに、怒りと絶望のない交ぜになった激情がリアの心へと逆流する!

「なぜだ! なぜおまえはそこまで拒む!」

 呪文とともに再びゴーレムに握り潰される少女の華奢な体! それは同じ悪意と呪いの連鎖に運命を歪められながらも邪悪になりきれなかった者同士が自他の心身を削りあう、悲惨な消耗戦の始まりだった。


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