エルゲネコンの違和
他の文化圏のものって、なんでも奇妙に見えるのは当たり前ですよね。
切れ目を抜けると、そこには鮮やかな緑があった。緑だけではない、色彩が驚くほどに明るい。探す必要もなく、赤、黄、青、白の小さな花が、道端に咲いているのが見付かった。空気は澄み渡り、それは陽光で煌いている。小川で小魚が遊び、細道では聞こえなかった鳥の歌声が耳を擽る。
そして何より
「助力が戻ったか」
神の目が、ここを捉えている。地図は間違いなく、俺がエルゲネコンにいることを示していた。
ほっとした……と、言うべきなのか。あの細道を歩いていたときよりも、心が軽いのは確かだ。今思えば、俺は何故、あそこまで鬱々としていたのか、よく分からない。何かの術が働いていたのだろうか? だとしたら、それは一体、何によって?
やはり、このエルゲネコンには何かがいるらしい。
俺が一息、周囲の情景に気を取られている間に、案内人との距離が少し開いていた。お構いがないのは相変わらずか。
エルゲネコンの中を進む。進む道は、畑の脇道。日はまだ高いからか、そこで黙々と作業している人たちの姿が見える。
「ここでは何を育てているんだ?」
何気なく、疑問を呟いてみた。それは深い意味があってのことではなく、ただ周囲に目をやるだけでは暇だったからだ。
「……甘藍や赤茄子、茄子、胡瓜など、色々ですね」
まさか、ちゃんと答えが返ってくるとは思っていなかった俺は、少し驚いた。もしかしたら、この案内人も、あの細道に漂っていた瘴気か何かに当てられていたのだろうか。
「人参や芋類、豆類を育てることもあります。あっちの畑は穀物です」
なるほど。肥沃な土地なのは間違いないらしい。
そのまま歩いていると、今度は羊飼いが見えた。連れている羊の数は、二十を優に超えている。エルゲネコンの人口は三百人弱。一人であれだけの数を管理しているとなると、全体の数は百を軽く超えているだろう。もしかしたら、千の大台に乗っているかもしれない。
「あれだけの羊を飼っていて、餌は足りるのか?」
「家畜用の飼料も育てているので。豚や鶏、馬と牛もいますよ」
……妙な話だな。
案内人との会話は、それっ切りで終わってしまった。まぁ、惜しんだり悔やんだりする必要もない。俺は元の調子に戻って、案内人の後をてくてくと付いていく。
そしてその内、一際目立つものが俺の視界に入って来た。ここに来るまでに見かけた家の中では、大きい部類に入る建物だ。泥で固められた壁に木の枠と柱。煉瓦も使われており、基礎も頑丈そうだ。それに、大きな硝子の窓がいくつか。赤い屋根の上では、風見鶏が陽気に回っている。
刻々と、その建物との距離が縮まって行く。どうやら、あの建物が目的地らしい。
案内人が、その建物の扉を開けた。そして俺の方をちらりと確認し、続けて入るように促す。鍵も掛けていないとは無用心な。
●
あまりよくない。人々の反応が、あまりよくない
その部屋には、色々な人がいる。その数は十を越えているのは確実で、数を数えるのは面倒になる。その人々の平均年齢は高めだが、子供や若い男に女もいた。皆一様に俺を注視している。その瞳は珍し気でもあり、不安そうでもあった。
俺をこの部屋まで案内してきた案内人は、それっきりで何処かに行ってしまった。
俺に、ここで、どうしろと?
突っ立っている俺に対して、誰も声をかけようとしない。ここの来る途中の案内人もそうだったが、ここの人たちは俺に対して、それほど良い感情を抱いていないようだ。だからと言って、拒絶されているわけでもない。最初、この距離感は、あの案内人特有のものなのかと思ったが、そうでもないらしい。
何故だ? 引っ込み思案な人たちなのか?
それとも、この襟の色が関係しているのだろうか?
緑襟。これは最下位救道者の証だ。未熟者であることを意味し、その大半は救道院で教育を受けている学徒だ。故に、その奉仕活動には常に教師が引率として動向する。いくら俺が星九であっても緑襟なのは変わりなく、例に漏れず学徒だ。今回の派遣は超例外的なこと。俺に対する嫌がらせか何か。単独行動する緑襟と云うのは珍しい。
なので、人々の視線が熱を帯びていないのだろう……か? しかしそれにしても、なんだか微妙な雰囲気だ。何か、別の事情でもありそうな。
うぅん、考えても分からん。確信を持つことができない。
「ああ、申し訳ございません、救道者様。どうぞ、こちらにお掛けになって下さい」
そこでぼけっと突っ立ち始めてから、数秒のことだろうか。毛玉だらけのニット帽を被った老人が、その禿頭を晒しながら、おずおずと立ち上がる。そして、ひょこひょこ歩いて、椅子を引っ張ってきた。
ズズズッと、椅子の脚が木目の床を擦る。
その老人の動きに、ハッとした顔を見せた若い男が立ち上がって、老人を手伝うように椅子を持ち上げ、それを俺の前にどかりと落とした。
ああ……どうも。
礼儀があるのかないのか。間が抜けているのか、拍子が悪いのか。ある一面から見れば失礼。また別の角度から見れば配慮が足りない……。
俺は椅子を、そこにいる人々がよく見える位置に置き直してから、それに腰掛けた。俺が腰掛けると、老人と若者は自分の座っていた椅子に戻っていく。
なんだかなぁ。
誰も口を開こうとしない。しばらく黙ってみたが、繁々《しげしげ》と俺を珍しそうに見詰めているだけだ。
あのなぁ……確かに、タルナドの民はエガリヴ圏では珍獣に似たそれかもしれないが、エルゲネコンの民だって、それと良い勝負なレア度なんだぞ? 穴が開くほど見詰めたって、俺はいきなり火を噴いたり金貨をばら撒いたりなんかしないわけでな。
「あ……えっと」
ニットを被り直した老人が、喋り出そうとする。しかし、どうしたものか。何を言ったらいいのか分からないようだ。
「ここに出没すると云う化物のことについて、詳しく訊きたい」
仕方がないから、俺から話を始めることにした。
俺の言葉を聴いた人々は驚いている様子だった。俺はそこまで変なことを言ったつもりもないし、事実、変なことは言っていない。だが、その場にいた者達にとっては、俺のその言葉は予想外のことらしく、不思議そうな息を漏らしていた。
「ああ、はい。……わしらは、あれを、墓狼と呼んでおります」
老人が語りだす。まずは自分が何者なのか名乗るべきだと思うが。外部のものとの接触が少ないせいで、そう云う習慣がないのか?
「家の者が誰か死ぬと、必ず、どこからともなく巨大な狼が現れて、亡くなった人の死肉を貪りに来るのです」
意味不な化物だな。しかし、人以外のもののすることなど、人の価値観や理では理解できないのも当たり前か。まぁ、墓を掘り返して死肉を食うことは、野生の獣なら、やっても不思議なことはないが――
「それは本当に狼なのか? 狼に似た、別の何かと云うことは?」
必ず、と云う部分が引っかかる。そんな律儀なこと、狼のすることではないような。態々《わざわざ》、人里に下りるリスクを犯してまで、死肉が旨いものとも思えない。
「はぁ……それも、あるかもしれません」
反応は、あまり芳しいものではなかった。質問の仕方が悪かったのかもしれない。
「その怪物の詳しい容姿を訊きたい」
「それなら――」
老人が座ったままの姿勢で後ろを向き、ちょいちょいと手で何かを手招くような動作をする。いや、ようなではなく、実際に手招いていたらしく、老人から数歩離れた位置に座っていた女が立ち上がって、老人の直ぐ傍に来た。
「この娘が、この里で唯一、墓狼を見たことがあります」
こう云う場合、普通は長老とかじゃないのか。まさか、若い純真な処女にしか、その怪物は見えないとでも。ユニコーンじゃあるまいし……。
娘(と言っても、俺よりも年上だろうが)は黒髪の美人だった。しかし眼鏡がないので俺の趣味ではない。
全く、最近は近眼や遠視でも「術式あるからいらへんわ」とか「今時、視力に頼るとか常人ぐらいやろ」「ダサイ」などと言ったり「眼鏡型補助デヴァイスってナウくないしダサイ」「邪魔やろ」「もう一度言うけどダサイ」「緑眼鏡は不人気の象徴」「眼鏡取ってからの方がカワユスやろ」などと言う者が増えたせいで、俺の形見が狭い。
今更ながらに思えば、エルゲネコンの民の中には眼鏡を掛けている人がいないな。田舎だからだろうか?
俺がそんな意義深い考えを巡らせている間、ずっともじもじしていた娘は、老人に急かされて、やっと話し始めた。
「脚は四本。体躯は牛よりも大きいのですが、猫のように伸びやかに跳ねます。口には頬がなく、鼻先と耳は尖がりで、尻尾は麦穂のように立派です。毛は夜でも映える空色で、瞳も綺麗な星のようでして――」
……ん?
「褒めてないか、それ」
「あっ、えと。ごめんなさい」
謝られても。
それから娘は畏縮してしまったようで、またもじもじし始めた。老人も、そんな娘をどうすればいいのか分からず、ただただ溜息を吐く。溜息を吐きたいのは俺の方だよ。
「ありがとう。もう十分だ。席に戻ってくれ」
俺はできる限り棘が出ないように言った。
顔を僅かに上げた娘は、返事かどうか分からない息を吐いて、小さく頷くと、すごすごと席に戻る。
全く、どうしたものかな、これは。
「それ以外に、何か被害はあるのか?」
このままでは、また無為な沈黙が続いてしまう。そう思い、再度、問いを投げてみる。
「別段、それ以外には何もありませんが……」
問いにすぐさま反応を示したのは、またニットの老人だった。
しかし、その反応は今までのものとは、少し違っている。なんだ? この奥歯にホウレン草でも挟まったみたいなものの言い方は。今までの反応も、決して歯切れがいいものとは言い切れなかったが、今回は特に妙な声色だ。薄茶で、濃くも薄くもない色。玉葱の皮のような色。バームクーヘンの外側。積年に渡って積重したものの表面。放置されて日焼けたものの色。暗いところで置き去りにされてきた色。何かを隠していることを隠そうとしている、そんな声だ。
そして老人は誤魔化すように態とらしく、こう付け足す。
「何か、別の被害が出る前に、どうかこの狼を退けて頂きたいのです」
●
「他に、墓狼に関して分かることは?」
「特には、これ以上は何も分かりません」
それから何度か、俺の方から質問を重ねてみたが、それらの答えは全て「さぁ?」「うーむ」「どないやろ」「それはうちらには……ちょっと分からんわ」と云うようなものしか返ってこず、会話も広がらなかった。
なので俺は、そこに集まった人々を帰して、うんうんと、思索を巡らすことにした。
ここは「しばらくはここに泊まってって」と、案内された二階の一室。そのときに分かったが、ここは公民館のようなもので、少し歩けば村長宅や空間転移炉などもある便利な場所に立っているらしい。まぁ、空間転移炉は動かないし、技師が派遣されるのも一週間後のことだから、大した意味はないが……。
ベッドに上半身を預けるように倒れ、天井を見詰める。天井の模様が、死肉を食む四足の獣に見えた。
何故、死肉なのか? 墓狼と云う化物の行動が解せない。普通、肉を食うのなら、新鮮な方が良いに決まっている。人里に下りてきておいて、貪るのは遺体だけなのは変だ。人間の肉が食いたいなら狩ればいい。だが、遺体が食われること以外には被害がないと言っていた。人を狩るのが労することなら、家畜を狩ればいい。しかし、家畜にも被害がないと云う。牛や馬を襲うのが大変だとしても、鶏ぐらい前足で刎ねれば一撃だろう。牛よりも大きい巨体は、どうしたんだ。
しかも、遺体なら大体の場合は老人だろう。老人の痩せこけた死肉などを食んでも旨いわけがない。食ったことがなくとも、それぐらいの想像は簡単にできる。中には病死した若者や産後の肥立ちが悪かったり、育ちが悪かった赤子のものもあるだろう。当然、病死する若者もいる。しかし、それらは死の大半を占めるものではない。そもそも、病死した者の肉を好んで食わなければならない理由も分からない。最も旨いと思われるのは、事故で亡くなった若者の遺体だ。しかし、それはたまのことで、常ではない。
何故だ?
エルゲネコンが連邦に加わってから、もう八十年近くになる。にも関わらず、墓狼に関して、エガリヴはなんの対策も取らなかったのは何故だ? いや、もしかしたら、今まで対策は取ってきたのかもしれない。しかし、現状がこうだと云うことは、その対策は全て失敗に終わったことを意味している。それに数百年も特に被害が出なかったのに、今頃になって、こんなことを言い出すのは妙じゃないか? 村の者たちが懸命に対策を練った様子もない。まるで他人事のようだ。いくら被害が出ているのが遺体だけだとしても……。
全てに違和感がある。エルゲネコンの空気も、人々も、態度も、空の青ささえも、何かを隠すようにそれ覆っている。なんなんだ、この感覚は。俺が間違っているのか? あの細道の影響で狂ったのか?
いや、俺が狂ってなどいないことは、客観的に証明されていた。もし俺が狂っていたのなら、神の御加護が何かしらのエラーを吐き出しているはずだ。俺は、このエルゲネコンに赴く前の俺と大して何も変わっていない。もっと言えば、故郷を離れる前の俺とも大して変わっていない。人間的に丸くなっただけで、俺の感性や価値観、倫理観、正義感や悪意さえも、大きな変化はしていない。
どうやら俺は、ただの厄介事では済まない複雑な何かに絡まれたみたいだ。ただの化物退治では済みそうもないな。恨むぞ、イーゲルストレーム教師。
ちょっと短いかな……。でも、余計な描写を増やしても意味ないし、これでいいか。
ホウレン草って、国によっては毒草扱いされていて食べることが禁止されているんですよ。湯がけばいいと思うのですが……。サラダ用のホウレン草もありますし。
しかし、ヒジキも砒素が入っているとかで一部の国では問題になりましたし、若布などの海藻も分解できる酵素を持っている民族は限られるらしいので、そういった地域の人にとっては、ホウレン草も食べ難いものなのかなぁ?




