リバイバル・ウルフ
今回で全ての伏線や布石が回収されます。
回転している。カラカラと風車が回るように、記憶が巡っている。
「私には、その言葉だけで十分です。色々と、ご迷惑をお掛けしました。人里までは、私の娘に案内させましょう。私はこれで、失礼させて頂きます」
「待ってくれ。まだ気になることが解決していない」
これが噂に聞く走馬灯か? 少し前の記憶が、断片的に再生されている。
「あの、それはどう云う意味でしょうか? 私から貴方に話すべきことは、全て話したと思うのですが……」
俺の目の前には、眉を顰めるアセナがいた。
「エルゲネコンの民は、その先祖が大きな戦いに敗れた際に、空色の獣に導かれ、この地に到達した者たちの末裔……。それで、間違いないな?」
「ええ、彼らは、私の子供も同然ですから。あの、それが何か?」
信仰される内に、愛着が湧いたのだろうか。
「その後の数百年間、この地に隠れ住んでいたと」
「はい、そうです」
「八十年前に、とある冒険家がエルゲネコンを発見したと云うのは、ただの作り話ではないか?」
「いえ、その冒険家が、ここを訪れたのは本当です。熊に襲われて、逃げている内に道に迷ってしまったので、私が案内したのです」
空色のアセナは、俺の言葉を淀みなく肯定して行く。
「なら、ただの切欠に過ぎなかったと云うことか。寧ろ、誤算だったと」
「それは、どう云う――」
ここまでは、ただの確認作業だ。これから相手の反論を封じるための下準備。アセナに対しては、そんな小細工の必要はなかったが。そして俺は、核心に触れる一言を発した。
「その間、外部との接触は一切なかったのか?」
エガリヴへ組み入れられる際、大きな混乱はなかった。八十年経っても解決されなかった墓狼問題。とても始めから自生しているとは思えない、甘藍や赤茄子、茄子、胡瓜、ジャガ芋。こんなところでは育たないだろうバナナ。アステリア系の訛。最近まで使われていたことが隠されていた空間転移炉。自家製のレモンソース。何故か作ることができた、牛肉のソテー。人口から考えると、明らかに多過ぎる家畜。広大な豆畑。それらは明らかに、他の文化圏・経済圏の影響と交流が、かなり以前からあったことを証明していた。
そしてエルゲネコンの地形は、何かを隠すのに最適で、籠城するのに向いている。
「エガリヴは……いや、アステリアは、エルゲネコンのことを知っていたんだろう? 何故、アステリアは、エガリヴにエルゲネコンの存在を秘匿していた?」
ここで、アセナの顔が歪んだ。辛そうに眉間を寄せ、視線は少し下を向く。俺は、自分の予想が当たっていることを、このとき確信した。
アステリア。エガリヴ連邦の黎明から……いや、エガリヴが連邦制を取る以前から存在し、最も夜明けの美しい場所と讃えられる、古い領邦の一つだ。エガリヴ連邦の中心地である広大な平地、グレート・プレーンズの南東一帯を支配し、それ以外にも、様々な地域に飛び地と植民地を有している。その軍勢は、エガリヴ連邦最大にして最強と謳われ、北のクルイーサや西のアカルトルシエとの戦いに、連邦内部の反乱でも、常にその力を知らしめてきた。彼らに煮え湯を飲ませたのは、イラァの民と魔王国が唯一とされている。
「大きな戦いに敗れたと言っていたな」
下を向いたままのアセナに対して、俺は構わず話を進めた。
「二百年前、エガリヴ聖教会は急成長していたロズデルン帝国に対抗するため、その支配圏を拡大しようとし、広範囲への布教活動と、かなり無理のある教化政策を行い始めた。これに依って、イラァ、リヴァハラ、アドノロス、オートリス、カサノタツなどなど、多くの地域がエガリヴに取り込まれた。エガリヴ教ルッテ派が勢力を拡大したのも、この時期だな」
丁度、他宗教の教えを悪魔の囁きと言い始めた時代だ。それまでは、他宗教に対して穏健な態度を取っていたエガリヴ教であったが、ラゴ教や魔族からの圧力と他勢力の台頭で、その方針を転換せざる得なかった時期。まさか歴史の授業が、こんなところで役に立つとはな。
「今はその土地が分割され、アドノロスやククなどに組み入れられた結果、その名を失ったティジュ王国も、その内の一つだ。その民族系統は、ソンジュ系と近いものだったと云う」
ぴくりと、アセナが僅かに体を動かした。どうやら正解だったらしい。
一般的な教本では、この王国の名は記載されていない。それ程、エガリヴに取ってはマイナーで、取るに足らない国名なのだ。俺がその名を知っていたのは、ここを訪れる直前、エルゲネコンについての話や一般的な学説を、学友である歩く図書館に訊ね、教えて貰ったからに過ぎない。それは、特に意味があってのことではなく、ただ単に俺の好奇心が、そうさせただけだった。
ここで一端、会話を区切る。彼女から、何かしら反応があるのではと思ってのことだった。しかし彼女は、ぴくりと体を震わせた切り、なんの反応も示さなかった。
仕方がないので、俺は話を次の段階に持って行くことにした。
「最近、真理の探究について、アステリアが不穏な動きを見せていると云う噂がある」
これは、ネイルから聴いた風聞でしかないが、ただの風聞と捨て置くには、あまりにも状況が合致し過ぎていた。
「エガリヴ聖教に於いて、真理に到達することが救道者の目的であり、義務とされている。だが、救道者であっても、真理とは何かを論ずることは禁止されている。それが許されているのは、紫襟――最高位救道者と、エガリヴ聖教の首長――聖教主だけだ。そうは言っても、最近は以前に比べれは締め付けが緩くなったため、ちょっとした好奇心で、これを論じたり、探る者もいるがな」
俺のように。
「しかしアステリアは、真理とは何かについて、本格的な研究を進めていると云う。これは、狂言廻しエガリヴに対する、背信以外の何物でもない。これに加えて、かつてエガリヴに滅ぼされた国の末裔が隠れ住む、エルゲネコンのことを秘匿していた。追求し出せば、他にも色々出て来るだろう」
エガリヴ全体が、その勢いと力を弱めつつある昨今、アステリアはそれに反するように、その力をあらゆる方面で伸ばしている。それは、経済や軍事のことだけではなく、エガリヴの政治や神事にまでも口を出し始めた程だ。結果、神意の許に夜明けの島があるのか、それとも神意が夜明けに従うのか……と、そのことを揶揄した風俗詩まで詠まれる始末。
「アステリアは数百年も前から、何を企んでいるんだ? それと、貴女はエガリヴが求める真理について、何か知っていることがあるのではないか?」
「私はその質問に、この答えしか持ち合わせていません」
俺の質問を食い破るように、彼女は声を発した。
「戦いは嫌です。子供が死ぬのも嫌です。血を見るのも、泣き声を聴くのも嫌です。美しいものが穢されるもの、空が汚れるのも、花を愛でる時間がなくなるのも……」
その声は偽善でも建前でもない、本心の色をしていた。
「黒髪を隠さずとも、皆が健やかに生きていられる世界が、最も理想的なんです。けど、世界はそうではないのです。隠さないといけないんです。ここは」
この考えは、俺の故郷にあった考えと似ている。タルナドが、その存在を外部に知られないようにしているのは、無用な流血を避けるためだ。持つ者は奪われ、奪わぬ者は持つことができない。だから持ち物を隠そう。持ったまま隠れよう。
……正直、腐った考えだと思っていた。今では、そこまで腐った考えだとも思っていないが、昔の、故郷を出る前の、尖っていた頃の、若かった俺は(今でも若い筈なんだが)、この考えに嫌気が差していた。この考えのお陰で、幼少から無碍にされたり、嫌味を言われたりしたからな。だから今でも、これは人を腐らせる考えだと思っている節はある。
だが思想は、それそのものを論じる前に、何故その思想が発生したのかを知らなければ、論じることができないもの。
……全て貧乏が悪い。この世が有限であることが悪い。人の認識が有限であることが悪い。しかし、森羅万象以外に無限なものなど、無限以外に存在するだろうか?
この結論に至るまでの過程で、俺が何度も周囲に、そして自分に問いかけたことがある。
「しかし、何かを得たり、守るためには、戦わなければならないときもあるだろう?」
何も持つべきではないと云うのは、それこそ悪魔の囁きだ……と思う。
「はい。ですけど――」
アセナの髪が空色に光った。
「備えることも、また戦いです」
籠ることも戦いか……。ふと、黒髪の娘が脳裏に浮かんだ。
●
それが引き金になったのか、記憶のフィルムが切り替わる。
「あれ? 早いお帰りですね……。何か用でも――」
「里の人を集めてくれ」
「え?」
「任を完了した」
この凍り付いた顔は、よく覚えている。態々、走馬灯で見る必要もない。それまで、彼女の赤面は何度か目にする機会があったが、こんな青白い表情をしたのは、このときが初めてだった。人々が集まり始める段になっても、その青さは他とは比較にならないものだった。普段は明るいとは言えずとも、気丈な質であろうからか、余計に青さが際立つのかもしれない。女性をこんな気持ちにさせる行いは、お世辞にも正義とは言えないだろう。
だから、どうにかしなければと頭を働かせるのは、男として当然だった。
「墓狼様は死にゃせん」
降って湧く。何が切っ掛けかは解らないが、そんなものがあるとすれば、この言葉がそうだろう。この言葉は一滴であるが、知恵の泉を溢れさせるには、十分な一滴だったのかもしれない。
ときに、人の思考は言語を超越することがある。俺程にまで明哲な者になると、それまでは微塵にもなかった考えが唐突に発生し、それが動きを含んでいることが度々ある。人は時折、その現象を神が降りて来たと表現する。
「墓狼は退けられた。そのお陰で邪悪な気が晴れ、俺はこの地で、神の声を聞くことができた」
このとき、俺は自分で自分が何を言っているのか、完全に理解できていなかった。だが、自分の口を塞ぐ気など、全く起こらない。それどころか、何処か清々しくもあった。これは、いつもの直感に似ている。
「それに拠れば、故人を弔うと同時に、神への供物として種々《しゅじゅ》の果物を捧げれば、故人は安らかに眠ることができ、エルゲネコンは危機に陥ることなく、作物にも恵まれ、平穏に過ごすことができるだろうと。それは、エルゲネコンを見守る大いなる存在がいるからだ。要するに――」
流石に、この段まで喋り終えると、俺は自分が何を考えているのか、理解できた。
一拍。余裕ができたので周囲を見回す。その場にいる全員が――俺の言葉に心を傾けていた者たちが、きょとんとしている。だが、そのきょとんは、俺が初めてここの人たちと言葉を交わしたときの物とは、明らかに異なる物だった。
「葬儀は、今までと同じやり方で行うように」
もう墓狼が、人の前に姿を現すことはないだろう。それは今後、墓狼と云う不吉な名で呼ばれることは、なくなったのだから。
●
「ストーキング・ウルフとか、新しいと思わぬ?」
ストーキング……するにしたって、黄泉の国まで追いかけて来ることはないだろ。
そこにいたのは空色の女だ。だが、さっき言葉を交わした空色の女とは別の個体だと、俺は明確に理解できていた。寧ろ、女ではない。だからと言って男でもない。より厳密に表現するなら、空色の幼女。眼鏡をかけていたとしても、俺の守備範囲外だ。
お前……なんで、ここに?
「送り狼」
唐突に何を言い出す。
「こう云うのを、ヒトは送り狼と云うのだろう?」
何か微妙に違わないか?
「ニンゲンのコトバ、ムズカしい」
お前は、なんだ? 俺が遭ったアセナではないよな。
「送り狼」
だから、もうそれはいい。もう頭はない筈なのに頭がクラクラする。
「しかし黄泉の国とは、また珍妙なことを言う。もしかして君は、自分が死んだものと思っているのか」
その言い草だと、俺が生きているようだな。
「いや、それはない」
どっちだよ。
「ここにはあっても生きてはいないものなど、いくらでもあるだろう。今の君には、自身と似たような別個体を生み出す機能を有していない。そう云うことができるのは、健康な身体があってこそだよ。そこに来ると今の君は、健康でない身体すら持たない状態なのだ」
俺の身体がそうなってから、どれくらい経つんだ?
「今の君には、時間の概念はない。君が時間だと思っているのは、ただ時間だと勘違いしているだけのものだ。認知に時間は不必要だ。そもそも、時間とはなんだ?」
さっきのことだろう。例を出すなら、俺がこうなる前は、俺の過去だ。だから俺には、時間が存在している。
「それは、時間を知識として有しているだけのことだよ」
そんな詭弁はいらん。人間の言葉よりも、お前の言葉の方が難解だ。
……俺は、どうなっているんだ? どうして身体を失っているのに、意識は存在しているんだ? こう云う高等な動きは、高等な絡繰があってこそだろ。具体的に言えば、脳ニューロンとか。
「意識は脳を俯瞰しているものだよ」
?
「君が今いるのは、吾輩の腹の中である」
腹? 腹ってなんだ? 食われたのか? 俺はこのまま神の許へ? まさか、さっきの一本脚はお前か? そもそも、俺たちはどうやって会話をしているんだ?
「今の君は、吾輩が一時的に補完した形になってる。あと、あのような風体は好かぬ」
補完? 保管や保護ではないのか?
「君は、物理的には死んだことになって居るのだよ。しかし、アレに呑まれる前に、吾輩が横から掻っ攫った」
俺は死んだのか?
「死をどう定義するかにも寄るが、まだ死んでなど居らぬ。恩人を殺すつもりもない」
恩人?
「墓狼の処遇に関してだ。少し強引ではあるが、エガリヴの面子を保ちながら、吾輩たちを生かしてくれた」
あれは……偶々《たまたま》、考えが降って湧いただけだ。
「だろうな。――実を言うと、恩と云うのは口実なのかもしれない」
口実? どう云う意味だ?
「利害の一致だよ。吾輩たちは、他の存在の認知に寄生する存在だ。そして、宿主に利益を齎し、それを永続させることで自らを維持する。宿主を増やす行為は、吾輩たちに取っての繁殖なのだよ」
外に出たい、殻を破りたいと渇望していたのは、君だけではなかったと云うことだね。
「何故、俺の望みを知って……」
ん? 今、どっちが喋ってるんだ? って云うか、俺、喋ってたか?
「しかし現状……吾輩が繁殖するためには、二つの問題がある。一つは、アレから逃れる術がないこと。もう一つは、君の身体のことだ」
ヒトは器がなければヒトではなくなる。それどころか、幽鬼や怨霊などになる場合もあるらしい。全く、厄介なものだね。
しかし君の場合は吾輩がいるから、そう云う善からぬものに変化することはないと思われる。肉体の方は、さっき君が使っていた術を使えば、なんとかなるのではないのか。
「あれは鏡龍の加護がないと使えん。それに、こんな情態で術式が正常に走るとも思えない。自分の身体を一から構成し直すなんて、未だかつて誰も試したことがない」
「今はそれに賭けてみるしかないけどね。要するに、加護さえ戻れば身体を復元することが可能かもしれないのだな」
できればの話だが……しかしどうも、鏡龍が俺のことを認識していないらしい。
「それは、二つ目の問題とも関わってくる話だね」
どう云うことだ?
「ここから出られない」
呑まれる危険はなくなったとしても、アレと君の縁は、未だに繋がったままだ。こうして策を講じかねている今も、その繋がりは強くなるばかりで、決して、自然消滅することなどない。そしてその限り、アレは君をここから出す気はないようだ。
なんて傍迷惑な……。
「そもそも、アレの封印を解いたのは君だ」
なんだと?
「君が鏡を見る限り、鏡の瞳も常に君を覗いている。アレを見たとき、アレも君を見た筈だ。心当たりがあるだろう?」
あるなら、疾っくに思い出して――
「これでもまだ思い出さない? 吾輩が君の手を噛んだときだよ」
急激な痛みと共に、何かがぶり返してきた。
泥に解けた鉄錆の臭い。跫音。闇の中で怪しく光る……。そう云えば、あれは一つ目だった。思えば、夜に俺を見ていた目も……。
しかし、そのことが判ったところで、何をすればいいんだ?
「あのときの俺は、墓狼――つまりは、お前を探していたのであって、アレに用はなかったんだぞ」
そのときの君は、何を探していたんだ?
「何を言っているんだ? だから、お前を――」
「そのときの君は、どんなものをイメージして、それを追っていたのだ? 君の中で吾輩たちの印象が固定されたのは、母上に遭ったときだろう。それ以前の君は、どんなものを探していたんだ?」
ただ漠然と、大きなものをイメージしていて、それを探していた。だが、俺は反応を示したアレではなく、別のものを求めて、そのまま挨拶もなしに……。
アレからしてみれば、無視されたような気分だったのだろう。
「ピンポンダッシュ」
唐突に何を言い出す……と、反射的にツッコんでしまったが、要するに、そう云うことを俺はしてしまったのか。だからって、命を取られるのは、あまりにも理不尽ではないか?
アレにとって、命とは、そこまで大仰なものではない。
「だったら、こう云うことなのか? 無視して申し訳御座いませんでした。貴方に用はありません。ですので、お気持ちを静めて下さいと、謝れとでも?」
その調子では、神経を逆撫でするだけだろう。
「だったら、どうしたらいいんだ」
相手の身になって考えてみればいい。
「相手の身も何も、ヒトとは概念から価値観から、何もかもが異なるものの立場になって考えることなんて、できる訳がないだろ」
……どうするのが最善だ? 逃げるか? アレに物理的な制約があると思うか? ないだろうな。
「それよりも、そろそろ限界だぞ。器がない状態が続いたせいか、君と吾輩の境界がなくなって来ている。このままでは互いに個が消失する」
……この情態で個がなくなれば、どうなるんだ?
「この領域で孤独に思考するだけの知的存在になる。会話もできない」
死ぬより嫌だな、それ。
「あのー、少し宜しいですか? で御座る」
次話は……すみません。いつになるか解らないです。
最終話は書けているのですが。
とりあえず、来月末に何か上げます。
もう最終話だけ先に上げちまおうかな……。残ってるの、次話と最終話だけだし。
次話の内容って、話の進行上は飛ばしても大して問題ないんっすよねー。




