エルゲネコンの細道(止)
人が死を目にしたとき、それは何色を見えるのだろう。
そんな無駄な考えを巡らせながら、俺は帰路に付いていた。一先ずは東アステリア城へ向けて、その細道を下って行く。
まるで横たわる死体のように、エルゲネコンの細道は冷たかった。墓狼がいない今、これは誰が処理するのだろう。……おそらく、誰も何もしない。エガリヴは、これを放置する筈だ。彼ら――と言うのは他人事のようだが、それには俺も含まれている――には、空間転移炉があれば、それで事足りる。道など不必要。そんな、前時代の利器など。
しかし俺はそこを、たった一人で歩いている。今回は前と違って、エルゲネコンから遠ざかるように。案内役の山靴を履いた男もいない。勿論、獣鳥もいない。空を見上げると、鬱蒼とした枝葉が広がっている。そこにあるのは、誰のものとも知れない跫音だけだ。
ドスン……。
その重音が加わったとき、違和感を覚えたのは俺だけだった。その場には俺しかいないのだから、当たり前だが。
「なんだ、今の」
ドスン……。
崖崩れか? にしては、散発的だな。知らせ石にしても大きく、そして遠い。周囲を見回すと、曲がった葦だけが見えた。それ以外には何も確認できず、獣や虫の気配もない。
きっと気疲れから、妙な音でも拾った気になったのだろう。静かと云うのも、また騒がしいなと――
ドスン……。
悪寒が走る。暑苦しい。錆の臭いが立ち込み始める。鼻の奥から血が滲んで、頭が霞む。何かいる。
アセナだろうかと、希望的な観測をしてみるが、どうもそうではないらしいことは次に瞬間に判明した。
「人間臭い。人間臭いなぁ」
死角で光る何かを捉える。
振り向くと同時、目が合う。皿のように細い目と。
泥のように濁った眼光。瘴気で靄る陰。胴と同じ太さの脚。鈍色の体表。一つ目一本脚。
『栗鼠の洞を展開します』
俺は防壁を展開すると共に全力疾走していた。それはほぼ反射的な行動だ。
アレはなんだ?と、疑問を発する必要はあまりない。俺は既に、アレを見たことがあったからだ。アセナに見せられた話。あれに確りと、その姿が浮き上がっていた。
その存在を無視していた訳ではないし、思い当たらなかったのでもない。ただ、考えたくなかっただけだ。そもそも、関わることもないだろうと。――油断していた。アセナの領域ならば、アレには出会わないだろうが、まさかこんな帰り道に、あんなのと遭遇する羽目になるとは。アレはいけない。遭遇してはいけない存在だ。それぐらいは視ずとも判る。
アセナと邂逅したときは「あれ? これ土下座したらイケるんじゃね?」と思える余裕があったぐらいだが、今こちらを見ているアレは、そんなものじゃない。そもそも会話ができそうにない。
「人間臭イダァ!」
多分、あれ人語に似た鳴き声だ!!
とは言っても、まだ大丈夫。慌てる距離ではない。真人間なら全力疾走しても二十秒はかかる距離だ。こちらも落ち着いて全力疾走すれば振り切れ――
「ヒトイダァ!!」
手の届く距離にいた。
こいつ、一本脚の癖に……! 速過ぎる。まるで蛞蝓になった気分だ。
瞬間、俺の右頬を赤黒い何かが掠めて、右斜前方の木が周囲の萱諸共、消し飛んだ気がする。それを確認している暇などない。今のは一体なんだろう。質量を持った殺意かな?
「ヒトクサイナア」
殺しに来ている。もう間違いなく殺しに来ている。唯一ありがたいのは、どうもアレはオツムの出来が良くないだろうことだけだ。それは同時に最悪でもあったのだが。
むっくりと、その赤黒い殺意は起き上がって、その一つ目で問いかけてくる。
「ヒトツクダサイナア!!」
命は一つしかねぇんだよ、やれるか!!
それから立て続け様に何かが幾度か飛んでくるが、その何かが何であるのか視認できない。ただ避けるのに忙しい。一つどころか何個も取られそうな勢いだ。
木々が蒸発している傍で跳ね回りながら後退することを余儀なくされ、目を白黒させていたそのとき足が――
「しまっ……!」
泥濘みに取られる。
躱せない。
『栗鼠の洞の許容量を超えました。動作を停止します』
あ、駄目だ。これは死んだ。
●
死んだと思ったら、一応、生きていた。
だが、肋骨は全て折れ、脚の肉は骨から剥がれている。首を動かすことができないので、腕がどんな状態にあるか確認できないが、動かないことだけは分かった。未だに頭部が体とさよならしていないのは、奇跡だとしか思えない。
栗鼠の洞は低級の防壁とは言え、出力を最大にすれば馬の突撃程度までなら、無傷ではないにしても防ぐことはできる。それを一撃で破壊し、俺をここまで吹き飛ばすのだから、あれは常識の範疇にないな。
龍尾よりも高威力か。
あのときは、両腕が折れたものの、動かなくなることはなかった。筋肉や術式で強制的に腕を支えれば、どうにかなったしな。今は、術式を動かせないまでに、意識がハッキリしていない。頭から血が抜けていく。視界が暗転した。
ドスン……ドスン……ドスン……。
遠くから跫音が聞こえる。一体、どれだけ吹き飛んだんだ、俺は。
『位置情報を確認……約五十ニメートルです』
冥土への土産話にはなるかな。
身を奮い立たせようと軽口を叩こうとしたが、声が出ない。出るのは、意味になっていない音だけだ。
冷静に状況を整理する。目の前には訳の分からない怪物。生きているのが不思議な致命傷を負っている。逃げることも抵抗することも不可能。最高である。
さて……こう云うときは、神に祈るのが最良だったよな?
こうなると、俺に残された選択肢は、二つしかなかった。このまま死ぬか、エガリヴの戒律を犯すか……。どのみち、ここは神の目が届かない場所だ。異教の術――魔導は、エガリヴの戒律に反する外法だが、この場合は致し方ない。神が許すかどうかは知らないが、あのこまっしゃくれ――聖教主は許してくれるだろう。こう云うときだけは、俺の保護者が破戒僧で良かったと思える。
「善行でもないのに、殉教してやる意味もない」
今度は、声が出た。
『エミュリヴ起動。レッド・ライセンス・キー・レプリカ使用』
これは、エガリヴを欺く法だ。こんなものを所持していることがバレたら、例え特例が認められている赤襟であっても、極刑は免れないような代物。ネイルが自分を監査したら、あいつは自分を暖炉の燃料にしなければならなくなる。
『リミッターの解除を申請します。サーヴァが応答しませ……何故か分かりませんが許可が降りました。全てのリミッターを解除します。腑に落ちません』
『鏡龍の加護を起動しました』
『鏡龍が格を確認しています……。龍主です。鏡龍から全術式の使用許可が降りています』
『主が危険な状態にあります。鏡龍の判断で、幾つかの術式が自動的に実行されます』
ドスン……ドスン……ドスン……。
そうこうしている間にも、跫音がこちらに迫り来ている。耳は上手く機能していないが、肌から伝わる振動で、それが解った。この泥濘んだ場所を一本脚で、よくもまぁ器用に歩くものだ。
『聖術ではない、未確認の術式が実行されようとしています。よろしいですか?』
『鏡龍神の判断で承諾されました』
『エガリヴが術式の内容を確認しています……』
『外部からの怪しい動作を察知。術式の内容を秘匿します』
『戒律に反する動作が確認されました。術式を停止しま――レッド・ライセンスを何故か確認しました。不本意ですが、術式の使用を許可します』
跫音が、直ぐ近くで止まった。錆の臭いと熱気が体を突く。術式は――
『鏡龍鱗を自動実行。全方位に自動展開』
ギリギリで間に合ったか。
『反射自動実行』
今までに聞いたことがない種類の音が、直ぐ近くで鳴った。世界が破裂したような音。境界と境界が重なり合い、互いに拒絶し合ったような音だ。ビックバンが起こりそうだな。こんなところで、宇宙の発生と消滅を観測したくもないが。
『反射率:99,997%』
『敵性の消失を確認』
●
自身の拳に耐えられなかったか……。飛んでもない化物だな。
鏡龍は、神ではなく神と呼ばれる魔導の神だ。鏡龍鱗は、その力の一部を貸与されたもののみが使用を許される全自動式反射型城壁級個人防壁《フルオート・リフレクティング・ウォールグレードシールド》で、エナジーさえ確保できれば、冗談抜きで砲撃も跳ね返す。その代わり、飛んでくる全てを無節操に跳ね返すため、術者への負荷も大きいのだが……。
それは便利にも思えるが、魔導――外法とも呼ばれるこの術は、世界の七大宗教から忌避され、存在が知れれば市中引き回しの上に磔にされる。何故そうなるかには様々な理由があるが、何より無節操と云うのが、全てに共通する最大の理由だろう。他人の迷惑でなければ何をしても良いと云うのが、アウフの理念なのだ。それは同時に「自分、わしの迷惑やから死んでもらうで」と云う理屈にも通じる。実際、アウフに通じる輩には、そう云う者は珍しくはない。だから、最後の手段と云う訳だ。
『龍血を自動実行。身体の状態を復元します』
健康だったときの状態が読み込まれ、現在の俺に上書きされて行く。
これは治癒ではなく、自分のイメージを現実に投影する術の一種だ。だが、現実に投影可能な程、確固たるイメージを抱くことは困難なので、エディターで制作したイメージを外部デヴァイスに保存して置き、それを引き出して現実に投影すると云う方法を用いる。この複雑で煩雑な工程を代行するのが、この術式だ。常識を逸脱したプラシーボ効果と言ってもいい。俺は健康なのだと云う、確固たるイメージを予め抱いておくことが、この術式の胆だ。
『危険な状態から脱しました。術式の制御権を主に戻します』
視界が晴れ、体が自由になる。
全く、さっきのはなんなんだ……。あれか? 昨日、山の中に入ったときに見付けた足跡の持ち主か? 黒髪の娘に、あの足跡についても訪ねておくべきだったか。ああ、なんで俺、眼鏡のことなんか訊いたのだろう。
「今更だが、彼女の名さえも訪ねていなかったな、俺」
我ながら失礼な生き方だ。それで横っ面を叩かれるぐらいなら相応の扱いだろうが、殺されても良い理由にはなるまい。
何故、アレが俺を襲うのか。さっぱり解らない。まぁ、良い。どのみち、退けたのだ。早々に立ち去――
『敵性を再確認しました。警戒して下さい』
ドスン……。
……鏡龍のテキストは、いつだって無慈悲だ。
「ヒトクサァイ!」
『現状に於いて有効と思われる術式を選出しました。
先見
龍翼
龍爪
龍息
御武運を』
いや待てよ。待てと言うのが解らないのか!!
とは思いつつ、俺は自身はその場に留まる気など欠片もなかった。身体を最善な状態に再構成したからか、普段よりも速く走れる気がする……!! 人間……いや生物は、逃げるときが最も速いのだ。
『龍翼を実行』
両足が地面から離れ、全力で西へと飛ぶ。走るよりも、こちらの方が遥かに速い。
龍翼は、龍神を頂く宗教に伝わる秘術の一つだ。元は物体――主に自身――を移動させる目的で開発されたもので、力の向きを操作するのが主な機能だ(他にも、加速時の断熱圧縮に依って発生した熱を、設定した発力装置にエナジーとして取り込むことで軽減する機能などもある)。なので、重質量の物体を動かすことは想定されていない。細部は違えど、これと似たような機能を持つ術式は、そこらかしこに五万とある。
だがアウフ仕様の術式は、とある重要な機能が欠けている。――無節操。アウフの術には、制限がない。
『対象2:アンノーン
軽減措置:無
加速:限界値まで加算』
燃え尽きるが良い……!!
遥か後方で「ボウッ」と、地味ながら激しい音が炸裂した。
『対象が焼失しました。加速を終了します』
通常、こんな危険な使い方はしないし、いくらアウフと言えど神から制限をかけられる。これを攻撃手段として用いる際も、大気を移動させてぶつけると云った方法を取る。非常時でなければ、こんな真似はしない。……加速させるのにも、大量のエナジーを食うからな。エナジーだって、タダではない。
そう、その音は、俺の半月分の稼ぎが消し飛んだ音でもあった。
『敵性の消失を確認』
まぁ、命あっての物種。金はあって困るものでもないが、使わないのに持っていても仕方がないと、自分に言い聞かせて泣けば――
『敵性を再確認しました。警戒して下さい』
ドスン……。
……何これ。何かのエラー? 俺の半月の稼ぎは?
死角で、鈍色に光る何かを捉えた。錆びの臭い。暑苦しさで頭が霞む。瘴気で靄る陰……!
間違っているのは俺でも術式でも、ましてや鏡龍でもない。エラーを起こしているのは世界の方だ!!
『反射自動実行』
慌てたように鏡龍鱗が叫ぶ。
ええい、くそう。もうそんな近くにまで来たのかッ!!
俺を殴りに来た一本脚が、逆に吹き飛ぶ。先程、俺を数十メートル吹き飛ばしたのと、同じ勢いで。
冗談じゃない。こんなことを何度も繰り返していたら、いくらなんでもエナジーが尽きる。重力変換なんて高等な術は使えないんだぞ……!
『先見を実行。物理シミュレートを開始します』
こうなったら、避けの一手である。神話でも、悪魔と対峙した英雄がこう言っていた。当たらなければ、どうと言うことはないと!! ……そう云えば、そう言い放ったかの英雄は、部下が悪魔に屠られる光景を目の当たりにし、圧倒的な火力差を思い知って、戦略的撤退行動に移るんだっけか。
逃げよう。
しかし、ただ逃げているだけでは簡単に捕まる。この悪魔的な火力差をどうにかするには、奇策を打つしかないだろう。そう云う訳で、龍翼のもう一つの使い方を試してみる。
『対象2:アンノーン
軽減措置:最大
加速:限界値まで減算』
人のみならず、生物が立って歩けるのは、地面との摩擦があってこそのこと。それを奪ってしまえば、如何に常識はずれな怪物でも、容易に無効化できるだろう。……多分。どうだ! 足が地面に付かなければ移動できまい!
赤黒い何かが飛んできた。
……なるほど、飛び道具か。汚い。と云うか浮いてても、普通に近付いて来るな……。ホバーかな? 観察しても、浮遊機関は見当たらないけどなぁ。
「ヒドイナァ」
「なんて悠長なことしている場合かッ!!」
搦手は効かないらしい。なんとなく、そんな気はしていた。二度あることは三度あると言うしな……! 根本的に、アレがどう云ったものなのか理解しない限り、対応策は見付からないのかもしれない。
けれど、施策をやめる訳ではない。実践から物事が見えてくることは、よくある。現象は机上ではなく、現場で起こっている。ああ、そうだ。だから俺はここに来たのだ。墓狼と云う現象に遭うために。そのせいで、余計なものと遭遇してしまっているがな。
『龍爪を実行』
もう手当り次第だ。場当たり的犯行だ。理屈は不明でも、やってみたら上手くいったので、今でもそれを利用している、なんてことは珍しくない。これは医学や工学、政治経済にも言えること。理論は実証の後追いでしかないのだ!
しかし、断熱圧縮で焼失させたにも関わらず、再び復活した怪物に、龍爪が効く訳もなく。ただ単に萱を薙ぎ払って、自身の退路を切り拓くことぐらいにしか、役に立たなかった。
何度も攻撃を払い除けても、跫音は迫り続ける。避けるものままならない。このままでは、あと数十回でエナジーが尽きてしまう。
ならもう、これしか手は残されていないじゃないか。
『龍息を管理者権限で実行』
『種類:焔息
範囲:最小』
残されている全てを叩き込む。
魔導の中でも、禁忌とされている代物。神代の力を再現する術は数あれ、悪魔の力を再現する術は限られる。その炎は木々を焼き、泥を蒸発させ、石さえも溶かす。俺が持っている術式の中で、最も高い火力を持つ術式だ。神話では、石造りの城を灰にしたと描写されているが、俺は実際に、それと違いない様を目の当たりにしていた。俺は、これを使ったことはないが、幼い頃に親父殿が使用したところを見たことがある。
『最終確認。よろしいですか?』
気乗りはしないがな。
『鏡龍鱗を展開させて下さい』
『展開を確認。焔息を発動します』
地上に恒星の光を見た。防壁の向こう側が白一色に変化し、音さえも掻き消される。あまりの光に自分の姿も白く飛ばされ、視認できない。これでも、かなり軽減されているのだから、防壁の外はどうなっているのだろうか。
そんな空間が、瞬く間だけ続いた。
『焔息を終了します』
『自動反射終了』
一面、焦土が広がっていた。空間転移で別の場所に来たかのような気分だ。細道を形成していた丘すらも、そこだけ形を変えている。
「帰ったら、どう報告書に書こうか……」
空気さえも灰になりそうな熱だ。瞬間的に周囲を焦土に変えるため、逆に燃えるものがなくなり、山火事に発展しない程である。
……不思議と、瘴気さえも消し飛んでいた。瘴気は物理的に除去不可能と云うのが定説だが、ここまで高出力で辺りを吹き飛ばすと、諸共なくなってしまうらしい。これを新たな瘴気除去方法として論文にまとめ、学会に提出……うん、無理だ。まぁ、物理で瘴気を祓えたと報告だけはしておこう。
ハハッ、空が青い。空気も、煤けた臭い以外は澄んで――鉄が錆びた臭いが漂ってきた。
『敵性を再確認』
東。豆粒のように小さな陰だったが、赤黒い何かを捉えた。
ドスン!
遮るものがないからか、跫音までクリアに聴こえる。
待ってくれ。流石に今ので、発力装置は空だぞっ!!
こうなると、あとは多大なエナジーを必要しない呪術の類しか使えない。しかし、龍神系の術だと、呪術関連は気象予報ぐらいしかない。くっ、ネイルから何か分捕っておけば良かった……。
他に残っている使えそうな術式と云えば――
『神言を実行します』
これくらいしかない。あまり効き目はなさそうだが、一か八か。
『対象を認識できません』
えぇ……。
落ち着け。何かある筈だ。自棄っぱちで原始術式を使ってみるとか! ああ、くそ、どのみち呪術の素養なんてねーよ!! 目覚めろ俺の隠された力!!
そうだ! 確かネタ術式で、ジョハリの未知の窓がどうたらで、術者を覚醒させてみるテストみたいな術式があった筈。えぇっと、何処に仕舞ったっけ……? 名前から呼び出し!! あれ? あれって正式名称なんだっけ……? あああクソ! 付属のテキストにジョハリの窓とか書いてあったろ確か! 覚醒なんとかだよ確か!! 思い出せ! 早く探して来い俺のオペレーション・システム……!!
あった!
『イヤバーン――ご都合主義的覚醒論を実行』
『何が出るかな♪ 何が出るかな♪』
……。
『出ました……! 術式名:パンドラの蓋』
『どんな絶望にも耐える鋼の精神を手に入れるよ。尚、意識は睡眠状態に移行する模様。夢も見なくなるから、魘される心配もナッシング!! 朝日に反応して終了する親切設計!』
『仲間や友の死、裏切り、窮地、そして敵として現れる、かつての仲間……。ヒーローは常に、絶望と戦い続けています。そんな悩める主人公くんにはこれ! 睡眠導入剤を服用するよりも効果覿面だ! 薬漬けになっちゃったそこの君も、社会復帰への活路が見出せる!!』
使えるかアンポンタン!!
『反射自動実行』
『エナジー不足。反射不発』
●
格十なんてものじゃない。完全に規格外だ。人間が処理できる範疇を越えている。明らかに、この世のものとも、あの世のものでもない、何かもっと別種のもの。これは、生死の概念を持たない。ただ、そこに有るか無いだけだ。
そんなものに、俺は一つだけ心当たりがあった。まさかとは思うが、こいつは……神か?
風説として、ネイルから聞かされたことがある。エガリヴには、オリジナルと呼ぶべきものが存在していると。それには人の手や意思が介在せず、完全な自然物としてあり、災害や恩恵のように、その様相を二転三転させるものだと。それは世界そのもので、この世とあの世が一体となったものの一面が現れ、ヒトに知覚できるようになっただけなのだと。いや、正確には、この世もあの世も同一で一つのものなのだとか。その一つのものに、人間が勝手に、あの世やこの世と云う境界を引いているだけなのだと、ネイルは言っていた。
さっぱり訳が分からない。
だが、訳が分からないのは、当たり前なのだとも言っていた。本来は、人間もそれの一面が、別の現れ方をした存在にしか過ぎず、個々の自我や意思を持っていると、勘違いしているだけなのだと。それの一部にしか過ぎない我々に、それが理解できる訳がない。理解できないことだけは、明確に説明かされていると。
全く、理解に苦しむ宗教観だ。行き過ぎた汎神論も大概にしてもらいたい。俺からしてみれば、この一つ目一本脚と俺は、明確な境界線を引いて判別されるべきだろう。俺は一つ目一本脚ではない。
ここの細道の空は、相変わらず墨色をしている。
俺が一体、何をした!!
いや、神に取って、そんなものはさして問題ではない。俺が何者でも、何をしたとしても、関係ない。ただここに俺がいて、俺は気付かれた。何かの拍子に神に触れた。そして、これから呑み込まれる。ただ、それだけのことだ。
問題は、俺がなんの拍子に触れたかだ。それさえ解れば、この情況をどうにかできるかもしれない。解った上で、どうにもならないことが判り、絶望するかもしれないが、そのときは覚悟を決める余裕が生まれるので、少しはありがたい。何か打つ手があったのかもしれないと思いながら無に帰すのだけは、ごめんだ。
エルゲネコンに入ってからの行動を、一から全て思い出してみる。まずは、この細道。無愛想な案内人、イリーシャと共にここに入った。次に、里の人々から話を訊いた。まぁ、喋っていたのは、殆どニット帽の老人だったが……。そして、山に入って調査を始めた。調査を始める前に、黒髪の娘と言葉を交わした。探査法を使って、墓狼の気配を探ったとき、手を噛まれた。大きな平たい石があった場所。あそこは、こいつとは無関係だろう。そして、足跡が途切れた。どうしようかと獣道を歩いていると、青い光……。今から思えば、これはアセナだったのだろう。その光に導かれて、妙な足跡を見付けた。このときだろうか? しかし、俺はその足跡を追いかけてはいないし、関わらない方が身のためだと考えて、直ぐにそこを去った筈だ。その後は、不自然に付いていた足跡を辿って、石のモニュメントのところへ。ここで娘や老婆と会話した後、空間転移炉を見て、葬儀に参列したのだったな。その夜に、牛肉のソテーを食べて、何事もなく、そのまま眠りに就いた。ああ、何事もなくな。何もなかったとこにしておこう。実際、俺は何もしていないしな。何かされた側だしな!! ……また調査に出かける前に、情報収集。そして、アセナと遭った。墓狼討伐完了の報告をし、携帯食料を持たされて、今ここに……。
分からない。
言い知れない絶望感が、俺を襲った。この情況を打開するのに必要なことが、何も解らない。
『パンドラの蓋を実行してみますか? みますか?』
しねーよ。
駄目だ。どうしても解らない。俺がアレの気に触れた瞬間も、アレをどうすれば払えるのかも。
意識が埋没して行く。自己の結束が外れて行く。自他の境界がなくなり、膜が意味をなさなくなって行く。もはや、自分が何を考えているのかさえ、判別できなくなって来た。何かを後悔することさえ、できなくなってきている。今の俺は、一体どうなっているのだろうか。自身の肉体を知覚することができない。
ああ、ここで俺の人生も終わりか。
しかし、俺が死ぬ前に、してやらなければならないことがある。
「おい、逃げろ」
符。あのザイなんとかウト某とか名乗る、コイノーニクモを封じた符。土産にしてやろうと思ったが、こいつを冥土への土産にするのは悪趣味だからな。
「ちょ!? マジでヤヴァイで御座りませぬか!? マジヤヴァイんじゃないすか!? で御座る」
死ぬ前に、こいつの喋り方について、一回くらいはツッコミを入れておくべきだったか。
「喧しい。今が逃げるチャンスだろ。アレは俺に用があるらしいからな。今なら逃げられるぞ」
「いやしかし某でもでも、どうすればいいの、なんてなんで、忘れられず、今でもまだ、迷っては生きている」
ええい、最後の最後まで、歯切れの悪い蜘蛛だな。いきなり歌うな。今の情況が分からないのか。本当に頭おかしい奴だな。こっちの頭が痛い。
……頭痛?
同時に吐き気や眩暈までし、体の節々が痛み出す。熱い。これは細胞が血を止めようとしているからだ。何故だ? もう殆ど、肉体の感覚どころか、機能は残って――。
「勝者に下るのが魔族の掟。ならばここは、こうするのが某ら、魔族の道徳で御座る。貴様に死なれては、某の持つ権利が、宙ぶらりんのままで御座るからな。そのときは、自害せねばなるまい。某、可愛い雌と生殖するまでは、死ねぬで御座るよ」
魔族には、瘴気を繰る術がある。
瘴気でアレを遠ざけつつ、俺の肉体や精神の支配権をアレから奪い取り、それを俺に委譲しているのか。つまり、このありとあらゆる不調の数々は、瘴気に因るものか。
「――貴様を殺すのは、某で御座る」
ここはカッコ付けていい場面ではないだろ……!
「お前は馬鹿か。アレとお前では、格が違い過ぎる。お前なんぞ、格一にも及ばない番外だ。こんなもの足止めにもならん。いいから早く逃げろ」
「他の宗教観や価値観を否定するのは、好くないことで御座る。戦争でも起こす気で御座るか? ……それに番外って、ちょっとアナーキーな香りがして唆るで御座る」
だかあr、そんn狩る愚痴を叩iていい情況ではないだろ。……もはや、まともにテレ尾派ウsを発することさeも叶わないのk。
「某、無念で御座る……。可愛い雌と生殖――ブチ」
弱っ!? もうちょっTo耐えろよ!!
こんなこtoになるなら、秘匿shiていた眼鏡画像を削除してOくんだった。あれ、戒律違反だからな。隠し撮りしたのも何枚かある……。いや、健全な方向の隠し撮りだぞ? 着替え中とか、そんなのはナいからな。ただNO、普段の何気ない風景をdあな。
俺、誰に懺悔してるんだ? 死に際に考えることが、これかyお。
『通信途絶』
『神意の加護が停止しま――』
『鏡龍の加護が――』
体の痛みが遠退いた。
●
『対象を見失いました』
●
夢を見ていた気がする。
そこで意識が覚醒したとき、殆どのことが分からなかったが、肉体が存在していないことだけは知覚できた。俺も到頭、終わったらしい。もう少し、太々《ふてぶて》しく死にたかったな。
知覚の向こう側に、明るい光が広がっている。少なくとも、地獄逝きではないようだ。最期に懺悔して置いて正解だったか。日頃の行いが良かったからだとも思えないし。
しかし、まさか死後の世界なんてものが、本当に存在するとはな。エガリヴには天国や地獄なんて概念はないが、ことさら否定もしていない。それは、確認した者がいないからだと、狂言廻しエガリヴは言っているが、今ここで俺が確認したのだから、その存在を認めてしまっても構わないだろう。
……けれど、具体的に天国とは、どう云うものなのだろうか? タルナドでも、天国については詳しく言及されていない。死後の世界について最も詳しく述べているのはサナタ教だとクリスは言っていたが、それは現世が苦しい故に、逃避のために創り出されたものだと考えるべきだ。実際に見たことがある者が語ったものではなく、厳しい現実を見た者が考えた理想社会だろう。
まぁ、いい。いくら考えても、分からないものは分からない。実際に見てみれば分かる筈だ。
空色が見えた。
お前……なんで、ここに?
「ストーキング・ウルフとか、新しいと思わぬ?」
次は6/13日です。
戦闘シーンとはいったい(哲学)。
一方的にボコられながら逃げるのも戦いですよね。ですよね?
撤退戦とか熱いし、戦略や兵法は苦境でこそ光るもの……!
まぁ、全く光らずにぶっ殺されてるわけですが。




