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このときの狼の気持ちを四十ニ字以内(句読点含む)で文中から抜き出しなさい

 猿の金切り声が響いた。

 驚きのあまり音を目で追うと、鳩時計……ならぬ、猿時計がガンガン鳴いている。それから直ぐに視線をアセナに戻すと、彼女はお茶を啜っていた。

 彼女がカップを机に下ろすと同時、金切り声も止む。

「人間って、怖いですね」

 そのテレパス胡乱うろん気だった。髪は酷く艷やかで、目付きもものうい。

「何より狡猾で残忍な狩猟者は、ヒトなのかもしれません。生態系の上に立てば立つ程、攻撃性は増すと言いますし、最も身勝手な知性体でしょう」

 故に、世に蔓延る。しかし狼は、そんな人さえも食らうことがある。妙なことだが、そう云ったことで、調整はできているのかもしれない。その全体の活動そのものが生命の神秘であり、奇跡だと言える。各々が勝手に切磋琢磨し、好き好きに生きる。ときには群の意志に反する多様な個体が出現し、長期的利己主義を無自覚に実行する。それで構わないだろう、そこに人間の思惑なんかがなくとも。

「けれど、本当にそうでしょうか?」

「ん?」

 自身の発言に反語?

「狼は、ヒトを食べるのでしょうか? そして人は、オオカミを食べるでしょうか?」

「どう云う意味だ?」

 狼は口を開かない。逆に、ただぽつりと、こんな疑問を口にした。

「狼を見付けたら、どうなさるおつもりですか?」

 質問の意図が読めないが、警戒して誤魔化す必要もないように思えた。墓狼は生きている人に噛み付かないからだ。追い回したり、瘴気の滾る森に閉じ込めることはあるみたいだが。

 しかし、どのように返答すべきか解らない。この質問は、エガリヴと云う集合に問うているのか、それとも俺と云う個に向けられたものなのか。それに依って、答えが変わる。

「そうですね……。救道者キューダーとして模範的に答えるなら、討伐するのが正解です、けど」

「けど?」

「生憎、私は模範的な救道者キューダーではないので、そうはしないでしょうね。個人的に幾つか気になることがあるので、それを訊ねて、その返答次第で、どうするか変わります」

「気になること、ですか?」

「まずは、人の遺骸を食む理由。そして何故、墓狼様と呼ばれ、敬われているのか……」

「狼に、ですか?」

 言葉が通じればの話ですがね。

 再び、彼女はカップに口を付ける。しかし、それは紅茶を飲んでいると云うよりも、それに映る己の瞳を覗き込む仕草だった。彼女の目には、空色の輝きが見えていた。

 ……? あれ? なんで、彼女の視界が見えているんだ?

 狼がカップから目を離し、俺を見る。酷い間抜け面が見えた。

「こんなフェイブルを知っていますか? 私の大御婆様から伝わっている話なのですけれど」

 突如、足元が消えた。



 とある一匹の雌狼が、食後の散歩と狩場の見回りに、この山を散策していたときでした。鼻をクンクンと利かせると、傍から人間の臭いがします。この時間帯なら、薪拾いを終えた人間が下山しているのだろう。そう思った雌狼は、大して意に介することもなく、その場を離れようとします。

 しかしそのとき、雌狼の鋭敏な耳に、なにやら不気味な音が聞こえて来ます。地を這って、一定の調子で響くその音は、この付近の山を荒らす、一本足の化物の跫音です。

 先日も、この化物に雌狼の子供が襲われ、死んでしまったばかりです。

「……それは災難だったな」

 これは仇討の好機かと、雌狼は思いました。けれど雌狼一匹では、その化物には歯が立ちません。ここは一先ず、周辺の同盟軍に援軍を要請して包囲網を敷いた後、挟撃と一撃離脱を用いたゲリラ戦を展開しよう。最終的にそう判断した雌狼は、敵性補足を知らせる遠吠えを上げようと、息を大きく吸いました。

「おい、いきなり物騒な単語が出てきたぞ」

 ここで「はてな?」と、雌狼は何かを思い出しました。ああ、そうだ。さっきの人間が危ないのではないだろうか。

 ここは直に戦場になる。それになんの武装も持たない民間人が巻き込まれれば、こちらの作戦行動に支障が出るかもしれない。食い殺してしまってもいいかもしれませんが、何せ人間です。

 彼らの集団行動に於ける統率力の高さとその範囲は、狼にも匹敵する。更に、数々の道具を用いた戦術の切替と多彩な罠は、我々を苦しめるには十分過ぎるものだ。

 もしここで、この人間を食い殺したら、どうなるか。人間たちによる我々狼への報復行動が開始されるのではないか。そうなった場合、私の身柄は拘束され、群れからその責任を追求されることになるだろう。そのとき、私は甘んじて罰を受けよう。しかし、それだけならまだしも、私の子供たちにも、責任追及の声が及ぶのではないだろうか。

「本当に狼の話なのか?」

 更に、私が罰を受けたところで、問題の解決にはならないのです。

 これが通常の、狼同士の問題ならば、私の身柄をそちらに引き渡し交渉すれば、一応の問題解決となり、他の命が奪われることにはならないだろう。

「狼も身柄の引渡しとかするんだな。知らなかった」

 しかし人間には狼の言葉が通じない。身柄の引渡しと交渉が不可能なのです。

「いや、今これ、通じてるんじゃないですかね?」

 そうなると、私の群れだけでは済まない。狼と人間の全面抗争にまで発展する。それは一本脚の化物どころの騒ぎではない。狼全体が数代に渡っての回復が必要となる、痛手を負うことになる。

 これらの問題発生は避けなくてはならない。そんな負債を私一匹の軽率な行動によって、引き起こしてはならないのです。ならばこの場合、私が取るべき最善の行動とは何か?

 このまま放って置くのも、雌狼にとっては一つの選択肢です。この音の響きと匂いからして、一本脚の化物は、人道をこっちに向かって進んでいるのでしょう。雌狼の記憶にある、一本脚の化物の移動速度と人間の移動速度から考えるに、一本脚の化物が人間と接触するのに、そう長い時間はかかりません。長く見積もっても、残り二〇五秒。

 このまま状況を静観し、一本脚の化物が人間でディナーを始めた頃合を見計らって、同盟軍の者たちと共に急襲。数で圧倒してしまうのも手です。その作戦の方が、戦闘時間も短く、こちらの被害も少なく済むでしょう。

 しかし雌狼はここで、後に生ずるであろう他の影響も考慮し始めました。

 ここで人間を見殺しにした場合、帰還して来ない人間を心配し、人間側が捜索隊を派遣するでしょう。そうして人間たちは、無残に貪り尽くされた人間の死骸を見付けることになります。それと同時に、我々狼に殺された化物の死骸も見付けることになるのです。

 これを見た人間たちは、狼のことを疑うかもしれません。

「状況証拠から見ればクロだな」

 我々の痕跡は、でき得る限り人間に渡してはなりません。それが、我々狼と人間の争いを避けるために必要な最善の行動だと、雌狼は母から教わっていました。

「母は偉大」

 如何に化物を除けるため、仇討のためとは言えど、人間を囮にするのは、人間と敵対する可能性を生んでまで、決行すべき作戦ではありませんでした。それに、雌狼の良心が咎める部分もあります。

 だから雌狼は、可及的速やかに、この人間を傷付けることなく、この場から除けることにしました。そう思った雌狼は、男が着ている服の裾を銜え、岩陰まで引っ張って行くことにしました。

「よく訓練された狼だな」

 裾を引っ張られた男は大層、驚いて、雌狼に抵抗を見せました。しかし、そんなものは何の障害にもなりません。あっと言う間に――いえ、一吠えする間に? ですかね?

「どういいから話進めてくれませんかね」

 ……ともかくぅー、その雌狼はぁー、光の速度でぇー、近くの岩陰にまでぇー、男を引き摺ってぇー、行きましたぁー。行ーきーまーしーたぁー。

「なんでちょっとブー垂れてんだよ」

 雌狼は、そこでその男を組み伏せて、息を殺します。見ると、その男、中々のイケメンです。

「そんな情報いらん」

 イケメンは、ぶるぶると震えて怯えています。それは当然のことだと雌狼は思いましたが、少し、しょぼんとなりました。

「だからイケメンのくだりは飛ばせ」

 ドスンドスンと、化物の跫音が大きく響いて来ました。その段になって、イケメンが道に目をやります。横顔も素敵です。

「あんたもしつこいな」

 イケメンの視線の先にいるのは、もちろん私! あ、ごめんなさい。怒らないで下さい。頬から手を離して。……男の視線の先にいるのは、一つ目一本脚の化物です。

 化物は道に立ち止まり『人間臭い。人間臭い』と言って、その一つ目をギョロギョロ動かし、周囲の様子を窺っています。

「まさか今の、物真似か?」

 化物を目の当たりにしたイケメンは、呆気に取られているようでした。目はかっと見開かれ、死んだように動きません。人は恐怖と驚愕を同時に体験したら、こんな顔をするんだと、雌狼はそこで初めて知ったのです。

 化物は、不思議そうな様子です。奴に表情などありませんが、どうも、そんな調子のようです。賢明に、ぐりぐりと腰と目を動かして、目一杯、辺りに目を配らせています。

 暫く、そうして、何もかもが状況を変化させることをやめました。木々も、鳥も、虫さえも。ごくりと、何かが唾を呑み込む音が聞こえます。緊張と怪事。その場にあるのは、それだけでした。イケメンの横顔を見ている余裕すらもありません。

「その語りだと、余裕しか感じられないのだが」

 一つ目の化物は、一回だけゆっくりと瞬きをしました。そして腰を元の位置に戻し、ゆっくりと、何か考え事をしています。その内、化物の中で何か納得できるような解が得られたのでしょうか。その一本脚で、ドスンドスンと、山道を進んで行きます。

 ……十分なところまで、化物の跫音が遠のくと、狼は男からそっと退きました。もう少しだけまたがっていたかったのは内緒です。

「種を越えても、お盛んな雌だな」

 男は始め、ぽかんとしていました。その顔をじっと眺めるのも、また乙なものですが、こうもしていられません。早く遠吠えを挙げて、同盟軍へ援護要請をしなければ。

 狼が遠吠えを挙げる直前、男がハッと我に我に返りました。そして恐る恐る、狼に近付いてきます。

 なんだろう? と、狼が小首を傾げていると、男は切り出しました。

『何かよく分からないが、お前さんのお陰で助かった。何か、礼をさせては貰えないだろうか?』

 雌狼は答えます。

『貴方を食べたい!』

「それ意味が違って伝わるだろ!」

 そうして、その男の人は雌狼に感謝して、お礼として、自分が死んだときは体を譲ると、約束したそうです。



「それからと云うもの、その約束は代々、狼と人の間で受け継がれ、狼はこの地に住まう人間を守り続けているそうです。で、その代償に遺体を……。まぁ別に、代償なんて、いらないんですけどぉ」

 視界に色が戻った。全面、真っ青な空間に……尻尾と耳が見える。

 さっきの光景はなんだったのか。他人の夢を視たときと似ていたが、それにしてはノイズが少なく、雑念が多かった。思えばありありと、イケメンの顔を思い起こすことができる。なんとはなしに、エルゲネコンにまで俺を連れて来た、あの案内人、イリーシャに似ているような気がした。

「他に訊きたいことはありますか?」

 尻尾がふさふさと喋っている。風もないのに、空色の髪は靡いていた。

「化物は退治できたのか?」

「いいじゃないですか、そんなこと」

「いや良くないが」

 できなかったんだな……。

「そのあとぉー、ちゃーんと封印できたからぁー、良いんですぅー。ダレンさんはぁー、細かいこと気にし過ぎでぇー、女の子とぉー、折角ぅー、仲良くなってもぉー、嫌われちゃうとぉー、思いますぅー。邪推とか余所事よそごとを考えたりし過ぎですぅ」

 だから、なんでちょっとブー垂れるんだよ。歳とか考えろ。幾つか知らないけど、きっと相当な歳なんだろ?

「仲良く、ね……。その男と狼の間で交わされた個人的な約束が、どうして里の全域にまで広まったんだ?」

「いやぁ~、それがどうもですね。きっと男を助けたのは、エルゲネコンに伝わる空色の獣に違いない! ってことになっちゃったみたいで。実際、そうなんですけどぉ」

 ……さっきからアセナの様子がおかしい。俺から警戒心や敵意が消えたことで、素を露わにしたのだろうか。できれば、最初に出逢った頃のままでいて欲しかったが……。いつの間にか、尻尾とか耳が生えてるし。俺は今、見てはならないものを見ている気がする。

 特に見るなと言われてはいなかったと思うが、どのみち隠していたものを抉じ開けた俺への罰なのだろう。なんの罰か知らんが……ストライサンドさんの罪は重い。

「だからって、そのまま遺体を差し出すってことになるか?」

「なんて言ったらいいのか……。ほら、死後に超自然的なものと一体になる的な信仰って、あるでしょう? 死後は、それの一部になる感じの。墓狼信仰も、そんなようなものなんじゃないかなぁーって、私は考えているんですよぉ」

 知らんがな。

 信仰対象そのものがそんなことを言ってしまうと、なんだか味気なく思えてしまうな。我々を見た神々《ハムイズ》も、そんな気分でいたりするのだろうか。……いや、神の心中を考えるのはやめよう。愚かなことだ。エガリヴの教義にも沿わない行いだし、何より不毛だ。

「どちらにしても、こんな話は始めて聴いたな。村の者は誰一人として、そんなことを語ってなどいなかった」

「そうですか……。もう、昔のことですからね」

 尻尾と耳は何かを悟ったようだった。見るからにしょぼくれて、元気がない。

「そうかもしれないと、思ってはいたのです。けれど、私の耳はそれを拒んでいました。現実から目を背けてしまうなんて、なんて鈍間なことを……。気持ちばかりが、考えに及んでしまったようです」

 それは感情があるものなら、誰でもやってしまうことだ。さして、誰かの明日を脅かした訳でもない。その教訓だけを遺して、嫌な失敗は忘れてしまうと良い。

「私には、その言葉だけで十分です。色々と、ご迷惑をお掛けしました。人里までは、娘たちに案内させましょう。私はこれで、失礼させて頂きます」



 気付けば、真っ昼間の空が見えた。

 俺は日当たりの好い雑木林の真ん中に、大の字で放り出されていたのだ。身体に痛みはないが、なんだか冷えている。

「……いつの間に、昼になっていたんだ?」

 いや寧ろ、いつの間に日が暮れていたのか。

 まさか……時間の感覚が狂わされていたのか? だとしたら、俺はかなり早い段階から、狼の術中に嵌っていたことに……。

「やれやれだな」

 起き上がりながら呟く。そうとしか言えなかった。あれだけ「狼なんか敵とちゃうで。三回回ってワンや」みたいなことを豪語して置きながら、その最中から相手の掌の上で、くるくる踊っていたとは。だが、何よりもやれやれなのは――

「これで、本当に終わりなのか?」

 と云うことだった。



 墓狼こと、アセナとの会話を終えた俺は、エルゲネコンへの帰路に付いていた。道すがら、いくつもの空色の陰が見えている。俺はその空色に阻まれ、挟まれ、先導されながら、歩みを選択している。

 歩みの速度は遅い。いや、遅くはないか。ただ軽やかでないだけだ。最も、俺の歩が軽やかになることなど、そう滅多にある訳でもないが……。重い。

 気分、だろうか。なんとなく違うような気がする。俺は別に、あのアセナと云う空色の女に同情もしていないし、感情移入した訳でもない。ただ、なんとなく、ネガティブになっているだけだ。

 空色の小さな陰が、無数に俺の周囲を跳び交っている。俺の速くはない歩みに合わせるには、彼女らの動きは、あまりにも速いのだろう。手持ち無沙汰なのか、殆ど意味のない動きを続けている。

 この空色の陰たちは今、どんなことを考えながら、道案内をしているのだろうか。

 俺を恨んでいたりするのだろうか。それとも、俺ではない、別の何かを恨んでいたりするのだろうか。

 ……エルゲネコンの人々には、墓狼に対する信仰が、まだ残っていたのではないだろうか。しかし、エガリヴからの施しを受けているのだから、それへの建前上、それを捨てる必要があったのでは?

 その真偽は定かではないが、しかし確かなことがある。里の人々は、墓狼のことを忘れてなどいない。しかし、彼女は忘れていることにしたのだ。エルゲネコンが、エガリヴに迎合できるように。

 エガリヴは馬鹿ではない。しかし、どんな集合体の中にも、馬鹿は存在する。いや今回は、馬鹿か否かは、あまり関係ないかもしれない。エガリヴの信仰は、エルゲネコンの信仰を否定はしない。だが決して、同化はできないだろう。だったら……いやだけど。

 同化は必要なことなのか? 寂しいと思うのは、無駄なことなのか? 無駄だと言うなら、何故、そんなものが世にあるのか? ただ意味なく生まれて、意味があるよ誤認しているだけなのか?

「そうではない」と、言い切れない俺がいた。故郷を去って、曲がりなりにもエガリヴに浸かっている俺には、そう言える自信も、資格もなかった。

 エルゲネコンの人々も、こんな気持ちだったのだろうか。最初に俺と出会った里の人々の顔や態度は、怪訝や疑惑ではなく、もしかして。

 今の俺も、あのときの彼らと似たような顔をしているのかもしれない。

「ここに手鏡があればな」

 俺の目は、幾つあるのだろう。



「あれ? 早いお帰りですね……。何か用でも――」

「里の人を集めてくれ」

「え?」

「任を完了した」

 それからは、あまり時間は必要ではなかった。当然だ。もう二度と墓狼は出現せず、これからはエガリヴがエルゲネコンを守護することになると伝えるのに、大した時間は必要ない。

 ただ、俺を見詰める人々の中……黒髪の老婆が鍵付きテレパスで送って寄越した一言は、とても長く、そして重く感じられた。

「墓狼様は死にゃせん」

 これは本当だろうか。形がなくなれば、魂も薄れるのではないだろうか。少なくとも、伝わりはしないだろう。繋がりもしないだろう。でなければ、言葉など発達しなかった筈だから。だから、墓狼はこれから緩やかに死ぬのだ。思い出す者もなく、誰からも忘れられ、その造形は失われる。

 形式を崇める必要はないと思う。寧ろ、そんなことは決して、してはならない。だからこそ、形式を否定することも間違っている。そう思う。だが、だからこそ、形から入ることの、何が悪いのか。確かに、形だけで終わる場合の方が多いかもしれない。それをにわか仕込みと蔑むのだろうし……。誰だって承認されたい、できれば手軽に。だから証が欲しい。そして更に言うと、それを共有できれば尚、心地良い。けれど、そこから真理が見えないなんてことはないだろう。考えることをやめなければ、いずれは見えてくる筈だ。

 ……これは魔境だろうか? それとも悪魔の囁きか? どちらも違うと思うが、しかしそれらと似ている気はする。魔境と言うには狂ってもないし、悪魔と言うには歪んでもいない。とても一般的な、俗的で現実的な、大多数に寄り添った考えだ。さりとて、全ての人が哲学を始めたら、社会は衰退するのではなかろうか。何が人の救いになるのか解らない。

 ……いや、そもそも、発達は善なのか? それで救える魂や命はあるかもしれないが、しかし亡くす魂や命もあるのでは? それは本当に無視して良いものなのか? 娯楽のためと割り切るのなら許されることかもしれないが、生は娯楽ではないだろう。その結果が等しく死であるとしても、いや生が死を内包するものだからこそだ。発達が救いに必要不可欠なものだとは、とても思えない。けれど――

「死にたくない限り、都合良く生きたいしなぁ……」

 でなければ、衰退するのみだろうし。

 別れ際にアセナが言った一言が、今でも耳から離れない。

『手、噛んでごめんなさいね。痛かったでしょう?』

 これは誰の勝手な都合だ? 誰の得にもならない言葉ではないだろうか。

 もう墓狼が、人の前に姿を現すことは、ないだろう。

次は5/23です。


今回はちょっと駆け足になってしまったような気がする。いや、ちょっとどころではないかもしれません。多大なる説明不足が発生している気がする。


当初の予定では、これで話が終わる予定だったんですよね。

初めからこんな消化不良な終わりだったわけではなく、それらしいオチはつけていたのですが、それがあまりにも無理がある終わり方だったもので……。全ての原因は、墓狼とはなんぞやという疑問に、明確な答えが出せないところに帰結しているような気がします。

本来、それは主題ではないにも関わらず、物語の進行上、ダレンが墓狼伝説を解き明かしていくという流れにしてしまったことが、そもそもの失敗だったのではと。モノカミ殺しでは、その辺は触れていませんからね。


モノカミ殺しでは、調査を使い魔のフギンとムニンに全て丸投げし、主人公のフレイが良いところだけを掻っ攫っていくという構図になってしまったので、墓狼ではその反省点を踏まえて書き始めたのですが……。いやはや、それが途中の長々とした地の文と疑問符の連続を産み出す結果となり、異様に長くなり……。


墓狼の元ネタは、熊野の山に伝わるイッポンダタラの伝説に登場する狼です。冒頭の、男が狼に助けられている部分が、それですね。イッポンダタラの発する言葉(鳴き声?)は「人間臭い」ではなく「人臭い」ですが。

「さて、この狼は、なぜこの男を助けたのか?」という些細な疑問が、構想の出発点でした。


この当時、「なんか日本の伝説を元にしたホラーチックな探索ゲーム作りたい」と思っていたので、初めはゲーム用のシナリオとして書き始めたんですよね。

ですが、ゲーム性があまりにも低いことに気付き、ほとんどノベルみたいになってしまったので、なら欲者シリーズにぶち込んでしまえと錯乱して、こういう形に。

墓狼だけにウディタで作ってました、って、やまかしいわ!


情報収集と探索が不十分だと、墓狼はエルゲネコン(ゲーム時はただ単純に村)を去って、主人公は一つ目一本脚の化物に殺されてしまうってゲームでした。全クリしたときの結末は、墓狼はエルゲネコンを去り、帰路の途中に化物に襲われるけど、色々あって命からがら逃げきる、みたいな内容でした。

大差ないっていうか酷い……。


他にも村人や狼に好感度が設定されていて(ぶっちゃけヒロイン)、それによるマルチエンド方式。好感度によって、最後の場面で主人公を助けにくる人が変化するって程度のものですが。

黒髪の娘エンドなら、主人公を生かすために囮になって死にます。最悪ですね。ヒロインの攻略に失敗した場合は、イリーシャとのホモエンドになるという、それどこのときメモだよと、今になって自分でツッコミを入れます。婆さんエンドもありましたね。

唯一まともなヒロインのエンドは死亡エンドで、他は男と婆さん、人外しかいないという、凄まじい作品でした。ええ、没ですよ、そんなもん。作り始める前に気付けよと。

なお、今作品ではゲーム構想段階の墓狼エンドに相当するラストになっています。


あとは、下心を出してお持て成しに応じた場合、好感度に関係なく、ゲームオーバーになるって設定でしたね。この設定は没にならずに生きているので、どこかでそのことについて触れる予定です。

それがいつになるかは解りませんけど。

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