黄昏紅葉
あの子を初めて見かけたのは、少し涼しくなってきた時期の夕暮れ時だった。
西日がまぶしい図書室。窓際の席に彼はいた。
第一印象は綺麗な子。一瞬女の子かと思った。
今思えば、あれは一目惚れ……だったんじゃないだろうか。しかし、私はあの時まだそのことに気づいていなかった。
私は毎日図書室に通いつめていた。
朝は早く来て図書室で本を読み、休み時間の少しの間も本を読む時間に当て、放課後もまた図書室に行く……。
本と私だけの世界。他の誰も入ってこない世界。
その日も同じように放課後、図書室に行った。
慣れた足取りで、本棚と本棚の間を通る。ちゃんと本をチェックしながら。
「ん!」
めぼしい本を発見。今までずっと返却されなかった本だった。まったく期限内に返さないなんて、とんだ不埒な奴がいたもんだ!
心の中で怒りながら、でも足取りは軽く歩いていく。そして私の指定席(と、私が勝手に決めている)に座る。
ぱらりとページをめくる。……西日がまぶしい。ちょっと前にカーテンが破れてしまったらしく、取り外されていて日を遮ってくれるものがない。仕方がない、席を替わろう。私はそう決めると、指定席を離れ、陰になっている席を選ぶ。ふと、人の気配がして顔を上げる。
「人がいる……」
学校の図書室はいつも私しか利用者がいないのに。珍しくてじっと見ていると、目が合った。
目が、離せなかった。明るい髪色や、切れ長な瞳……。彼のすべてが夕日に当たり、輝いていた。
「僕に何か用事?」
声をかけられた。
「あ、あの……私、高風葵」
「僕は……黄金井亜樹」
それ以降会話が続かない。
「えっと、たかかかぜさん?」
「高風だよ」
「あ、ごめん」
また沈黙が流れる。黄金井君はうつむいたまま何も言わない。私もうつむいてしまう。
……やっぱり、私に楽しいおしゃべりは似合わない。本だけの世界に戻ろう。
私だけの、世界に。
「高風さん、またね」
名前を呼ばれて顔を上げる。だけど、そこに黄金井君の姿はなく、一枚の紅葉が落ちていた。
なんとなくそれを手に取る。
「きれい……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれ以来、黄金井君を頻繁に見かけるようになった。
彼とはあれから何度か会話をしたが、いつもすぐに会話が終わってしまって、私は本の世界に逃げてしまう。
でも、あの時から一つだけ変わったことがある。お気に入りの本に挟んであるしおり。
前は出版社のしおりを使っていたけれど、今は真っ赤な紅葉。
あの日、黄金井君に初めて会った時に拾った紅葉。
「高風さん」
「きゃぁっ!」
突然声をかけられて、私は声を上げる。
「図書室では静かに!」
司書の先生の鋭い言葉が飛んでくる。
「移動しようか」
うなずいて一番目立たない窓側の席に、向かい合う形で座る。
黄金井君は何も話さない。何で私に声をかけたんだろう……?
「ねぇ、高風さん」
「は、はいっ?」
「本、好き?」
「もちろん、好きだよ」
即答。というか嫌いじゃなかったら、ここにいないんだけどな。問いかけの意図がよく分からないけれど、正直に答える。
しばしの沈黙の後に、決心したように黄金井君は顔を上げた。
「あのさ突然だけど、一つ昔話をしていいかな?」
「え、うん。いいよ」
「ありがとう。 ……昔ね一人の男の子がいたんだ。その子はねとっても本が大好きな子だった。毎日毎日図書室に通いつめて、呼んだ本の内容を覚えてしまうくらいに。その子の指定席は窓際の隅の席。春は満開の桜のいい香りが流れてきて、夏は青々と茂った緑が強い日差しを遮ってくれ、秋には紅葉が視界いっぱいに広がり、冬は草花が少ない代わりに、雪が降ったときには素晴らしい銀世界を見せてくれる。男の子はその席が大好きでした」
「それって……」
視線が一つの席に向く。黄金井君が最初に座っていた席。
「まだ、続きがあるんだ。その子はね毎日そこで本を読んでいたんだけれど、ある時読みかけの本を置いていってしまったんだ。帰り道でそのことに気がついて、急いで取りに行こうとしたんだけど……途中で、その……事故にあってしまって、今では図書室から出られない幽霊になっているのでした。なん、てね。あはは」
黄金井君が話し終わっても、私は黙っていた。その男の子が黄金井君本人だと分かったから。
でもね、と黄金井君が続ける。
「その子には、夢があったんだ」
「夢……?」
「心から好きになれる女の子を見つけること。それから、その女の子に紅葉をあげること」
黄金井君がにこっと笑う。
「葵ちゃんのおかげでそれが叶ったよ。僕の一目惚れで、片思いだったけど」
黄金井君の体が透けていく。
「……ま、待って。待って! わた、しも! 私も好きだから! 黄金井君の、亜紀君のこと大好きだから!」
涙のせいで、亜紀君の姿が霞む。泣くな、泣くな泣くな!
「ありがとう、葵ちゃん」
私は亜紀君の胸に飛び込む。
「また、絶対会えるよ。何度生まれ変わっても、葵ちゃんに会いに行くから。それまで、少しだけさよならだ。だから僕のこと忘れないでね……」
「忘れないよ! 絶対忘れない!」
忘れるもんか!
「あり……が……と」
どれくらい経っただろうか。一分だった気もするし、一時間だった気もする。
亜紀君が消えた。だけど彼は、大切なものを残して行ってくれた。
もう、本の世界にこもらない。
前を向いて、歩いていこう。
〈Fin〉