祖父危篤~心臓疾患は高齢とともに
救急医の心臓発作は手際よく幸いなことに大事に至らなかった。
小康状態を見て自宅の医院に搬送される。
医院の集中治療で点滴を打っていくと悪心は少しずつ消え気分もすぐれていた。
倒れた場所はテレビ局。
「おじいさん(院長)はなぜあんなスタジオにいたんだ」
なんの用事があった
安楽に横たわる父の脈を診て副院長(息子)は呟く。
持病の心臓病は長年の付き合いである。
不整脈など常に診るものだから心配に及ばない。
ポンコツの心臓が極端な興奮状態になるのは過剰なストレスを感じなければ大丈夫だった。
見立てで不整脈が現れた程度。
高齢という避けられぬ病禍を考えると毎年悪化し油断もできないのだが。
ひとつ間違えば…
場所が場所だけに厄介である。
「よしもうよいだろう」
医院の雑用が忙しい副院長は若い担当医に委ねた。
検査データを子細に取るよう指示する。
ナースには分刻みの看護を依頼してしまう。オーバーケアは他の入院患者に支障である。
肉親はとかく特別なものである。
「院長が倒れたこともだが。どうにもテレビ局で倒れたことに合点がいかない」
院長が朝から囲碁会にいくことは知っていた。
敬老会唯一の楽しみというやつ。
老境の娯楽である。
勝ったり負けたりという勝負は緊張の伴う手合いであり多少は血圧が高くなろうと副院長も目を瞑るものだった。
「僕にはわからないんだ。楽しみの碁会所を抜けてスタジオにいくのが。院長には最高の娯楽だよ囲碁は」
スタジオには好きな女優さんがいたのか。
会いたくなったのか。
だからフラフラとテレビ局に?
祖母が亡くなって久しいが…。
「副院長先生っ申し訳ないでございます。私がいけないのでございます」
副院長がクルッと振り向いた。院長室の背後からお手伝いさんが入り頭をさげて恐縮していた。
「私がいけませんでございます。旦那さまのお薬を。朝にお出し忘れておりました」
"心臓常備薬"の服用を忘れた。
薬?
「まあっそれだけが原因とは言い難いな。気にしないでくれ。いかんせんオヤジも高齢であるしな。なんだかんだと持病もありとなれば故障もする。ちょくちょくエンコもあるさアッハハ」
高齢者院長の集中治療は万全な医療でみるみるうちに快復する。
高齢がネックと懸念されそうであるが主治医の手腕はダテではないようだった。
ああっ…
院長を悩ませる偏頭痛もおさまってくる。
心臓が躍り呼吸困難になることも次第に収まりだった。
「院長先生ご気分はいかがでございますか」
ナースが検温しながら顔色を窺う。
「ありがとう。だいぶ気分が良くなってきたよ」
倒れた直後には悪心が全身を襲っていた。
一夜明けた朝は徐々に晴れやかになってくる。
お手伝いさんも世話役を買ってでる。
「もう嫌でございますわ。ご心配いたしました旦那さま。御気分はよろしくて」
ああっ
長年連れ添うお手伝いさんに軽くウィンクをした。
阿吽の呼吸?
お手伝いさんは院長の要求を悟り冷たい飲み物ですかっと台所に消えた。
「しばらく副院長には頭があがらないな」
お手伝いさんの絞ったオレンジジュースは美味しく喉を潤していた。
夕方に大学院医科生(孫)が帰ってくる。
「おじいさん(院長)が倒れたんだって」
医院からもらった緊急連絡でも夜は大学の医療プロジェクトの真っ最中。
ひとりだけ抜け出すことは不可能だった。
「院長の容態はどうですか。順調に回復している?時折不整脈が診られるが小康ですか。ちょっと僕が診るかな」
帰宅早々は昨夜の疲れも残る。さっそくに重要なクランケ(院長)を診たくなる。
「僕みたいな大学院の若造が診たところで。心臓などどうにかなるものでなしだけど」
ベテラン医師の診察に間違いはないであろう。
「院長先生ただいま。おじいさん昨夜は大変だったね。どうですか?今のご気分は?」
ベッドに安らかに横たわる院長はチラッと若い医者(孫)を見た。
「おおっ帰ってきたか。院も忙しいことだろう。済まないなっ心配をかけてしまった」
おまえのおじいさんは倒れたんだよ。
医者として生きてきたくせに自己管理もできなくて。
なんとなく恥ずかしいよ
持病も完治させないのだ
「いえいえ。おじいさんのせいではないですよ。とかく無理をなさる身ですから」
孫が祖父に聴診器をあてる。
祖父の胸をはだかせると心音を確かめる。
心電図では不整脈があるが直に心音を聞くかぎり異常とまで感じられはしない。
「おじいさん?今でも心臓がドキドキしますか。胸が圧されたりしますか」
ナースから手渡されたカルテをみる。父親の残したカルテを反復してみる。
「ああっ心臓は大丈夫だ。今は痛みも取れて楽にある」
昨夜はキリキリとしめつけられて痛かった
『狭心症』とは違ってさほど痛みはないのである。
孫がカルテを子細に見ていく。祖父はその姿に逞しき孫の晴れ姿を感じる。
うん!
祖父は医者が目覚めてしまう。
カルテが目に入る。
患者の院長も見ておきたい。
「私にも。見せておくれ。どれどれ」
カルテを手にするナースに身を伸ばした。
手を伸ばし自分自身のカルテを確かめたい。
ナースは身構えた
それは…
ひぇ~
「院長先生っ困ります。今はクランケでございます」
医院は内科専門の老舗である。胃腸などの消化器系が主だった。
「うん?いやっカルテ見ても構わないよ」
院長も副院長も心臓病は専門外医となる。
だが
現役の医学生は違っていた。
大学や大学院で医学そのものを学術的に学んでいる。
門外漢である心臓病や狭心症にさして苦手意識とかアレルギーがないのである。
祖父を診察した容態に所見を診る。
夕刻近くに帰ったばかりである。院長を診て背広を脱ぎ部屋で着替える。
お手伝いさんが呼ぶ。
「お坊っちゃんお風呂が先でございますか」
夕食はお好きな中華を用意してございます。
「そうだなっ風呂にする。長い電車の移動だったからリラックスしたいな」
湯船につかり汗を流す。
ゆったりとした我が家の風呂は極楽である。
学会や研究室ではなにかと上司に神経をすり減らしている。
「まったく教授さんは好き勝手なことばかり言うからなあ」
世間知らずの白い巨塔は我が儘な人種の温床だった。
若手大学院生はどう対処をしてやるべきか。戸惑いだけである。
「あの老教授はじいさんとたいして変わらない年齢だろう。意固地になって議論の余地もありはしない」
歳を取れば頑固者になるのか
頑固者が教授になるのか
「まあっいずれにしても大学は定年退職がある。しばらく我慢していたら」
頑固者の教授はきれいにいなくなる。
頑固よさらば!
ひとり笑いながら湯船を出るとする。
うん?
頑固者が去る
祖父の院長も同類ではないか
笑い飛ばした頑固な教授は心臓医の権威である。
「風呂あがりに教授の論文を見てみるか。なにかヒントがあるかもしれない」
頑固者は心臓に毛が生えている(嘘)
それまでは専門の分泌内科以外に心臓など興味のカケラもなかった。
おじいさんの心臓は治せるのか
高齢者における心臓病は安静は保つが完治などしないのである。
ペースメーカーを備え付ける。
最悪は移植である。
「心臓移植が最終治療になるの?げっハートアタックは御用心だな」
頑固教授の心臓研究論文は細かく綴られ心臓の病症例が挙げられていた。
「おじいさんの症例はどれになるんだ」
インターネットを夢中でクリックしてしまう。
「うん?そんなバカな!」
リビングからはお手伝いさんが盛んに"夕飯ですよ"と呼ぶ声も気にならないのである。
翌朝の医院は朝日に照らされていた。
どこまでも広がる日本庭園は手入れが行き届き目映いばかりである。
松並木が調う庭園の並木沿道に黒塗りの高級車が駐車されていた。
「うん?ここはどこなんだ」
車内でうとうとしていたマネージャーはハッとしハンドルを握りしめる。
うん?
「お目覚めになられましたか」
おはようございます。
早朝から空調が心地よい車内は快適そのものである。
目が徐々に開くと…
都心とは思えない眺めの景色がわかった。
一面に広がる緑の庭園には見覚えがあった。
「おいっなんだって…」
はあっ
なんだ?
マネージャーはこっくりと頷いた。
「先生っお腹が空きましたね。近くの喫茶店でモーニングいたしましょうか」
これは…
一本マネージャーにやられたっ!
「今は…何時なんだ」
医院に勤めるお手伝いさんは時間にキッチリした人である。
毎日定時に台所仕事をしている。
お手伝いさん
幼少からなにかと双子を気にしてくれた"味方"である。
朝はお勝手口で忙しくしているはずである。
「その庭をまっすぐ走ってくれ。玄関が見えたら脇の駐車場に止めてくれ」
時計を見れば
朝配達の牛乳を取りに勝手口から出てくる時間帯である。
婆やに逢いたくなった。
勝手口から出てきた中年女お手伝いさんが見えた。
パァ~ン(クラクション)
びっくりする。
「婆や!元気そうだなあ」
ひぇ~
クルマから降りたのは今をときめくトレンディ俳優である。
さぞやお手伝いさんも予期せぬスター登場に驚き。
であろうかと思いきや…
「あれまっあ~お坊ちゃん!嫌ですよ朝早くから。まだ炊飯器は切れていませんよ」
朝食の準備が整ってからお部屋をお呼びいたしますわ。
医院に住む双子の弟と間違えられてしまった。
ばあや~俺さ!
「誰かと間違っているよ」
えっ!
おやっまあっ
二卵性双生児
「お坊ちゃんはお坊ちゃんでも。お兄さまではありませんか!」
兄に気がついたお手伝いさん。あんぐり口を開けて久しぶりに家出中の長男を知る。
そのの手をグイッと引っ張る。
「お坊っちゃま何をなさいますか!もう大人なんですから。婆やに悪戯はいけません。もうっ!旦那さまに言いつけますですよ」
子供時代にイジメられたことを今更ながら苦情である。
「婆やっ!いいから。なんでもいいから早くクルマに来いよ」
倒れたおじいさんはどんな容態なんだよ
「旦那さまでございますか。一晩ぐっすりお休みになられています」
副院長先生やお坊っちゃまがつきっきりでございます。
集中治療でいらっしゃいます。
すぐに快復でございます。
「ふたりとも名医でございます」
ふたり…とも
医院の男は名医ばかりか
目の前にいる"兄以外"は
全員が医師で名医だけど
お手伝いさんの何気無い一言だった。
カチン!
「親父と(弟の)"アイツ"が名医ねぇ」
プライド高い兄。双子の弟の医学部進学は風の頼りで知る。
※週刊誌の特集"大学進学者名簿"に医学部合格者としての記載を見ていた。
「お坊っちゃま。お家にお入りください。大旦那さまは心配でございましょう」
院長先生(祖父)に顔を見せたら元気になられます。
「副院長先生(父)もでございます」
父親が嫌なら…
「奥さまでしたら。裏からこっそりと(お逢いしますか)」
兄が家出したのは高校3年の夏休みである。
幼少から乳母のように双子の兄弟を育て上げたお手伝いさんは気安いのである。
院長や副院長はほとぼりがさめたら帰ってくると冷たく家出少年を探しもしなかった。
「お坊っちゃま。私は心配で心配でたまりません。いつお帰りになられますかっと毎晩泣いておりました」
お坊っちゃま
奥さまは心配されています。
「せめて奥様にお顔をお見せくださいませ」
"兄さまを逃がしはいたしません"
今度は逆に手をぎゅうぎゅう握りしめ逃げない算段をする。
医院を捨てて家出した不肖な息子が帰っていくには障害物がある。
「旦那さまは話のわかる方でございます。いつまでもお坊っちゃまをとやかく申しません」
さあっ
私と一緒にリビングに参りますよ。
「私は朝食の準備途中でございますからね。早く戻らないと心配されますわ」
運転席のマネージャーさまも一緒に朝食をどうぞ。
「お坊っちゃまを連れて来ていただいたのでございますね」
グゥ~
ふたりともお腹の虫が知らせた。
医院の検査室は一晩中蛍光灯が点いていた。
昨夜にクランケから取り出した細胞切片を反射顕微鏡で熱心に眺めると腑に落ちないことがわかってしまう。
「僕は医学部時代に細胞学など苦手な分野ではなかった。セルの分割課程を単に追い求めるだけのこと」
病理的な現象は顕微鏡の中だけで充分に理解できるのである。
「違う!違うんだ。頼む違っていてくれ」
深夜に取り掛かり始め早朝まで細胞との格闘は続いていた。
「そんなことがあるはずはない」
病理学的医療の判断を自らが下さなければならない。
"誤診である"
自らの医療診断は誤診だと切に願う。
未熟な医師ゆえに。経験浅いゆえに誤診を診てと
ところが
国立大医学部を首席で卒業をした男の診断は間違いがないと実証である。
心臓疾患症例を照らし合わせていく。
ひとつふたつと疑問符がついてしまう。
"合併症の可能性"
高齢者だから細胞の再生がなされにくい。
祖父の年齢だから"心臓を巡る血液に不可解な点"があるのだ
高血圧は血液循環器に様々な支障を与えてしまう。
そして…
《癌細胞》に疑わしき…
「病理学は僕には専門外だ。単に教科書から引用をした知識を持って顕微鏡を眺めているだけなんだ」
検体をするクランケ(患者)は紛れもなく祖父の院長体である。
「細胞なんてものは医師の識別方次第でどうにでも見えてしまう。一概に細胞がおかしく見えたとして軽々しく病理判断できない」
癌細胞発見は気のせいであることを神に祈りたい
トントン
早朝の検査室をお手伝いさんがノックする。
「お坊っちゃま。お早いのでございますね」
早めにリビングにおいでくださいませ。
お手伝いさんはそっと弟に耳打ちをした。
「ナニッ!兄貴が帰ってきたのか。何でこんなときに」
祖父の病状が思わしくないこのタイミングで。
医院にしてみると一難去ってまた一難である。
大学院生を悩ませた顕微鏡下の細胞切片のプレパラート。
サンプルには患者名を適当に赤丸マジック書きして冷凍保存をしておく。
「なんで今更家出をした兄貴が医院に戻ってくるんだ」
家出したままで結構じゃあないか。
テレビドラマの中の人気ある役者をやっていけばいいじゃあないか。
祖父が怪しくなった昨今に厄介者が舞い戻ってきたのかっと舌打ちした。
「お坊っちゃま。早くおいでくださいまし。旦那さまも奥様もお待ちでございます」
久しぶりに医院のリビングには父母と一家四人が揃う運びである。
「ああっ今からいくよ」
兄貴がいる
父親と兄貴の対決
祖父が癌の疑い
朝早くからトラブルは起こるのである。




