第六章 知らない気持ち《前編》
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それから数週間、私と碓氷さんは平和で仲良しな日々を送っていた。
八月上旬 ある日の夕方、いつものようにスマイリーホームズにて碓氷さん、麗華さんとお喋りをしていた。そんなとき、麗華さんが突然言った。
「そうだ明香里ちゃん、今日 あたしの家に泊まりに来ない?」
「えっ!いいんですか?!」
「勿論!♡ それと、碓氷もね♡」
「は?行く訳ないじゃないですか。」
「なーにーよー、明香里ちゃんとのお泊まりはするのにぃ?」
「いつも『止むを得ず』なんで。」
「お願い…!碓氷が居た方が絶対楽しいんだって……!」
「いや、俺居なくても充分でしょ。」
だなんて、碓氷さんはそう言ったが、結局は泊まりに来てくれるんだろうと思っていた。
だが…………
「おじゃましまーす!」
「どうぞ〜♡」
碓氷さんは来なかった。
「…どうして来てくれなかったんでしょう…。」
桔梗家に上がらせてもらいながらも、私は残念な気持ちで麗華さんに続いてリビングへ向かう。すると、麗華さんは振り返ってSっ気のある表情で笑う。
「寂しいの?」
「寂しい」…?…………そんなの………
「…当たり前じゃないですか…。麗華さんと二人も勿論 楽しいですが、碓氷さんが居た方が楽しいに決まってます。人数は多い程、盛り上がるんですから。」
そうやって思っていることを正直に言うと麗華さんは、突然「スマホ貸して!」と私に手を差し出した。
不思議に思いながらも私は「どうしました?」と麗華さんにスマートフォンを渡す。
「パスコードは?」
「『0213』です!」
そう答えて数秒、麗華さんは何やら私のスマホを操作していた。何をしているんだろうと見ていると、電話がかかってきた。そして、麗華さんは画面の応答ボタンに触れて、スピーカー設定にする。
すると……
『大丈夫か笹野?なんかあった?桔梗さんは居ないのか?』
私のスマートフォンからは、焦って早口になった碓氷さんの声が聞こえてきた。
麗華さんはその声を聞いて、私と碓氷さんとのトーク画面を見せてきた。そこには、今さっき麗華さんが送ったであろうメッセージが映っている。
『碓氷さん』
『さみしいです』
『会いたいです』
勝手に送られてしまっていた言葉に驚いて、思わず麗華さんの顔に視線を移す。麗華さんは得意げにウインクをした。
勝手に送られたが、まあ困ることは無い。だって、それは本当に思っている事だったから。
だから、私は安心させるように笑顔を零して言った。
「大丈夫です。なんともありません、今のは麗華さんが勝手に送ったものなので。でも、碓氷さんに会いたいのも事実です!」
碓氷さんも、私の言葉に照れて笑顔になってくれると思っていた。
だが…………
『………。』
電話の向こうは、暫く無言になってしまった。そして、漸く何か聞こえたかと思えば、それは大きなため息だった。そして、碓氷さんは低い声で言う。
『くだらねぇ…。』
そんな声がこちらへ届いた直後、電話は無慈悲な音を立てて切れてしまった。
気まずそうな顔をした麗華さんと目が合う。
「……ごめん、明香里ちゃん…。碓氷を怒らせたい訳じゃ無かったの……。」
「いえ、お気にならさず!ですが、後で碓氷さんに謝らないとですね。」
「そうだね…。」
それから、碓氷さんには時間を置いてから謝ろうということになったのだが…………
「そもそも碓氷さんは、どうして怒ったんでしょうか。」
私は碓氷さんが怒った理由が分からなかった。そんな私に、麗華さんは申し訳なさそうに答える。
「からかわれたのが嫌だったんだと思うわ…。」
「『からかわれた』?私、別にからかってません。」
「明香里ちゃんはね。でも、あたしがからかっちゃった。」
…………ん?どこでどう からかったんだ…?
「からかってなくないですか…?」
どうしても気になった。だって、麗華さんは私の思っていることをそのまま碓氷さんへ伝えただけだ。何もからかってなんか無いだろう。ただただ、首を傾げる私に麗華さんは教えてくれる。
「からかってたわ。明香里ちゃんの思う『会いたい』と私の想像する『会いたい』は違うの。」
「……?…はあ…。」
「碓氷はきっと、私の想像する『会いたい』を想像したのよ。でも、明香里ちゃんが言ったと知って、『会いたい』の意味合いは違うって気がついた。悲しかったんだと思うわ。」
「…………?」
……つまり…………私の思っている「会いたい」と、碓氷さんの思っている「会いたい」は違うということ…???そして……碓氷さんの「会いたい」は、麗華さんの思う「会いたい」と同じ…………。
「会いたい」の意味って一種類だけじゃないのか……???
「………うーん…何だか難しいですね…。大学で習った数式みたいです…。」
そう呟くと、麗華さんは困ったように笑った。
「まあ、明香里ちゃんにはまだ早いのかもしれないわね。」
それから私たちは、飲み会の前にお風呂に入ることになった。
二番目の麗華さんがお風呂に入っている最中、私はワクワクとしながら穂華ちゃんの部屋へと足を踏み入れる。
その瞬間……私の身体は甘い花の匂いに包み込まれた。
「明香里ちゃ〜ん!会いたかったよ〜!!」
穂華ちゃんが嬉しそうに私に抱きついたのだ。私は考える間もなく、穂華ちゃんの肩に腕を回した。
「私も会いたかったです!」
暫く抱き合って、胸の奥がお風呂上がりのようにあたたまった頃に私たちは離れる。そして、穂華ちゃんが可愛らしく笑いながら尋ねた。
「はげちゃびんとは上手くいってる?」
「はい!上手くいってますよ。さっき喧嘩?はしましたが。」
「そうなんだ〜!『喧嘩するほど仲がいい』って言葉もあるし大丈夫だよ♡」
「そうですね!」
「明香里ちゃんは、はげちゃびんのこと好き?」
「大好きです!」
「いいねぇ〜♡」
なんて嬉しそうに笑う穂華ちゃんの顔を見て、私はふと思い出した。碓氷さんの前には幽霊が現れないということを。
「ほのかも、はげちゃびんの顔 見てみたいなぁ〜。」
「あ、写真ありますよ!」
穂華ちゃんの一言で意識が引き戻され、私はスマートフォンを起動して碓氷さんの写真を探す。そして、映画を観に行った日に二人で撮った自撮りを穂華ちゃんへ見せた。
すると、穂華ちゃんは一瞬、動きを止めてから数秒後……
「わぁ〜…!イケメ〜ン!!♡」
瞳をキラキラと輝かせた。
「やはり穂華ちゃんの中でも『イケメン』の部類に入りますか。」
「そりゃあ入るよ〜!明香里ちゃんはイケメンだと思わないの?」
「思わな…………くは…無いですね…。」
改めて見てみたら、碓氷さんはカッコイイのかもしれない…。眉毛だって整っているし、ヘーゼルの瞳も綺麗だ。鼻も高くて、フェイスラインだってくっきり出ている。
……うん。確かに全体的に整った顔をしているのかもしれない。
……初めて会った時は、嫌な人だと思っていたから何度見ても良い顔には見えなかった…。やっぱり、好感度って結構大切なんだな。
なんて考えながらも、改めて画面の中の碓氷さんの顔を眺めていると……バスルームの方から麗華さんが出た音がした。
その音に私たちは二人して顔を見合せた。そして、穂華ちゃんが「戻らなきゃだね。またね明香里ちゃん。」と少しだけ寂しそうに笑った。
「はい!また。」
「いや〜、本当に久しぶりですね!こんなふうに麗華さんとお家でご飯食べるの!」
「だよねだよね〜!明香里ちゃんが来てくれて嬉しいわ〜♡ そういえば、碓氷と何か関係の変化はあった?!」
「『関係の変化』ですか…。取り敢えず、仲良くなったのは確かです!碓氷さんってとっても可愛いですよね〜!♪」
「あー、わかる〜!でも、女は男に『可愛い』って思ったら終わりらしいわね〜。」
「『終わり』?何が終わりなんですか?」
「『沼』にハマっちゃうのよ。一度『可愛い』なんて思ったら、もうその沼から抜け出せなくなっちゃうの。」
「そうなんですか?!まさかそんな恐ろしい落とし穴があったとは…!」
話が盛り上がったことで私と麗華さんはその後も、他愛もない話を繰り広げていた。そして、晩御飯後のお酒タイムで…………
「あー!碓氷に謝んの忘れてんじゃん…!!!」
麗華さんが思い出したことで、私たちは急いで碓氷さんに電話をかけた。因みに、麗華さん曰く私からの電話じゃないと出てくれないらしいので、電話をかけたのは私のスマートフォンから。
私たちは、確かに「碓氷さん」という項目をタップした。だが…………
『……もしもしぃ?』
なんか、電話の向こうから聞こえる声はふにゃふにゃであった。
「…あれ……どうした碓氷…?」
私と顔を見合わせながら、麗華さんはそう尋ねる。すると、碓氷さんはふにゃふにゃな声で『ききょーさんかよ…。』と呟いた。
『……ささの は…いないんですか…?あいつ、らにしれますぅ……?』
「私ならここに居ますよ!というか、碓氷さんもしかして……酔ってます?お酒お嫌いなのに珍しいですね。」
『……ん…ほろよい飲んれる…。れんしゅーしてんだよお……。』
「『練習』…ですか?」
何故、お酒を飲む練習をする必要があるのかと首を傾げていると……私の耳には、甘えるようなうっとりとした声が聞こえてきた。
『……ささのとのんでみたいから…。』
あまりの予想外の答えに、私と麗華さんは思わず顔を見合わせる。そして……同時に満面の笑みになった。
「え〜!私のために練習してくださってるんですか〜?!碓氷さんったら可愛いですねっ♡」
「やぁだぁ〜♡ 明香里ちゃんのこと好きすぎ〜!♡」
『…うるへー………かわいいとかいうな…。』
「碓氷さん!会いたいです!」
『……ならくれば…?…おれも…………ささのに会いたい…。』
「よし!では麗華さん!今から行きましょう!」
そう言ってワクワクとしながら私は席を立ち上がるが………
「…あたしたち お酒飲んじゃったから、運転できないわよ?」
…そう言われてしまった……。私は静かに椅子に座り直す。
「確かにそうですね…。あの距離を歩くのもキツイですし、今日は会えません碓氷さん……。」
『…んだよ………。きたいさせんな…。』
低音の囁くような声が、私の耳を擽る。
やばい…!酔ってる碓氷さん可愛すぎる…!!!なんか新鮮だからドキドキしてきた…!!何だか、突然の甘えん坊碓氷さんに、頭が沸騰してしまいそうだ……。
「碓氷さんも泊まりに来ればよかったのに…。」
なんて嘆いてみても、電話の向こうからは何も聞こえてこない。だが……暫く待つと…………
――すぅ………すぅ…………
静かな寝息が聞こえてきた。酔いが回って眠ってしまったのだろう。
だけど、小さく聴こえた。
『………やっぱり…おまえの声、すきだ……あんしんすr…………。』
その瞬間――私の心臓が、これまでに無い程に暴れ回った。心臓が激しく動いているのを自覚する。頭からつま先までの全身が熱くなっていくのも。
麗華さんは、ただただ目を丸くして私を見つめている。恐らく「聞こえた?!」と訊きたいのだろう。私の心臓の音が麗華さんに聞こえている訳じゃあるまいし。
だけど、私には麗華さんを見つめ返す余裕も無かった。この不可解な動悸をとにかく早く抑えようと、ただテーブルの木目を眺めていた。
そして……
――テレンっ
気がつけば、自分で電話を切っていた。そこで、漸く麗華さんは私の異常に気がついた。
「明香里ちゃん?」
何故か少しだけ嬉しそうに、私の顔を覗き込む。
回らない呂律で甘えたように言う碓氷さんの可愛らしい声が何度もぐるぐると駆け巡っている私の顔を…。
「私も…酔いが回ってきてしまったようです。」
若干震えた声でそう笑うと、麗華さんは嬉しそうに笑って私の頭を撫でてくれた。
その夜の就寝前、私はベッドに寝転がって穂華ちゃんとお話をしていた。
「それでねー、明香里ちゃんが見せてくれた はげちゃびんが、あまりにもイケメンだったから ほのか、さっき はげちゃびんの家まで見に行ったんだけどね〜」
「ん?ちょっと待ってください?なんで穂華ちゃん、碓氷さんの家を知って――」
「だけどね、近づけなかったの。超〜見たかったのにな〜!マジ悲しい…!!」
「いやそこではなく……――あ、そういえば…どうして近づけないんですか?碓氷さんと居ても、いつも幽霊が現れないんです。」
最近気になり始めた謎について尋ねると、穂華ちゃんは「あー」と呟いてから教えてくれた。
「幽霊が嫌う性格だからじゃないかな。」
「『嫌う』…?幽霊に嫌われやすい性格って、具体的にどんな性格なんですか?」
「えっとねー、確か〜…基本的に無慈悲だったり、共感性が薄かったり、現実的だったり、人間嫌いだったり!」
「ん?碓氷さんは無慈悲でも共感性の薄い人でもありませんよ?」
疑問に思ってそう零すと、穂華ちゃんは「ま、判断はパッと見だからね。案外、あの世も大雑把なの。」と可愛らしく笑った。
「なるほど…。」
「つまり、はげちゃびんは幽霊界で言う『ゴキブリ』ってこと☆」
「何だか、碓氷さん可哀想ですね…。」
「でもさ、はげちゃびん 明香里ちゃんとかなり相性良くない?明香里ちゃん、はげちゃびんの隣に居れば幽霊なんて見なくて済むじゃん!」
「そうなんですそうなんです♪ 性格も反対だと思ったら案外、似通った点がありますし♪」
「運命かもよ…!!」
「『運命』…確かにそうかもしれませんね♪ 碓氷さんと私が出会うのは、必然だったのかもしれません。」
真逆のようで似ている私たちだからこそ、通じ合える…とか、一生の心の友…とか……物凄く素敵だ…!!本当に私と碓氷さんは運命なのかもしれない…!!
そう思うとつい嬉しくなって、笑みを零していると、穂華ちゃんもなぜだかとても嬉しそうに笑ってくれた。そして、ボソッと呟く。
「早く付き合っちゃえばいいのに。」
・・・。
ん?
「そういう恋愛の気持ちはありませんよ?」
変な誤解をされていると思ったので、ハッキリと答えると……
「…?!!」
穂華ちゃんは、本気で「ガーン!!」というようなとても驚いた顔をした。そして、残念そうに私へ訴える。
「え〜…なんでなんで…?!!好きになっちゃえばいいじゃん!」
「いやぁ…好きになろうとして好きになるのも、なんか違いますし…。」
「う〜ん……まあ…そっか……。恋愛の『好き』になったら、穂華にすぐ教えてね!いつでも相談乗ってあげるから!」
この先、誰にも恋愛感情は抱かないと思うけど……
「はい!ありがとうございます!」
私は、単に穂華ちゃんの優しさが嬉しかった。満面の笑みでお礼を言ってから、私は思う。
「そういえば、『恋をしている』というのはどういう状態のことを言うんでしょう…。それすらも分かりません。」
ただの疑問だった。分からないから、穂華ちゃんに訊いてみよう。そんな簡単に出た疑問だった。
けれど……穂華ちゃんの嬉しそうな答えに、私はドキンと大きな音で胸を鳴らした。
「えっとね〜、その人と居ると顔が熱くなったり〜、ドキドキしたり!触れたいって思ったり!凄い安心するのも一応『恋』だよ!」
な………なん、だと……。
「わわわ私っ…もしかしたら碓氷さんに『恋』を……」
「えええええ!!!マジでマジで?!!早く告っちゃいな!!♡」
「四項目中、三項目当てはまってます…!常時という訳ではありませんが…恋ですかね?!」
「じゃあ気になってる状態だね!きっとすぐ好きになるよ!告っちゃいな!!♡」
「告っちゃいますか!!」
なんて、私にも恋が出来るんだと有頂天になっていたが……
「あ………」
碓氷さんは、私とそういう関係は求めていないことを思い出した。
碓氷さんがよく口にする「友達」という言葉……。それには…お前とは恋愛関係にはなりたくないという意味なのではないか…。
そもそも、碓氷さんは恋愛なんか嫌いだというタイプなのでは無いか……。
………碓氷さんに迷惑をかける訳にはいかない。
よし、この事は全て忘れよう。
「気の所為でした。」
そう笑うと、穂華ちゃんはとても残念そうに「え〜!」と声を上げた。
「なに『気の所為』って〜!」
「ドキドキしたかと思いましたが、一度もそんなことありませんでした。」
「そうなの?!そんなことある?!」
うん、「気の所為」と言えば気の所為な気がしてきた。ドキドキとかも多分、思い込みだろう。
「今日はもう遅いので寝ましょう。」
「まだ十一時だけど?!」
「眠くなってしまいました。お酒の所為でしょうか。」
そう呟いて目を閉じると、少し拗ねた声が聞こえる。
「…おやすみ。」
「おやすみなさい、穂華ちゃん。」
たった今気がついたつもりだったことは、やはり勘違いだろう。人に恋愛感情を抱いたことの無い私が、碓氷さんを好きになるとか有り得ない話だ。不可解にも程がある。碓氷さんを困らせる訳にはいかないし。このことは忘れよう。
オブリビエイト。
その翌日の金曜日。私はいつも通り、スマイリーホームズに遊びに来ていた。
「こんにちは、碓氷さん。」
いつものように笑顔を零して、デスクワーク中の碓氷さんへ話しかける。すると、碓氷さんもニコッと笑って「おう。」と答えてくれた。
そういえば…碓氷さんは、昨日のあの酔っ払い事件は覚えているのだろうか。
「碓氷さん、昨日のことは覚えてますか?」
好奇心でそう尋ねると、碓氷さんは当たり前のように答える。
「あぁ、笹野が桔梗さんの家に泊まったんだったな。」
「はい、そうです!」
その先の言葉を期待して、ワクワクと心を躍らせながら碓氷さんを見つめるが……
「……そんで?」
「何が言いたいんだ?」とでも言うように、碓氷さんは首を傾げた。
忘れているのか。まあ、結構酔ってたもんね…。
「電話をかけたときに、碓氷さんが仰いました。『笹野に会いたい』と。」
「……電話なんてかかってきてねぇけど…?」
私の言葉を聞いて、案の定、碓氷さんは不思議そうに額に皺を寄せた。
「では、昨日の碓氷さんは誰なんでしょうねぇ?」
なんて笑うが、碓氷さんは「誰だろうな?」便乗するだけ。そして、視線を左上にしてから、何か気がついたように私を睨む。
「言っておくけど、俺に嘘ついたってすぐバレるからな?」
「嘘なんかじゃありません。昨日、『笹野と飲んでみたいから、ほろよいで練習してる』と仰ってたんですから。」
その言葉で、漸く碓氷さんは驚いたような顔をした。
だが……
「…いや……無い無い無い無い。」
すぐにそんな顔を引っ込めさせ、必死に首を横に振った。
「だっ…だって俺、お前に会いたいとか一回も思ったことないし…。」
そう否定する碓氷さんの頬は、熟れたりんごのように赤く染まっている。そして、そんな碓氷さんの瞳には、戸惑いが隠されているようにも見えた。瞬きの回数も明らかに増えているのがわかる。
「恥ずかしいんですか?碓氷さん♪」
やはり碓氷さんは可愛い。ツンデレだ。
「恥ずかしいも何も記憶無いし有り得ねぇしっ」
どうやら恥ずかしくて顔が見れないようだ。急いでデスクに向き直し、キーボードをカタカタと操作している。
「……ほら、早く帰れよ仕事の邪魔だ。」
「お酒は人の本性を表すって言いますもんね♪ 凄い甘えた声で仰ってましたよ♪『笹野の声が――』…」
途中まで言いかけて、私の口は動かなくなった。また、胸がドキンと物凄い音を立てたのだ。
この先を言ってしまえば…と考えるだけで、私の鼓動は有り得ないくらいに速くなる。
急に言葉を止めた私を見て、碓氷さんは不思議そうにしていたが、すぐに悪戯げに笑った。
「『笹野の声がガキっぽい』って?そりゃあ毎日思ってるから言うだろうな。」
どうやら形勢逆転のようだ。碓氷さんの悪戯っぽい笑顔に全身が熱くなっていく。だが、碓氷さんはそんなことには気がつかず「ほらな。」と笑う。
「俺を嵌めようとしたって無理なんだよ。」
……なんで…。
…………なんで前よりドキドキするようになってるんだ…?!!
一瞬でも認めたから?!!いや、でもあれは勘違いだった筈…!!!よし、話を変えよう!この顔は苦手だ!きゅんとか変な音がする!!!
「…それはそうと碓氷さん、今度飲みに行きましょうよ。」
そう言った私は思ったよりも変な顔をしていたようで、碓氷さんが少しビビったように「お…おう…。」と返事をした。
「なんでそんな睨むんだ…?」
「睨んでますかねェ…?私はただ、気を紛らわせよゔどォ…」
「……悪魔みたいな声だぞ…。」
「そゔですかァァ…?」
ガラガラ声でそう返すと……麗華さんが丁度よく戻ってきた。
「わっ…!明香里ちゃんどうしたの凄い殺意感じるわよ…!!」
なんて、くだらない――でもめちゃくちゃ楽しい茶番を繰り広げていると……
「碓氷くーん。」
入口の方で誰かが碓氷さんの名前を呼んだ。三人一緒に振り返ると、前に見たとても綺麗な女性職員さんが。
「あっ…!あの方です…!前に言った綺麗な人…!!」
なんて騒ぐ私を無視して、碓氷さんは「なんですか。」と席を立ち上がる。
そして……突然、立ち止まって全ての動きを止めた。まるで、息までも止めているかのように。
あの女性の美しさに息を呑んだのかと思ったけれど、碓氷さんの視線の先はその隣に居る金髪の女性。
「お客さんだよ。碓氷くん、こんなに綺麗な彼女いたんだね。」
そう優しく微笑んだ女性職員を無視して、碓氷さんは急ぎ足で金髪の女性の前に立つ。
会話は聞こえないが、二人は何やら喧嘩でもしているようだ。金髪女性が強気だからか、少しだけ碓氷さんが弱く見えた気がした。
「あの方はどなたですか?クレーマーですかね…?」
小さな声で麗華さんへ尋ねると、コソッと教えてくれた。
「碓氷の元カノよ。」
「元カノ…何だか仲があまり宜しくなさそうです…。」
「明香里ちゃん助けてあげなよ。あの子『やっぱり相手いないんなら寄り戻してよ!!』って言って怒ってるから。」
「じゃあ!相手がいればお帰り頂けるってことですね!──って…碓氷さんはどういう意見なんですか?」
「碓氷は、『悪いけど寄りなんか戻さないし、帰ってくれ。』って意見よ。」
「なるほど…。」
碓氷さん、困ってそうだしな。このまま行くと大喧嘩になる可能性も……
「それならお帰り頂いた方がいいですね!」
そう言って喧嘩をしている二人へ駆け寄った私は、碓氷さんの腕をグイッと引いた。そして、少し強めの口調で言う。
「この人はダメです!なんせ、今、あそこの超絶美人な麗華さんという方と付き合ってるんですから。お帰り下さい。」
麗華さんの居る後ろから「エッ?!」と声が聞こえてくるが……隣から小声で「おい…!何馬鹿なこと──」と聞こえてくるが……得意げに金髪の女性を見上げていると…………
――バチンっ!!
目の前で、碓氷さんが思い切りビンタされた。
碓氷さんは、ビンタされた勢いで顔を背けるが、声を荒らげて女性に怒鳴ることはしなかった。
だけど、「だっだだ大丈夫ですかっ…?!!」なんて私の声にも応じない。ただ、静かに叩かれた頬を押さえて床を眺めるだけであった。
そんな碓氷さんを女性は鋭く睨み、「律月って、何年経っても性格悪いまんまなんだね。」と吐き捨て、スタスタと店を出る。その直後に、麗華さんがこちらへ駆け寄ってきた。
「ちょっと碓氷大丈夫?!」
そうやって心配そうに碓氷さんの肩を触る麗華さんにも、碓氷さんは反応しない。私は妙に静かな碓氷さんを不思議に思って、そっと顔を見つめていた。
すると……何となくだが、碓氷さんの瞳には涙が滲んでいるような気がした。
「あれ…」と思った頃には、その顔を隠すように碓氷さんはスタッフルームへと歩いていってしまったけれど。
碓氷さんの苦しそうなあの顔が、どうしても引っかかって、私はただ ぼーっとしていた。すると、麗華さんが優しく私の頭に手を載せる。
「ごめん。あたし仕事があるから、明香里ちゃん裏行って手当てしてくれる?」
「あっ、はいっ…!」
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泣きそうだったのを気づかれてしまった、また誰かの心を深く傷つけてしまった、あいつにまたかっこ悪いところを見られてしまった…なんて、いくつもの「恥」を頭の中でぐるぐると巡らせて机に伏せていると……
――ガチャ…
ゆっくりと、スタッフルームの扉が開いた。そして「調子はどうですか?」と優しい声が聞こえる。
だけど、今の顔は絶対に笹野には見せたくなかった。絶対に情けない顔をしているだろうから。
ただ黙って、そのまま机に伏せていると……もう二言、優しい声が聞こえる。そして、正面の椅子にそっと座る音も。
「顔上げたくなったら、上げてください。いつまでも待ちますから。」
その声に安心して、チクチクと痛んでいた胸が徐々に解されていくようだった。
「……なんで顔見せなきゃなんねぇんだよ…。」
これまた情けない声で訴えるが、笹野は怒ったりはせずに相変わらずの優しい声で答える。
「手当てをしなくてはいけないので。」
「……自分でやるからいいんだよ…。一人にさせろ…お前なら察せるだろ…。」
今は………誰にも隣に居て欲しくない…。
そう思っているのに……そう伝えているのに………笹野はスタッフルームを出たりはしなかった。
「察するなんて無理ですよ。エスパーでもあるまいし。」
……何なんだよ…。察するのは得意分野だろ………。
そんなふうに俺は腹を立てていた。
多分、部屋を出ない笹野にも勿論イラついていたが、そんな笹野に安心している自分にもイラついたのだろう。「一人にさせろ」と言っているのに、一人になりたくない自分がいるから。矛盾していることが………何だか負けたようで…腹が立つ…。
だけど……
「それに、一人でいたいからって、一人にしていい訳ではありません。苦しいときこそ、一人でいちゃダメですよ。」
笹野のそんな言葉で、俺はつい顔を上げてしまった。
ぱちりと目が合うと、笹野はニコッと笑ってくれる。そんな笹野の笑顔に、何か込み上げてくるものがあった。
だが、こいつに泣き顔を見せる訳にはいかない。俺は必死に込み上げてくるものを堪えて、笹野から視線を外した。
が………
「わっ…!血出ちゃってるじゃないですか…!早く手当てしないと…!!」
笹野が大声を出した所為で、結局はまた目を合わせてしまった。
驚く俺に構わず、笹野は持ってきた医療キットから急いで消毒液とコットン、絆創膏を取り出す。そして、俺の隣に座って、消毒液を染み込ませたコットンで赤くなった俺の左頬を撫でるようにして拭き取る。
その瞬間、ピリピリとした痛みと冷たさが肌に伝わる。
「いっ…!!自分でやるからいい……。」
「ダメですダメです!!顔は自分では上手く貼れませんから!!」
手をパシッと振り払ったのにも関わらず、笹野は気にせずに俺の頬を優しく拭き続けた。
その行動で、また俺の胸はあたたかくなる。頬の傷と一緒に、心の傷も治っていくようだった。
そもそも、こいつと居るだけで心が消毒されているみたいだから、消毒液なんか必要無いのではなんて思う。
「殴っただけで血が出るとは……。」
「付けてた指輪で抉れたんだろ。」
「……痛そうですね…。」
そう言いながら、今度は優しい手つきで大きめの絆創膏を貼る。
「………それにしても……殴るとか酷くないですか…?」
そんな笹野の言葉に、俺は何も言えずに黙り込んだ。……殴られて当然だと自分でも思うからだ。
「…別に、酷くは無い…。」
「いえ酷いですよ!暴力は何があってもダメです!って……最初に碓氷さんを殴った私が言えたことじゃないんですが…。」
少し気まずそうに苦笑をしながら、笹野は医療キットを片付ける。
が………
「あー、もしかして……浮気でもしたんですか?」
直ぐに俺を睨んできた。でも、こいつなりに和ませてくれているのか、その「睨み」はいつもよりも柔らかい目をしており、悪戯っぽい笑みを浮かべている。……勿論、その「笑み」は少し鼻につくが…。
「…しねぇよ。ただ……好きになれなかっただけ…。」
そんな俺の言葉に…なのか、雰囲気に…なのか……何に驚いたのかは分からないが、笹野は少しだけ目を丸くして俺を見つめる。
「………。」
いつもは騒がしい笹野が黙っているもんだから、俺は何だか聞いて欲しくなった。誰にも話したこともない、もうひとつのトラウマを。
「……学生の頃………なんて言うかな…俺も……その…恋愛っていう…心の動くこと…?体験してみたかったんだ…。昔っから性格が悪い所為で…人に期待出来なかったし、信用も出来なかったから……。」
姉さんに見放されてから…もっと人間を信じられなくなった。「好き」だなんて何人かに言われてきたが、それは見た目だけの話で……どうせ、中身を見たら離れていくんだろうとしか思えなかった…。実際、そうだった。みんな外見だけで俺を好きになって、中身を知ると直ぐに離れていった。
だけど…………それでも、「愛」というものに俺は飢えていた。誰かに本気で愛されたい。誰かを本気で愛してみたい…。
「だから……告ってきたよく知りもしない女子と付き合ったりもした。…けど……ただ、傷つけるだけで…誰も好きになれなかった。流石に四人目でもう駄目だって思って、その後は誰とも付き合わなかったけどな…。」
何度も……何人にも言われた言葉を思い出す。
──「本当、律月って性格悪いよね。」
昔から、思ったことは率直に言ってしまう癖に素直にはなれないタイプだったから、誰も俺を受け入れてくれる筈が無かった。みんな見た目だけで俺を好きになって、やはり中身を知ると「性格が悪い」と言った。性格が悪いことは自分でも自覚しているけど……猫を被っても更に自分が嫌いになるだけなので、大人になった今でもこの最低な性格が治ることは無かった。
人を好きになれないのも、人を信用出来ないのも、きっとこの最低な性格の所為だろう。
昔から協調性も感受性も薄くて、何度も周りに失望されてきた。そんなつもりは無かったのに、何気ない発言で何人も泣かせてきた。
好きになれなかった恋人たちは、俺が別れを切り出すと、みんな「なんで好きでも無いのに付き合ったの?」と言った。最低なことをしたと自分でも分かっている。時間を無駄にさせてしまったことも、心を傷つけてしまったことも理解しているし、後悔もしている…。
けれど……俺はただ………ただ……………
「…ただ、好きになりたかっただけなのにな……。」
誰かに、外見だけじゃなくて中身を愛されてみたい。誰かを、愛してみたい。叶わないのに、子供の頃からの願望は変わらないままということに苦しくなって、俺は自分を憫笑した。
「って、なに俺は恋愛もわからない笹野なんかにこんな話してんだ。」
柄にも無く、弱音を吐いてしまったことを少し恥じながら部屋を出ようと立ち上がると――
「馬鹿なんですか?」
笹野が、そんなことを言った。
「は?」
「馬鹿」と言われたことに腹が立って思わず顔を上げると、笹野は真剣な表情で俺を見つめていた。
「いつも私言ってるじゃないですか。『碓氷さんは意地悪だけど、性格は悪くない』って。みんな、碓氷さんの優しさに、努力に、気づいてないだけです。『性格が悪い』なんて…自分で言わないでくださいよ……。」
「え…は、ちょっ……?」
俺がそんな焦った声を零したのは……笹野が涙を流していたから。俺の方が苦しい思いをしている筈なのに、話を聞いただけの笹野が「うぐっ……ふぐっ……」としゃくり上げる程、必死に泣いているのだ。
「なに他人のことなのに泣いてんだよ…。」
戸惑いながらも、近くにあった箱ティッシュから三枚ほどティッシュを取って笹野に渡すと、笹野は大粒の涙を流しながら騒ぐ。
「だってぇっ……だってっ…うすいさんっ……いいひとなんですもぉぉおん……!!」
「は?!」
「だれよりも頑張り屋でっ……だれよりもまじめでっ…口ではひどいこというのに、ほんとうは心配してくれてたりっ……たすけてくれたりっ…………ほんとうは自分がいちばんきずついてるのに…ほかのひとのことをいちばん気にかけてぇぇっ…!!!っ……ふぐぅっ………うすいさん、いいひとなのにっ………っ……うすいさんにはっそんな顔…してほしくないんですぅうう……!!!」
子供みたいに騒がしく泣いている笹野は、俺から受け取ったティッシュで鼻を覆って、ズビーッと大きな音を出して鼻をかんだ。そんな、阿呆らしい――笹野らしい行動に俺は思わず笑顔を零す。
すると、笹野は「わらわないでくださいっ…!」と怒った拍子にもう一度涙を溢した。
「……落ち着いたか…?」
泣き声が聞こえなくなったので、黙りこんで机に伏せる笹野へ俺は尋ねてみた。すると、少し掠れた声で笹野は言う。
「泣いたこと……誰にも言わないでくださいね…。」
「いつも泣いてんじゃねぇかw」
そう笑うと、笹野は顔を上げて目の下が赤くなった顔で俺を睨んだ。が……直ぐに「へへへっw」と笑顔になる。
そんな無防備な笹野の笑顔に、一瞬だけ俺の胸はドキンっと大きな音を鳴らした。
「因みに、私も好きな人とか出来たことありません。」
相変わらず子供っぽい笑顔で、笹野はそう俺へ笑いかける。
「てか、好きな人ってそんなに必要ですかね?」
「……わかんねーけど…一回くらいは作った方がいいんじゃないのか…?」
「そうですか?まあ、そんな急ぐ必要ありませんよ。いつかきっと、然るべきときに運命の人が現れてくれます。」
「………お前、その歳でまだ『運命の人』とか信じてんのかよ…。」
「いや、運命の人はいますよ!逆に碓氷さんはいないと思ってるんですか?」
まだキラキラと輝く潤んだ瞳で、笹野は睨んでくる。
「そんなの、いる訳ないだろ。いたとしても八十億分の一人が見つかる訳無い。」
「いやいやいや、それが『運命』の力で見つかるんですよ!」
俺の批判に対して笹野はとても必死な顔をして、そう主張をした。相変わらず顔がうるさい。
あぁ……
こいつのこういうところ……好きだなあ………。
…………。
「……は?」
俺は、たった今、自分が思ったことが信じられなくて、思わず声を零した。
「は?何です?」
笹野は自分の言葉に対して「は?」と言われたのだと勘違いをしたのか、額に皺を寄せる。
「あ、いや……。何でもない…。」
……今、俺………「好き」だと思ったのか…?こいつを……???
「てか碓氷さん、戻らなくて大丈夫なんですか?」
「えっ、あっ、そうじゃん…!手当てありがとな…!」
俺は柄にも無く、慌てふためいてスタッフルームを飛び出した。
仕事終わり、改めて俺は考えてみる。
俺ってあいつが好きなのか…?いや…でも………いや、ドキッとするってことはそういうことなのか…?そもそも「好き」ってなんなんだ…?どういう基準で決まるんだ…???
なんて考えていると……
「あ、碓氷さん、今帰りですか?」
タイミング良く、笹野が店に入ってきた。いつもの何も考えてなさそうな笑顔を見ると、俺の胸は再びドキンと音を鳴らす。
………。
よく分からない状況に、ただじっと笹野を見つめていると、笹野はきょとんとした阿呆面で俺を見つめ返す。その顔に、今度は何故か笑顔が零れてきた。
…………。
「もしかしたら俺、お前のこと好きなのかも。」
好きなら言わなくてはと思い、何気無く言ってみるが、目の前の俺の好きな人…?は阿呆面を引っ込めて思い切り眉へ皺を寄せた。若干、頬が赤くなっている気がするのは気の所為だろう。
「からかわないで下さいよ。」
俺の丁度肩くらいの背丈の笹野は、下から俺を睨んでいる。いつも通り、全く威圧感を感じない。
「いや、からかってる訳じゃない。」
俺の返答に、笹野はもう一度眉を顰めた。今度は不審や疑問の皺だろう。
「勘違いなんじゃないですか?あんな話をした私を、変に意識してるんですよ。そもそも、碓氷さんが私をなんて有り得ませんし、生まれてから一度も人を好きになったことが無いのに、いきなりこのタイミングに好きになるのだって変な話です。」
「あぁ…確かに……。」
こいつの言う通り、無意識に…変に意識してるのかもな…。それに、タイミングだって確かにおかしい。
「だよな、笹野みたいなガキを好きになる訳ねぇか。」
まだ少し胸にモヤモヤとした何かが残っている気がしたが、きっとさっきの余韻だろうと思って特に気にしないことにした。
「ガキは余計です!」
「てかなんで、また来たの?」
「碓氷さんの殴られた傷の状態を確認しに来ました。」
「は?いいよ一々。」
「駄目です。あれは私の所為でもあるんですから、そういう訳にはいきません。痛みはどうですか?」
「特に変わってねぇよ。ちょっとヒリヒリジンジンするだけ。」
「そうですか。悪化はしてませんか?」
「してない。」
そう正直に答えると……
「良かった。心も元気みたいですね。」
本当に安堵したように、笹野はやわらかい笑顔を見せた。その瞬間、また俺の胸はドキッと音を鳴らす。そして、同時に何故か「可愛い」という言葉が浮かんできた。
……本当に、勘違いなんだろうか…。
「お陰様でな。」
俺は、この不可解な気持ちの正体も分からぬまま、そう笑顔を零した。
「あ、そうだ。今から帰りならご飯行きません?」
「いいな。どこ行く?」
「私の行きつけの居酒屋に行きましょう。」
「ふふん」と鼻を鳴らすように自慢げに、笹野は俺を見上げる。
「行きつけなんかあったのか。言っとくけど、俺は飲まないからな。」
「そんなの分かってます。私はいつも通り、たっっくさん飲みますけどね。」
「はいはい。」
「…『笹野と飲んでみたい』と仰ってましたが、飲まないんですか。」
まだそれ擦るのか。……いや…こいつの嘘だよな…?「会いたい」とかそんな恥ずかしいこと、言う筈が無い…。でも…………笹野と飲みたくて『ほろよい』で練習しているのは事実……。…………いやいやいや、そんな筈無い。そんなこと、あって堪るか…。あったとしても、調子いいことを適当に言ってるだけだろう…。
……うん、きっとそうだ…。
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碓氷さんの元カノ来店事件から約一ヶ月後。私と碓氷さんは二人で宅飲みをしていた。どうやら今日は碓氷さんも飲むらしい。
「大丈夫ですか?酔っちゃいません?」
そう尋ねると、碓氷さんは「大丈夫だよ、練習したからな。」と答えながら『ほろよい』の缶ビールを傾ける。
「練習したんですね。」
思わず笑みを零した私の言葉に、碓氷さんはもう酔ってしまったのか頬を赤くして私から目を逸らす。
「…笹野と飲みたかった訳じゃねぇよ…。」
最近、碓氷さんは頬を赤らめることが多くなってきた気がする。もうすぐで十月も終わるのに。碓氷さんは、冬になると頬が赤くなる体質なのだろうか。
なんて思いながらも私は突然、いい「話題」を思いついた。
「碓氷さん。『もしも』の話をしましょう。」
「『もしも』?」
私のいきなりのゲームに、初めは怪訝そうに聞き返すが……
「はい。例えば……もしも、私たちがホグワーツ生だったら…」
「何それ面白そう。」
急に表情が変わった。無邪気だが悪戯げな笑顔。
私が提供した「話題」への興味からか、少し身体をこちらに乗り出す碓氷さんの笑顔に釣られて、私も更にワクワクしてくる。
「私たちがホグワーツ生だったら…関係性はどうだったでしょうね。」
普通の人なら「馬鹿らしい」なんて言うかもしれないような、「もしも」の話に碓氷さんは真面目に首を捻った。そして、如何にも真剣な顔で呟く。
「まず、笹野は人気者だろうな。セドリック並みに。」
……何だか、こちらが笑えてきてしまうw
「碓氷さんは、レイブンクローの成績優秀な監督生でしょうね。」
碓氷さんのあまりに真面目な顔に、思わず笑いそうになって「もしもの話」を続けると…
「そんで俺が図書室で一人、勉強してるときに笹野が話しかけてくる…!『いつも頑張ってますね』とか言ってきそうだな!」
碓氷さんはとても楽しそうに興奮した様子で、物語を紡いでくれた。しかも、ハリーポッターの話でテンションが上がったのか、私が飲む筈だったお酒も開けて飲み始めた。
これはノンアルでも微アルでもないけれど……大丈夫だろうか…。でも、碓氷さんが楽しそうだと、私も嬉しくなる。
まあ今日くらいは羽目を外しても問題無いだろう。いつもの碓氷さんがお堅過ぎるからな。
「それで碓氷さんは、初めは『うるさい、どっか行け』と私をあしらうんですね♪ でも結局は、毎日来る私を待ってしまう。」
「多分、お前は魔法界でも勉強は苦手だろうから、俺が教えてやるんだ。」
「いいですね…!因みに、碓氷さんの得意教科は魔法薬な気がします。」
「笹野は薬草学か…呪文学っぽいな!」
「確かに…!それか……魔法生物学も私、好きそうです!」
「ああ絶対好きだろ!色んな生物を見せてくれそうな気がする…!」
なんて調子で私たちは、延々と「もしもホグワーツ生だったら」の話で盛り上がっていた。
そして、結構な間ふたりではしゃいで騒いでいると、碓氷さんがふと言った。
「…俺たちが同じこーこーに通ってたらど〜だったんだろうな…。」
この頃にはもう既に酔いが回ってきてしまっているようで、呂律があまり回っていない。それに、ずっと笑顔。楽しそうでなによりだ。
「ささのが一年生、おれが三年でさぁ…。」
そう頬杖をついて、碓氷さんは笑顔で私を見つめる。
「きっと、出会いは廊下の角でぶつかって喧嘩したことがきっかけでしょうね。」
「そ〜だなあ〜。」
碓氷さんの回っていない呂律が可愛らしくて、ぽやんと眠そうに細めるとろんとした目が可愛らしくて、酔った時にしか見られないような屈託の無い笑顔が可愛らしくて、ほんのり染まった頬が可愛らしくて、私はつい「へへへw」とだらしなく笑みを零した。
すると、碓氷さんも同じように笑顔を見せ、暫く――本当に長い間、私を見つめた。とても幸せそうに。
そして、暫く沈黙が続いたあと……へにゃへにゃの笑顔で零した。
「かわいい。」
「えっ?」と聞き返しても、碓氷さんは嬉しそうに私を見つめるだけ。
けれど…………
「何が可愛いんですか?」
そう尋ねると、碓氷さんは無防備な満面の笑みで、私を指さした。
「……わっ…私…?」
突然の「可愛い」と意味深な言葉に、私の心臓はバックバクになる。酔っ払ったように全身が熱くなって、脳が沸騰したみたいに何も考えられなくなった。
だけど……
「えへっw私、可愛いですかねぇ〜?」
碓氷さんに「可愛い」と言われるのは、この上なく嬉しいことだった。
「あぁ、かわいくないっていうほうがおかし〜らろぉ…。」
マジか…!!!
「碓氷さんも可愛らしいです!」
「…………うれしくない。」
あんなに笑顔だったのに、私の褒め返しで碓氷さんは真顔になった。「可愛い」はダメなのか…。それなら……
「碓氷さんはカッコイイです!」
そう言い変えると……
「ふっw」
何だか得意げに笑顔を見せた。可愛いな。
「おまえはぁ〜…おまえが『キレイ』っていった あのひとよりもかわいい…。」
「ん…?」
…「私が綺麗と言った人」……?
…………!
あー!あの方か…!!いや……
「他の人を落とすのは違います!今すぐ前言撤回してください!」
あの人より私が可愛い筈ない!推しを卑下された気分で怒ると、碓氷さんも眉に皺を寄せた。
「あ?おれは事実をいってるだけらぁ…!おとしてるつもりなんかない!」
「それでも実際に落としてます!あの方に謝ってください!」
「あんであやまらなきゃいけねぇんらよ!おまえがあやまれぇ!」
「はぁぁ?どうして私が謝らなくちゃいけないんですかぁ?!」
「ささのがかわいくなかったら、こんな話にはなららかった!」
「はぁあ?!私の所為だと言いたいんですか?!というか!私があの方より綺麗だなんて有り得ませんから!」
「いいや!世間一般からみてもおまえのほーがかわいーんだよ!おまえのかわいさは、なかみもふるまれれるから!」
「へぇ〜?では、確かめてみましょう!遠藤さんに!」
「あぁいいらろぉ!」
なんて、私たちは二人してスマートフォンを手に取る。勿論、酔っ払っていない私の方が電話をかけるのが早かった。
『もしもし、珍しいね笹野ちゃん。どうした?』
そんな声が聞こえた途端、碓氷さんは負けたと思ったのか私を睨む。
「遠藤さん!愚問ですが、私とあのお綺麗な女性、どちらが可愛いですか?」
『“綺麗な女性”…?』
「はい。スマイリーホームズの職員さんです。この間、遠藤さんを呼んでいました。黒くて艶やかな髪で、正に“王道美人”というような。」
そう説明すると、遠藤さんは少し動揺した様子で『高坂さんのこと…?』と尋ねた。
「あぁ!きっとそうです!そんな名前してそうです!」
『高坂さんと…えっと……笹野ちゃん…どっちが可愛いかって…?』
「はい!」
『え…そんなの……ごめんだけど高坂さんに決まってる…と思うよ?オレはね…!ほ…ほら、碓氷とかは多分笹野ちゃんがタイプだと思うし…。』
遠藤さんのフォローも混じえた回答を聞いて、「そうですよね!」と言いかけたところで……
――プルンッ…
「………。」
………碓氷さんが、勝手に電話を切った。そして、相変わらずの呂律で「こいつは はなしにらんねぇ…。」と呟く。
そして……もう一度私の顔を暫く見つめて…………
「……かわいい…。」
なんて、ため息混じりに零した。
「ありがとうございますっ♪」
やはり、普段はあまり褒めない碓氷さんに褒めて貰えると嬉しい。私が笑うと、碓氷さんも甘ったるく笑った。
「……かえりたくねぇなぁ〜…。」
「それなら、泊まっていったらどうです?」
そう提案してみるが、碓氷さんは今度はテーブルに顔を預けて「…んー……。」と唸るだけ。
……これじゃあ一人で帰れないもんなぁ…。でも………
「碓氷さんが泊まってくださったら私、とても嬉しいです。」
碓氷さんとは、まだ一緒に居たい。そう思って笑顔で伝えると、碓氷さんは顔を上げた。そして、何も言わずに私の瞳をじっと見つめた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
最初は敵対心剥き出しだった二人の関係を少しずつ変化させていくのが、書いていてめちゃくちゃ楽しいです。
よろしければこれからも、この不器用で純粋な二人をあたたかい目で見守ってくれたら嬉しいです✧*。
ちなみに、今日(3月16日)は、律月の誕生日です!おめでとう律月!
皮肉屋な彼ですが、心の中では照れながらも皆さんの応援を喜んでいるはずです(*ˊ˘ˋ*)
想像するとかなり可愛らしいですね…(っ`ᵕ´c)
そして、明香里の誕生日はまだ決まっていません!
「明香里はこの月日っぽいなぁ〜」というイメージがあれば、ぜひ「感想」から教えてください!皆さんの案から決めちゃうかもしれません…!
面白いと思った方は、ぜひ感想やブックマークをお願いします!
次回もよろしくお願いします!
※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。




