第四章 救済《後編》
前回の「救済《前編》」の続きです!
まだ前編を読んでいない人は、そちらから読むことをおすすめします。
それから数日後。私は仕事終わりに物件探しの為、スマイリーホームズに向かっていた。
最近は毎日通っている。今日で全ての内見が終わるらしい。現段階でも、いい物件が五つ以上あるのでよく考えて決めなくては。なんて思いながら、まだ明るい十七時の空をぼんやりと見上げて歩いていると……
目の前に、夏とは思えないような厚着をした女の人がこちらへ歩いてきた。
そろそろとすり足気味に歩く女性は、私の目の前で立ち止まって「あの…」と生気のない声で零す。
――幽霊だ。
異様な程の青白い肌と、透けている身体を見て分かった。
だけど……害は無さそうだ。
「…なんでしょう?」
少し緊張気味に尋ねると……女の人は小さな声で言った。
「朝咲病院って……。」
……迷子の幽霊…?
「ちょっ、ちょっと待ってくださいね…!方向音痴でよく分からないんで、調べてみます…!」
若干震える手で、私はスマートフォンを起動し、Googleマップを開く。そして「朝咲病院」と入力をした。すると、検索結果には「閉業」と表示されていた。
「……潰れちゃってるみたいですけど…」
正直に伝えると、女性は変化の無い哀しそうな表情で「それでもいいんです。」と答える。
「それじゃあ………案内の仕方分からないので、一緒に行きましょうか!」
方向音痴の私には言葉での案内は難しい。だからそう笑うと、女性は顔を上げ、私を見つめた。
「……お願い…します…。」
「ちょっと待っててくださいね!電話をかけなくてはいけない人がいまして。」
そう言いながら、私はスマートフォンを操作して碓氷さんへ電話をかける。
暫く呼出音が鳴ってから、碓氷さんは出た。
『もしもし、どした?』
「あ、碓氷さん!今、道案内を任されましたので、少しいつもより遅くなってしまいます。その連絡を。」
「予約している」とは言っていないが、いつもお店に入って直ぐに、あの人気の碓氷さんに対応して貰っているので、碓氷さんがあちらで予約をしてくれているのかもしれない。そうなると、いつもの時間より遅くなると碓氷さんに迷惑がかかってしまう。
そう思って、私は熱を出した翌日の夜に交換したLINEでは無く、電話で伝えたのだ。
『あんたが道案内なんてできんのか?』
電話の向こうで意地悪な笑みを浮かべているのが、声だけで伝わってくる。…腹が立つ。
「できますよ!!」
『へぇw 迷子にならないといいなw』
なんで碓氷さんは私がどうしようもない方向音痴だと思ってるんだ!
「なりません!!」
なんて、少しイラついていたが……
『ま、気をつけて来いよ。』
碓氷さんはサラッと何ともないような声で、そんな優しいことを言った。
その瞬間、私は嬉しくなって笑顔が溢れてくる。
「はい!気をつけます!」
笑って返すと、『じゃあな。』と少しだけ優しい声の直後に、ツーと通話終了音が聞こえた。
「お待たせしました!行きましょう!」
「話せる幽霊さんと出会うのは、あなたでまだ二人目なので嬉しいです!私は笹野 明香里といいます!『明るく香る』に『里』です!あなたのお名前は、なんていうんですか?」
「……畑中です…。」
「下のお名前は?」
「……………まなみ……。」
「『まなみ』さんですか!どういう字ですか?」
「………愛に…………海……。」
「『愛する海』!いいですねぇ〜。愛海さんにピッタリな優しそうなお名前です。」
「……。」
黙りこくる愛海さんに笑いかけてから、まだ笑みの消えない口元でスマートフォンを見るが……
「はっ…!!!」
なんと………………
「やってしまいました…!逆方向です…!!すみません…!!!」
道を間違えてしまっていた!慌てて謝ると、愛海さんはゆっくりと首を横に振ってくれた。そんな愛海さんからふと見えた後頭部に、私は思わず足を止める。
「痛そう……」
愛美さんの後頭部は、肉が抉り取られたように赤黒い血が溢れ出ていたのだ。顔を思わず歪めてしまうような痛々しい傷に、胸が痛む。
だけど、愛海さんは更に悲しそうに俯いて答えた。
「………今は…もう痛くない……。」
そうか………もう…幽霊になっちゃったから、痛みも感じれないんだ…………。
返す言葉に迷っていると、愛海さんがゆっくりと踵を返して歩き始めた。私は愛海さんに慌てて着いていく。すると、小さな愛海さんの声が聞こえた。
「……交通事故…。…………スピード違反の車に……跳ね飛ばされたの……。」
「……そうでしたか………。……酷いですね…。どうして罪の無い愛海さんが…スピード違反の車に殺されなきゃ…………。…世の中はいつだってそうです…。何も悪いこともしてない真面目な人が損をする……。純粋な人が騙される………。一生懸命な人が都合良く扱われて…優しい人程、心無い人の言葉で心を痛める……。そんな世の中…おかしいです……。」
思わず呟くと……愛海さんは振り向いて、私のことをじっと見つめた。そして、驚いたように言う。
「…………それ……私もずっと思ってた………。」
「えっ…?」
「……そうだよ…………おかしいのは私じゃない……。こんな理不尽な世の中…だよね…………。…私も…………職場で虐められてたの…。いつだって……真っ当な人なんか少数派で…………青木さんしか……私のこと助けてくれなかった………。何故か………傷ついた私と……助けてくれた青木さんが責められた……。…おかしいのは……こんな理不尽な世の中…だよね…………。」
「そうですよ…。愛海さんは何も悪くないんですから……。」
涙が零れ落ちそうになりながらも伝えると、愛海さんは漸く微笑んでくれた。そして、「曲がります。」と私の小さな指示に頷いて、教えてくれる。
「……嫌な人生だったけどね………………私………彼氏がいたんだ……。」
「『彼氏』…。いいですねぇ〜!ラブラブでしたか?」
気持ちを切り替え、笑って尋ねると、愛海さんも嬉しそうに笑って「うん。」と頷いてくれる。
「凄く優しくてね……あたたかい人だった。」
そうやって彼氏さんの話をする愛海さんの表情は、穏やかで幸せそうで……私も嬉しくなった。
「…明香里さんは……彼氏はいる…?」
「いえ、いません!」
「そっか…。好きな人は…?」
「いません!」
「さっきの人は……好きじゃないんだ?」
「『さっきの人』?」
「………さっき……電話…してた人………。」
「う〜ん、確かに好きではありますが……そういう、恋愛感情といったものはありませんね。」
「…そうなんだ……。……好きな…タイプは…?」
「う〜ん……特には…」
愛海さんに言われて、よく考えてみる。
好きなタイプ…好きなタイプ…………。
「好きなタイプ」って…お付き合いしたいと思う人の特徴ってことだよね……。
う〜〜〜〜〜ん………………
「………ない……ですね………。」
「……恋愛に興味無いんだね…。」
「そうですね……。」
なんて答えると、愛海さんは気まずそうに話を変えてきた。
「……あー…………明香里さんは……どうして私が見えるの…?」
なぜ気を遣うんだ…?恋愛って……そんなに大事なものなのかな…。
「よく分かりませんが……幽霊は小さい頃に交通事故で死にかけてから見えるようになりました…。」
「あぁ、生まれつきじゃないんだ…。」
「そうですね。後天的な感じです。」
「多分…見えるようになったのは…………『死』…の境界に近づいたからだね……。」
「『死の境界』…?」
なんだそれ……???
首を傾げていると、愛海さんは教えてくれた。
「死の境界」というのは所謂、「三途の川」のようなもの。つまり、私のように一度死にかけて、生と死の狭間に足を踏み入れてしまえば、死の世界に近づいたことであの世の者が見えてしまうようになることがあるらしい。死にかけた全員がそうなるのではなく、あの世で選抜されているらしい。選ばれるときに重視されるポイントは幾つかあるが、主として、共感性や感情の豊かさ、素直さ、空想的かどうか…などが挙げられる。
選抜されたのは一応……どちらかというと嬉しいが、幽霊が見えるのは怖いので、複雑な気持ちになる。でも……私に霊感が無かったら、愛海さんや穂華ちゃんには出会えていなかった。だから、霊感が強くて良かったと思った。
色々と幽霊の話を聞いているうちに、朝咲病院に着いてしまった。
「…ありがとう……。…ずっと…………ここを探して彷徨ってた…………。」
ボロボロになった色の無い朝咲病院を見上げながら、愛海さんはそう呟くように言った。そんな哀しそうな…でも、嬉しそうな穏やかな愛海さんの横顔を見ていると、怖くなる。……もう………二度と会えないのではないかと……。
「…………また……会えますかね……。」
小さく零すと、愛海さんはこちらへ振り向いた。そして、黄昏色の空を後ろに、優しく微笑む。
「……成仏はしない。また………明香里さんに会いたいから。」
そんな愛海さんの言葉に、笑顔が込み上げるようにあたたかくなって、私は勢いよく愛海さんに抱きついた。頭一つ分高いところから「わっ…?!」と驚く優しい声が聴こえる。
そんな優しくて穏やかな愛海さんを、私はぎゅううっと抱きしめた。背中に寒気が走るが、それすらも嬉しい。
「大好きです愛海さん!」
「………うん…。……私も…明香里さん好き……。」
そう言って、愛海さんは私をすり抜けて廃病院へと入っていった。
私は愛海さんが見えなくなるまで、沢山の幽霊が居る病院を見つめ、踵を返した。
だが…………歩き出して数分後……私は、道に迷った…。
よくあることだが……周りには何人も幽霊が居て、普通に怖い。
だから、私は焦って碓氷さんへ電話をかけた。直ぐに碓氷さんは出てくれた。今は接客中じゃなかったのだろう。
『どうした。』
「…碓氷さん、ここはどこですか?」
なるべく落ち着いた声で尋ねる。だけど、無理して落ち着く必要なんてなかった。
『は?知らねぇよ。もしかして…迷子?ww 何してんだよマップは?w』
だって、碓氷さんの声で自然と心が落ち着くから。
「Googleマップはあるのですが……なんかグルグル変な方向に導いてくるんです…!おかげで、どこに向かえばいいかも分からず……」
取り敢えず、現状を伝えると、碓氷さんはわざとらしく『はぁぁ……』とため息をついた。
『…ったく……仕方ないから迎えに行ってやる。』
「いいんですか…?」
『……取り敢えず、Googleマップでの今の場所をスクショして送れ。あと、その辺のなんか目印になるものも送っとけ。』
「ありがとうございますぅぅ…!!!」
碓氷さんには見えないが、深々とお辞儀をする。が……
『じゃ、またな。そこから動くなよ。』
碓氷さんはそう言って電話を切――
「待ってください!」
切ろうとしたところを、私が引き止めた。
何事かと碓氷さんは息を呑んで『どうした?』と尋ねる。
「……切らないでください…。……こっ…このまま……電話…繋げて頂けませんか…?」
もう空は暗くなり始めている…。きっと、幽霊はこれから減るどころか増えていくばかりだろう……。そんな状況で……帰り道が分からない、この知らない土地に居続けるのは怖い…。
そう思って、私は勇気を出して頼んでみた。すると、少ししてから碓氷さんの『あぁ…』と力の抜けた声が聞こえる。
そして…………
『…分かった。…写真撮ったら、もう一回かけ直して。直ぐ出れるようにする。』
いつもよりもちょっとだけ優しい声で、碓氷さんは言った。そんな碓氷さんの声に私は再び、安心して肩を撫で下ろす。
「わかりました。」
現在地の写真とマップのスクリーンショットを送って、私は直ぐに碓氷さんへ電話をかける。すると、一秒もしないうちに碓氷さんは出てくれた。
『今から行くから。』と安心させるような声が少し遠いので、どうやらスピーカー設定にしているようだ。
電話の向こう側からは、車のモーター音が聴こえる。
……もっと碓氷さんの声を聴いて、安心したい………。
「……碓氷さん…なにか……喋ってください…。」
『はあ?“なにか”ってなんだよ…。』
「なんでもいいんです。……碓氷さんの声は落ち着くので…。」
なんて言うと、暫く沈黙になる。
だけど、少し待ったら、碓氷さんの『はぁぁぁ……』と力の抜けたため息が聴こえてきた。
『……あー…どこまで……道案内してたんだ…?』
「朝咲病院までです。」
『“朝咲”?え、あそこって潰れてなかったっけ?』
あっ…やべっ……。…「幽霊に道案内してた」なんて言ったら…………気味悪がられるよね…。頭おかしいとか思われちゃう……。
えと…えっと…………何か嘘を………………
「……ど、どうやら廃病院マニアらしいんです…。」
『へぇ、随分と変わった趣味だな。』
「そっ…そうですよねぇ…。」
良かった……嘘だと見抜かれていないようだ…。
そう安心する反面、胸がチクチクと痛む。……信頼している碓氷さんに…嘘をついてしまった…と……。
それでも…………「魔女」だとか…「バケモノ」だとか言われるよりは……いい筈……。…って…………碓氷さんは、絶対にそんなこと言わないのに……なに私は怯えているんだ…。
そんなふうに、臆病で狡い自分に腹を立てながら、その場のコンクリートに座り込むと……目の前に、悲鳴を上げたくなるほど酷く残酷な姿になった、骨が見えてしまう程にぐちゃぐちゃの足元が私の瞳に映った。
だが、声を上げる訳にはいかないので、声を出さないように口元を右手で押さえて、私は膝に顔を埋める。
すると、タイミング悪く碓氷さんが異変に気づいて、『笹野…?』と声をかけた。
返事をしたいのに、喉が強ばって声が出ない。出そうとしても、情けなく震える声だった。
このまま電話を繋げていたら……何れは悲鳴を漏らしてしまうだろう…。
だから…………
「……ごめんなさい…やっぱり電話、切りましょう…。通信制限が、ちょっとアレでして!」
できる限り、声を張り上げて私はまた嘘をつき、震える手で電話を切った。
怖くて、背筋が寒くて、ただその場に疼くまっていたけれど……
――ワニャワニャワー♪ワニャワ♪
直ぐに、着信音が鳴り出した。ビクッと肩を跳ね上げて、握りしめていたスマートフォンの画面を見る。掛け主は碓氷さんだった。
震える手で電話に出て、スマートフォンを耳元へ持っていくと、恥ずかしそうな声が響いた。
『安心するんなら切るなよ…。怖いんだろ?そんなん重々承知なんだから、隠すなアホ。』
その瞬間、左胸の辺りが経験したこともないような初めての感覚に襲われた。
ギュインというような大きな音を鳴らしたのだ。そこから更に、バクバクと音を響かせる。
…………不整脈……?
そんな言葉が頭を過ぎったが、碓氷さんの優しさが嬉しくて、観察力の高さに感心して、それどころでは無い。私は目を瞑って、笑った。
「……よく分かりますね。碓氷さんはエスパーでも使えるんですか?」
なんて言うと、碓氷さんは黙り込んでしまった。
「怖いので、なにか話してください。」
『だから、“なにか話せ”ってかなりの無茶振りだからな…?』
「そうですかねぇ。」
『もうすぐ着くから、待ってろ。』
「はい!早く碓氷さんの顔を見て安心したいです。」
『………そんな安心できるような存在じゃないだろ…。』
「いえ、とっても安心できます。碓氷さんが隣に居たら、怖い夢も見なくなりましたし。」
碓氷さんが再び黙り込んでしまった直後、幽霊が居るときに感じる「寒気」や「嫌な雰囲気」が綺麗に消えていった気がした。
驚いて目を開けると、目の前に居た筈のグロテスクな足元も、周りに居た幾人かの幽霊たちも、消えていた。
一遍に消えるなんて、何が起こったんだと思いながらも状況を呑み込もうと周りを見回していると……見慣れたスバルの車が私の目の前で止まった。
そして、電話が切れる音が聞こえる。
唖然としながらも、「ありがとうございます」と碓氷さんが中から扉を開けてくれた助手席に乗り込む。
そして、碓氷さんと出会ってから今までを思い返して、私は気がついた。
――碓氷さんがいるところには、幽霊は現れないんだ。
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「遅くなってすみません。お迎え、ありがとうございます。」
何だか嬉しそうに、笹野は運転する俺に笑いかけた。そんな笹野の本当に綺麗な笑顔に、苦しくなる。……笹野が夜を怖がるようになったのは、俺の所為だと分かっていたから…。
……俺があんな物件を紹介しなければ………笹野は暗闇を怖がることも、ひとりぼっちを怖がることも無かった…。………俺がこんな穢れの無い綺麗な笹野に、トラウマを植え付けてしまったのだ…。
「…………ごめん……。」
小さく呟くように謝ると、笹野はきょとんとした顔で、俺の顔を覗き込んできた。
「何がですか?」
だけど、きっと正直に「俺の所為だ」と言っても笹野は自信満々に否定するだけ。俺は何に対して謝っているのかは答えてやらずに、意気込むように言った。
「絶対、いい物件に住もうな。」
すると、笹野はまた綺麗な笑顔で「はい!」と返事をする。そして、本当に嬉しそうに「へへん」と俺へ向日葵のように眩しく笑いかける。
「やっぱり、碓氷さんの隣にいると、凄く落ち着きます。」
………なんで笹野は…俺に、こんなふうに笑いかけるんだ…。
笹野に出会ってから、ずっと心がぐちゃぐちゃと絡まって、混乱してばかりだ。
言われたことの無いような、優しい言葉ばかりかけてくるから。
向けられたことの無い無邪気な笑顔で笑いかけてくるから。
知らない優しさを、俺に向けてくるから。
それも……疑いも無く、自信満々な表情で…。全て、今まで出会ってきた人間とは真逆のことをしてくるから、どんな顔をすればいいのか分からなくなる……。
………なんで、二十八年もかけて理解してきた人間の法則を全部覆してくるんだ…………。
「…………ほんと馬鹿だよな、笹野って…。」
零すように言うと、笹野は眉をキッと上げて「は?いきなりなんですか?!」と怒った。
「喧嘩売ってるなら、買いますけど?」
「だって、あんた方向音痴だし。」
「方向音痴なんかじゃありませんよ。あれはGoogleマップの所為ですから。」
「直ぐ人間を信じるし。」
「それは『馬鹿』とは言いません。信じるのも信じないのも、どちらが正しいということはありませんから。人の自由です。態々、口出さないで貰えますか。」
ムスッとした顔で笹野はそう主張をする。だが、俺が「一つ物件見たあとは晩飯にするか。」と言うと、瞳をキラキラと輝かせて「いいですね!」なんて喜んだ。
………本当に感情も表情も豊かな奴だな……。
とか思いながら、チラッと笹野のうるさい顔を見ると、笹野は変なダンスをすると同時に歌う。
「碓氷さんのごっはっん〜♪」
「え、いや今日は外食だろ。」
「え!そうなんですか?!…確かに……碓氷さんお疲れですもんね…。」
「そうじゃなくて……」
……マジで顔うるさいな………。どうやったらそんなシュン…みたいな顔できるんだ…?
「内見ひと段落着いたら、ご飯食ってまた内見の続きするから。」
「え、いやいやいや休みましょうよ!もう一晩、泊めさせて頂くことになりますが…。」
「…別にいいけど……。」
……道案内して疲れたんだな…。迷子になって怖い思いもしただろうし……。
「じゃ、俺は帰ったら資料を――」
「それは『休む』とは言いません。今日は宅飲みをして、ぐっすりと寝ましょう。」
「いや……でも俺、別に疲れてないし…――」
「『休みが無ければ戦は出来ぬ』ですよ、碓氷さん。休息も仕事のうちです。残業代の出ない時間外労働は、法律で禁止されてます。」
…………こいつ……俺が「真面目」だからって法律の話しやがって………。
なんでそんな休ませようとしてくるんだ…。あんただって結構、残業してるじゃんか………。
てか、「休みが無ければ戦は出来ぬ」ってなんだ……?
「………分かったよ…。」
…………はぁ……マジで変な奴………。
その夜、夢を見た。とても懐かしい夢。
俺は、母校の小学校の正門で大きなランドセルを背負って、いつものようにある人物を待っていた。
どれくらい待っただろうか。石ころを蹴ったり、足で砂を弄ったりしていると、夕日が西の空から校庭を照らし始めた頃に、漸くその人物は来た。
「姉さん!」
直ぐに笑顔になって、チョコレート色のランドセルを背負った姉さんに駆け寄るが……その隣には、姉さんと同じくらいの背丈をした見たこともない奴らが居て、俺は脚を止めた。
だけど、そんな意味は無かったようで……
「『姉さん』?え〜!いおり、弟いたのかよ〜!」
「わたしこの子知ってる!『性格悪い』って有名なんだよ〜!妹が同じクラスでさ!よく話聞くんだ〜。」
この頃から俺は、曲がった事が嫌いで、正しいと思ったことを貫いてきた所為か周りから嫌われていた。
具体的にどんなことをしてきたかと言うと、テストでカンニングしている奴がいれば、その場で止めたり、授業中にふざけている奴がいれば、注意したり、いじめをしている奴らがいれば、止めて教師に言いつけたり…。
だけど、正しいと思ってやっていたことは、全て物事を悪い方へと導いた。カンニングを注意すれば、何故か俺の方が「最低」と言われるし、授業中ふざけているやつを注意すれば、笑われて逆にうるさくなるし、いじめを注意して言いつければ……逆に、いじめが悪化して、いじめられていた奴が俺の所為で不登校になってしまった…。俺の言い方や、やり方が悪かったのだろうが……俺は…正解が分からなくなっていた。
だけど、姉さんはそんな俺にも優しく接してくれていた。
それなのに……
「え〜こんな子知らない。私、弟なんていないよ?どこの子だろうね〜。」
姉さんは………いつもの笑顔で、そう言った。
「ぇ……」
俺が漏らした声も聞こえないフリをして、姉さんは立ち去っていってしまった。
それから夢の中でリアルにその最悪の日が進んでいき、夜になって、姉さんは冷たく俺に言い放った。
「あんたが『性格悪い』とかウワサされてるなんて知らなかった。もう学校で話しかけないで。あんたみたいな嫌われ者と家族だなんて、みんなに知られたくない。」
そんな慕っていた姉さんの鋭い瞳に睨まれたところで、俺は漸く目を覚ました。
笹野のように魘されたりはしないが、パチッと目を覚ました瞬間、涙が一粒零れた。そして…怖くなって、苦しくなって……俺は敷布団の上で蹲った。
だが……
剥いでいた布団が何故か肩までかかったので思わず顔を上げた。すると、隣のベッドの上で眠っていた笹野とパチリと目が合う。
「あ、起こしちゃいました?」
とろんとした瞳で優しく笑う笹野の手はこちらまで伸びていた。……笹野が、布団をかけ直してくれたのだ。
それに気づいた瞬間、俺の震えていた胸は奥から徐々にあたたかくなっていった。
だが……
「…いや暑いわ。」
今は七月中旬。普通に扇風機もつけっぱなしで寝ているというのに、布団をかけて寝たら流石に暑い。俺が布団をもう一度剥ぐと、笹野はまだうとうととした瞳を丸くした。
「うずくまってらっしゃったので、寒いのかと。」
「寒くねぇよ。」
そう返して、もう一度目を瞑ると……笹野が「はっ…!」と声を出した。何事かと思って目を開けると、笹野はゆっくりとベッドから抜け出し、駆け出す。
「おしっこ漏れます…!!!」
「トイレって言え!」
……トイレへ…。
そして数分後、トイレから出たあとに洗面所で手を洗った笹野が帰ってきた。
「ふぅ……スッキリ!漏れるかと思いました。目が覚めたのは、トイレに行きたかったからだったんですね。」
……寝起きなのによく喋るな…。
目を瞑って無視をかましていると、ベッドに入って暫くは笹野は静かにしていた。だが、
「眠れません…!」
突然、割と大きな声で言った。
「…寝ろ。」
「無理です目が覚めていしまいました。」
寝返りをうつフリをして笹野の方を向き、目を開けてみると確かに笹野の瞳はもう、とろんとはしていない。
「碓氷さん、少し私とお話しましょう。」
「嫌だ。俺は寝るからな。」
そう言って今度は反対方向に寝返りをうち、俺は目を瞑る。
だけど、笹野は零すように小さな声で言った。
「…碓氷さんとこうやって過ごすのも、あと少しになっちゃいましたね。本来なら、家が見つかるので喜ぶべき事なのですが……少し、寂しいです。」
「………。」
本当に寂しいと思っているような弱い声に、怖くなる。信じちゃ駄目だと、どうせ口だけなんだと…俺は自分に言い聞かせる。
……それでも若干、気づいていた。
笹野は、俺が姉さんにも言われたことのないような優しい言葉をかけてくれているんだと。
笹野は姉さんとは違うんだと。
……姉さんは、俺を突き放したけれど、きっと笹野は突き放したりなんかしないんだろう……。だけど、どうしても過去のトラウマの所為で恐怖は消えない。
一度信じてしまえば、裏切られた場合の代償が大きくなってしまう。きっと……こんな初めてのことばかり言ってくる奴だからこそ、俺に初めてこんな笑顔を見せてくれる奴だからこそ、裏切られたときに全て失ったような気持ちになってしまうだろう…。
だから……信じたくなんかなかった。
「……なんでお前は…──笹野は……そんなに俺に優しくするんだ…?」
単純な疑問を、俺は言葉にして洩らしていた。すると、笹野は「『なんで』…?」と呟く。
そして……
「そもそも優しくしてますかね?」
なんて、阿呆なことを言った。
「……してるだろ…。困るくらい……。」
「そうですか?…どうしてでしょうかね…?う〜ん……あ、碓氷さんが優しくしてくれるからじゃないですか?」
「……別に俺は…優しくしてねぇよ…。」
なんでお前は他の奴らと真逆のことを言うんだよ……。
また分からなくなって、混乱していると……笹野の不思議そうな声が背中越しに聞こえてきた。
「そもそも、優しくすることに理由なんか要るんでしょうか…?」
思わぬ返答に、俺は目を丸くする。声の聞こえ方で、笹野がまだこちらを向いて寝転がっていることが分かる。
「私は、碓氷さんだから優しくしてるんです。……というか、碓氷さんだから、優しくしちゃうんだと思います。最初に会った時は、碓氷さんに優しくしたいだなんて思いませんでした。碓氷さんのこと、よく知りませんでしたから。でも、優しくしようして優しくしてる訳じゃありません。碓氷さんのことを知ったから、優しくしてしまうんです。」
漸く答えを見つけたとでも言うように、笹野の声は嬉しそうで優しかった。
その声に……俺は、何だか全身の力が抜けた。…多分、安心したんだと思う。……弱さを見せても、笹野は俺を突き放したりしなかったから…。
「…やっぱり馬鹿だな。笹野は。」
嬉しくて零れてくる笑みを、嫌味ったらしい言い方で隠したが、意味なんか無かった。
「碓氷さんがそう笑ってくれるなら、馬鹿でもいいです。馬鹿でなんぼです。」
笹野も、そう笑ったから。
きっと、俺が笑顔なんだと分かって、笹野も嬉しくなったんだろう。
そんな笹野の言葉に、声に、胸が更にあたたまる。
「……おやすみ…。」
「ふふっ…はい、おやすみなさい碓氷さん。」
その翌日、とうとう笹野の物件が決まって二日後、笹野が俺の家から離れることになった。
物件が決まったとき、笹野は相変わらずの笑顔で言った。
「やっぱり、担当が碓氷さんで良かったです。」
そんな笹野の真っ直ぐな言葉に、俺は未だになんて返せばいいか分からなかった。
だけど……
「……それは良かった…。」
嬉しいのは、確かだった。好きな仕事で、客を笑顔にさせられたから。それと……笹野を笑顔にさせられたから。
でも、思う。なんで笹野はこれ程までに俺を信頼しているんだろうと。……前なんて、「碓氷さんのこと尊敬してるので」とか言ってたし………。
「…よくそんなに信頼できるな。『また事故物件かも』とか、怖くなんねぇのかよ…?」
思ったことをボソッと呟いてみるが……笹野はきょとんと あほ面で言った。
「なりませんよ…?碓氷さんのこと、信じてますもん。」
そして、俺の不安そうな顔を見て、安心させるように優しく微笑む。まるで、「大丈夫ですから」なんて、俺に言い聞かせているみたいに。
そんな、またもや言われたことの無いような言葉に、笹野の真っ直ぐな瞳に……一瞬だけ、俺の胸はトクンっと小さく音を立てた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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