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第四章 救済《前編》


 スマイリーホームズから、碓氷さんの家までの数十分でさえも、私は眠たくなってしまって、こっくりこっくりと寝落ちしかけていた。でも、人の車に乗せて貰っているんだから、居眠りは申し訳ない。そう思って、手を(つね)ったりしてなんとか頑張って起きていた。

 私が眠くなってしまうのは、寝不足の所為が殆どだが……きっと、碓氷さんの運転がとても安全運転だからというのもあるのだろう。


「…眠かったら我慢せずに寝ていい。」

 必死に目をガン開いていると、両手でハンドルを握る碓氷さんがチラッとこちらを見て言った。

 いつもよりも少しだけ、声がやわらかいような気がする。


「碓氷さんが優しいなんて珍しいですね。今日は空から矢でも降ってくるんでしょうか。」

 目を擦りながらそう返すと、碓氷さんは腹を立てたように「あんたなあ……」と言う。でも、以前よりも少し表情も優しくなっていた。そんな碓氷さんの表情に、私は何だか嬉しくなる。

 中々懐いてくれない保護猫が、少しだけ自分に懐いてくれたような……そんな感覚がするのだ。

 だから、私は碓氷さんを手懐けようと「あ、そうだ!チョコレートあげます!」とジャケットのポケットを漁った。

「いや、甘いの嫌いだって。」


 が…………


「わーっ…!!!」

「なっ…?!なんだどうした…?!!」


 ……御園さんから頂いた高級チョコレートが、ドロッドロに溶けていた…。


「最悪です……溶けてしまいました…。」


 そう言って、ブヨブヨになったチョコレートを見せると、碓氷さんは「ぷっw」と吹き出した。

「馬鹿かww」

「…碓氷さん……お家の冷蔵庫…お借りしても…?」

「別にいいよ。好きに使え。」

 優しい…!!!

「ありがとうございます♪バッグに入れた方は恐らく溶けてないので、そっちあげますね♪」

「だから俺、チョコ苦手だって。どーせ、あんたが食うようなチョコだ。ミルクたっぷりの甘いヤツなんだろ。」

「いえ!御園さんから頂いたものです!苦めで美味しいんですよ♪濃厚なチョコレートの中には、香り高いオレンジソースが入ってます♪」

 ニコッと笑顔で教えてあげると、碓氷さんは少ししてから、こちらをチラチラと見るように目を泳がせて答えた。少し、恥ずかしそうに。

「…な、なら貰う…。」

「はい♪」

 やっぱりこの人可愛いな。




 碓氷さんのお家に着き、部屋の配置などの説明を一通り受けてから、碓氷さんは仕事へ戻った。

 碓氷さんの家は、何も寒気も嫌な気も全くせず、幽霊など一人も居なかった。だから、安心して眠れる。

 そう思っていたが……



「っは…!!」



 あの家での出来事が、トラウマになってしまった今では……いつも同じような夢を見ては、あまりの恐怖に飛び起きていた。また少しだけ泣いて、私は少しでも睡眠をとろうともう一度目を瞑る。

 だけど……あのときの生々しい音が頭から離れない…。歌でも聴こうとスマートフォンを開くと……


――ワニャワニャワー♪ワニャワ♪


 突然、着信音が鳴った。

 ビクッと肩を跳ね上げさせながらも、画面に映っている「スマイリーホームズ 碓氷」という名前に安心して私は電話に出る。


「もしもし。」

「お、起きてたか。言い忘れてたけど、晩御飯は適当に冷蔵庫にあるもんでなんか作って食って。」

「了解です。」

「あー……それとも、まだ腹減ってなかったら待っててもいい…。なんか美味いもん作ってやるよ。八時半頃まで待てるならな。」

「え!碓氷さん料理お上手なんですか?!」

「まあな。得意っちゃ得意だ。」

「では待ちます!気長に待ちます!!まだお腹も空いてないですし!!」

 そうワクワクして言うと、電話の向こうから少し嬉しそうな声が聞こえてきた。

「そうか。」

 やはり、碓氷さんの声は落ち着く。私だと気づいてないときの碓氷さんの接客の声も爽やかだったから、多分、元がいいのだろう。

 なんて考えていると「じゃあな。」と言って、碓氷さんは電話を切ってしまった。


 声が聞こえなくなった途端、シン……と部屋が静まり返る。



 ………。



 …………寝るのやめよ…。怖いし…。





 それから約二時間後、碓氷さんは帰ってくると直ぐに料理を始めた。

「私も何かお手伝いします!」

 そう言って、料理する碓氷さんの手元を見ていると碓氷さんは「じゃ、あんたウェイターな。」と仕事を与えてくれた。

「ウェイター!いいですね!カッコイイです!」

「そうか、それは良かったな。」

「はい!」

「落とすなよ。」

「美味しそ〜!!」

 早速、出来上がった一品を濡れ拭きしたテーブルに置く。

「いい匂いがします!!」

「あ、お茶やっといて。あんたはビールか?」

 (つま)み食いをしたい衝動に駆られていると、キッチンの方から声が聞こえてきた。ギクッと肩を跳ね上げさせて、料理に伸ばしていた手を瞬時に引っこめる。

「びっくりした…――え、なんで知ってるんですか?!!」

 私、ビール好きだなんて碓氷さんに言ったっけ?!!

 驚いて尋ねると、碓氷さんは手際良く玉ねぎを切りながら答えた。

「桔梗さんに聞いたんだよ。」

「なるほど…!リサーチですね!」

 そう言いながら言われた通り、お茶とビールをコップに()ぐ。だが……


「あれ?」


 缶ビールが冷蔵庫の中に入っていなかった。

 あるのは、碓氷さんが仕事帰りに買ってきてくれた一本だけ。


「缶ビールが…一本足りません…。」

「足りない訳じゃねーよ。俺飲まないから。」

「えっ!碓氷さんお酒苦手なんですか?!」

「…苦手って訳じゃないけど……。」

 私の質問に、碓氷さんは玉ねぎで挟んだチーズや豚肉を炒めながらも、少し小さな声で答えた。

 声のトーンが変わったな…。……なんでだ???


 それにしても、本当に碓氷さんは手際がいいな。もう二品目出来ちゃいそうだし。というか、三品目を二品目と同時進行で作ってるし…。

 何か私にも出来ることはないだろうか……。

 なんて考えていると、碓氷さんが「これ振っといて」と何かが入った袋を渡してくれた。

 仕事だ…!!!って……めっちゃいい匂いする…!!美味しそう!!

「なんですかコレ?ごま油の香ばしい香りが漂ってきますが。」

 ワクワクして私は尋ねる。お腹が鳴ってしまいそうだ。

「簡単に言うと、もやしを醤油ベースのソースに絡めたやつ。ご飯にかけて食うと美味いんだよ。」

「なんですかその悪魔みたいな美味しそうなやつは…!!!」

「肉も入ってないからヘルシーで、あんたみたいな女もガツガツいける。」

「天使じゃないですか…!!!!」

 零れないように袋の口をしっかりと捻って、ブンブンと振りながら呟くと……

「ぷっww」

 何故か碓氷さんが笑った。首を傾げて碓氷さんの顔を見ると、楽しそうに笑っている。

 ……意外と笑うんだなこの人…。というか、なんで笑ってるんだ…?




「せ〜の!」

「いただきます。」「いっただっきま〜す!!」

 私の掛け声で、二人で手を合わせ、私はまず卵スープから頂く。碓氷さんも同じように卵スープを手に取ったが、少し不安そうにこちらをチラチラと見ていた。

 一口(すす)ってみると……

「ん〜〜!!!うっま〜!!!なんですかコレ!!美味しすぎやしませんか?!!!」

 黄金の卵が優しくてとろっとろのスープによく絡み、とても美味しかった。今まで食べた中で一番美味しい。

 私の反応に碓氷さんは安心したのか、得意げに笑ってみせた。

 そして、チーズや豚肉、大葉を挟んだ玉ねぎも大きな一口で食べてみる。

「うっま…!!!!え!なんですか碓氷さん天才ですか?!!!」

 ご飯が進むのに、味が濃すぎず丁度いい!!それに、チーズがびよ〜んと伸びるのも、食べていてとても楽しい!!!

 この天使のもやしも♪

 天使のもやしをご飯にたくさん載せて、一緒にもう一度口の中へかき込む。

「おいしい〜…!!!とろっとろですね!!しかもシャキシャキ…!!!天国ですかここは…!!!もう毎日食べていたいです!!!!」

 口の中に幸せを感じながら、もぐもぐとしていると……


「ぷっwwはははwww」


 再び、碓氷さんは口元を大きな手の甲で隠して笑った。料理を絶賛されて嬉しかったのだろう。


「ほんっと見てて飽きない奴だなw」

「そうですか?それなら良かったです。だって全部、すっっっごく美味しいんですもん!」

 私も嬉しくなって笑うと、碓氷さんは嬉しそうな笑顔のまま自分の口の端をつつく。

「ついてる。子供みたいだなww」


 ……。


「子供じゃありません!きちんと成人してます!!」

 少し腹を立たせながら口元のお米を指でとって、ぱくりと食べてから、私は缶ビールのタブを起こしグイッと一気に飲む。

「えっ…おい、無理すんなよ…。」

「無理なんかしてません。なんてったって私、オトナなんで!お酒は底なしと言われるほど大好物なんです。」

「へぇ?意外だな。()()()()なのに。」

 私の言葉のどこかに腹を立てたのか、碓氷さんは悪党のように笑って喧嘩を吹っかけてきた。

「チビとか言わないでください!人の容姿をイジるなんて、人間として最っ低ですよ!」

「はぁ?こっちは歳上だぞ。そんな『最低』とか言っていいのかよ。」

「『歳上』って狡い武器を使ってくるとこがもう子供です!というか、たった二,三年しか長く生きてないのに歳上ヅラしないで貰えますぅ?」

「え、いや俺 二十八。」


「ん…?」


 …………「二十八」……。


「ええええ!!!……思ったより生きてました…。」

「あんた確か二十二だろ?」

「はい…。……六つも違いますね…。…って!碓氷さんアラサーじゃないですか!!」

「その呼び方やめろ精神に来る。」

「まあまあ、アラサーもいいと思いますけどね。」

「何がどういいんだよ。」

「あー……オトナ☆って感じがします!碓氷さんは結構子供っぽいところありますが。」

 私がそう言うと、碓氷さんは暫く私を見て……


「……はぁぁぁあ…」

 ため息をついた。





 食後、「風呂入ってこい」と言われたので、脱衣所へ向かったのだが、私はあることに気がついた。

「碓氷さん碓氷さん大変です…!!!!」

 リビングへ駆け寄ると、リビングではなく、キッチンで何か作業をしていた碓氷さんがビクッと肩を跳ね上げる。

 そして、作業していたものを背中と腕で慌てて隠すようにしてこちらを向いた。

「なんだどうした…?!」


 ……?


 何をしてたんだ…?



 ……まあ、いいか。


「下着もパジャマも全っ部!…………あの事故物件にあります……。」

「はあ?!あんた馬鹿なのk――」

 碓氷さんは一瞬そう言いかけて……


「…あー……悪いそこまで考えてなかった…。馬鹿なの俺だわ…。いきなり呼び出したんだったな…。」

 取り消した。


 そして……


「……よし、取りに行くか。」


 なんと、そんなことを言った。


「え!!嫌です嫌です二度とあんなとこ行きたくないです…!!!」

「どうせ引っ越す時にまた行くんだ。なんかあったらお得意の右ストレートでも()ませばいいだろ。」

「いやいやいや…!!!……可哀想で…出来ないですよ……。」

 あんな風に殺されるところを見てしまったら……そんなこと…………

「じゃあ俺がやる。」

「やめてくださいやめてください…!!!」

「あんたを泣かせるまでビビらせてきた幽霊だろ。殴るくらいしてもいいと思うけど。」

「そ…れは……そうかもしれないですけど…………。」



 ……ん?


「なっ…なんで泣いたの知ってるんですか…?!!」

 恥ずかしくなって咄嗟に口元を両手で隠すと、碓氷さんは「言ってしまった」とでもいうように、少し気まずそうに答える。

「あ、いや……だって、目の下真っ赤じゃん…。」

「えっ…」

 言われて私は急いで洗面所に駆け寄り、鏡を見る。


「ほ…ホントだ…………。」


 見てなかった……。


 絶望していると、玄関の方から「ほら行くぞ。」と碓氷さんの声が聞こえてくる。

 私は鏡の前でペチンペチンと二回、頬を叩いた。

「よし、大丈夫…!」

 碓氷さんだって居るし…!




「やあぁぁぁぁあぁああ!!やっぱ無理です怖いです行きたくないです…!!!もう下着なんてそのまんま今日のでいいです…!!!パジャマなんかいりませんんん……!!!」

「大丈夫だって!幽霊もそんな一瞬で殺しやしねぇよ!」

 そう言って碓氷さんは車から出てしまった。そして、助手席に座っている私の方のドアを開けて、いつもの落ち着いた声で言う。

「行くぞ。俺もついてるから。」

「……碓氷さん…腕をお借りしても…?」

「無理。」

「…………。」

「ほら行くぞ。なんかあったら車に逃げ込めばいい。寝るのが遅くなるから早くしろ。」

「はいぃ……。」



「よし、鍵貸せ。」

 全く怖がる素振りは無く、碓氷さんはそう言って私に手のひらを見せた。ポケットから鍵を出し、碓氷さんの手のひらに載せる。すると、

「先に何か居ないか見てやる。」

 と言って碓氷さんは鍵を開けて、普通の家に入るみたいに中に入っていった。何かあった時のために、私は閉まりそうなドアを慌てて止める。


 その瞬間、異変を感じた。



「あれ……」


 …………寒気も、嫌な気も…全くしないのだ…。



「なんも居ないぞ。」

 そう教えてくれる碓氷さんの後ろにも、隙間から見えるキッチンにも……誰も、何も居なかった…。それに……

「ほら、早く持ってこい。」


――パチッ…


 あの私が知らぬ間に自殺しそうになってしまった一件から、全くつかなかった照明が、碓氷さんがスイッチを押しただけで何事も無かったようについた。お陰で部屋は明るくなって私の部屋は(あら)わになる。

「なんだ、まだ荷解きしてないのか。」

 荷解き問題よりも、霊感全く感じない問題の方が気になり過ぎて私は頭が「?」になりながらも碓氷さんがくれた大きな袋に下着や洋服を入れていった。

 そして、全て服などを詰めれるだけ詰め終わり、私たちは車に戻ろうと外に出る。

 その瞬間、また異変に気がついた。


 ……いつもは絶対に二人以上は歩いている筈の…幽霊が……全く居ないのだ…。


「何してんだ笹野、早く帰るぞ。」

 初めて碓氷さんに呼ばれた名前に反応して、私は振り向き、車に乗った。




「碓氷さん!このリンス…とぅるっとぅるんです!!!」

 お風呂上がり、リンスの有能さに驚いてタオルドライした髪に指を通しながらリビングへ行くと、何かがテーブルの上に置いてあった。

「ん?なんですかコレ?」


 不思議に思って近づいてみると……


「プリン…!ブリュレ!!!」

 なんと、それは手作りのブリュレプリンだった!!ブリュレの部分が宝石のようにキラキラと輝きを放っている。

「なんかスイーツとか作ってみたくなったから、作ってみた。……その…なんつーか……事故物件に住まわせたお詫びだ…。」

「えっへぇ〜?これ食べていいんですか〜?!!」

「うん。」

「やったぁ♪ありがとうございます〜!」

 そう言ってワックワクで座るが……


「え、いや髪乾かしてからにしろよ。」

 ……碓氷さんに止められた。


「いいじゃないですか♪きっと、飲むように食べ終わってしまうので♪」

「折角、リンスで『とぅるんとぅるん』になった髪が台無しになるぞ。」

「…な…!……それは大変ですね…。秒で乾かしてきます…!!」











❖ --­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­- ❖


 大袈裟にそう言って、笹野は駆け足で洗面所まで消えていった。

 あいつがリビングに来たら家出るか、なんて考えながら本棚から小説を一冊手に取り、本を開く。その直後、洗面所から変な歌が聞こえてきた。

「ブリュレブリュレ〜♪ ブリュレプリン〜♪ プ・プ・プ♪ プリンブリュレ〜♪」

「ぶっwwww」

 ……ちょっとあいつの食う顔見てから出るか…。



「待ってました!この時を待ち()びていました!いっただっきまーす!!」

 阿呆みたいなニヤケ顔で、笹野はプリンのブリュレ部分にスプーンを入れる。


――パリッ


 そんな音がすると同時に、笹野は「うっひょぉ〜!」と喜んで更に笑顔になる。そして、スプーンで掬ったブリュレプリンをキラッキラに輝かせた瞳で、見つめて……パクリと一口食べた。その瞬間、風呂上がりで火照っていた笹野の頬は更に赤くなる。そして、もっと瞳を輝かせて、二本の線になるまで目を細めた。


「ん〜!うんっま!!!このブリュレプリン最高です碓氷さん!!!」

 なんて子供のようにキャッキャ笑いながら、俺を見た。そして、直ぐにまた視線をブリュレプリンに落とし、また笑う。


「…………。」


 ………本当に見てて飽きない奴だな…。こんな美味そうに食べる奴、見たことないぞ…。

 そんなことを思っていると、幸せそうにモグモグと噛みながら笹野は尋ねる。

「碓氷さんはお風呂入らないんですか?」

 小さい口いっぱいに詰め込んで、ハムスターみたいだ…。

「いや、俺この後宿探すし。」

「そうですか♪」

 話聞いてないなこいつ…。

「……甘さは?丁度いいか?味見しなかったけど。」

「はい!まさに黄金比です!!パリパリでザクザク♪ しつこ過ぎず、でも濃厚♪ ブリュレの香ばしい香りがプリンの甘さにピッタリで、めちゃくちゃ美味しいです!!」

「それは良かった。」

 笹野の本当に幸せそうな笑顔に、何だか俺も釣られて笑うが、我を思い出して俺は急いで真顔に戻した。

「碓氷さんは天才ですね!!」

「い、いや…レシピ見て作っただけだし。」

「いえ!それでも天才です!私、こんな上手に出来ませんもん♪」

「………ふーん…。」


 …なんか……こいつと居ると調子が狂う…。……滅多に褒められることなんてないからなんだろうけど…。というか……なんでこいつは、こんなに俺のことを褒めてくるんだ…?何か企んでるのか…?


 笹野の考えていることがよく分からなくて、俺は楽しそうにプリンを食べる笹野を少し眺めてから、立ち上がった。

「じゃ、俺行くわ。なんか困ったことがあったら電話な。」

 すると、笹野は案の定、きょとんとした阿呆な顔で尋ねる。

「え、どこ行くんですか?」

「…はぁ……だから、宿探すんだよ。」

 と答えながら、ここに居ても仕方が無いので玄関へ向かうと……


「えぇっ!!ちょっ…ちょっと待ってくださいよ!!!」

 笹野が慌てて立ち上がって着いてきた。


「そんなの申し訳ないですよ…!!!」

「そんなの知らねぇよ。」

「駄目です行かないでください!!私の所為で碓氷さんが大変な思いするなんて嫌です……!!」


 先程の笑顔が嘘のように、笹野は悲しい顔をして俺にそう訴えてきた。

 だが、最初から「俺は宿を探す」と言っていたんだから、何も笹野の気持ちを態々、汲み取る必要は無い。

「残念だけど俺の所為な。それに、大変でもなんでもない。じゃあな――」

 だから、何も気にせずにドアノブに手をかけたのに……



「碓氷さん…行かないでください……。私っ……ひとりだと、怖くて眠れないんです…。…こわい夢を見て、目が覚めてしまうんですっ…。………ただ、眠りたいんです……。いかないでください……。碓氷さんが行っちゃったら私……眠れませんっ…。」



 今にも泣きそうな震えた声で、笹野はそう訴えてきた。

 振り返ると、泣き腫らして赤くなった目元と、とても濃いクマが出来てしまっている笹野の目元が俺の視界に映る。そして、震える瞳と、火照った頬、(こぼ)れてしまいそうな程、大量に溜まった透明の涙も。

 何だか違和感のある裾に目をやると、いつの間にか笹野が小刻みに震えた手で控えめに俺の裾を掴んでいた。



「…うすいさん………。」



 なんだよ…すぐ泣いてめんどくせぇ……。


 …………。




 ……………………あぁ…クソ………。




「………はぁ……」



 俺はわざとらしくため息を吐いて、もう一度ドアノブを押し、玄関の扉を開けた。

 が…………


――ザァァァァァ……ドカンッ…!!ゴロゴロゴロ…………




 ………………いや…………





 外に出られないくらいの雷雨だったので、()()()()俺は扉を閉め、黙って家の中にもう一度入った。すると、この天気とは対称的にパァっと明るくなった顔の笹野が、涙を指で拭って着いてくる。

「ここに居てくれるんですか…?!」

「…こんな大雨じゃ外にも出られねぇよ。」

「車ありますよねっ?碓氷さん♪」

「……うるせぇ着いてくんな…。」

「碓氷さん碓氷さん♪」

「…ほら、早くプリン食えよ。」

 顔が熱くなってきたので隠すように言うと、笹野「はっ…!そうでした…!!」と言って嬉しそうにもう一度座った。

「って…!!あと一口しか無い…!!!もっと…大事に食べれば良かった……。」



 ………はぁ………………。



 ……風呂入るか………。






 その夜中。

「…ん………はぁっ…はぁっ…はぁっ……」

 (うな)される笹野の声で俺は目を覚ました。

 普通の「魘される」のとは、また違う感じで、何だかやばそうなので俺は布団からゆっくりと起き上がる。そして、隣のベッドで寝ている笹野の顔を覗き込んでみた。

 相当悪い夢を見ているのか、顔を思い切り顰め、(しき)りに「いやっ…」だとか、「やめて…」だとか何かに訴えていた。凄い寝汗で髪が額に張り付いてしまっている。そして、ぎゅうっと瞑っている瞼には、涙がついていた。

 これ起こした方がいいのか…?

 なんて思いながらも、俺は「もしや……」と思う。そして、一応「ちょっと触るぞ」と眠っている笹野に許可をとってから、小さな額に手を載せた。


 ピトッ…と、笹野の汗が俺の手に張り付く。


「あっつ……。すげー熱…。」


 やっぱり………これ絶対、三十九度あるな…。何か冷やすもの……冷えピタ買ってあったっけ…………。

 そう、冷えピタを求めて立ち上がろうとしたが、俺は立ち上がらなかった。いや、「立ち上がらなかった」というより、()()()()()()()()()

 額に載せた俺の手を笹野が掴んで、離さなかったからだ。俺の手が冷たくて気持ちいいのか、少しだけ表情が緩んだ。そして、悪夢が終わったかのように微笑んで、嬉しそうに小さく呟いた。


「……ほのかちゃん…。」

「…ほのか…?誰だそれ。」


 でもなんか……どこかで聞いた覚えがあるような………。


 って……それより、病院に連れていった方がいいのだろうか…。確かデカい病院しか深夜に診察してくれないんだっけ……。ここら辺にデカい病院なんてあったか…?いや、でも…もしかしたらこいつは呪われてるんだ…。それなら死ぬ前に早く病院に行った方が………。いや……お祓いが先なのか…?いやでも、現実的に考えて今は高熱が出ているんだから病院か……。

 俺は焦って、少し前にテレビで見た事のあった「レンジャーロール」という担ぎ方で笹野を担いだ。

 そして急いで車の鍵と財布とスマホを持って玄関へ駆けると……


「えええええええ!!!!!」


 笹野が起きたようでジタバタと暴れ始めた。


「なっ…なななななんですか?!!えっ…?!世界が反転してるっ…?!!!ん?!!!人身売買…?!!!!」

「ちょっ…暴れるな…!!!落っ…ちる……!!」

 俺は笹野が落ちないように急いでベッドへ向かい、笹野をゆっくりと下ろす。


「はぁ……熱が…熱が酷かったから……病院に連れて行こうと……」

 疲れた……。

「あ……確かに身体だるい気が………」

 そう呟いた直後、笹野は何だか焦ったように「いっ…今何時ですか…?!」と尋ねた。そこで漸く部屋の電気をつけて、時計を見る。


「三時半だな。」


 頭が痛かったりして、時計を読む気にもなれないと思ったので答えてやると、


「よかった…」

 本当に安堵したように、肩を落とした。


 そして………

「ご迷惑をかけてごめんなさい。」

 ベッドの上で正座をして、ゆっくりと深くお辞儀をした。

 そんないつもとは違う、元気の無い笹野を見ていると、何を言えばいいのか分からなくなる。こんな顔にさせているのは、俺なのではないかと、更に自分が嫌いになる…。


「……別に、迷惑だなんて思ってねぇよ…。」


 だけど…………



「碓氷さんって、やっぱり優しいですね。」



 そんな、笹野の嘘偽りの無い、だらしないようなへにゃっあとした笑顔を見ると、固まっていた心が…少しだけ、(ほぐ)れたような気がした。直後、目元がじんわりと熱くなる。そして、胸も。

 何故か、あたたかく感じた。

「……病院、行くか…?」

「…いえ……病院はちょっと………嫌いというか…なんというかですね……」

「相変わらずガキだな。」

 自然と笑顔を零すと、「へへっ」と照れたように声を出して、笹野も同じように笑ってくれた。

「ゔっゔん……だっ…大体、事故物件の所為で疲れて体調崩したんだろ…。あんたが責任感じることは無い…。」

 …あんな物件を勧めた俺の責任なんだから……。

 柄にも無く笑う自分が突然恥ずかしくなって、咳払いをして言った俺に、やはり笹野は笑顔を向ける。



「はい、碓氷さんの責任でもありません。」



 思わず顔を上げると、笹野はニコッと俺に笑いかけた。熱があるからか、いつもよりもだいぶ喋るスピードが遅い。だから余計に、笹野の言葉に安心してしまう。

 ……くそっ…………心でも読めるのかよ……。

「では、寝ましょう。ありがとうございました、助けようとしてくれて。」

「……先に寝てろ…。」

 早く冷えピタ探さないと…。

「何か用事ですか?あまり、無理しないでくださいね。」

「はいはい。」










✶ --­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­--­­- ✶


 目を覚まし、静かな部屋に異変を感じて起き上がると……

――ボスッ…

 まだ濡れたままの、タオルが布団の上に落ちた。

 ふと、時計を見ると八時半と出勤の時間をとっくに過ぎていた。

「やばっ…!!!」

 そう叫んで、私は急いでベッドから降りる。だが……

「いっ………」

 直後、頭にガンガンとした痛みが走る。そして、ぐわんぐわんと目眩がした。それを合図とするように、身体と頭がだるく、ぼわぁっと熱を帯びていることに気がつく。

 でも、早く会社に行かないと…!

 私は再び、急いで立ち上がろうとする。だけど、今度はテーブルの上に置いてあるものが目に入って、動きを止めた。

 テーブルの上には、手作りの雑炊と体温計、そして、メモ紙が置いてあったのだ。そのメモ用紙には、何か書いているようで、私は四つん這いになったまま それを手に取って、読んでみた。


『さっき確認したら、昨日よりめちゃくちゃ熱くなってた。会社行っても職場の奴に うつして迷惑かけるだけなんだから行くなよ。

それと、お粥作っておいた。食欲があるならキッチンの鍋におかわりが入ってるから。ちなみに昼は、冷蔵庫にある鮭雑炊に水少し入れて温めて食って。

朝お粥食ったら体温測っとけ。


 P.S. なんかあったら俺か119に連絡して。どっちに連絡するかは臨機応変に。』


「………。」

 なんで私が意地でも会社に行こうとしてることを知っているんだ…。だがしかぁし!そんなふうに止められて快く「OK☆」と言うことを聞けるような私では無い!フッフッフッ……

 とか、心の中ではしゃぎながら、『残念でした☆』と書いてあげようと裏を捲ると……


『その体調で会社行くなら行ってもいいけど、俺は一生あんたのこと“馬鹿”って呼ぶからな。そんな馬鹿なマネはやめておけよ?』

 腹が立つ程 綺麗な達筆な文字でそう書かれていた。


「…………。」


 ……………はぁ………休みの連絡しよ……。




 会社へ休みの連絡を入れてから、私は碓氷さんの作ってくれたいい香りの漂うお粥をパクリと食べた。

「うんまぁ〜い…!」

 身体がだるくても、頭が重くて痛くても、目眩がしても、碓氷さんの作ってくれたお粥は絶品で、優しく包み込んでくれるような、安心感のある味だった。そのお陰で、お粥は一瞬にして無くなってしまった。勿論、鍋の中のおかわり用もお粥も。


 たらふくお粥を食べたあとは、碓氷さんに言われた通りに体温計を脇に挟む。そして、暫く待ってピピピッと音が鳴ったのを確認してから、私は体温計を脇から抜いて、見てみt――

「40.2ィ…?!!」

 やばい!寝よう!うん、今すぐ寝よう!!

 ということで、私はすぐさまベッドに寝転んだ。



 それから、何時間か寝て起きて、最高に美味しい鮭雑炊を頂いて、寝て、目が覚めた。何だか、先程よりもキツくなっている気がしたので、私は死にかけで体温計を再び脇に挟む。

 そして、音が鳴り、引き抜くと……

「38.4…!だいぶ下がってる…!」

 意外にも下がっていた。その数字を見ると、何故だか突然、楽になってきた気がした。やっぱり人間の心理って凄いな…なんて思いながらも、もう一度私はベッドに寝転ぶ。そして、静かに目を閉じた。


 が…………


「……うん!寝れん!!!あんなに寝たんだから寝れる訳が無い!!!ってか暇だなあ!!!!することが無い!!なんなら、仕事をしたい!!!」

 一人で騒ぎ、自分の大声による頭痛に一人で悶絶しながら、私はふと、リビング入口付近の本棚に目をやる。


「…………。」


 ……よし。

 私は迷惑を承知しながらも、碓氷さんへ電話をかけた。すると、意外と直ぐに碓氷さんは電話に出てくれた。

『もしもし、どうした?』

 その声に、また安心する。そして、少しだけテンションが上がる。

「暇です!」

 …しまった……。大声を出すと頭痛くなるんだった…。

『元気だな。熱は?測っただろうな?』

「測りました。朝は四十度だったんですが、今は三十八です。」

『だいぶ下がったんだな。』

「はい。お粥、有り得ないくらい美味しかったです。」

 そう伝えると、電話の向こうの碓氷さんは嬉しそうに少しだけ、声のトーンが上がった。

『そ、そうか…それは良かった…。』

 やっぱり意外と可愛い。

 つい、「ふふっ」と笑い声を漏らすと、碓氷さんが『な…何だよ…?』と少しだけ恥ずかしそうに怒る。

 だが、ここで返答してしまえば、喧嘩が始まって電話が長引いてしまうだろう。仕事中の碓氷さんに迷惑はかけたくない。だから私は、簡潔に尋ねることにした。

「暇で暇で……本棚にある本、読んでもよろしいでしょうか…?」

 すると、快く「OK」の返答が来た。

「因みにオススメは、どんなタイトルの本でしょう?」

『あー、あんたが好きそうなのは……偏見だけど、“また、同じ夢を見ていた”ってやつだな。住野よるの。』

「なるほど、『また、同じ夢を見ていた』ですね。ありがとうございました…!では――」

 そう言って切ろうとしたが、碓氷さんに呼び止められた。


『あ、笹野。』


 私は咄嗟に通話終了ボタンから人差し指を離す。


「はいなんでしょう?」

『晩飯なにがいい?流石にお粥じゃ飽きるだろうから一応訊いとく。』


 晩御飯………。


「オムライスがいいです!朝も昼も美味しかったですけどね♪ あれは飽きません♪」

『ふっw じゃあ、風邪が治らないといいなw』

 確かに…!!それめちゃくちゃいいな…!!!……あ、でも…………めちゃくちゃ暇だろうな…。

『てかオムライスとか、病人なのにそんなガッツリ食って大丈夫なのかよ。』

「大丈夫です!ウェルカム!ドンと来いです!碓氷さんの作ったものなら、どれだけ具合が悪くても無限に食べれちゃうので♪」

『…そ…そうかよ……。』

「はい、そうです!」

『まあ……うん、良かったわ。それで……オムライスのソースはデミグラスかケチャップ、どっちがいい…?』

「デミグラスがいいです!あっ…作るの、大変ですかね…?」

『いや。俺もデミグラス派だから何回か作ったことある。じゃ、またなんか困ったら電話していいから。』

「はい♪」

『キツくなったら寝ろよ?』

「分かってますって。ご心配ありがとうございます。」

 私の返答を聞いて、碓氷さんは電話を切った。そして、私はスマートフォンを机の上に置いて、本棚から碓氷さんが言っていた本を探す。


「あった…!」

 絵が可愛い。

 そう微笑みながらも、あらすじを読んでみると…とても面白そうだった。

 碓氷さん、分かってるぅ〜♪ なんて笑みを零して、私は本の世界に足を踏み入れた。




 冷たい手のひらが首筋に当たって、私は目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「あ、悪い。起こしちゃったか。」

 寝惚け眼の薄ら目で、そう言う碓氷さんを私は見つめる。すると、碓氷さんは「寝顔も阿呆ヅラだな。」と悪戯げに笑った。相変わらず意地の悪い笑顔だ。そんな碓氷さんの言葉と顔に腹を立てて、私は飛び起きて反論する。

「『阿呆ヅラ』なんて言わないでください!大体、普通の顔も阿呆ヅラなんかじゃありませんから!」

 と、怒ったところで、私は気がついた。頭の痛みも、だるさも、目眩も引いているのだ。

「熱、だいぶ下がったみたいだな。まだ七度はありそうだけど。」

 目を丸くしていた私に、碓氷さんはそう言った。そして、少しだけ優しい声で続ける。

「もう少しここに居ていい。家を探すのは完全に元気になってからでいいだろ。」

「えっ…!いいんですか…?!!」

「……悪いことしたしな…。昨日の魘される笹野を見て、更に反省した…。」

「反省なんかしなくていいです!碓氷さんは悪くありませんから!」

 私の言葉に……碓氷さんは何とも言えないような悲しい顔をして、気を取り直すかのように「よし、オムライス作ってやるか。」と立ち上がった。




「うんっま〜!!!ふわっふわとろっとろ!!デミグラスもいい感じに卵に絡みます〜!お家でこんっな美味しいの作れちゃうんですか!!」

 相変わらず絶品の碓氷さん特製オムライスを豪快に頬張っていると、上品にオムライスを口に運びながら碓氷さんは頬を緩める。

「ほんと食いっぷりいいなw」

「はい!碓氷さんの料理は絶品ですから!これお金取れますよ!!」

 なんて笑うと、碓氷さんは意地の悪い笑顔で「はい」と言って私に手のひらをみせた。


 ………。


「そういう訳じゃないです…。」


 私は碓氷さんを睨むが…………思った。

 食費くらい払うべきなのではないかと…。家賃も本当は払うべきなのか……?いや…払うべきなのだろう……。でも…今の私のお金じゃ……足りない………。銀行 行かないと……。それに、麗華さんにも渡さなきゃ…。

 申し訳なくなってきて、若干俯いていると、正面から「ソースついてる。」と声が聞こえてきた。顔を上げると笑いを堪えている碓氷さんが、自分の口の端をつついていた。「またやってしまった…!」と恥ずかしくなって、慌てて左腕を口に寄せるが……

「ちょっ…!袖で拭くな!」

 パシッと碓氷さんが私の左腕を掴んだことで、私は動かす腕を止めた。

 すると、碓氷さんは「…はぁ……」とため息をついてから、私にティッシュを一枚 雑に渡す。

「ありがとうございます。」

 受け取ると同時に、私は碓氷さんの対応に つい笑顔を零す。

「碓氷さんって、何だか『お兄ちゃん☆』って感じしますよね。妹さんか、弟さんがいらっしゃるんですか?」

「いや、いないけど…。」

「じゃあ、意外とお姉さんとか。」

 ピンと来たように言ってみると、碓氷さんの表情や身体が(こわ)ばったような気がした。だけど、気の所為だったのか碓氷さんはいつものようにため息を吐いてから言う。

「あんたに話すような義務は無いな。」

 そして、私が言い返す前に「そういえば本は?面白かったか。」と訊いた。

「はい!半分くらいまで読みましたが、すっごい面白いです!桐生くんがいいキャラしてます!それに主人公の子も、アバズレさんも南さんもおばあちゃんも、みんな考えさせられるようなキャラで続きが気になります。」

 そう答えると、碓氷さんは「ぷっw」と何故か吹き出す。

「そんなに気になるなら貸してやるよ。返すのはいつでもいい。」

「いいんですか?!!」

 やっぱり碓氷さん優しいんだな。「返すのはいつでもいい」って言ってくれるし、さっきだって「もう少しここに居ていい」って言ってくれたし!

 なんて思いながら、美味しいオムライスをハイスピードで食べていると……


――ワニャワニャワー♪ワニャワ♪


 私のスマートフォンに電話がかかってきた。「ちょっとすみません」と言って、私は着信主を見る。


「桜庭さん…?」


 桜庭さんは、私がいちばん尊敬する職場の先輩だ。私と三つしか違わないのに、仕事の効率も気遣いも完璧で、相談にもとても真剣に乗ってくれる。将来は、桜庭さんのような社員になりたいと、職場の人に公言している程だ。

 しかし、部長以外の職場の人からの電話なんて初だ。何か用だろうか。と、思いながら応答ボタンを押し、スマートフォンを耳に当てる。

「もしもし、笹野です。どうしました?」

 すると、桜庭さんのふわふわとした声が聞こえる。

『あ、笹野さん。今日さ、笹野さん会社来てなかったでしょ〜?だから、どうしたのかなって思ってね。』

 心配してくれていたのか!

「実はですね……十年来に、私のギネス記録に載る程の高熱を出してしまいまして…。」

『そうだったんだ…大丈夫?』

「はい!結構 熱は下がりましたし、今は元気です!明日は会社行けそうです。」

 私は笑顔で宣言するが、正面の碓氷さんが小さな声で「いや明日も休め。」と言ってきた。そんな碓氷さんを睨んで、私は口パクで「なんでですか!」と訴える。その直後、今度は耳に当てている電話から、優しい声が聞こえる。

『そっか…良かった〜…。元気な笹野さんの笑顔が見れないと、寂しいからさ。』

「それはそれは…!嬉しいお言葉、ありがとうございます♪」

『あ、そうだ。今からお見舞い行ってもいいかな?何か必要なものがあれば買ってくるよ。』

「『お見舞い』…ですか…。ごめんなさい、色々ありまして今……友達のお家に転がり込んでいる状態でして…――」

『その友達は今、お家に居るの?』

「はい、目の前に。」

『そっかぁ…じゃあ残念だね…。』

「お気遣いありがとうございます。」

 桜庭さんのご厚意に感謝して、丁寧にお辞儀をすると今度はこんなことを桜庭さんは言う。

『じゃあさ、今ちょっと話せる?』

「はな…?何か伝言ですか?」

 もしかして私、なんかやらかしたか…?

『ううん、もうちょっとだけ、声聞きたいなって思ってね。』

「声、ですか?」

『うん。……あっ…あ!あの、そういうんじゃないから安心して!ただ、安心したかっただけだから…。大体、年下に手出すとかこのご時世、セクハラになっちゃうし…。』

「あ、そういうことでしたか!ありがとうございます♪ けどごめんなさい、今ご飯中なので。」

『そっかそっか。分かった!じゃあ、お大事にね!』

「はい!ありがとうございます!」

 電話の向こうでは見えないが、ニコッと笑って電話を切ると碓氷さんがすぐさま、まるで深刻な問題かのように呟いた。

「あんたそいつ、気をつけた方がいいぞ。」

「『気をつける』?どういうことですか?」

 よく分からないので、私は再びオムライスを頬張り始める。だが、碓氷さんの表情は変わらない。

「だってそいつ、彼氏じゃないんだろ?」

「はい、先輩の桜庭さんです。とってもいい人です!よく手作りのお菓子もくれますし♪」

「物で釣られんなよ…。普通に考えて分かるだろ。」

「分かりません。」

「隙があれば口説いてきてるし、」

「桜庭さんは誰に対しても ああいう方です。優しいんですよ。」

「ヤケに家に来たがってたり、」

「心配してくれてるんです。看病しようとしてくれてるんですよ。」

「……具合悪いって言ってんのに話そうとしてきたり、」

「『今は元気』だと私が言ったからではないでしょうか。」

「どうせ、笹野ならいけるとか思ってんだろ。フッ軽で馬鹿だから。」

「そんな不誠実な方だとは思えませんけどね。それと二言多いです。」

 何も言わずに、なんとも言えない表情で睨む碓氷さんを無視して、綺麗にさらえたオムライスのお皿から手を離し、「ごちそうさまでした!ふぅ〜、美味しかった〜。」と(もた)れ掛かるように私は両手に床を着く。そんな私を暫くジロっと睨み、碓氷さんはため息をついた。 

「…はぁ……これだからお人好しは…。」

 褒められた…!!!碓氷さんが珍しい…!!なんて思いながら、私はニヤけて「ありがとうございますぅ♪」と軽くお辞儀をした。だが……

「え…褒めてないけど…。」

 困惑したように、碓氷さんはそう言った。

「え?」

「皮肉のつもりで言ったんだけど。」

「えっ…。『いい人』と褒められてるのかと思いました……。」

「阿呆かw『お人好し』って、誰にでもいい顔振り撒く奴のことだぞ?」

 ん?それ……前、誰かにも言われたような……………?


 ……………………あ…。


「御園さん…!」

 ショックで、つい声を漏らすと碓氷さんが面白がって笑う。

「他の奴にも言われてたのかよw」

 だが、直ぐに真面目な顔に戻った。そして、うんざりしたように私に言った。

「ほらな、人間は信じない方がいいんだよ。」

「『ほらな』って……そんなこと初めて聞きました…。…でも…!御園さんはいい方です!証拠にこの間、チョコレートをくれました!」

 と、反論したところで……

「あっ…!!」

 私は思い出した。碓氷さんにあげると約束した、高級チョコレートをあげ忘れていたことに。

「ごめんなさい忘れてました!」

 急いで立ち上がって、私はバッグの中からチョコレートを引っ張り出し、碓氷さんの目の前のテーブルの上に置いた。

「サンキュ。」

 丁度オムライスを食べ終わった碓氷さんは、お茶を飲んでからチョコレートの包み紙を開く。そして、口の中に放り込んだ。私が作った訳では無いのに、何となく緊張して碓氷さんの顔を見ていると……

「……ん…!美味いなこれ…!」

 碓氷さんは、驚いたようにそう呟いた!

「ほんとですか?!良かった〜!」

 嬉しくなって笑うと、碓氷さんも私と同じく嬉しそうに微笑む。だが、直ぐにハッとしたように真顔に戻って私から目を逸らしてしまった。






 それから三日後。二日前の夜に風邪が完治していた私は、普通に出勤していた。そして、普通に残業していた。


「ふぅ……疲れたぁ…。」

 なんて呟いて伸びをすると……


――ポキポキッ♪


 LINEの通知音が鳴った。スマートフォンを手に取ってみると、碓氷さんからLINEが来ていた。昼に送った『ごめんなさい今日残業になります!夜ご飯は勝手に外で食べるので、碓氷さんも先に食べちゃってください!』という私のメッセージへの返信だ。

『迎えに行ってやるから、今日は外食するか』

 との事…。


 ………ん?!!!


「『迎えに来てくれる』?!!やったあああああ!!!!超絶楽ちん…!!!!碓氷さんと一緒に居れば怖くないし!!!」

 なんて騒ぐが、まだ少し残業中の社員が居たということを忘れていた…。私は少し離れたところから聞こえるタイピング音で思い出して、「すみません…!」と謝った。それと同時に、もう一件LINEが入る。同じく碓氷さんから。


『職場の場所教えろ』


 私は、それを見て直ぐにGoogleマップを開き、職場名を調べ、碓氷さんへ共有する。直後、直ぐに返信が来た。

『了解』『終わったら連絡して』

 いやっほい!!!!

 テンションが上がった私は、そのまま『わかりました!!』『もうすぐで終わります!!あと10分です!!!』と返信して、超特急で仕事を進めた。




 十分後、無事に仕事が終わった私は碓氷さんへ『終わりました』の連絡をした。すると、直ぐに『出口のところにいる』と返信が来たので、私はハイスピードで荷物を持って、全速力でオフィスを出る。そして、碓氷さんのスバル自動車を見つけ、スキップで向かうと――


「笹野さん!」


 誰かに呼び止められた。


 振り返ると、何かを手に持った桜庭さんがこちらへ走ってきていた。桜庭さんはそのまま私へ駆け寄り、ゼーゼーと言いながら私の手を取って、ストラップを載せる。


――おばあちゃんに小さい頃貰った、大切なお守りだ…!


「これ…そこでさっき落としてた……。」

 息切れをしながら、そう笑った桜庭さんに私は「ありがとうございます!!」と勢い良く頭を下げる。すると、勢い良く顔を上げた私の髪を、桜庭さんは手で撫でるようにして梳かした。

「ははは、髪ぐちゃぐちゃだよ。」

 面白可笑しく笑って、桜庭さんは「そういえば」と続ける。

「今週末空いてたりする?良かったら僕の家でお菓子作りしない?前に『教えて欲しい』って言ってたでしょ?」

「『今週末』!いいですね――」

 と、言いかけたところで、いきなり私は誰かに後ろから腕を引っ張られた。

 ふわっと香る上品な匂いで、見上げずとも誰に引っ張られたのか直ぐに分かる。

 だけど、確認ではなく、驚きの意味で私は碓氷さんの顔を見上げた。


「悪いけど、生憎(あいにく)その日は用事があるから。」

 少し怒ったような口調で、碓氷さんは初対面の桜庭さんへ言い放った。


「あれ?もしかして彼氏さ――」

 桜庭さんが言い終わる前に、私が何かを言う前に、碓氷さんは私の腕を再び引っ張って「ほら行くぞ」と車に向かって歩き出した。

 かなり控えめに腕を掴まれているはずなのに、何故だか少しだけ痛い。車に乗せる仕草も、いつもと違って雑な気がした。


「何か今週末、用事でもあるんですか?どこか行くんですか?」

 碓氷さんは、私の質問には答えずに怒ったように訴えた。

「昨日言っただろ、人間は信じるなって。」

「昨日、碓氷さんが仰ったのは『人間は信じない方がいい』、です。信じるか信じないかなんて、自分で決めますよ。」

 自分の思ったことをハッキリと伝えたが、碓氷さんは……


「…そうか、もう少しあんたには考える脳があると思ってたな。」


 なんて、酷いことを言って車を発進させた。一瞬ピキっと来たが……碓氷さんも、もしかしたら心配してくれているのかもしれない。

 でも、同じ話をするとまた怒られると思ったので、私は「…お迎え…ありがとうございます…。」と、小さな声で言った。

 その言葉で、何だか碓氷さんは少し混乱しているかのように、首の後ろを軽く掻く。そして、暫くしてから「……何食いたい。」と雑に尋ねた。

「う〜ん、そうですねぇ……あ!焼き鳥が食べたいです!」

「焼き鳥か、いいな。どうせ、酒も飲むんだろ?」

「はい!」

「じゃ居酒屋だな。」

「やったあ〜!」

「今日は奢ってやる。」

「え!えっ!!いいんですか?!!!ありがとうございますっ!!!」

 碓氷さん、やっさすぃ〜!!♪




「やっぱり碓氷さんは、お酒飲まないんですね。」

 居酒屋にて、せせりを頬張りながらそう呟くと、碓氷さんは ねぎまを(かじ)りながら言う。

「味が苦手なんだよ。」

「そうなんですか?!こんなに美味しいのに…!まあ、好みもありますもんね。」

「そうだな。」

 なんて、お酒について少し語ると……「そういえば…」と碓氷さんが身体ごとこちらへ向けて、言いづらそうに口を開いた。

 首を傾げながら、私も碓氷さんの方へ向き直してから、黙って続きを話すのを待つ。


「……あんたの…事故物件隠蔽発覚事件があってから…………その……俺…………物件紹介する前に、過去の資料を見て……事故物件じゃないか、確認するようになったん…だ…。」

「なんと!偉いじゃないですか!」

「…偉くも何ともない……。本来なら……警察に話すべきだ…。」

「でも……それだと碓氷さんの会社が、潰れてしまうかもです…。碓氷さんも悪者にされるかも…。」

「……それが…………こ、怖くてっ……言ってない………。」

 碓氷さんは、震えた声で…そう訴えた。でも、声が震えているのは警察が怖いからでは無いと、何となく悟った。

 ……碓氷さんは、誰かにこういう「怖い」だとか、自分が不利になるようなことを話すのは初めてなんだと、そういう雰囲気を私は感じ取った。

 受け止めようと思った。いや、受け止めようと思わなくても、受け止めてしまう。

 碓氷さんと今まで関わってきた中で、碓氷さんのいいところや凄いところを沢山知ってしまったから、一人で背負うには重すぎるこの責任感から碓氷さんを少しでも救いたいと思った。

「私でも…きっと、怖くて言えないと思います…。それに、碓氷さんは不動産屋の仕事が好きじゃないですか。好きなものを、そんな自分の知らないところで行われてた不正が原因で、壊されたくないですもん…。」

 安心させるように、目を見て言ったが……碓氷さんは私から目を逸らした。

「別に…好きなんかじゃ――」

「好きなんですよ。お客さんに『担当があなたで良かったです』って言われて、いつも笑顔になってるじゃないですか。」

 麗華さんに会いに、スマイリーホームズに行った時、碓氷さんの笑顔が一番輝いていたことを私は知っている。

「あ…あれは作り笑顔――」

「作り笑顔なんかじゃありません。見てて分かります。本っ当に嬉しそうな顔をしてるんです。それに、私が『担当が碓氷さんで良かったと思ってます』って言ったときも、隠そうとしてたんでしょうけど、隠せてなかったですよ。ものすっごく変な顔になってましたもん。嬉しさと照れ隠しが混ざっているような。」

 「ふふっ」と笑った私の言葉で、碓氷さんは真っ赤になった顔を隠すように、大きな手で顔を覆った。そして、姿勢を元に戻す。

「……と…とにかくっ………その……あんたのお陰で俺は…もっと悪い道に行かずに済んだんだ…。」

「『もっと悪い道』…?」

「あんたの………『碓氷さんは私を騙してなんかいません』とか…『頑張ってる人に、誰も怒ったりしませんよ』とか………そういう変な言葉で…逆にもっと反省したというか……」

「反省する必要ありませんって――」

「だからっ……その…今日はきちんと礼を言いたくて……。…………あ……ありがとな…。あんたがあんなこと言わなければ、俺は今も……昔の資料を見て確認なんて…しなかっただろうから………。」

 赤くなったままの顔で、碓氷さんはそう小さな声で言った。自然と私の口角は上がる。

 お礼を言うのも苦手なのに、それでも面と向かって、碓氷さんがこう言ってくれることが私はとても嬉しかった。

 そして、碓氷さんの凄いところをまた見つけられたことも。碓氷さんの誠実さに、私は感心した。

「お役に立てて嬉しいです!」

 そう笑うが……私は同時に、あることを思い出した。

 そういえば私、今…居候状態なんだった…!お金を……!!

 焦って私はバッグからお財布を出す。そして、お財布に入っていたお札を全て抜き取り、碓氷さんへ差し出した。

「私もとてもお世話になってます…!長い間居候させて貰っているので、少ないんですがこれ……」


 だが、碓氷さんは「は…?」と言って受け取ってくれない。


「碓氷さん…?」



「……。」



「…………あっ!!ごめんなさい、こういうのって何か袋に入れるべきですよね…!しかもピン札じゃないと――」

「いや、そういうことじゃなくて。」

「はい…?」

 不思議に思って首を傾げると、碓氷さんは当たり前とでも言うような顔で言った。


「要らねえよ金なんて。」

「い…いや……でも………そういう訳には…――」

 肩を竦めてそう言うが、碓氷さんは更に言葉を放つ。


「あんた、いい意味で図々しいんだからそのまんまその図々しさを貫けよ。」

 「図々しい」…。


 ……ん…?「いい意味で」……???


「てかこういうの、現ナマ貰っても嬉しくない。なんか食いもんとか物にしろよ。」

「碓氷さんの好み、分からないんですもん…。甘いものお好きじゃないんでしょう…?」

「そうだな。」

 希望なんか全く見えず、落胆していると……



「……じゃあ、今度なんか奢れ。」


 「仕方ないな」とでも言うように小さな声で言った。そんな碓氷さんの言葉に引っ張られるように、私は嬉しくなってピーンと背筋を伸ばした。


「はい!!奢らせて頂きます!!!」

 すると、碓氷さんは少し照れたように目を伏せて口を力いっぱい横に広げ、笑った。そんな碓氷さんの笑顔に、私は更に嬉しくなる。

「碓氷さんは笑顔が素敵ですね。」

 つい零すと、碓氷さんは笑顔のまま一時停止した。そして、面白いくらい静かに笑顔が消えてゆく。

「…本当に変わり者だな、あんた。」

「そうですか?笑顔が素敵な人に悪い人はいません。」

 ニコッと笑うと、碓氷さんは戸惑った顔を隠すようにタン串を齧って言う。

「そういう偏見、やめた方がいいぞ。大体、深く関わってもないのによく言うよ。」

「そう思いますか?ですが、人には裏表があるので、評価材料は現時点で自分が見えてる部分だけで充分だと思います。私は碓氷さんのこと尊敬しているので。碓氷さんがいい人か悪い人か判断するのは私の問題で、碓氷さんが否定しても変わることはありませんから。」

 微笑んでそう思っていることを素直に伝えるが、碓氷さんはまた一時停止して、暫く私を見つめていた。少し動揺しているような表情で。でも、直ぐに目を逸らす。

「…勝手に尊敬されてもな。」

「『尊敬』は勝手に(いだ)くものです。それとも、碓氷さんには許可が必要ですか?」

「……はぁ………勝手にしろ…。でも、思ってたのと違ってても落胆すんなよ。」

「しませんよ!もう既に、碓氷さんのいいところを沢山見つけてしまったので。」




「そういえば、そろそろ体調的にも家探しても大丈夫だろうから明日、仕事終わったらうちの会社来るか?夜中だって魘されなくなったし。」

 帰り道の車で、碓氷さんはそう言った。

「そうですね、お家見つけないとです。では、五時半頃に伺います!」

「条件は前回と同じでいいよな?」

「はい!」

 ということで……





 翌日の今日、仕事終わりに私はスマイリーホームズへ向かった。

 麗華さんからカフェで買ったというマカロンを二つ、不動産屋に就職して四十年のベテラン議員の高橋さんから飴を五つ、偶々来ていた気前のいいお客さんから小袋のアーモンドチョコレートを七つ、その隣に座っていた大学生のお兄さんから小袋のおにぎり煎餅を二つ頂いて、私は碓氷さんの正面の席へ辿り着いた。

「お疲れ様です碓氷さん!碓氷さんもどれか食べますか?」

 そう笑って、手のひらからテーブルにお菓子をばら撒くと、碓氷さんは頬を緩ませながら言う。

「ここに広げるなよ。」

 だが、何だか碓氷さんの表情は徐々に戸惑いが足されていった。そして、変な笑顔で言う。

「相変わらず人気者だな。」

 そんな碓氷さんの皮肉を込めたような言い方にも、そういう訳では無さそうな碓氷さんの戸惑いの色をした顔にも、私は何を言えばいいのか分からなくなってしまった。珍しく「あはは…」と愛想笑いをすると、碓氷さんも珍しく気を使うように目を合わさず言う。

「『おにぎり』貰うわ。」

「ホントですか?!では、二つともあげちゃいます。」

 いつも通りを意識して笑うと、碓氷さんもいつも通りの顔で「二つも要らんわ。」と返す。

 だけど……


「…………変なこと言って悪かったな…。困らせるつもりは無かった…。」


 私の気持ちを気にするように、少し苦しそうにそう謝った。そんな、私から目を逸らす碓氷さんの瞳を見ていると、この人は心に何か傷を持っているのだと、そう感じた。だが、「悩みがあれば聞きますよ」なんて言ったら、プライドの高い碓氷さんはきっと何も言いたくなくなってしまう。だから私はいつものように笑った。

「いつでも碓氷さんの力になります!」

 すると、碓氷さんは驚いたように顔を上げた。そして、控えめで綺麗な笑顔を零す。

「ありがとな。」

 そんな碓氷さんの笑顔に安心して、私も笑顔を零すと、碓氷さんは顔を赤らめて意識的に我に返ろうとするように咳払いをする。

「…それで……あんたの条件を踏まえて、もう一度候補を挙げてみた…。ここに入ってるのはどれも過去に事故や事件が無いか調べたものだから、安心して選べ。」

 そう言って、碓氷さんはファイルを開いて私へ差し出した。パラパラとページを捲ってみると、本当に全て私の言った条件に当てはまっている資料しか無かった。態々、プリントしてファイリングしてくれたのだ。

 それを知った瞬間、私は改めて碓氷さんの凄さに気がついた。

「すごい……。」

「気に入った物件があれば、また前みたいに連れてってやる――」

「全部連れてってください!!」

「……はっ?全部?」

「はい!全部です!」

 全て、碓氷さんが態々調べてくれた物件だ。きちんと見て一番いいお家を見つけたい。そんな思いで伝えると、碓氷さんは困ったように言う。

「いいけど……三日はかかるぞ…?内見だけで。」

「それでもいいです!――…あ、ご安心ください、これ以上ご迷惑をかけないよう、今日からビジネスホテルに泊まりますので!」

「いや……べ…別にそれは気にしてない…。……引っ越すまで好きなだけ居ればいい…。」

 突然の碓氷さんの小さな声に思わず顔を上げてしまうが、碓氷さんはこちらを見ない。が……頬がほんのりと赤みを帯びている。可愛らしい。

「えっへぇ〜!いいんですか〜?♡ じゃあ一生住まわせて頂きますっ♪」

「はっ?いやそれは困る。帰れ。今すぐ帰れ。」

「またまたぁ〜♡」

 そんな私のからかいに、碓氷さんは更に顔を赤くしていく。そして眉に皺を寄せて怒った。

「調子乗んなよこのガキが…!俺はあんたが困ると思って善意で言ってやった訳で、別にあんたが居なくなったら困るとか全く!まっっったく無いからな…!早く出ていきやがれこのタコがっ!!!」

 私は碓氷さんの突然のお怒りモードに……必死に笑いを堪えていた。なのに……

「わお、碓氷のツンデレ初めて見た。」

 碓氷さんの後ろにいた麗華さんが、そんなことを言った所為で……

「ぶっははははっ!!www」

 ついに私は吹き出してしまった。そんな私の爆笑と麗華さんの言葉に碓氷さんは顔を耳まで真っ赤にして黙る。

「も〜w 麗華さん笑わせないでくださいよォ〜www 折角堪えてたのにww」

「……もういい。そっちで勝手にやってろ。桔梗さんこいつに物件紹介してください。俺は他の客の相手するんで。」

「えー!なんでそんなこと言うんですか!!!嫌です!私、碓氷さんの紹介したお家に住みたいんです!!」

 席を立った碓氷さんを慌てて引き止めると………

「……調子のいいこと言いやがって…。」

 照れながらも怒り、そして再び席に座った。すると、麗華さんがコソッと私に言う。

「碓氷、案外可愛いわね♡」

 だが、碓氷さんを挟んでの会話なので、碓氷さんに丸聞こえだ。

「麗華さんも分かっちゃいました?♡ 碓氷さんの、か・わ・い・さ♡」

「……ッチ……怒りますよ桔梗さん。こいつの相手しないでくださいよ。直ぐ調子に乗るから。」

「やぁだぁ〜♡もう怒ってるじゃなぁ〜い♡」

 なんて言うと、碓氷さんは麗華さんをギロッと睨み、ため息をつく。

「そういえば、明香里ちゃんは今、碓氷のお家にお泊まりしてるのよねぇ〜♡」

「はい!毎日美味しいご飯をご馳走してくれます!」

「へぇ〜!碓氷って料理できたんだ〜!」

「もう碓氷さんのお料理は絶品ですよ♪」

 そう笑うが、麗華さんは「へぇ〜♡」とだけ返してニヤッと笑った。そして、私たち二人を交互に見て言う。

「洗濯とかどうしてるの〜?♡ お風呂は一緒に入ってるの〜?♡」

「いえ!お風呂は――」

「あの、本当にそういうのじゃないんで辞めて貰えますか。」

 私が言いかけたところで、碓氷さんは本気で怒ったようにそう言い放った。だが、麗華さんは未だにニヤニヤとしている。

「あたしは今、明香里ちゃんに訊いてるの♡ 洗濯はどうしてる?♡」

 そんな麗華さんを見て、碓氷さんは深くため息をつき、資料をペラペラと捲り始めた。

「洗濯は……今は週に二回、コインランドリーでしてます。居候初日に碓氷さんが『好きなように使っていい』と仰ったので、三日目くらいに脱いだ服を洗濯機に入れたのですが……」

 私は記憶を遡って語り始めた。



 あの日、私は碓氷さんが起きた音が聞こえると急いでベッドから起き上がった。そして、ドタバタと走ってトイレや洗顔を済ませて、洗濯物を干し始めている碓氷さんへ話しかけた。

「私も尽力します!」

 だが、碓氷さんは眠そうに欠伸(あくび)をして答える。

「いいよ、あんたは俺より家出るの早いんだから支度でもしてろ。」

「いえ!そういう訳にはいきません!居候させて頂いてるので!」

 そう意気込んで私は適当に洗濯機から衣類を引っ張り出した。

 が……


「バッ…!!!おまっ!触んなっ…!!!!」


 とても焦ったように碓氷さんは私の手から衣類を奪い取った。驚いて碓氷さんの顔を見ると、めちゃくちゃ顔を赤くしていた。そして、そんな碓氷さんの手には超シンプルなデザインのボクサーパンツが。


「なんで取り上げるんですか?漏らしたんですか?」

「漏らしてねぇーよっ…!!パンツとか他人に触られたくねぇーだろ!!!」

「ほう……朝からお元気ですね碓氷さんは。」

 なんて言って、私は気を取り直して洗濯機からもう一度衣類を引っ張り出して、今度こそ洗濯バサミに挟む。

「もういいよ、邪魔だからどっか行け。」

 碓氷さんのまだ少し恥ずかしそうな声を聞き流して。だが…………


「…ん?」

 そんな声が聞こえた直後……



――ベチンッ…!!



 何か、衣類を顔に投げつけられた。濡れたままなので結構痛い。

「いったぁーい!朝から何するんですか!」

 状況が上手く呑み込めず、顔に着いた衣類を引き剥がした私の瞳に映ったのは…………先程よりも、もっと顔を赤く染め上げていた碓氷さんの顔だった。

「『何するんですか』じゃねぇーよ!!おっ…お前っ…!!自分の脱いだやつ入れんなよ…!!!」

 そう怒鳴られて、自分の手元を見ると……それは、お尻のところに大きくポムポムプリンの顔がデザインされているお気に入りのパンツだった。だが、私は碓氷さんが怒っている理由が分からない。

「洗ってあるやつなので良くないですか?」

「いいわけあるか…!!!やっぱりあんたはどうしよもない馬鹿なんだな…!!!他人のパンツなんて触りたくねぇよ…!!!」

「いや、だから洗ってありますし……」

「てっ…!てか見たくねぇよ…!!!見せんな入れんなコインランドリーで洗え…!!!」

「……ごめんなさい…?…けど!使っていいって言ったのは碓氷さんじゃ――」

「んなこと一言も言ってねぇわ!!」



「ということがありまして…。」

 そう語り終えると、麗華さんは「あっはははwww」と豪快に爆笑した。

「そっ…w それは碓氷も大変だっただろうねwww」

「そうなんですか?ですが、私も非常識人間という訳ではないんです。お泊まりのときは、自分の洗濯物は袋に入れて持ち帰るというマナーを知ってるんですから。『好きなように使っていい』と仰ったのは碓氷さんなのに、どうして怒られなきゃいけないんですか?」

 そう麗華さんに尋ねると、碓氷さんは顔を上げて呆れたように教えてくれた。

「…あのなあ……『好きなように使っていい』って言ったのは冷蔵庫なんだよ…。」

「ほう…?なるほど……。では、洗濯物は入れるべきではなかったんですね。」

「当たり前だろっ!!」

 なんて話していると、今度は優しく麗華さんが笑って言う。

「明香里ちゃん、よく考えてみて。碓氷がもし、レディースのパンツを見たことがなかったとしたら…?」

 …………碓氷さんがレディースのパンツを………………はっ…!

「それは大変ですね…!!初めてのものに戸惑います…!!!」

 そういう事だったのか…!!!


 ……………………ん…?


「いや……そんなことはない筈です。だって、碓氷さんはお姉さんがいらっしゃるんですから。見たことない訳ありませんよ。それに、ショッピングモールを歩いてたら下着屋も普通に目に入ります。ですので、そう珍しいものでは無いかと。」

「えっ!碓氷ってお姉さんいたの?!!意外…!!一人っ子かと思ってたわ!!!」

「それがそうじゃないんですよ〜♡」

 そんなふうに女子トークが始まると、碓氷さんが「もういいですか、桔梗さん。」と冷たく言った。その瞬間、私たちの動きがギクッと止まる。


「早く仕事したいんで、桔梗さんもさっさと持ち場に戻ってくれます?」

 流石の碓氷さんにもこんな言い方をされるのは初めてなのか、桔梗さんも「えっ…」と戸惑いの表情を見せていた。

 だが、直ぐにニコッと笑って


「あはは、ごめんね邪魔しちゃって。じゃ、頑張って。明香里ちゃんも、じゃあね。」


 去っていった。

 だが、私はキッと眉を吊り上げて碓氷さんに言う。

「流石にあの言い方は無いんじゃないんですか?麗華さんは先輩なんですよ?」

 けれど、碓氷さんは表情を変えずにまたもや冷たく言い放つ。

「先輩も後輩も関係ねぇよ。仕事サボってんだからハッキリ言うべきだろ。」

「ですけどあの言い方は…!――」

「ほら、内見行くんだろ。さっさと行くぞ。」

 私が言いかけた言葉を無視して、碓氷さんは車の鍵を持って席を立った。



 碓氷さんの安定した車に揺られて、考えた。

 碓氷さんにも、何か冷たくしてしまうような理由があったのではないかと。だって、碓氷さんは意地悪ではあるけど、無闇に人を傷つけるような人では無い。しっかりと関われば優しいところだって沢山あるし、何か碓氷さんが怒るような理由があったのだろう。大切にしていることだって、人それぞれで違うんだから。

「さっき……また出しゃばった真似をしてしまって…すみませんでした……。」

 車の走行中、小さな声で謝ると、碓氷さんも聞こえるか聞こえないかの小さな声で、正面を向いたまま言った。

「………気にすんな…。」

 そう言った碓氷さんの目は、どこか悲しみや苦しさに溢れているような…そんな気がした。 


 今、碓氷さんは何を考えているんだろうと思いながら、碓氷さんの横顔を見つめる…。

 車内には、車のモーター音だけが響いていて、気まずい空気が流れていた。


「……俺も………人の気持ちをよく理解できなくて…ごめん……。」

 先程よりも悲しそうに、先程よりも苦しそうに、碓氷さんは零すように言った。

 だが、碓氷さんの言っていることが私はよく分からなかった。

「碓氷さんは、人の気持ちをよく理解してますよ?」

 素直に伝えると、碓氷さんは驚いたようにこちらを向く。丁度信号が赤になり、碓氷さんは片手を下ろす。

「……は…?なに言って…」

「え、そんなに驚くことですか…?お客さんの笑顔を見て嬉しくなるのも、碓氷さんが私の食べる姿を見て笑うのも、私の笑顔を見て微笑むのも、さっき桔梗さんにからかわれたときに本気で『辞めて貰えませんか』と怒ったのも、全部、碓氷さんが人の心をよく理解出来てるからです。全部、私が碓氷さんを尊敬する理由ですし、碓氷さんが『優しい』という証拠です。」

 嘘偽り無く、正直に伝えると、碓氷さんは驚いた顔で暫く私の瞳を見つめてから……



「……はあぁぁ………ほんとにもう……あんたみたいなタイプは苦手だ…。」



 弱々しく、そう呟いた。

 だけど、碓氷さんの顔に戸惑いの色が見えるのは変わらない。

 けれど、私は知っていた。碓氷さんが戸惑いを感じながらも、少し嬉しそうな顔をしていることを。


「でも、嫌いじゃないですよね。」


 信号が青になって、ギアを動かし、車を走らせたところで私も嬉しくなって笑いかけると、碓氷さんは前を見ながらも驚いたように、少しだけ目を丸くした。アフレコするなら「…っ…!」という感じだ。

「表情が物語っちゃってます♪ 案外碓氷さんって、分かりやすいんですよ?♪」

 そんな私の言葉に、碓氷さんは少し緊張したように呟く。

「……よく見てるんだな…。」

 やっぱり、また戸惑ったような顔をする。碓氷さんは……何に戸惑っているのだろう…。

「よく見なくても、これだけ隣にいれば分かります。」

 安心させようと笑ってみるも、碓氷さんは…まるで「馬鹿馬鹿しい」とでも思っているように、自嘲気味に口角を上げるだけだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

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