第七章 調和のとれた関係②
シューズの履き替えがあったので、時間がかかってしまった。俺は急いで、笹野と別れた場所に戻る。が…………
「……え?」
…笹野は居なかった。焦ってすぐさまコートのポケットに手を突っ込むが……スマートフォンはロッカーに入れたんだった…。携帯電話の使用は禁止なので、笹野も持っていない……。
もし……不審者にでも捕まっていたら………もし、誘拐犯にでも………。そう思い、急いで辺りを見回すが………スケートリンクは入場した時よりも混んでいて…笹野を見つけられなかった…。
どうしよう……迷子センターに行くか…?いや、待て待て待て………あいつは子供じゃないんだ…。冷静に考えろ……。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせながらも、俺は辺りをもう一度見回していた。
すると…………
「…………は?」
少しずつ氷の上を滑っている笹野が居た。俺が額に皺を寄せたのは、笹野が一人で行動しているからでは無い。………男と手を繋いで滑っているからだ。よく見るとその隣には仲間らしき男も一人いた。
俺は頭の整理が出来ないまま、急いで笹野の方へと滑った。
「お前なにしてんだよ…!どれだけ心配したかっ……。」
冷静になろうと思っていても、安堵と不安から大きな声を出してしまった。だが、笹野は驚いたりはせずに呑気な顔で「あ、碓氷さん!おかえりなさい。」と笑う。その瞬間、笹野と手を繋いでいた男は焦ったように手を離した。
「『おかえりなさい♪』じゃねぇよ…!というか誰だよそいつら!」
取り敢えず笹野をこちらへ寄せ、俺は男ではなく、笹野の顔を見て尋ねる。その瞬間、「ゲッ」とでも言うような顔をした男二人が逃げようとしたため、咄嗟に俺は二人のフードを掴んだ。
「この方たちは、えっと……あ!敬太さんと…泰我さんです! 碓氷さんの帰りを待っていたところ、話しかけてくださいました。『スケート得意なので、良かったら滑り方教えましょうか』と。」
「………普通断んだろ…。俺が『ここに居ろ』って言ったんだから…。」
「一度は『友達と来ているので』と断ったのですが、泰我さんが『その友達が戻ってきたら、一緒に教えてあげます』と仰ったので。碓氷さんと私、二人の特訓をして頂こうかと。」
…………「戻ってきたら」とか……絶対………笹野が着いてくるように言った誘い文句だろ…。というか…………なんで下の名前なんだよ……。
俺は段々と腹が立ってきた。笹野が出会ったばかりの男を下の名前で呼んでいることも、出会ったばかりの男と手を繋いでスケートをしていることも……。
「…あんたらは何だ。こんなクリスマスにナンパでもしてんのか。」
俺は沸々と胸と頭に沸き上がるイライラを抑えながら、そう尋ねた。
すると、一人が「チッ…『友達』って男かよ……。」と呟き、一人は粋がるようにこちらへ詰め寄る。
「オレらは別にこんな子に興味無い。か弱そうな女だから話しかけただけだよ。」
「じゃあなんで一度で引き下がらなかった。」
「あのさ、この子もこの子で悪いところあると思うよ?だって、男と来てるのに簡単にナンパに乗っちゃって――」
「えっ?!ナンパ?!」
と、騒いだ笹野に若干呆れながらも、俺は言い返す。
「……ご覧の通り、こいつはナンパって気づいてない。」
「あーw 相当バカなんだねw」
「っ……。」
なんでコイツに言われるとこんなにも腹が立つんだ?いつも俺も言っているのに……。
俺が言い返そうとしたところ、男は気にしない様子で続ける。
「この子も嬉しそうだったし。嫌がってなかったし、別に良くない?」
「こいつが嬉しそうなのは生まれつきだ。」
「フッw 別に男に触られるの、嫌じゃないんじゃないの?」
そんな馬鹿げたことをほざきながら、もう一方の男が笹野の頬に触れようとした。笹野が一歩後ろに下がり、俺の手は無意識にその男の腕を掴んだ。そして、力を入れる。
「いでででで!!」
「ほら、露骨に嫌そうな顔してただろ。こいつに触るな。」
「はいはいすみませんでした!…もう、これでいいでしょ。」
「……。」
かなり雑だが…謝罪も受けたしこれ以上大事にするつもりはないので、俺は二人を睨んでから投げるようにして男の腕を離した。
しかし――
「『友達』が男だって知ってりゃ話しかけなかった。誰がこんなガキ臭い女を相手にすっかっての。」
男たちはそんな捨て台詞を吐きながら、立ち去ろうとした。
「ガキ」という言葉に異常に腹が立ち、頭に血が上っていくのを自覚する。
笹野はちっともガキ臭くなんかない。心が子供のように綺麗すぎるだけで、内面は誰よりも大人びた優しい奴だ。
……なんでこんなにも可愛いこいつが「女だから」という理由でナンパされなきゃいけないんだ。
なんで、純粋無垢すぎるだけで、こんな侮辱されなきゃいけないんだ。
くそ……なんで…
「…おい。おい、待て。」
声色の低くなった俺の呼び掛けに、ナンパクソ野郎たちは律儀にも振り向いて立ち止まる。
「いいか、こいつは子供っぽそうに見えて誰よりも大人びてる。こいつのこと『ガキ』って言っていいのは、こいつのことをよく知ってる俺だけなんだよ!」
俺の突然の怒鳴り声に、一人は肩をビクッと跳ね上げさせた拍子に足を滑らせ氷上に尻もちをついた。もう一方の男はもう既にツルツルと滑りながらも、仲間を置いて逃げていった。
置いていかれた男は立ち上がろうとするも、どうやら脚が震えて立ち上がれないようだ。
「ぷっwww」
笹野の笑い声が聞こえた途端、ついさっきまで威張っていた男は情けなく壁を伝い、ツルツルと滑って転けそうになりながら、俺と笹野の元を去っていく。その去り方はまるで……
「ぶっww ホームアローンのマーブとハリーみたいだなwww 惨め過ぎて笑えるwww」
昨日、笹野と観た映画の登場人物のようだった。笹野も俺の例えに、口元を押えた割には結構 豪快に笑った。
「あっははwww そうですねwwww」
それから俺たちは自由気ままに、喧嘩もせず仲良く氷の上を滑っていた。笹野の腕も上達してきて(腕よりかは、「足」と言った方が正しいのだろうか)、手を繋いでやらなくても滑れるくらいにまで成長していた。
笹野が滑れるようになっていくことが嬉しくて、上達に喜ぶ笹野の顔を見るのが楽しくて、俺はずっと笑顔だった。
多分、笹野に出会ってから俺は、出会う前よりも笑顔が数十倍は増えただろう。
「碓氷さん。」
スケート場にある休憩所の椅子に座って、売店で買った昼食を食べていると、笹野が嬉しそうに口角を上げて俺の名前を呼ぶ。
サンドイッチを齧りながら「ん?」と返事をすると、笹野は笑顔で言った。
「あの時、怒ってくれてありがとうございました。」
そんな笹野の幸せそうな笑顔に、俺の胸はドキンと音を鳴らす。
「碓氷さんの言う『ガキ』は、褒め言葉だったんですね。」
笹野のあまりに真っ直ぐな瞳に、真っ直ぐな言葉に、俺は恥ずかしくなって顔に熱が帯びているのを自覚する。そんな俺に気がついて笹野は「ふふふっ」と笑みを零してから、うどんを啜った。
「……く…クリスマスなのに悪いな…高級レストランとかじゃなくて……。」
「いえ!碓氷さんとなら、どこでも楽しいので構いません!それに、ここも美味しいですよ♪」
笹野と話していると、やはり自然と笑顔になる。
「今日の夜は、下準備してたローストチキン食べような。」
「ローストチキンですか?!しかもっ、碓氷さんが調理してくださったんですか?!!」
「ローストビーフもある。」
「ローストビーフ?!!やったぁ〜!!どっちもとっても楽しみです!!碓氷さんの手料理だから尚更楽しみです!!!」
「そうかw 楽しみにしてろw」
「はい!楽しみにしてます!!」
本当に無邪気だし純粋無垢で可愛い。ポメラニアンみたいだw
十三時頃、俺たちはアイススケート場を出た。
違和感のある脚で再び電車に乗り、赤坂で下りてハリーポッターショップ――マホウドコロで二人とも爆買いした。その後、笹野の憧れだった「ロールアイス」というものを食べに行ったり、俺の提案で巨大な書店に行ったり、神社に寄って二人で今年最後の御参りをしてみたりと、俺たちは赤坂のクリスマスの街を最大限に楽しんでいた。
「何をお願いしたんですか?」
願い事を心の中で三回唱えて目を開けると、先に御参りを終えていた笹野が俺に尋ねた。ギクッとして目線を移した先で、笹野が興味津々な顔で俺を見つめている。
「……ね…願い事は…声に出すと叶わないらしい…。」
恥ずかしいので答えないでいるが、笹野は賽銭箱の前から はけてもなお、俺をキラッキラな瞳で見つめていた。そんな熱い眼差しに、やはりドキドキと心拍数は上昇し、胸がぎゅうっと締め付けられる。視界の端に映る笹野が、物凄く可愛く思えてきて、恥ずかしさはどんどん増していく。
………。
「………らっ…来年も………笹野と…こうやって遊べますように…………。」
結局、見つめられる恥ずかしさに負けて、俺は願い事を教えてしまった。そんな気色の悪い俺の願い事に、笹野はクスッと笑い声を零した。そして、とても嬉しそうに俺を見上げて言う。
「もったいないです。」
「もったいない」…?
……何が「もったいない」んだ?………もしかして……来年は俺と会わないつもりか…???
いっ…いやそんな筈ない……。だって…………
笹野の言葉が耳に届いた直後、突き刺さるような冷たい風が、静かに俺の頬を掠める。しかし、少し俯くと、首に巻いているマフラーが寒さを凌いでくれた。
「そんなの、『神』に頼まなくても叶いますよ。私は碓氷さんから離れる気は さらさらありませんから。」
なんだそのイケメンな返しは。
「……お前は、なに願ったんだよ…?」
どうか笹野も同じ気持ちであって欲しいと、心から祈りながら俺は、笹野の顔を覗き込むようにして尋ねた。すると、笹野はドヤ顔で答えた。
「内緒です。」
「は?」
「内緒」…?俺は答えてやったのに……?
「何だよそれ、卑怯だぞ。」
「卑怯でごめんなさい。でも、これは機密事項なんです。誰にも教えられませんよ。」
「……んだよ…。」
そんなの………笹野が俺と同じことを望んでないって言ってるようなもんだろ…。
いや……そもそも、アラサーのおっさんがそんな若い奴に「親友」と認めてもらえるなんて考えが間違っているのか…。同性でさえ、これだけ年の差があると仲良くなるのは難しいっていうのに…。
そんなことに今更 気がつき、巻いているマフラーをぎゅうっと握りしめていると……
「当てられたら、教えますが…。」
そんな笹野の、少し緊張したような声が聞こえた。
「いや…言いたくないんなら言わなくても――」
「当ててみてください。私の願い事。」
目をやると、とても真剣な目で笹野が俺を見上げている。
「なっ……」
…なんなんだよ急に……。こいつの「願い事」?……そんなん分かる訳…………
「……億万長者になれ――」
「違います。」
「…………石油王に――」
「違います。あ、因みに解答権は三回に尽きます。」
「はっ?先に言えよ…。」
何なんだ………当てられたくないのか…?なんか緊張してるみたいに目が泳いでるし……。
……考えろ俺…………笹野はさっき、俺の願い事に対して…「勿体ない、願わなくても叶う」と言った……。つまり…………笹野は、神頼みしたとしても到底叶わないことを願った…ということ……。解答権は…あと一回…………。俺は教えてやったんだから、絶対に当てたい……。
人に知られたくなくて……叶えるのが難しいこと…………。人に知られたくないこと………それは……恐らく、「弱さ」…。
…………
「――あ」
笹野って……ホラー苦手だったよな…?
ホラー映画観ようと誘ったときに、必死に拒んだことがある…。俺の「事故物件」の所為かとも思ったが、「それは断じて違います」と何度も否定していた……。
ということは…!!
「ホラー映画を観れるようになりますように!」
「違います。」
「クソっ。誰が分かんだよ こんなん。」
悔しくなって、俺は少しの間黙っていた。……だが、悔しい思いをしているのは俺だけでは無かった。
文句を言おうと自分の肩程の高さに目をやると、笹野が何だか悲しそうな顔をしていたのだ。珍しく黙り込んで、赤い手袋をはめた手を眺めている。
そんな笹野を見ていると、怖くなった。
……幾ら笹野でも、人間だ…。そりゃあ、傷つくことだってある…。………いつか……壊れてしまう日が来る可能性もあるんだ…。
そう察した途端、笹野が急にふっと消えてしまうような気がしてならなかった。このひんやりと耳や胸を刺すような冷たい空気が、更にその心配を膨らませた。
「…おい、なんかあるなら言えよ…。」
弱々しく投げかけた俺の声に、笹野はゆっくりと顔を上げる。少し、驚いているみたいだ。
「……察するのは苦手なんだよ…。笹野も知ってんだろ…?……なっ…悩みとか言ってくれれば……全然聞くし…一緒に考えるし……――」
「碓氷さんは……」
俺の言葉の途中で、笹野は口を開いた。深刻そうに喋り始めたのに、いつの間にか普通の会話のように笑顔になっている。
「碓氷さんは、私のことどう思ってますか?」
だけど、作り笑いなんだろうと直ぐに気がついた。笹野の声が震えて、顔が若干 強ばっていたから。
「どう思ってる」…?
……どうって…………
「…子供っぽいけど…どこか大人びてて……純粋で……人懐っこくて…めちゃくちゃ優しくて…観察力があって――」
「そうじゃなくて…」
零すような笹野の震えた声が聞こえたところで、俺は息を止めるように言葉を止めた。
「そうじゃなくて」…?……どう答えるのが正解なんだ…?
「ごめんなさい変なこと言って。それより…御籤引きましょう!きっと、今年最後になりますね!結果が良い方が勝ちですよ!」
俺が答え方について悩んでいる間に、笹野は取り繕うように笑顔で話を切り替えた。
恐らく、今 俺が尋ねても笹野は誤魔化すだけだろう…。そう思って深くは聞かずに、俺は先を走る笹野を追いかけた。
「嘘……『大凶』?!なんでこんなもん入れんだよ…!!」
「やった〜!大吉!私の勝ちですね!」
「フンっ、まあ『大凶』なのも『大吉』なのも今年のうちだけだ。一週間後にはお前は『大凶』の年になるかもだなっw」
ニヤッと笑って笹野の御籤を奪う。そして、俺の御籤を渡して然と結果を見てみた。
どれどれ?笹野の今年の運勢は……
「お!『願望 幸運に巡り合う相あり健康に用心せよ』だってよ。良かったな、叶うってよ!」
まず最初に「願望」の項目を見て笹野へ笑顔を向けたが、決して笹野を元気にさせたくて読み上げた訳では無い。……いや、元気にさせたいのは確かだが、だからといって無理に「上手くいく」ということをアピールしたのでは無い。嬉しかったのだ。だって、あんなふうに深く考え込むということは、あの願いは笹野の相当叶えたい願いなんだろうから。
俺は、笹野のお陰で「誰かの幸せ」を望めるようになっていた。こんなことは笹野が初めてだった。全ての人間に無関心で、幸せを僻んだりしたこともあったのに、笹野に対しては「どうか幸せでいて欲しい」と本気で思うのだ。
俺の言葉に、笹野は少しだけ複雑そうな顔をしながらも喜んだ。
「本当に叶うといいです!」
「そうだな。というか、叶うに決まってる。」
こうやって、心の底から楽観的に考えが浮かぶのも、笹野に出会う前は無かった。寧ろ、綺麗事のようで嫌いだった。けれど、これは綺麗事なんかじゃない。笹野の粘り強さと行動力があれば叶うと確信している。
笹野は嬉しそうに俺を見上げ、小さな手に持っている御籤へと視線を落とした。そしてワクワクとした様子で「碓氷さんは〜」と御籤の結果を辿る。俺も 少し心を躍らせながら、笹野の読み上げを待っていた。
だが………
「願ご…………」
笹野は突然、読むのをやめた。
「どうした?」
そう言いながら、俺は笹野の手元を覗き込む。だが、直ぐに見なきゃ良かったと後悔し、絶望した。
「……は…?…え?『おこがましい』……?…えっ俺……なんか神にした…?…ってから神なんか存在しないだろ!ハッ、アホくさ。誰が信じるかこんな結果。」
「いい結果しか信じないタイプなんですね。」
クスッと笑いながら、笹野は俺に御籤を返し、俺の手から御籤を取る。そんな笹野を眺めてから、ふと腕時計に目をやると――
「そろそろ行くか。」
思ったよりも時間が進んでいた。俺たちはイルミネーション会場への移動を始めた。
移動時間も笑顔は絶えず、俺たちのテンションは頂点まで上がっていた。
ずっと、この時間が続けばいいと思った。ずっと……隣で笹野の笑顔を見ていたい…。笹野の言葉に笑ったり、ツッコんだり、ボケたりしながらも頭の片隅ではそんなことばかり考えていた。
十六時半、会場に到着して、オレンジかかった空を背景にした点灯前のイルミネーションを見渡す。まだ点灯はしてなくとも、辺りは充分 キラキラと鮮やかに輝いて見える。
そんな美しい景色から笹野の笑った顔へと視線を移して、俺はある小説の「人を思うと、世界が輝いて見える」という一節を思い出していた。
行き交うカップルや家族連れを眺めながらも、この世界には俺と笹野しかいないような、そんな気がした。
そして、笹野の声しか聞こえないからか目の前で泣いている女の子に俺は気づかなかった。
「どうしたんですか?」
前方に駆けて、いつもよりも優しい声で尋ねる笹野の姿で漸く、女の子が大声を上げて泣いていたことに気がつく。年齢は四、五歳くらいだろうか。
うわ、子供だ…。と声に出してしまいそうだったが、慌てて唾と一緒に言葉を呑み込む。
少し屈んで目線を合わせた笹野に、女の子は涙を洪水のように溢れさせながら、しゃくり上げて答えた。
「ままとぱぱとめいと はぐれちゃったのぉっ…。」
「めい」?妹か…?
そう呑気に考えている間に、笹野は小さすぎるバッグからハンカチを取り出し、相変わらず優しい笑顔で女の子の涙を拭いてやった。
「それじゃあ、おねえさんと、このおにいさんと一緒に、ママ、パパ、めいさんを捜しましょうか。」
そんな笹野の優しい言葉に女の子はこくりと頷く。すると、笹野が何か情報を聞き出せとでも言うように俺の顔を見つめた。
「………あー……名前は…?」
仕方無く、笹野を見習って屈んでみるが……
「っ……」
女の子は怖がるような顔をして、後退りをしてしまった。やっぱりな、と思いながらも俺は笹野に小声で訴える。
「だから子供嫌いなんだよ…。」
だが――
「…………いろはっ……。」
女の子は、答えてくれた。小さな声だったが、確かに聞こえた。
まさか答えてくれるとは思わなかったので、俺は思わず笹野の顔を見る。すると、笹野も嬉しそうに俺を見つめた。
「『いろは』ちゃん!いい名前ですね!では、いろはちゃん。一緒に人捜しの旅に出かけましょう!」
楽しそうに笑って、笹野はいろはへ手を差し出す。いろは は直ぐに笹野の手を取って歩き始めた。俺も二人の後ろに着いて歩き始めるが、笹野が振り返って言った。
「碓氷さんも、手を繋いであげてください。」
「はっ?なんで俺が繋いでやらないといけねぇんだよ。笹野だけで充分だろ。」
「ダメです。私たちには、いろはちゃんを守る『責任』があります。いろはちゃんの両端を守りませんと。」
……なんだよその言い分…。
心の中でブツブツと呟くが……「繋げ」と言われたら繋ぐしかない…。子供に聞かれたんだし……繋がなかったら「嫌われてる」と勘違いさせてしまいそうだ…。
だから、俺は仕方無く笹野と同じように、いろはに手を差し出してみた。だが、思った通り いろは は俺を見上げるばかりで、手を繋いではくれなかった。
つい笹野へ視線を移すと、笹野も俺を見て困ったように笑った。その笑顔になんだか釣られて、鏡合わせで俺も笑うが……
「うわぁぁぁああああんっ!め゙い゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙い゙ぃ゙ぃ゙い゙い゙い゙っ゙…!!ままぁぁぁっ…ぱぱぁぁっ………」
いろはが突然、大号泣してしまった。これには子供好きの笹野でも動揺していた。俺も「な…泣くな…!なんか買ってやるからっ…。」と単純かつ楽な宥め方をするが、いろはは物では釣られないようだ。
どうしよう……子供って、何をすれば泣き止むんだ…??
そう必死に考えて、行き着いた答えは……
「…いろは、見ろ。」
鼻の穴を思い切り上から指で広げ、白目を剥き、前歯を出して口角を上げる――そう、変顔だった。「ぶっふぉっwwwww」と吹き出す声が聞こえたと思ったら、それは笹野の声だった。顔を戻し、いろはの反応を確かめると……
「ごわ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙い゙ぃ゙ぃ゙い゙い゙い゙い゙い゙っ゙!!!」
……いろはは…先程の大号泣を上回る、特大号泣をしていた…。めちゃくちゃ恥ずかしいのに、いろはを挟んだ隣では笹野が「ヒィーwwww」とか言いながら未だ大爆笑している。
「……お前笑わす為に変顔したんじゃねぇよ笑うな。」
「はいすいません笑いまっ――ぶっww」
「おい」
「笑いません。」
………くそ……恥かいただけで、いろはを泣き止めさせられなかった…。何をしたら泣き止んでくれるんだ……?
改めて、いろはが笑顔になる方法をもう一度考えてみるが、俺が良い案を思いつく前に笹野が笑顔で いろはに尋ねた。
「いろはちゃん、アイス食べませんか?」
いや……そんなんで泣き止む訳…――
「たべるっ!」
俺の予想とは反対に、いろはは先程までギャン泣きだったのが嘘のようにケロッと満面の笑みを見せた。
結局は食い物かよ…!
「バニラソフトクリームと、抹茶ソフトクリーム、オレンジシャーベットをお願いします!」
笹野の元気な注文に、店員は愛想良く「かしこまりました」と言ってレジを打つ。
「合計、一二九○円になります。」
店員にそう言われたので、俺は自分といろはの分――八六○円を財布から出そうとした。五十円を財布から探していると……
「碓氷さん、ごちそうさまです!」
笹野が満面の笑みで俺にそう頭を下げた。
「……お、おう…。心して食え……。」
ここで笹野の勘違いを指摘したら、人間として格好悪いので俺は仕方無く、全額払った。
「二千円、お預かりいたしまーす。」
……俺の札がぁ…………。崩したくなかったのに…。
店員からアイスクリームを受け取り、笹野、いろはの順で貰ったアイスクリームを渡す。
「ありがとうございます!」
「わぁ〜!おいしそう!いっただきます!」
やっと笑顔になってくれた、なんて柄にも無く喜びながら、抹茶ソフトクリームを食べようと口を開けたが、笹野の言葉で俺はふと顔を上げた。
「いろはちゃん、このアイスは『おにいさん』が買ってくれたんですよ〜!」
「えっ――」
「そーなのぉ?!ありがとう、おじさん!」
笹野の一言で、俺は気づいた。笹野は勘違いなんかしておらず、俺の好感度を上げる為にわざと奢らせたのだと。
というか……「おじさん」か…………。…う…うん…………そうだよなぁ……。
「う〜ん!おいしい〜!♡」
「うまうま♡」
オレンジシャーベットを頬張りながらも、笹野は本当に蕩けてしまいそうな顔をしている。
俺の頭の中には、何故か「天使」だなんて言葉が思い浮かんだ。……いや…正しく、天使だと思った。だって、隣に居る四、五歳の子供よりも美味しそうに食べるから。こんなに美味しそうに何かを食べる奴は、笹野以外に見たことが無い。
不覚にも笹野の可愛さに見惚れていたが、「へっくち!」という小さなくしゃみで、俺の意識は引き戻された。
音のした方に目をやると、いろはが鼻水を垂らしている。いろはが袖で鼻水を拭こうとするので、「ストップ。」といろはを止めてから、俺は急いでポケットからティッシュを引っ張り出し、いろはの鼻を摘んだ。
「ほら、『ちーん』しろ。」
「ちーんっ!」
親にも同じようなことをして貰っているのか、いろはの鼻かみは上手だった。いろはの鼻をかんだティッシュをポケットに突っ込んで、俺は着ていたコートを脱ごうとする。……が、流石に大きいかと思い、少し惜しいがマフラーを外して いろはの首に巻いた。
いろはは驚いたように俺を見上げ、小さな手でマフラーに触れる。
「おじさん…かしてくれるの?」
「……そ。気に入ってるから汚すなよ。」
慣れていないものだから、返事の仕方が分からなかった。けれど、隣で「クスッ」というよう嬉しそうな笑い声が聞こえたので、きっと間違ってはいないだろう。
なんて、自分を安心させていると……足元で無邪気な声が聞こえてきた。
「おじさんだいすき!」
なんと……いろはが俺の脚に抱きついてきたのだ。
「はっ…?!ちょっ…鬱陶しい離れろ…!」
しまった言い過ぎてしまったかと後悔したが、いろはは気にしていないようで「きゃっきゃ」と楽しそうに笑い声を上げていた。これはどうしたらいいんだと笹野の方を見ると、笹野がとても嬉しそうに笑う。
「ふふっ、良かったですね、碓氷さん♪」
「……ほっ、ほら離れろ いろは…。…歩きながら家族捜すぞ…。」
「わかったっ!」
いろはは勢い良く頷くと、手を上げてぴょんぴょんとジャンプをした。どうやらお目当ては、口元を隠している俺の手のようだ。
「おじさん、て つなご?」
俺は小さく「……ん…。」と返事をして、手を差し出してやった。すると、いろははぎゅっと俺の手を握る。とても小さな手なので、俺の薬指と小指までしか握れないようだ。
「おじさん、て おっきいね!」
昔は、この純粋で穢れのない目が小学生の自分を連想させて怖かったが……今は……………恐怖なんか一切無くなり、子供可愛いかも……と思うようになった。
「そうか?いろはが小さいだけだろ。」
歩き始めながらも、いろはの可愛らしさに思わず笑って答えると、いろはは無邪気に笑って俺を見上げた。
「おじさん、えがお かわいい!」
「えっ」
マジかよと思いながらも、返す言葉を探す。すると、いろはを挟んだ隣から「いろはちゃんもそう思います〜?!可愛いですよね碓氷さんの笑顔!♡」とかウッキウキで共感する声が聞こえた。
そちらへ目をやると、キラキラと笑う笹野と目が合う。……不覚にもドキッとした。
が…………何だか、笹野に言われると腹が立つ。だが、子供の前で幼稚な喧嘩をする訳にはいかない。もし、いろはの家で両親が大声で喧嘩をしているのだとしたら、そのトラウマを思い出させてしまう可能性もある。だから、俺は大人の対応をしてやった。笹野を睨んだだけだ。
「なんで睨むんでs――」
「さ、いろはの家族見つけるか。いろは、お前の家族はどんな見た目だ?」
「ん〜とねぇ、ままはかわいくて、ぱぱはカッコイイ!でねでねっ、めいはすっごいかわいいよ!」
…………。
「へぇ〜!そうなんですね!可愛くてカッコイイ家族なんて羨ましいです♡」
「でしょでしょ〜!」
「…質問の仕方が悪かったな。お前の家族はどんな服を着てた?」
「『ふく』?んっと〜、めいはねっ、いろはと いろちがいだよ!めいは みずいろ!」
なるほど、いろはの服はピンクのダウンジャケットに黒いスカート、黒のタイツに白い靴だから……
「『色違い』はその上着だけか?」
「そうだよー、あとは ぜんぶ おそろい!」
よし、見つけやすいな。
「『お揃い』っていいですねぇ〜♡ 私も兄弟欲しかったです〜♡ いろはちゃん、『まま』はどんな服をしてましたか?」
「ままはねぇ、くろいズボンにあかいのあみのニットきてた!あとねあとね、くろいうわぎと、くろい『ちょんまげ』!ままはモデルさんみたいなんだぁ〜」
「あみ」?「ちょんまげ」?…こいつの母親、侍か何かか……?
「笹野、『あみ』と『ちょんまげ』ってなんだと思う?」
よく分からない単語が二つ出てきたので、笹野に訊いてみると笹野は自信満々に答えた。
「『あみ』はきっと、チェック柄のことですね!」
「うおっ、すご、よく分かったな。……『ちょんまげ』は?」
「…………分からないです…。いろはちゃんの『まま』は侍か何かでしょうか……。」
笹野でも流石に分からないか……。
「ままはねっ、かみがすっごくキレーなんだぁ〜」
お、新しい情報だ…!
そう思って一応メモろうとしたが……両手が塞がっている…。「手離して」って言うのもな……なんて、困っていた。だが、既に笹野がスマートフォンにメモをしてくれていた。「ありがとう」と視線を送ると、笹野はニコッと返してくれた。
「因みに、髪型は分かるか?」
「かみがたはねぇ、ながいよ!くろくてツヤツヤサラサラ!」
黒髪ロングで下ろしてるのか。
「父親は?」
「ぱぱはねぇ、うんこいろのあおい あみニットに〜――」
「ちょっと待て、『うんこ色』?」
「恐らく、『茶色』のことでしょう。」
「いや、それは分かる。いろは、『うんこ』とかあんまり言うのは良くないと思うぞ。」
同じ目線で注意をしようと立ち止まって、いろはの前にしゃがむが……
「碓氷さんは真面目過ぎます。大丈夫ですよ『うんこ』くらい。この歳の子が言うのは、そう珍しくありません。」
笹野は落ち着いた声でそう言った。それに便乗して、いろはも「めいもいってるよ」と胸を張る。
妹も言ってるのか…。ま、まあ……親が何も言わないなら………
「うーん……そ…そうか……。ならいい…。」
確かに、この歳だと妙に下ネタを言いたがるしな…。問題無いか。
俺は姿勢を戻して再び、いろはと手を繋いで歩き始めた。
「それで?『うんこ』色の『あみ』セーターに?」
「うんこにね、くろいズボン!それと、うんこのうわぎだよ!」
「なるほど。つまり、『ぱぱ』はうんこで出来ている…と――」
「おい、お前までふざけてどうする。」
「『ぱぱ』は茶色がお好きなんですね。」
「それぞれ年齢は?分かるか?」
「ままは『ないしょ』っていってたけど、ぱぱが ぱぱとおなじどしだっていってたよ。うーん……さんじゅういち〜…っていってたかなっ。めいはね、めいはね!もう きゅーさい なんだ!」
「姉だったか。」
俺がそう呟くと、今までの証言を基に笹野は纏めたメモを読み上げる。
「えー、証言によるとホシは三十代前半、細身な体格をしており、赤いチェック柄のセーターに黒いズボンを履いた女。」
「犯人像かよ。」
「すみません、一度やってみたかったので…。」
「分からなくはない。」
「気を取り直しまして いろはちゃんのご家族は、いろはちゃんとお揃いの服装をしたお姉さん――年齢は九歳で、色違いのダウンジャケットを着てるようですね。お母さんは、赤いチェック柄のセーターに黒いズボ――」
「ん…?」
笹野が読み上げている間、辺りを見回していたが……証言に当てはまった家族が俺の目に映った。その家族はきょろきょろと心配そうな顔をしながら、誰かを捜しているようだ。
「あの人たちじゃね?」
そう俺が小さく指をさした瞬間――
「めい!まま!ぱぱ!」
いろはが俺から手を離し、その家族に駆け寄った。いろはの声に三人とも、弾かれるようにいろはを見て、「ぱぱ」「まま」「めい」の順でいろはを抱きしめていた。両親は涙ぐんで、姉妹はギャン泣き。
「め゙い゙い゙い゙い゙ぃ゙ぃ゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙!も゙う あ゙え゙な゙い゙かとお゙も゙っ゙だあ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ゙!」
「見失ってごめんねぇ彩葉ぁっ……でもねっ…彩葉がどこへ行っても、わたしは絶対に見つけるからねっ!」
「い゙ろ゙ばも゙ぉぉお゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙!!!めいがどっかいってもかららずみつけるぅぅうぅうううううううっ!!!」
洪水のように流れる彩葉の涙を、姉は慣れた手つきでポケットからハンカチを引っ張り出し、優しく拭ってやっていた。
…………そんな二人の姿を見て、俺は姉さんを思い出した。
……俺も…………こんなふうに姉さんに…本気で愛されたかった…。
思い返してみれば、姉さんが俺の涙を拭いてくれたことなんか、一度も無いじゃないか…。いつも……わがままを言う姉さんを宥めるのは俺だった…。あぁ…そもそも…………俺は……姉さんの前で泣いたことなんか、滅多に無かったっけ………。
苦しくなっていく無駄な考え事にズブズブと嵌っていく。けれど、完全に嵌ってしまう前に笹野の声で意識が引き戻された。
「良かったですね。彩葉ちゃん、ご家族と再会できて。」
彩葉姉妹から笹野へ目線を変えると、笹野は俺を見つめて嬉しそうに……でも、少し悲しそうに笑っていた。多分、俺が姉さんのことを思い出して苦しくなっていたことに気づいていたんだと思う。俺はというと、先程思い詰めていたのが嘘のように、笹野の笑顔を見ると自然と笑うことが出来た。
「そうだな。」
なんて言って不思議と騒がしい静寂の中、見つめ合っていると彩葉の明るい声が聞こえた。
「あのねあのねっ、このおねえさんとおじさんが いっしょにさがしてくれたんだよ!」
視線を戻すと、彩葉が家族をこちらまで連れてきていた。「マフラーもかしてくれたんだー」と笑って、俺にマフラーを返す。両親も姉も、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
「本当っ……なんとお礼を言ったらいいか…。こちら……アイス代になりますっ…!」
涙ぐみながらそう言って、母親は俺たちに二千円を差し出す。
「そんな、要りませんよ。笹野が食いたいって言い出したんだし。」
「そうです!大丈夫ですよお金なんて!」
「まあ、お前の分も俺が奢ってやったんだけどな。」
笹野の言葉に、つい笑顔でツッコむと彩葉の両親はクスッと笑った。そして、父親がニヤニヤとしながら言う。
「仲良いですねぇ〜、お二人はもしかしてお付き合いしてるんですか〜?」
「しっ…してません!」「いえ。」
答えると更に、母親も加わってきた。
「えぇ〜、意外だわぁ。相性ピッタリでしょうに。」
「「喧嘩ばっかりです。」」
きっと、俺たちは相性ピッタリすぎて相性悪いのか、相性が悪すぎてピッタリなのかのどちらかだな。どちらにしても、デコとボコがピッタリ ハマってるんだろう。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今までは書き貯めしてた話を投稿してたのですが、もう少し話が進んだら、執筆が間に合わないので投稿頻度を落とそうと思います!ゆっくりと自分のペースで納得のいく物語を作りたいと思います(*ˊ˘ˋ*)気長に待って貰えたらうれしいです!
※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。




