第七章 調和のとれた関係①
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最近、私と碓氷さんの「お互いに抱く感情」が変化していっているような気がする。
私も碓氷さんも、お互いを「異性」として意識しているような気がするのだ。時折、私は碓氷さんにドキドキしてしまっているし、碓氷さんに褒められると何故か異様に嬉しい。
そして………碓氷さんに、触れたいと思うようにまでなってしまった。碓氷さんもきっと同じ気持ちを抱いている。…確信は無いが、碓氷さんは私を「女性」として見ているかもと思ってしまうのだ。他の人には絶対「可愛い」なんて言わない碓氷さんが、この間 私に向かって「可愛い」と何度も言っていたし、偶に……碓氷さんはとても愛おしそうに笑って、私を見つめることがある。少しすると恥ずかしそうに頬を赤くして、目を逸らされてしまうのだが。
…………私は……碓氷さんを「好き」…になってしまったのだろうか…。
碓氷さんは………………私を……「好き」…だと……思ってくれているのかな…………。いや…内心好きでも、気づいてないかもしれない。そもそも……碓氷さんが私を意識しているとは限らないし…………。いや…でも………………あの顔は………………………
「んんん…わかんないっ…!!」
悩んでしまっている自分に段々と腹が立ってきて、頭を抱えていた私は嘆いてキーボードを軽く叩いた。すると、隣から「珍しいわね、どうしたの?」と優しい優しい御園さんが、私のパソコンを覗きに来た。
「い…いえ…………仕事のことでは無くてですね…。」
そう答えると、御園さんは真剣な顔で私を見つめて優しい言葉をかけてくれる。
「どうしたの?相談なら幾らでも乗るから。」
そんな御園さんに安心して、私はこの悩みを打ち明けることにした。
「……という感じで…自分が本当に碓氷さんを好きなのかも、碓氷さんが私を意識してくれているのかもわからないんです…。」
そんな私の悩みに、御園さんは……
「それは確実に恋ね。あっちも確実に意識しているし、笹野さんへの好意も少なからず持ってるわ。」
食い気味でそう答えてくれた。
「好きになったからには早くアタックしなきゃ。モタモタしてる暇は無いわ。笹野さん、漸く『好きな人』というものが出来たんだから早く進展させるのよ。」
「進展」……。
「でも……碓氷さんは、誰かを好きになった事が無いんです。それが原因で沢山傷ついてきました…。だから………もし、碓氷さんが私を好きになれなかったら…また、傷ついてしまうと思うんです…。碓氷さんがつらい思いをするなら、関係は今のままがいい…。相談したのに申し訳ないんですが、進展させる勇気は……」
そんなワガママな答えに、御園さんは困ったように笑う。
「相変わらず、お人好しね。」
「すみません…。」
だけど、怒ったりせずに親身になってもう一度考えてくれた。そして……
「あ。」
思いついたように小さく呟いた。
「それなら……笹野さんの『好き』って気持ちがバレないように、『碓氷さん』って人の笹野さんへの『意識度』を上げていけばいいんじゃあなぁい?」
「好き」がバレないように、「意識度」を上げる……?
「どういうことですか?」
「『好き』がバレてしまえば、碓氷さんとやらは『好きになれない』って傷つくかもしれないんでしょう?それなら、バレなければいいのよ。でも、あっちから好きになって貰えれば、誰も傷つかない。でしょ?」
「なるほど…!いいかもしれません!」
「早速意識させるわよ。」
「『意識』…どうやるんですか?」
「さり気なく甘えてみたり、女を見せたりするのよ。」
「『女を見せる』…とは……?」
「虫を怖がったり、お酒に酔ってみたり。」
「でも私、虫は怖くありません。小さい頃はカブトムシを飼ってましたし。お酒も酔いません。」
お酒に関しては、碓氷さんも知っているだろうし…。
そう思って正直に伝えるが、御園さんは澄まし顔で言う。
「そんなのフリでいいのよ。」
「…『フリ』…ですか……。」
つまり…………碓氷さんを…騙すということ……だろうか…。
なんだか…………なんだか、それって…………
「いけないこと…な気がします……。」
私の言葉に、御園さんも予想していなかったのか驚いたように顔を上げて、私の顔を見つめた。そして、呆れたように言う。
「何も『いけないこと』じゃないわよ。男はそういう『演技』にキュンとくるものよ。」
「…そう……ですかね…。」
「そうに決まってるでしょう?」
……そんなふうに言う御園さんの目は真っ直ぐだった。…恐らく……これが普通なのかもしれない…。「普通」…………にならないと、何も始まらないのかな…。
「………何をすればいいですか…?」
少しだけ罪悪感を覚えながら、私は「普通」を尋ねてみた。御園さんは少しだけ嬉しそうに、こちらへ前のめりになって私の瞳をじっと見る。
「よし、笹野さん、覚悟はいい?」
「……はいっ…!」
その夜、御園さんに教えてもらった作戦を始めようと、碓氷さんに連絡を入れた。『碓氷さん、クリスマスは暇ですか?』と。すると、直ぐに返信が返ってくる。
『暇だけど』『どっか行く?』
そのメッセージが届いた瞬間、ドキドキと胸が高鳴ってしまう。私は、緊張しながらも震える手でキーボードを打つ。
『流石は碓氷さん、話が早いですね!』
既読は一瞬でついた。恐らく碓氷さんは私の返事を待って、トーク画面を開きっぱなしにしていたのだろう。そんな推測をしていると、両手で持っていたスマートフォンが振動した。――碓氷さんから電話がかかってきたのだ。
「もっ…もしもしっ…!」
いつもは普通に出れるのに、何故か今日だけはドキドキして言葉につっかえてしまった。だが、そんなことは気がついてもいない鈍感な碓氷さんの嬉しそうな声が聴こえる。
『クリスマスどこ行くか。』
そんな声は私の鼓膜を震わせ、胸がきゅうっと苦しくなる。けれど、同時に笑顔が零れた。
「どこ行きましょうか〜、やっぱりイルミネーションですかね!」
『いいな、イルミ!でも、それだけじゃ昼 暇だろうから……そうだ、アイススケートなんかどうだ?』
「いいですねぇ!」
『あ、でも笹野、そもそもスケート出来んの?w』
「できm――」
「出来ますよ」と言いかけて、私は止めた。――スケートも御園さんが教えてくれた作戦を応用できるのではないかと。だから、少し甘えた声で言ってみる。
「……に…苦手かもしれないです…。」
…甘えた声って難しいな……。
特に返して欲しいような言葉は無いが、若干緊張して返答を待ってみるが……
『それは楽しみだなw お前が転ぶとこ見て早く爆笑したいわww』
……思ったよりも腹立つ返しをされた。碓氷さんの言い方でピキっと、私の額に怒りマークが浮かぶ。
「へぇ〜?いい度胸ですね、碓氷さん。ですが、私は一度も転ばずにアイススケートを楽しんでやりますよ!転んだ回数競いましょう!勿論、少ない方が勝ちです!」
『仕方ねぇな、ガキの遊びに付き合ってやるよ。でも、手加減はしないからな?』
碓氷さんも乗り気のようだ。声が粋がっている。
「手加減なんか必要ありませんから!絶っったいに勝ってみせます!」
そして、クリスマスイブ。遊ぶのは「クリスマス」なのに、何故「クリスマスイブ」なのかと言うと……映画マニアの碓氷さんに、この間 金ローでやってた『ホームアローン』を一緒に観ようと誘われたからだ。
私たちはいつもよりも少しだけ豪華なお菓子をテーブルに広げ、仲良くソファに座り、時々笑い声を上げながら『ホームアローン』を観ていた。
その途中途中――特に笑ってしまうようなおかしなシーンで、碓氷さんはチラチラと私の顔を見ているようだった。ピザ屋のお兄さんがゴミ箱に転がるシーンも、マーブの顔面に熱々のアイロンが降ってきたシーンも、ハリーが火傷した頭を雪に突っ込むシーンも、碓氷さんは笑いながら大爆笑する私の顔をチラチラと控えめに見ていた。
ケビンがマーブの顔にタランチュラを載せるシーンでもこちらを見てきたとき、流石に気になった私は目線はテレビに向けたまま尋ねてみた。
「さっきからどうしました?」
すると、視界の端でギクッと背筋を伸ばす碓氷さんが見える。そんな分かりやすい碓氷さんの方に思わず視線を移すと、碓氷さんは恥ずかしそうに口元を隠して「…い、いや……」と言葉を紡ごうとしている。
その言葉の続きを待って碓氷さんを見つめてみるが、碓氷さんは誤魔化すように映画の視聴に戻ってしまった。
………なんでこっちを見てきてたんだろう…?
「私の顔に、何かついてますか?」
「…いや……」
「では、歯についてますか?」
「………なんもついてねぇよ…。」
「じゃあなんです?」
身体を向き直して、顔を赤らめる碓氷さんの目をじっと見る。けれど、碓氷さんが私の目の前に大きな手をかざすから、碓氷さんの顔はほぼ見えなくなってしまった。
「…わ…悪かったって……もう見ないから…。」
「いえ、なんで見てたのか気になるんです。」
…………もしかして……やっぱり碓氷さんも私を意識してたり……
そう考えると急にドキドキしてきた…。
大好きな『ホームアローン』も、もう視界にも入っておらず、私の視界に入っているのは碓氷さんだけ。だが、その視界の端で大きな黒い影が見えた。まさか幽霊かとの思い、碓氷さんから目線を外すと……そこには優に十センチは超えていそうなバカでかい蜘蛛が。
あまりの大きさに一瞬、頭が真っ白になったが、私は御園さんの言っていたことを思い出した。
――「女を見せたりするのよ」「虫を怖がったり」
……なるほど…!これは使うっきゃない!
そう思い、意気込んで「いやぁ♡」と碓氷さんに抱きつこうとしたその時――
「ん?」
私の視線に気がついて、バカデカグモの居る後ろへ振り向いてしまった。だが、まだ勝負は始まってもいない。さあ、可愛い声で碓氷さんに甘えるんだ。
「い゙や゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」
決意をした瞬間、私が向いていた方向から物凄い悲鳴が聞こえてきた。その悲鳴に呆然として気がつけば、いつの間にか碓氷さんは素早く移動してバカデカグモとは反対側の壁に張り付いている。もう既に泣きそうな顔で、腰を抜かして壁に寄りかかり座り込んでいた。
そして、動いたかと思えば四つん這いでこちらへ来て、私のズボンを引っ張った。
「なにしてんだよ離れろっ…!!!」
どうやら私の安全を考えてくれているようだ。だが……突然、碓氷さんは私の顔を見て思いついたかのように、私を思い切り押し出した。そして怒涛の声で叫ぶ。
「笹野ォ!!や゙れ゙ェエ゙!!!」
は?!私に戦えと…?!!
「どうしてですか?!私、か弱い女なんですけど!」
「男も女も関係ねぇ!俺はめちゃくちゃ虫嫌いなんだよっ…!!!!」
流石に無いだろうと声を荒らげても、碓氷さんはもっとガラガラの情けない声で訴えるだけ。こんなに私たちも映画も騒がしいのに、バカデカグモは微動だにしなかった。そして、私は気がつく。
――この子はいい子なんだと。
そう気づいた直後に、碓氷さんはとんでもないことを言い出した。怒鳴り声で。
「早く殺せよっ!!!!」
そんな碓氷さんの心無い言葉に、私は突然怒りが爆発した。
「『殺す』?!!!」
「ヒッ…?!!」
「馬鹿ですか碓氷さん!!!いいですか?!!この子にも命があるんです!!!!人間の都合で大切な命を奪おうとしないでください!!!!」
多分、人生で初めてこんなに怒った。碓氷さんは瞳孔を縮ませ、呼吸を荒くし、後退りで今度は私から逃げる。
「それに!!!この子は『アシダカグモ』といってゴキブリも食べてくれるお掃除屋さんです!!!!追っ払うのも可哀想ですよ!!!!」
「いっ…いやでも俺っ…………こ…この方はムリ……なんです…。許してくださいごめんなさい。」
「はあ゙?!!!!」
「ひぃっ…?!!!」
しまった思わず……
………やばい碓氷さんの顔真っ青だ…。一旦落ち着こう……。
そう思い、深呼吸をするも碓氷さんは更に怯えた目で私を見上げる。しかも目が合うと、合わせたら死ぬ呪いでもかけられているかのように逸らされてしまった。
……まずは、謝らないと怖いかな…。
「……ごめんなさい怒鳴っちゃって…。」
なるべく優しい声で謝るが、碓氷さんは恐怖で声も出ないようだった。
「……でも…どうしてですか可愛いじゃないですか…。」
私の言葉に碓氷さんは、ブンブンと必死に首を横に振る。
「…ほら……アラゴグに似てますよ…?」
「…………アラゴグも嫌いなんだよ…――すみませんアラゴグも嫌いなんです…。」
「……はぁぁぁ…――」
「っ…?!!」
仕方ない……。追い払うしか無いな…。
「ちょっと袋と箸借りますね。」
そう言って、キッチンへ行こうと動くと碓氷さんはビクッと肩を跳ね上げさせる。そんな碓氷さんの行動に、少しだけ胸を痛めながら私はアシダカグモのマサカ・マッカーサーを捕まえて外に逃がした。部屋に戻ると、壁に寄りかかった碓氷さんが力無く呟いた。
「………俺……引っ越す…。」
「えっ?!どうしてですか…?!」
計画性のある碓氷さんが、突拍子も無いことを言い出すだなんて…。相当な理由なんだろうな……。そう思って尋ねたが……
「だっ…だってっ…!ゴキブリを食う虫ってことは……この家にゴキブリがめちゃくちゃ居る訳だろっ…?!あの蜘蛛もまだまだ居るかも…!そっ…そんな家で……暮らしていけるかっ……!!!」
「しょうもなっ。」
深く考えようとした私が馬鹿だった。めちゃくちゃしょうもない理由だった。
「はあ゙?!!『しょうもない』…?!どこがだよ?!引越しをするには充分な理由だろ?!!」
「言っておきますが碓氷さん、ゴキブリはどこにも居ます。ゴキブリが居ない場所なんて北海道くらいしかありませんよ。」
感情的になる碓氷さんに若干、うんざりする私だったが……
「だったら俺は北海道に引っ越すっ…。」
半泣きの碓氷さんが可愛く見えてきてしまった。
麗華さんも「男性に“可愛い”と思ってしまったら終わり」だなんて言っていたが……私は終わりなのだろうか。
「安心してください碓氷さん、もしも虫が出たときは私が直ぐに駆けつけて、私が碓氷さんをお守りします。」
そう笑うと、碓氷さんは私から目を逸らし、少し恥ずかしそうな様子で「……頼むわ…。」と言ってくれた。そんな碓氷さんにニコッと笑顔を返し、垂れ流しにしていた『ホームアローン』を一度停止しようと立ち上がると――
「笹野っ…!」
碓氷さんに名前を呼ばれた。
「はいなんでしょう?」
振り返ると、碓氷さんの頬は先程よりも赤い。呼び止めた癖に、碓氷さんの視線は何も無い床だった。だが……
「そっ…そのっ…………ありがとう…。虫……追い払ってくれて…。」
本当に小さな声で、そうお礼を言ってくれた。そんな碓氷さんのうるうるとした瞳を見た瞬間、弱々しい声を聞いた瞬間、私のテンションは爆上がりする。
「どういたしまして〜!!」
「……それとその……………むっ…虫苦手なこと…他の奴らには……言わないで欲しい…。この歳にもなって……虫如きで腰抜かすなんて…………カッコ悪いから…。」
ほんとに腰抜かしたんだ…。可愛い…!!
「もちろんです!♡ 誰にも教えてあげませんよ♡」
碓氷さんがこんなに「可愛い」という事実は、ひとりじめしてしまおう♡ 私と碓氷さんだけの、ヒミツ♡ うっひょー!やば!!
脳内で大騒ぎしながらも、私はさり気なく碓氷さんに手を差し出した。立つ手助けをしてあげようと思ったのだ。
「……?」
差し出された手と私の顔を交互に見て、碓氷さんはきょとんというような顔をしている。可愛いなぁ――
「手洗ってきて。」
「……は?」
聞き間違いだろうか…。今……こんな可愛い碓氷さんから…めちゃくちゃ嫌そうな声が聞こえてきたのだが……
「蜘蛛触った手なんか触りたくねぇよ。」
嘘でしょ聞き間違いじゃない…?!!
「……くも……触ってはいませんが…。袋で捕まえたので………」
「触ったも同然だろ。手洗ってから助けてくれ。」
「チッ。」
私は今まで「可愛い」だなんて美化していたことが馬鹿らしくなってきて、舌打ちをした後、碓氷さんが本気で嫌がっていた蜘蛛を触った手で思い切り碓氷さんの腕を掴んであげた。
「ぎゃあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!」
翌朝。七時五十分――約束の時間のきっかり十分前に碓氷さんからLINEが来た。
『着いた』
その前の朝六時の会話を見て、私は頬を緩める。
『おは』『メリークリスマス *.❅·』6:02
『おはようございます!!』『☃︎.*⋆̩ ꊛ໋ Merry Christmas☃︎.*⋆̩ ꊛ໋』『今日楽しみですね!⛸✨️』6:03
『そうだな笑』6:03
碓氷さんから連絡が来たのだ。しかも、珍しく絵文字付き。「メリークリスマス」なんて言われちゃった*^^*
今日の会話をスクショしてから、私は『今行きます!』と送信し、ウキウキで家を飛び出した。直ぐに、目の前のスバルの車を見つけると、碓氷さんが内側からドアを開けてくれた。
「おはようございます♪」
そう笑うと、碓氷さんも笑顔で「おはよ。」と返してくれる。だが……車に乗り込んだ私を二度見した。私は碓氷さんがこんな反応してしまう理由が分かっていたので、褒められ待ちをする。
「……なんだその服…?!」
そう。今日の私は一味違う。なんてったって、オーバーオールじゃないから。御園さんに言われたのだ。「普段と違う服装をしてドキッとさせましょう。相手好みの服だと更にいいわよ。」と。碓氷さんの好みは分からないが、取り敢えず大人っぽくしてみたつもりだ。
今日のコーデは「目指せ『大人可愛い』」。
アプリコット色の襟付きセーターに、袖口が大きめのチョコレート色のカーディガン。そして、ストレートなシルエットのブラウン色のチェック柄をしたロングスカート。こちらはカーディガンよりも少し色が濃いめだ。靴だってオシャレなヒールブーツを履いてきた。靴下はスカートと靴とお揃いのチョコレート色。髪も巻いて、イヤリングもしてきたから今日の私は最強に可愛い筈。
「どうですか?可愛いですか?」
自信満々で尋ねてみるが、碓氷さんは「どーだろうな。」と誤魔化すだけだった。
せっかく、頑張ってオシャレしてきたのに…。
何だか浮かれていた自分が恥ずかしくなって、私はスカートの上で冷たい手を握りしめていた。すると、車も動かさずに碓氷さんは私に訊いた。「……なんで服変えたんだよ…?」と。
そんなの…………碓氷さんに「可愛い」と思われたいからに決まっている…。けれど………私が好きなことがバレちゃダメだから………………
「…クリスマスだからですよ…。」
私は零すように最適だと思った答えを返した。
「…………色気…ありませんか…?……私…そんなにガキに見えますかね…?」
「……色気は無いだろ…。」
「はあ…?!セクハラです!!」
「いや、『ある』って言ってもセクハラになんじゃん…。」
そう私と目を合わせない碓氷さんは、未だに車を動かそうとしない。なぜ動かさないんだろうと思いながらも、私は何となく碓氷さんの横顔を見ていた。すると…………
「……あぁクソ…。」
碓氷さんがそんなふうに呟いた。
「可愛いですか?」とか面倒くさかっただろうか…なんて、手遅れなことに気がつきながらも俯いて考える。けれど、碓氷さんは私が面倒で「クソ」と呟いた訳では無かった。
「…………か…可愛い……ってより……………今日は大人っぽいだろ………。」
運転席からそんな声が聞こえてきたのだ。
思わず碓氷さんの方へ顔を上げると、碓氷さんはすらりとした細い指で顔を隠している。顔だけでは無く、手までも真っ赤だ。
「『大人っぽい』なら、色気ありません?」
物凄く嬉しかったけど、ツッコミたかったので私は頬を緩ませながらもそう言った。
「…うっ…うるせぇ……。」
可愛い。
「車動かさないんですか?」
「……今動かすんだよ…。」
知ってますよ碓氷さん♡ 本当は、ずっと褒めたくて車動かせなかったんですよね♡
「ふふっ……そうですかw」
「…………な、なんだよ…?」
そう控えめに私を見つめる碓氷さんの目からは、緊張が伝わってくる。頬は相変わらず赤いままだ。
「いーえっ♪ なんでもありません♪」
碓氷さんの方を見て、ニコッと笑うと碓氷さんは素早く目を逸らした。すると……
「あっ、そうだ。」
後部座席に手を伸ばし、何かを手に取った。それはオシャレな包装が施された長方形の箱。可愛らしい黄色のリボンが巻かれている。――黄色は私の大好きな色だ。
「メリクリ…。」
まだ少し火照った頬で、恥ずかしそうに碓氷さんはそう言ってそのクリスマスプレゼントを差し出した。
「えぇ〜!クリスマスプレゼントくださるんですかぁ〜?!!♪ 開けてもいいですか?!!」
「……お、おう…。」
碓氷さんからの初めてのプレゼント…!!!
心を躍らせながら、箱を開けてみると……
「うわぁ〜!!かわいいぃ〜♡」
手首部分にファーのついた赤色の手袋だった。ミトンタイプでは無く、五本指タイプ。機能性に優れているのに、ため息が出てしまうほどにめちゃくちゃ可愛い。
私は早速、碓氷さんがくれた女性らしい手袋をはめてみた。なんと裏起毛のようだ。ふわふわしていてとても……
「あったかいです〜!!♡」
決してぶりっ子をしている訳では無い。嬉しすぎて可愛すぎて暖かすぎて嬉しすぎて、こんな声が出てしまうのだ。それは碓氷さんも分かってくれているのか、幸せそうに「そうかw」と笑って私を眺めていた。
「ありがとうございます碓氷さん!」
全力で感謝と嬉しい気持ちを伝えると、碓氷さんは更に嬉しそうに笑顔を見せてくれた。――とても、愛おしそうに……。
「どういたしまして。」
……こんな可愛い顔されると…………勘違いしてしまうでは無いか…。
「サイズはどうだ?」
「とっ…!とってもピッタリです!」
「よかった。でも、今日の服には合わないな。明日からでも使うといい。」
「いえ…!今日から使います!」
碓氷さんの笑顔に動揺してしまっていることがバレたのか分からないが、私を見て碓氷さんは「ぶっw」と吹き出した。首を傾げると、碓氷さんは力いっぱい微笑んで言う。
「ありがとな。」
ぐっ…!!破壊力……!!!
碓氷さんの屈託の無いあまりに綺麗な笑顔に、暫く見惚れていたが………
「あっ!そうだ私も…!」
私も碓氷さんにクリスマスプレゼントを用意していたことを思い出した。そして、大事に抱えていた紙袋から、シンプルに包装された箱を取り出し、碓氷さんへ渡した。
「メリークリスマスです、碓氷さん!」
黒いツルツルとした箱に、ブルーのリボン。確か、碓氷さんは青色が好きだった筈。
私が差し出したプレゼントを見た瞬間、碓氷さんの瞳はキラリと揺らいだ。まるで、イルミネーションを点灯したような瞳に私は嬉しくなる。
「えっ…お、俺に…?」
碓氷さんは戸惑っているようだった。けれど、私が「勿論です!」と元気よく返事をしたことで安心したのか、ゆっくりとプレゼントを受け取ってくれた。
そして、少し緊張した様子で静かにプレゼントを開ける。中身が見えた瞬間、もう一度碓氷さんの瞳がキラリと揺らいだ。それからその光は消えることなく、キラキラとした瞳で箱の中からマフラーを手に取り掲げる。そして……嬉しそうに頬を緩めて首に巻いた。
「あったけぇ…。」
少しだけ震えた声でそう言った碓氷さんの顔は、本当に嬉しそうだった。
「…ありがとう、笹野。」
そんな碓氷さんの優しい笑顔に私はきゅんとして、何も言葉が出てこなくなる。ここで、絶対に何か言うのが私なのに頭が働かず、何を言えばいいのか分からなかった。だけど、私が言葉を思いつく前に碓氷さんが切り替えたように「よし、行くか!」と言ってギアを握ったので助かった。
「そっ、そうですね!行きましょう!運転お願いします!」
因みに碓氷さんは、暖かい車内なのにまだマフラーを巻いている。それは私も同じで、碓氷さんから貰った手袋を外していなかった。手の暖かみが心にも移っていくようで心地が良かったのだ。
今日は車だけではなく途中から電車に乗る。その駅までの道のりで、私たちは新しい学校のリーダーズの『オトナブルー』を大熱唱をしていた。二人とも、クリスマスという特別な日だからテンションが上がっているのだろう。碓氷さんのこんなはっちゃけた姿を見るのは初めてだった。だから尚更……
「ふふん」
嬉しかった。碓氷さんの知らない一面を見れたのも、こんな はしゃいでいる碓氷さんを知っているのは、私だけなんだろうということも。
優越感に浸りながらも、私はバレないように熱唱しながら可愛らしい碓氷さんを眺めていた。だが、視線というのは感じてしまうものらしい。
「なんだよ?」
碓氷さんが楽しそうに笑いながら、そう尋ねてきた。そんな珍しい碓氷さんの笑顔に私はドキッとしてしまう。
「いっ、いえ…。ただ……碓氷さんもこうやって はしゃぐんだなあと思いまして。」
「そりゃあ はしゃぐだろ。今日は笹野と一日中一緒にいるんだから。」
とても嬉しそうな碓氷さんの声に、私は思わず勢いよく碓氷さんの顔を見てしまった。だが、碓氷さんはそんな私には気づかずに、しっかり前方を見て無邪気に笑うだけ。どうやら、今の碓氷さんには「プライド」というものは頭に無いらしい。
ため息が出てしまう程の可愛らしい本音に、私は笑顔を零した。碓氷さんは私の笑顔で漸く気がつき、ハッとして「プライド」を思い出したかのように耳まで顔を赤く染める。
「…いっ……今のは………忘れろ………。」
そんな、恥ずかしそうに言う碓氷さんを見て私はふと思った。
「好きなのかも」なんて思っていたが……やっぱり私は、この人のことが大好きなんだなぁ……と。
それから、私たちは電車に乗り換えた。座ることはできたのだが、途中から徐々に混雑していき、ぎゅうぎゅう詰めで座ることになってしまった。そのため、私と碓氷さんの物理的距離は一センチも無い。肩と二の腕が触れ合っていて、私の心臓はバクバクと暴れていた。だって、好きなんだと気がついてからは気持ちが大きくなるばかりで、碓氷さんに「触れたい」だなんて余計なことも考えてしまう脳になっていたから。
だけど、碓氷さんは何も気にしている様子は無かった。それよりも、私の目の前に立っている男性を警戒しているようだった。めちゃくちゃ男性を睨んでいる。一方、睨まれている男性は気まずそうにして、目を逸らしていた。
「なんで睨むんですか…?!」
小声で尋ねると、碓氷さんも小声で答える。
「お前のことチラチラ見てるからに決まってんだろ…!」
「やめてください恥ずかしい…!それに!碓氷さんが睨むからですよ…!」
「なんでちっとも疑わないんだ…!言っただろ、少しは人を疑え…!」
「疑う要素がないから疑わないんです…!」
逆にどうして碓氷さんは、そんなに人を疑ってかかるんだ。なんて、思いながらも返すと…碓氷さんはため息をついた。そして、ボソッと嫌味を呟く。
「これだからガキは…。」
「ガキ」。その言葉を聞くと、何故か碓氷さんを好きだと気づく前よりも腹が立ってきた。そして、それに比例して心も苦しくなる。だから……
「『ガキ』なら、この方も興味無いと思いますけどね。」
私も鼻を鳴らして反撃した。負けず嫌いの碓氷さんは、腹を立てたように更に意地悪を言う。
「ガキでも、今日は背伸びしてるから見る奴は見んだよ。」
後から「酷いことを言ってしまった」と、どうせ後悔するのに勢いで言ってしまったのだろう。碓氷さんは言い放ったあと、黙り込んだ私の顔を心配そうにチラチラと見ていた。
………もし…………私がもっと綺麗で色気のあるお姉さんだったなら……………碓氷さんも……私を「ガキ」だなんて言わなかったのだろうか………。
そう考えると、どうしても苦しかった。勝手な解釈で悩むなんて時間の無駄だと解っているのにも関わらず、考えられずにはいられなかった。
だが、そんな事で折れる私では無い。何駅か進んだところで、私はある作戦に出た。御園さんの教えてくれた「甘える」作戦だ。
私は眠くなった振りをして、何度かこっくりこっくりと首を動かし……碓氷さんの肩に頭を載せてしまった。碓氷さんの清潔で優しい上品な匂いが強まる。ドッドッドッと心臓が更に暴れ回り、顔がぼわぁっと熱を帯びる。しかし、碓氷さんは微動だにしなかった。
なにか反応を示してくれると思ったが…………それも、「ガキ」の私では「意識」すらしてくれなかった。それでも、大好きな碓氷さんの隣も体温も匂いもとても落ち着くもので………段々と…本当に……眠く……………
「――笹野、次で降りるぞ。」
そう肩を揺らされて、私は目を覚ました。肩に頭を載せられるのが嫌で揺らされたのかと思ったが、目を覚ました数秒後に漸く碓氷さんの言葉を理解する。
「次で降りる」…。……つい先程まで降りる駅は随分と先だった…。――何も言わずに寝かせてくれていたのか。そう気づくと、碓氷さんの些細な優しさに再びきゅんとしてしまう。そして、更に碓氷さんを好きになってしまう。
「…昨日、寝るの遅かったのか?具合…悪いのか?」
碓氷さんの心配そうな声と表情に、私は飛び起きるように碓氷さんから離れた。
「いっ…いえ!そのですねっ……碓氷さんとこうやって密着していると………どっ……どうしても…その……安心感………で眠く…なってしまいましてですね……。」
そうだよね……折角のお出かけなのに寝るなんて…失礼だよね…………。
「……ごめんなさい…。」
恥ずかしくなって謝るが、碓氷さんはため息を吐いたり怒ったりはしなかった。不思議そうに「元気ならいい。」と答えるだけだった。
そして、少し経ってから言う。
「なんで謝るんだ?」
私は碓氷さんの言葉に、思わず「えっ」と声を零す。
「だって…折角のお出かけなのに寝るだなんて…失礼じゃないですか…。」
「どこが『失礼』に当たるんだよ。眠かったら寝ればいい。俺の前ではそんな気ぃ張るなよ。」
碓氷さんの目が「友達」だと言っている。だが、それでも碓氷さんにそう言われたことが嬉しかった。だから……
「それもそうですねっ♪」
私は笑顔で碓氷さんの肩に顔を預け、目を瞑った。
「おい今じゃない、起きろ。」
「ふふん♪」
「『ふふん』じゃねえよ。ほら、笹野。」
なんて怒ったような口調だが、声は楽しそうだ。
「碓氷さんは可愛らしいですねっ♪」
もう流石に降りる駅も近づいてきたので、姿勢を戻して笑うと、碓氷さんは今度は腹を立てたように私を睨む。
「こんなおっさんのどこが『可愛らしい』んだよ。」
「可愛らしいですよ、碓氷さんは。それに、私から見たら碓氷さんはおっさんなんかじゃありません。」
「おっさんに『なんか』をつけるな。全国のおっさんに謝れ。」
「そうですね、『なんか』は良くないです。ごめんなさい、全国のおっさん。」
そうふざけたところで…
――千駄ヶ谷〜、千駄ヶ谷〜。ご乗車ありがとうございます。
降りる駅に着いた。碓氷さんと同時に立ち上がり、出口へと向かう。が…………
「碓氷さんっ…碓氷さん待ってくださいっ…!!」
電車内へ入ってくる人混みに流され、私は藻掻くようにして騒いだ。
どうしよう…!方向音痴だから迷子になったら終わりだ…!しかもここは……東京…。一人で行動出来る訳が無い…。確実に迷子になるだろう……。
なんて、考えていたがそんな必要は無かった。直ぐに碓氷さんはドアの外からガシッと私の腕を掴み、引き寄せてくれた。お陰で私は次の駅に流されたりはせずに、碓氷さんとホームに降りることが出来た。
「悪い……Googleマップ見るのに必死で…。」
碓氷さんは静かに救出してくれたが、どうやら私が思ったより焦っていたようだった。緊張した顔で息切れをしている。
安堵し、私とお揃いの表情をした碓氷さんの顔を黙って見つめていた。だが、碓氷さんは私の腕から手を離さない。ホームに降りたが未だ、人混みで溢れているからだ。私は、碓氷さんの大きな手に掴まれていることが嬉しかった。守られているような気がしたからだ。
内心、満面の笑みで「ありがとうございます。助けてくれて…。」と言うが……
「邪魔になるから早く歩くぞ。」
碓氷さんはそう言って、私から手を離して歩き出してしまった。
「絶対、迷子になんなよ。」
とか言って、スタスタと歩いている。一応……私のことは気にしているようで、後ろをチラチラと確認してはいるが…。少し寂しくなった私は、勇気を出すことにした。
「碓氷さんっ!!」
私の突然の大声に、碓氷さんは振り返る。
大丈夫…。一応正当な理由だから…。深呼吸して……。
「わ…私っ……迷子になっちゃいます…。その……できれば…………手………を……つっ…繋いでいただけないでしょうかっ…。」
恥ずかしさを我慢して、私はそう伝えた。……下心も確かにあったが…。
そんな私の言葉に、碓氷さんは黙って私の手――では無く、腕を掴んだ。そして、何も言わずに歩き始める。そんな碓氷さんの耳は、マフラーとは対象的に赤く染まっていた。
寒さのせい……じゃないといいな…。
駅の外に出ても、流石は東京。人は相変わらず混み合っていた。何処からか、backnumberの『クリスマスソング』が聴こえる。街頭や木にはちょっとしたイルミネーションが施されている。まだ点灯はしていないが、これだけで「クリスマス」を大いに感じる。ひんやりとした空気が心地よい。
「カップルが多いですね。やっぱり、クリスマスだからでしょうか。」
ふと街を見て思ったことを呟くと、少し先を足早に歩く碓氷さんが「そうだな。」と答えた。
「私たちも、カップルだと思われてますかね?」
「……誰も見てねぇだろ…。」
「いえ、そんなことありません。今、あの男性と目が合いました。」
そう自慢げに言っても、碓氷さんはスルリと行き交う人たちを躱して歩くばかりで何も返さない。
……やはり、恋愛系の話は避けた方がいいな…。
なんて、密かに考えていると…………
「よし、今日は思いっきり楽しむぞ。」
碓氷さんが突然、そんなことを言った。
「…?…はい?楽しみましょう…?…というか、もう既に楽しいですよ?」
私の答えを聞いてから、碓氷さんはこれまた突然 私の腕を掴む力を少し強める。先程は直ぐに解けてしまいそうだったが、今度は絶対に離さないような、そんな強さだった。かと言って痛い訳でも無い。とにかく碓氷さんは、気を引き締めたように私の腕を引っ張る力を強くしたのだ。
「そうだな、それは俺も一緒だ。」
どんな顔をしているのか気になって、こっそり覗き込んでみると碓氷さんは楽しそうに頬を緩めている。
「迷子になんなよ?方向音痴なんだから。」
今度は悪戯げに笑っている…。……やっぱこの顔……ドキッとするけど腹立つのには変わりないな…。
「碓氷さんが手を引いてくれてるので大丈夫です!それに!『方向音痴』って言わないでください!」
「そうだなw 悪い悪いww」
なんでこんなに突然ご機嫌なんだ…?まあ……ご機嫌なのが何よりだが……。
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初めて親以外の誰かにプレゼントを貰ったからか、クリスマス気分になってしまっているのか、理由はよく分からないが……俺はまた、笹野にドキドキしてしまっていた。というか、多分このドキドキは このほっそい腕を掴んでいるからだろう。男の俺とは全く違う身体の構造に、動揺してしまっているだけだ。それと…………こいつがこんな格好してるから…。……そう………ただ、それだけの事…。俺は笹野を意識してない…。
せめて今は…………クリスマスの今日は、そんな邪魔な気持ちなんか一切捨てて、思い切り楽しむんだ。初めて出来た本当の友達と、今までに経験したことないくらいクリスマスを楽しんでやるんだ。そして、何しても楽しそうな笹野も最高に楽しませてやる。
そう意気込んで、俺はアイススケート場へと向かった。
五分程歩いて、スケート場に着いた。
「因みに碓氷さん、アイススケートのご経験は?」
アイススケートの靴を履きながら、笹野は尋ねる。
「無いな。」
答えてやると、笹野は面白いくらいに「きょとん」といった顔をした。
「ん?なのに、あんなに自信満々で『手加減はしないからなぁ?ひゃっはー!』なんて仰ってたんですか?」
「いや、俺そんなあたおかで言ってないだろ。まあ自信はあるけど。」
「なんで自信あるんですか?やったことも無いのに。」
「運動神経はいいからな。小中高じゃ毎回『運動能力賞』取ってたくらいだし。」
懐かしい。嫌われ者なのに、毎回 授与式でステージに立たなければいけないことが嫌だった…。
「うわぁ………運動神経良すぎて引きます…。」
「引くな。」
「……嘸かしモテたんでしょうね…。特に小学校…。女子小学生の好きなタイプと言ったら、『足が速い』ですし。」
そう言われて、俺は昔のことを思い出す。
話したくもない記憶だが、笹野には殆ど知られている。それに……笹野には話しても、今更嫌われることなんか無いだろう。こいつだけは、どんなことでも受け止め、受け入れてくれるような気がする。
「ああ、モテたな。『顔と足が速いところはカッコイイ』って、よく女子の間で噂になってた。…そんなとこ好かれたところで、誰が喜ぶんだよ…。」
話して良くても、嫌な記憶ということは変わらない。だから、俺は少し感情を入れて そんなことをぼやいてしまった。
「………子供って、残酷ですからね…。」
「……残酷なのは、大人も一緒だ…。」
呟いても意味の無いことをぼやいてから、俺は笹野の顔を無意識に見てみた。こんな暗い話、笹野も嫌だろうと思ったから。
すると、案の定 笹野は…――……いや、俺は「早くこの話をやめたい」と思っているような、微妙な顔をしていると思っていた。けれど、笹野は………
「そう…ですよね……。」
苦しそうな顔をしていた。悲しそうに俯いている。……どうやら、俺の感情が笹野にも伝わってしまったようだ。笹野は優しいから、誰よりも純粋だから………誰かが悲しそうだと自分も悲しくなってしまうんだ…。それに…………俺だから、同情してくれてるのも…あったりするのだろうか……。
……残酷じゃないのは、笹野だけだな…。
こんな話、しなければ良かったと思うと同時に、笹野の優しさを改めて知れて嬉しかった自分もいた。相変わらず、性格が悪いなと自分でも思う。だが、このまま笹野を悲しくさせるつもりは無い。
「よし、シューズも履けたし行くか!」
気を取り直して俺は、自然な笑顔で立ち上がった。すると、やっぱり笹野も同じように笑って「はい!」と返事をしてくれた。そして、俺に続いて立ち上がったはいいものの……
「うほぉっ…?!!」
笹野は思い切り寄ろけた。咄嗟に腕を掴むと、笹野は俺の二の腕に掴まりながら笑う。
「ありがとうございます。」
やっぱり運動音痴だったか。
「笹野はスケートやった事ないのか?」
「あります。」
「は?」
……あるのにこんなに下手なのか…?しかも……これで、あんな自信満々に「手加減なんか必要ありませんから!」とかほざいてたのか…?
「ですが、今日はイケるような気がします!」
「マジか…。お前こそ凄い自信だな…。」
「ありがとうございます!」
「褒めてないw」
笹野の驚くくらい自信満々な表情に、俺はつい吹き出す。やっぱり、笹野が可愛いのは確かだ。女性に向けるような意味では無く、勿論 子供に向けるような意味で。
俺は普通に歩き、笹野は壁を伝いながら、漸くスケートリンクへ着いた。一応、こいつがリンクに入った瞬間に転ぶ可能性があるので、俺は先に氷の上に足を踏み入れる。すると、直ぐにコツを掴んだ。そして、笹野がドヤ顔でリンクに入ってくる。……壁に掴まりながら。
「見ててくださいね碓氷さん!わたくし笹野、華麗に滑ってみせます!」
なんて、無邪気な笑顔で言ってグラグラの足元を気にしながら壁を伝い、氷の上を歩く。そして……漸く手を離――
「うあっ!!」
離したかと思ったら直ぐに寄ろめいて転びそうになった。俺は咄嗟に笹野に手を伸ばすが、笹野は自力で何とかバランスを保った。
「ほら言ったじゃないですか!」
とてつもなく嬉しそうに、俺へアピールをする。その直後――
「うぉうぉうぉうぉ」
もう一度バランスを崩した笹野は、産まれたての子鹿のように激しく脚をワナワナとさせた。そんな笹野の滑稽な姿に勿論、俺は……
「ぶっはははははwww」
腹を抱えて笑った。だって、この状態でバランスを保てているのも凄いし、何より笹野の足元が……
「はははははは⤴︎︎︎www ヒィーっwwwww しっwwしぬwww しぬしぬwwww がははははwwww」
腹がよじれそうだwwww
俺は必死に息をしようと、腹を抱えて空気を吸い込んだ。だが、そんなの無駄で直ぐに次の笑いが込み上げてくる。
「わっ…笑わないでください…!」
一旦、壁に掴まってバランスを取り直した笹野の怒った顔も、リンゴのように赤く染まった頬も傑作だ。そして、頑張って滑ろうともう一度手を離す笹野も。
「ゔぉっ…!!!」
「はははははwww」
結局バランスを崩して、前に倒れてしまいそうになった笹野を、俺は笑いながら咄嗟に腕を掴んだ。お陰で転ばずに済んだ笹野が、俺を睨みながらも「…ありがとうございます。」とお礼を言う。俺の両腕にしがみつきながら。
「マジで運動音痴なんだなwww」
「うるさいです…!そんなふうに言うんなら、滑り方教えてくださいよ!」
「はいはいわかったよw」
ということで、俺は笹野にアイススケートを教えることになった。
「…そうそう、ゆっくり。足は八の字に…そうそうそう。おー進んでる。一ミリずつだけどww」
「一ミリでも成長してます!『一ミリ』が大事なんですよ!『千里の道も一歩から』って言いますよね?!」
「そうだなw」
そうやって笑いながら、手袋をはめた笹野の手を握ってバックで少しずつ滑る。さっきよりはだいぶ上手くなっている。若干 緊張気味だった笹野の顔も、段々と笑顔になってきた。
「碓氷さん、本当に運動神経いいんですね。」
「笹野は本当に運動神経悪いんだな。」
「はい、体力テストが大嫌いでした。なんせ、運動神経の中で体力が一番劣っているので。シャトルランとか、反復横跳びとか、上体起こしとか…無くなっちゃえばいいと思ってました。」
「へぇ…?なのになんでそんなパワフルなんだ?」
「それは………」
俺の質問に、笹野は自分でも分からないというふうに一旦止まり、首を傾げる。だけど、直ぐに笑顔になった。答えを見つけたからだ。
「そういう性格だからです!」
元気にそう答えた笹野の笑顔を見ると、やはり自然と俺も笑顔になる。
やっぱり…こいつの笑顔、大好きだ。絶大な癒し効果がある。
「はははっ」
自分でも驚くくらい、つい爽やかに笑ってしまった。柄でも無いのに。でも、まあ笹野の前なら柄じゃなくてもいいだろう。どんな俺でも受け入れてくれるんだかr――
「っ…?!!」
笹野の笑顔が嬉しくて、つい見つめていると突然、笹野がバランスを崩して後ろへ倒れた。声も出さずにただ、赤くなった頬で俺を見つめながら倒れていく。
やばい、と俺は察した。今までは転びそうになっていたのは前方だし、声を上げていた。けれど…今回は…………
「…あっぶな……。」
危機一髪で、笹野を助けることが出来た。マジで頭を打つと思ったので心臓が物凄い速さで鳴っている。
安堵でため息をつきながら、笹野の安否を確認しようと少し離れて肩を持つ。その瞬間、俺は違和感を感じた。妙に笹野との密着度が高かった気がするのだ。俺は慌てて、どうやって笹野を助けたか思い返してみる。
えっと……まず…笹野が後ろに倒れそうだったから…腕を…………そうだ、腕を引っ張ったんだ…!…そんで……今度は前に倒れ込んできたから…………………危ないと……思って………それなりの勢いで………笹野の背中に腕を…………………
「うわぁっ…?!!」
俺は咄嗟に情けない声を上げて後ろに下がった。先程まで、無意識に笹野を抱きしめてしまっていたのだ。助けるためとはいえ、そんなこと……恥ずかしくて…申し訳なくて…………。
笹野から一秒でも早く離れようと 二、三歩後ろに下がった拍子に、俺は見事にツルっと滑って後ろに転び、尻もちを着いてしまった。
…カッコ悪すぎ………。
「だっ…大丈夫ですかぅぉお…?!!」
驚いて俺を見るために下を向いた笹野は、前方に倒れて氷の上に手を着く。だが、その転んだ先には尻もちを着いた俺が…。
いつか見た夢のように、笹野と俺との距離はめちゃくちゃ近くなっていた。笹野も驚いたようで硬直している。俺はというと……咄嗟に後退りをした。後方を確認しなかった為、近くを滑っていた人にぶつかりそうになる。
「すみませんっ…!」
咄嗟に出た声に、ぶつかりそうになった人は笑顔で「大丈夫です。」と答えてくれた。
一先ず、事故が起こらなくて良かったと もう一度、安堵のため息をつく。そして……
「怪我は無いかっ?」
笹野が転んだことを思い出して、慌てて尋ねた。
「ないですないですっ!」
「よかった……。」
全身の力が抜けるが、ここでは邪魔になってしまう。取り敢えず、俺は立ち上がって仕方なく笹野に手を伸ばす。すると、笹野は俺の手を掴んでくれた。俺もガシッと掴み、ゆっくりと笹野を引き上げる。
「碓氷さんは、怪我はありぁまさんせんか?」
「…ケツめっちゃ痛い。」
…………今……噛んだよな…?
強行突破で行くのかと驚きながらも、俺は笹野を連れて壁際まで滑る。すると、直ぐに笹野が上目遣いで訊いてきた。
「お尻……大丈夫ですか…?」
「あぁ、全然大丈夫。多分できてもアザくらいだろ。」
……こいつの上目遣い…無意識なんだろうなあ………。
そう思いながらも、俺は笑顔で呟く。
「転んだ回数、今のとこ引き分けだな。」
「…あ。そうですね!」
「勝負の続きするか?」
「したいですけど……碓氷さん、お尻は…」
「大丈夫だ。ほんと、なんて事ない。」
笹野を少しでも安心させようと笑顔を向けると、笹野は子供のように瞳をキラリと輝かせた。そして、熱い視線で「よかったぁ!」と笑う。
「それなら、勝負を続けましょう!」
「そうだな。」
「無理はしないでくださいね!」
満面の笑みでそう言って、笹野は壁から手を離す。だが……
「待った、その前にトイレ行ってくる。」
キンキンの氷の空間は寒いので、トイレに行きたくなった。伝えると、笹野は納得したように言う。
「あぁ、おしりの状態を確認するんですね!」
「違う。」
「違うんですか?」
「普通に花摘んでくる。」
「そうですか!行ってらっしゃい!」
「笹野は行かなくていいのか?」
「はい、私は大丈夫です♪」
そうか……なら、一人になるな…。
「……ここに居ろよ?」
少し心配になって言うと、笹野はニコッと笑って「はい、待ってます♪」と返した。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
作者が言うのもアレですが、明香里が一人行動だなんて心配しかありませんね。トイレの短い間でも、勝手にどっか行って迷子になりそう笑
さて、次回も明香里と律月の関係が少しずつ変化しながらも、すこーしずつ物語の「核」に近づいてきます!
お楽しみに(*ˊ˘ˋ*)
※本作はフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。




