第11話:ルネ回:捏造された聖画、あるいは「一リオン」の女神
中庭の片隅、生い茂る木陰に隠れて、一人の女性が猛烈な勢いで筆を走らせていた。
宮廷画家のルネだ。
普段は物静かな彼女だが、今はボサボサの髪を振り乱し、獲物を見つけた猛獣のような鋭い瞳でキャンバスに向かっている。
僕がシルヴィアに煽りを入れて返り討ちに遭い、鼻を押さえて芝生に転がっている間、彼女はずっと僕たちを凝視していた。
「……ああ、あああ……! なんという躍動感! これぞ天啓、真理の光ざんす!」
ルネは情熱的な声を上げながら、狂ったように色彩を重ねていく。
彼女の瞳には、現実の「痴話喧嘩」が、どうやら別の何かに変換されて映っているようだった。
*
数日後。僕は執務室で、ルネが仕上げてきた「近況報告用」のスケッチを見て、思わず遠い目になった。
これ、シルヴィアがお義父様へ送る手紙に添えるための絵なんだよね?
「……ハンス。これ、僕だよね? 一応、モデルは僕なんだよね?」
「左様でございます、殿下。ルネ様いわく、あの日の中庭で『真実の構図』を見たのだと熱弁しておりました。世界にたった一枚、陛下に捧げるための至高の正筆だそうです」
手元のスケッチには、眩い光を背負った女神が描かれていた。
目を引くのは、そのあまりにダイナミックな跳躍だ。
彼女の放った「フリスビー円盤」は空を切り、彼女自身はまるで空へ飛び出すかのような、美しくも力強いジャンピングスローを見せている。
(……このシルヴィアのポーズ、前世で見たティツィアーノの『バッカスとアリアドネ』の絵画にそっくりじゃないか……)
この世界にそんな名画は存在しない。
だからこれは完全に偶然なのだが、アリアドネが飛び降りるあの劇的な構図が、シルヴィアの全力投球で再現されてしまったことに僕は戦慄した。
さらに酷いのは、その左端の方で頭を抱えている僕の描写だ。
円盤を顔面に受けてのけぞる僕の頭からは、衝撃で飛び出した「星」がキラキラと舞っていた。
その星たちが、まるで魔法のように僕の頭上で円環を描き、あつらえたような「光り輝く王冠」として描かれているのだ。
実際には鼻血を出して悶絶していただけなのだが、この絵の中では「聖なる基準の洗礼を受け、英知の王冠を授かった賢者」にしか見えない。
「……あ、あんなに……私、あんなに高く飛んで投げたみたいじゃない! 恥ずかしいわよ!」
横から絵を覗き込んだシルヴィアが、羞恥心で顔を真っ赤にしている。
一方で、絵の右側を見たリーゼは、パァァッ、と顔を輝かせた。
「お兄様、見てください! 右の方に私とハンス、それに子供たちも描かれていますわ! みんなでとっても楽しそうにフリスビーをしています! 『私と子供たちも一緒にフリスビーしてます』ってルネ様に伝えた通りですわ!」
リーゼが指差す先には、黄金色の光に包まれ、楽しげに円盤を掲げたり追いかけたりする僕たちの仲間が描かれていた。惨劇の現場のはずなのに、そこだけは楽園の祝祭のような賑やかさだ。
「ハンス、これ、量産して配ったりしないよね?」
「もちろんです、殿下。芸術とは唯一無二であるからこそ価値があるもの。これはシルヴィア様のお手紙とともに、陛下のもとへ送られ、王家の秘蔵品となるでしょう」
ハンスは眼鏡をクイと押し上げ、どこか遠くを見据えるように言った。
量産されないからこそ、この「捏造された真実」を覆す証拠はどこにも残らない、ということか。
僕の「面倒くさい」から始まった円盤が、女性画家の手によって聖なる基準へと塗り替えられ、歴史の闇……もとい、王家の奥深くに刻まれていく。
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