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第8話:真実の円と、ハンスの「物差し」

中庭での騒ぎと、リーゼの涙。

 嵐のような時間が過ぎ去り、僕の執務室にはようやく、石造りの壁が守る静寂が戻ってきた。


 木が爆ぜる心地よい音。

 窓の外では冬の冷たい風がヒューヒューと鳴いているけれど、室内は暖炉のおかげで、春のように暖かい。


「……落ち着いたかい、リーゼ。もう大丈夫だよ。僕が、全部なんとかしてあげるからね」


僕はソファに深く腰掛け、隣に座るリーゼの肩を優しく抱き寄せた。

 リーゼの手には、ハンスが淹れてくれた最高級のココア。

 立ち上る甘い湯気が、彼女の少し青ざめていた頬を、ゆっくりと桜色に染めていく。


「はい、お兄様……。ありがとうございます。ココア、とっても温かいですわ……」


リーゼがふにゃりと微笑む。

 その天使のような笑顔を見て、僕の心臓を締め付けていた「怒り」と「心配」が、ようやく指先から溶け出していくのを感じた。


だが、そんな僕たちの穏やかな空気とは対照的に、部屋の片隅でピリついたオーラを放っている人物がいた。


シルヴィアだ。


彼女は窓際で腕を組み、冷たい冬の空を見つめたまま、一言も発さない。

 普段の彼女なら、「あんたの図面が悪いからよ!」と真っ先に毒づいてくるはずなのに。

 今のシルヴィアは、まるで鋭利な刃物のような、危うい静けさを纏っていた。


「……シルヴィア?」


僕が声をかけると、彼女の肩が微かに跳ねた。

 振り向いた彼女の瞳には、悔しさと、自分自身への苛立ちが混ざり合っている。


「……ねえ、リオン。私、自分のことが嫌いになりそうだわ」


「えっ? 急にどうしたんだよ」


「王女として育てられて、知識も、礼儀も、一通りは身につけてきたつもりだった。でも……今日、ギルドの奴らにあんな態度を取られて、私はただ、言い返して時間を無駄にすることしかできなかった」


彼女はギュッと拳を握りしめた。

 爪が手のひらに食い込むほどに。


「あいつらは私を王女としてじゃなく、『何も知らない世間知らずの小娘』として扱った。それが悔しいんじゃない。……そんな奴らに舐められる隙を見せたせいで、あなたの計画を台無しにして、リーゼ様を悲しませる隙を作ってしまったのが……耐えられないのよ」


シルヴィア……。

 彼女は彼女なりに、責任を感じていたんだ。

 僕が「適当にやっといてよ」と丸投げしたせいで、彼女に泥を被せてしまったようなものなのに。


「シルヴィア。君のせいじゃない。悪いのは、独占権にあぐらをかいてるギルドの方だ。君は十分、あいつらと戦ってくれたよ」


「……いいえ。次は、口先だけで戦うつもりはないわ」


シルヴィアの瞳に、宿命の炎のような強い光が宿った。

 彼女はおもむろに執務机に向かうと、乱暴に椅子を引き、羊皮紙を広げた。


「私は私にできることをやる。次は二度と『素人の遊びだ』なんて言わせない」


彼女の手は、迷いなくペンを走らせ始めた。


「私のせいで、あんな無礼なギルド長に付け入る隙を与えて……本当にごめんなさい。でも、私、気づいたわ。リオンのあの図面……あれが少しばかり『雑』だったから、あいつらに舐められたのよ」


「えっ、あ、やっぱり……? なんかごめんね。僕、図面引くの下手だし」


僕はバツが悪そうに鼻の頭を掻いた。

 そりゃそうだ。国宝の皿をなぞっただけの線を、さらに不器用な手で清書(?)しただけなんだから。

 プロの職人から見れば、「なんだこの歪なジャガイモは」と思われても仕方ない。


シルヴィアは、机の上に置かれたままの「蒼月の聖皿」を、再び羊皮紙の中央に置いた。


「描き直すわ。あなたが満足して、あの大柄な職人どもが跪いて謝りたくなるような、最高に精密で完璧な円を。……見てなさい、リオン。これが王家の教育を受けた者の『本気』よ」


シルヴィアのペン先が、皿の縁に触れる。

 そこからは、息を呑むような光景だった。

 彼女は皿の曲線を、ただなぞっているのではない。

 一定の筆圧、一定の速度。まるで魔法の回路を刻むかのような正確さで、羊皮紙の上に「真円」を描き出していく。


一ミリのズレも、一箇所の掠れもない。

 それはもはや遊び道具の設計図ではなく、精密機械の設計図か、あるいは高位魔法の魔法陣のようだった。


「……できたわ。これで文句ないでしょ」


シルヴィアがペンを置く。

 そこには、凛とした美しさを持つ円が描かれていた。


「おお、すごい! 綺麗だね。……うん、これだよこれ! ハンス、見て。これなら大丈夫だよね?」


僕は身を乗り出して、その図面を眺めた。


「これだ。次は、この図面を基準にお願いしに行こう。全部これと同じ大きさで作れば、誰が投げても公平だし、遊びとしての精度も上がる。……」


僕は単に、フリスビーのサイズを統一して数えやすくしようと提案したつもりだった。


……けれど。

 それを受けたハンスの瞳が、見たこともないほど鋭く、深く、冷徹に光った。


「……承知いたしました、リオン殿下。この円盤の設計図、すなわちシルヴィア様が描かれた設計図を(王国内で共通の基準として)『1リオン』と定義いたします」


ハンスは、まるで国家予算を審議する時のような、重々しい口調で続けた。


「すぐに(王国内全部の)職人たちにこの1リオンを基準に作るよう、準備してまいります」


「え? 1リオン?」


僕は首を傾げた。


(……ああ、なるほど。フリスビーの数を1リオンて数えるのね。なんかかっこいいじゃん!)


「うん、そうだね。1リオン、2リオン……って数えるのは分かりやすくていいと思うよ。ハンス、採用! どんどん広めてよ」


「……っ! 御意。全力を尽くします。……(やはり、既存のギルドが持つ既得権益――不揃いな単位による搾取を、新たな『王家基準リオン』で上書きし、破壊せよ、との御意志……!)」


ハンスは、僕の(適当な)発言に、魂を揺さぶられるような感動を覚えているようだった。

 彼はシルヴィアが描いた「神の如き図面」を恭しく、しかし宝物を奪い去るような素早さで借り受けた。


彼は部屋を出る間際、僕に向かって冷徹かつ優雅な一礼をした。


「シルヴィア様、図面をお借りします。」


「え、なんで?」


「ギルドへは私がキャンセルの通告を……また、少々忘れ物がございまして。」


ハンスの背後で、黒いオーラが見えた気がした。

 図面を大切に、しかし武器を隠し持つように丸め、彼は部屋を後にした。

 

 こうして、僕の「遊び道具の数え方」という気軽な勘違いは、悪徳ギルドの既得権益を根本から粉砕し、国家の度量衡をひっくり返す「最強の規格スタンダード」へと変貌を遂げてしまった。

読んでいただき、ありがとうございます。


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