第13話:銀色の手紙と帝王の決断
その日の夜。
シルヴィア・ヴァレリアスは、アルカディア王宮にある自室の机で、故郷の父へ宛てた手紙を認めていた。
ペンを走らせる彼女の脳裏には、ここ数ヶ月で起きてきた出来事が鮮やかに蘇る。
(……本当に、不思議な時間だったわ)
慣れない土にまみれ、必死に鍬を振るった日々。手のひらにできた小さな豆は、自分がこの大地と向き合った証のようで、少しだけ誇らしかった。
ふと横を見れば、早々に「腰が痛い」と地面に座り込み、お茶を啜っているリオンの姿がある。呆れて物も言えなかったけれど、彼が不器用そうに差し出してくれた冷たいお茶は、驚くほど喉に心地よかった。
村のマルタさんの子供たちが、泥だらけの手で私のドレスの裾を掴んで笑っていたこと。
作業のあとにみんなで囲んだ、あの熱々の、ジャガイモと牛肉の重ね焼きの味。
ホクホクとしたイモの甘みと、じゅわっと溢れる肉の旨味が重なって……あんなに美味しいものがこの世にあるなんて、王宮にいた頃の私は知りもしなかった。
シルヴィアは柔らかな微笑みを浮かべ、ペンを動かした。
◇
『お父様、お元気ですか?
アルカディアでの生活にも少しずつ慣れてきました。こちらは気候も穏やかで、周りの方々も親切にしてくださっています。お父様が心配なさるようなことは何もありませんから、どうか安心してくださいね。
近頃の私は、この国の農業改革のお手伝いをしていました。お父様は驚かれるかもしれませんが、昔お父様から教えてもらったように、私も自ら畑に出て、鍬を振るって畑を一つ開墾しようと頑張ったのですよ。
でもどこの国も役人はダメね。あんな態度では国民からの心は離れてしまうと思いましたの。国民も役人も国を作る人々ですもの。
泥にまみれ働くのは大変でしたが、村の子供たちの笑顔を見ていると、疲れなんて吹き飛んでしまいました。やはり大変な思いをしてお仕事をしている方々と触れ合うのは我ら王族として、改めて重要なことだと思い知りました。
何より、収穫したばかりの野菜で作ったお料理が、涙が出るほど美味しかったのです。
そんな中、リオンが新しい農法を考案しました。
……と言っても、本人は三歩歩いただけで「腰が痛い」とか「鍬が重い」と言って、結局ほとんど私が鍬を振るうことになったんだけれど。
リオンは、前にお父様にお伝えした散歩農法に、ジャガイモを組み合わせることで、冬の間も家畜に餌を与えられると言っていました。実際、ヴィラールの村ではすでに家畜の数が増え、村の人たちの食卓も豊かになり始めています。
そしてリオン。あんなにやる気のない人なのに、なぜか彼の行動は、私たちが必死に考えても辿り着けないような真理を突いている。
お父様。ゼノビアでも、この方法を試してみてはどうかしら?
きっと、我が国の人々も、冬に美味しいお肉や温かなお料理を食べられるようになると思うわ。
……追伸。
リオンは本当に放っておけない人だから、やっぱり私がついていないとダメみたい。でも、そのおかげで私は毎日とても元気に過ごせています。お父様も、あまり無理をなさらないでくださいね。
別に送った贈り物の絵画も、お父様の部屋に飾ってくださいね。もしかしたらちょーーーっと事実とは異なるかもしれないけれど、きっとお父様は気にいると思うの。
◇
書き終えた手紙を封じ、彼女は窓の外を眺めた。
(……さて。明日はリオンに、あの重ね焼きをもう一度作らせようかしら。お小遣いも増えたんだし、材料は奮発させなきゃね)
◇
数日後。
大陸随一の威容を誇るゼノビア帝国の帝宮。
その最奥にある謁見の間は、今日も石像のように微動だにしない精鋭騎士たちが並び、重苦しいまでの静寂が支配していた。玉座に深く腰を下ろすのは、冷徹なまでの合理性で帝国を導く覇王、ゼノビア皇帝である。
そこへ、アルカディア王国からの使者が、一通の親書と大きな荷を携えて現れた。
「申し上げます。アルカディアに滞在中の第一皇女、シルヴィア皇女殿下より手紙と贈り物が届いております」
「……ふむ。シルヴィアからの便りとな?」
その名が出た瞬間だった。皇帝の纏っていた、周囲を圧するほどの覇気が、霧が晴れるように霧散した。
「……ふむ、シルヴィアからの手紙であるか。……シルヴィア? シルヴィアたん! シルヴィアたんからの手紙だってえええ!? チュッチュ」
皇帝は玉座から身を乗り出し、使者から手紙をひったくるように受け取ると、あろうことか公衆の面前で封書に頬ずりをし始めた。
あまりの豹変ぶりに、玉座の左右に控える側近たちは、眉一つ動かさず、もはや悟りを開いたような無表情を貫いている。
「そっかー、シルヴィアたんはヴィラールとかいう村で、自分で鍬を振るって頑張ったんだねぇー。パパは嬉しいぞぉ! 手が荒れてないかなぁ、心配だなぁ。ふむふむ……」
「おい、誰かシルヴィアたんに、『ザボン』のハンドクリームを送ってやれ。ジャスミンがいいか? よし、パパも同じのを使っちゃおうかなぁ!」
皇帝のあまりにも「距離感の近い」発言に、左右に控える側近の一人が、深々恟々としながらも一歩前に出た。
(……恐ろしい。年頃の娘と同じ匂いになど、陛下、それは嫌われる未来しか見えませぬぞ!)
「恐れながら陛下。陛下におかれましては、別な匂いをご使用になるのがよろしいかと具申いたします」
その瞬間、皇帝がピクリと反応した。
先ほどまでのデレデレ顔が消え、いつもの覇王の鋭い眼光が側近を射抜く。
「……どういうことだ?」
謁見の間が凍りつく。だが側近は、冷や汗を拭いながら必死に言葉を継いだ。
「はっ……。シルヴィア皇女殿下におかれましても、陛下がまた別なハンドクリームをご使用になっていると知れば、『そちらの香りはどうなのですか?』と、父娘の間で話に花が咲くかと思われます。共に同じ香りにしては、語り合う楽しみを奪うことにもなりかねませぬ……!」
「…………ほう」
皇帝の目が、再び和らいだ。
「なるほど。それは盲点だった。香りの違いを語らう……。おお、なんという知的でエレガントな父娘の会話だ! よし、私はムスクにしよう! 貴殿、天才か!」
皇帝は上機嫌で再び手紙に目を落とした。
「贈り物の方は……おお、絵画か。なるほどシルヴィアたんが描かせた絵画……なんと美しい。リオンを甲斐甲斐しく介抱するシルヴィアたん? ふむ。おい、いつものところに保管しておけ!」
「はっ。ただちに保管庫へ!」
「……アルカディアへ返礼を。リオン王子には、我が娘を支えてくれていることへの礼を伝えよ」
「はっ。仰せのままに」
前回と同様に衛兵たちは慣れた手つきで、皇帝だけが入室を許される「皇帝の大事なものを入れる部屋」と書かれた隠し扉の奥にしまうため、絵画を運び出す。
皇帝は満足げに深く頷いた。だが、手紙の後半、農法に関する具体的な記述を読み終えた瞬間。
皇帝の顔から、だらしない笑みが完全に消えた。
一瞬にして、謁見の間に真の「覇王」が帰還した。
「…………ジャガイモ、だと? これらを家畜の餌とすることで、『冬の屠殺』を回避し、畜産業を劇的に改善させる農法……とな?」
皇帝は、手紙を持ったまま立ち上がった。その瞳には、もはや親バカの影は微塵もない。
「……おい。シルヴィア皇女殿下が、不毛の冬を克服する術をアルカディアが手にしたと報告してきた。……あり得るか?」
問いかけられた左右の側近たちは、深く頭を下げた。
「はっ。シルヴィア皇女殿下がわざわざ書面に残されたのであれば、まごうことなき真実かと愚考いたします。この冬、アルカディアが食料、ひいては軍事的な備蓄、特に軍馬において我が国を凌駕する可能性があります」
「……おい」
影から顔をだす一人の男。
「どうなんだ?」
「私にもそのように報告が上がっております」
「また冬に家畜がいる。これは今まで各村の死亡率を以前に比べて圧倒的に下げる要因にもなっております。もしこれを徴兵できれば。。。」
皇帝は無造作に手紙を男に手渡す。
「アルカディアが冬を越し、国力を蓄えることは、大陸のパワーバランスを揺るがす。……我が国も、ただちに冬を克服するぞ」
「御意、陛下」
側近たちは音もなく立ち去った。
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