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第6話:書き換わる帳簿

 静寂が支配する深夜の執務室。

 本来なら王子として優雅な眠りについているべき時間だが、今の僕の胃袋は、抗議の声を上げ続けていた。


「……お腹、空いたなぁ」


 シルヴィアが「どこかの村」へ向かってから数日。彼女がどこで何をしているのか、詳しいことは聞いていない 。ただ、僕の手元には昨日から使い回している、カピカピになった茹で芋がひと欠片あるだけだ 。

 これではリーゼに「新しいカニさん」を彫ってあげることもできない 。


 僕は空腹から気を紛らわせるために、ハンスが机に積み上げていた未決済の書類の山に手を伸ばした 。


「……これは、隣町の農道修繕に関する苦情か。道に穴が空いていて、荷馬車の車輪が折れた……。あぁ、それは大変だったね。ごめんねぇ……」


 僕は心の中でその農夫に謝りながら、素早くペンを走らせる 。

 本来なら「予算不足」の一言で切り捨てられる案件だが、予備費の項目を細かく精査し、無駄な宴会費用から少しずつ回せば、今すぐ補修費用は出せるはずだ 。

 

「……よし。これで次の市場の日までには直せるはずだ。気をつけてね……っと。はい決済」


解決策を書き込み、決済箱へ 。次に手に取ったのは、未亡人への遺族年金の支給遅延に関する相談だ 。


「役人はねぇ……こういうのなかなかわからないよねぇ……。これも僕の「ごめんなさいの手紙」を添えて、決済っと」


手続きの不備が原因だろうか。僕は「強い催促状(さいそくじょう)」を添えて、優先処理の判を叩く 。


「はい次は……。『ギルドの売り上げ低下による助成金申請』? ……この月だけ赤字で、他の月は黒字じゃない。で、決算書は黒字で着地している。なんで許可のハンコが並んでるの? はい、最終決済者の僕は不許可。……っと」


一つ、また一つ 。僕は人々の悲鳴が詰まった紙束を、持てる知識を総動員して「明日への安心」に変えていく 。それが僕にできる、精一杯の誠実さだった 。


 そして、ふと一番下に置かれた、分厚い報告書を手に取った 。

 それは、王都近郊――ヴィラール地区の「徴税実績報告書」だった 。


 パラパラとページをめくる 。

 ……その瞬間、指先が止まった 。


「……んんーー、これ。……ちょっと違和感があるな……」


そこには、妙にいびつな数字が並んでいた 。

 

 前年度の収穫高に対する税率の適用。一見すると平穏な数字に見えるが、数ページ前の気象記録と照らし合わせると、明らかに計算が合わない 。冷害による減免措置が適用された形跡がないのだ 。


 ハンスを呼んで関連書類を取り寄せようとしたが、彼は不在だった 。


「ハンスぅ。ハンスぅぅぅ?」


 返事はない。僕は自力で過去の記録を掘り返した。

 ……うーーん。冷害による作物被害助成金を申請した記録はあるけれど……こっちは助成金の申請書が却下されている 。


 代官たちの「どれだけ搾り取れるか」という私欲が、書類の至るところに染み付いている 。

 苦情に耳を傾け、必死にやりくりしている民がいる一方で、この書類を作った奴らは、ペン先一つで民を追い詰め、平気な顔をして私腹を肥やしている 。


「なるほどね……これは、放っておけないな」


気づけば、僕はペンを握りしめていた 。

 

 間違った数字をそのままにしておくのは、どうにも寝心地の悪いベッドに寝かされているようで落ち着かない 。それに何より、名も知らぬ誰かが、このデタラメな計算のせいで今日食べるパンにも困っているのだと思うと、腹の底から静かな怒りが湧いてきた 。

 

「……まずはここだ。当時の減免措置を正確に適用する。……ここは、マイナス一割。いや、こちらの重複分を含めれば一・五割は削れるはずだ。で、改めて助成金は許可のハンコっと」


カリカリと、深夜の室内にペンが走る音だけが響く 。

 

 僕は無心だった 。

 複雑に絡み合った虚偽の数字を解きほぐし、あるべき場所へと戻していく 。

 整合性が取れていくその過程に、僕は言いようのない安堵あんどを覚えていた 。


「ふぃぃぃぃ……よし。ここをこうして、過去三年分の徴収超過分を『即時還付』として処理。名目は……んーーっと、事務手続き上の過誤による『是正措置』。これなら誰も文句は言えまい」


気づけば、窓の外では東の空が白み始めていた 。

 机の上には、経理上「正しい」帳簿が完成していた 。


 それは、ヴィラールの村人たちが絶望していた重税を、たった一晩で「返ってくるはずの財産」へと反転させる、救済の記録だった 。


「……ふぅ。……少し、スッキリした。これで数字も、どこかの誰かも、少しは呼吸しやすくなるだろう」


僕は完成した書類を、他の人情案件と一緒に「緊急決済」の箱に叩き込み、大きく背伸びをした 。


 シルヴィアが今まさにその村で泥にまみれ、村人たちの窮状に胸を痛めていることなど、僕は露ほども知らない 。

 ましてや、この書類を持って金貨を抱えた役人たちが、数時間後にヴィラールの村へ爆走することになるとは、この時の僕は想像もしていなかった 。


「……そういえば。シルヴィアは大丈夫なのかなぁ……」


僕はただ、空っぽの木箱を眺めながら、重いまぶたを閉じるのだった 。

読んでいただき、ありがとうございます。


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