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第5話:皇女、ヴィラールに立つ

 僕、リオン・アルカディアが執務室で「あー、新しいハンコ彫りたいなぁ、でも芋がないなぁ」と天井のシミを数えていた頃。


 ゼノビア帝国の皇女シルヴィアは、僕の予想を遥か斜め上に飛び越えた、けれど彼女らしい真っ直ぐな情熱を持って行動を開始していた。



 王都からほど近い、なだらかな丘陵に囲まれたヴィラールの村。

 そこは本来、王都へ新鮮な野菜を供給する拠点の一つなのだが、近年の不作と重税によって、村人たちの顔には隠しきれない疲労と諦めが浮かんでいた。


 その村の入り口に、一騎の白馬が静かに乗り入れた。

 銀色の髪をなびかせ、胸元の赤いリボンを元気に揺らしながら、シルヴィアが馬を降りる。


「こんにちは! 急に来て驚かせちゃったかしら?」


 シルヴィアは、怯えるように平伏しようとした村長のブラムの元へ駆け寄ると、そのゴツゴツした手をひょいっと両手で包み込んだ。


「そんなに畏まらなくていいわよ! 私は今日、大切なお友達のリオンに頼まれて、最高に美味しいジャガイモが育つ場所を探しに来たの。ねえ、私の相談に乗ってくれないかしら?」


 皇女自らが自分と同じ目線で笑いかけてくる姿に、ブラムは目を丸くした。


「は、はあ……。殿下自ら、左様なことを……。ですが、本当に申し訳ございませぬ……」


 ブラムが、すまなそうに空き地を指差した。その瞳には「力になりたいけれど、余裕がない」という苦渋の色が滲んでいる。

 するとシルヴィアは、ブラムのそんな表情を見て、ふふっと優しく微笑んだ。


「あら、そんな顔しないで。私の叔父さまも、息子ができた時に今の村長さんみたいな、とっても大変そうな顔をしてましたもの。男の人は責任感が強いから、つい難しく考えちゃうのよね。でも、そんなに肩肘張らなくても大丈夫よ?」


 シルヴィアはそのまま、乳飲み子を抱えて座っていた女性に目を輝かせて駆け寄った。


「あらぁ、かわいいわぁぁ! ほら見て、お手々がとってもちっちゃい!」


 シルヴィアは屈み込んで赤ちゃんをあやすと、顔を上げて女性に微笑みかけた。


「私はシルヴィア。急にお邪魔してごめんなさいね。あなたは……マルタさん? そちらの方は旦那さんかしら?」


 傍らに立っていたマルタの夫が驚いて固まっていると、シルヴィアは彼の方を向いて腰に手を当てた。


「あなたが旦那さん? ちゃんと奥さんのこと労ってあげなきゃダメよ? 女ってね、男の人が気が付かないところで、すごーく苦労してるんだから」


 シルヴィアが茶目っ気たっぷりにウインクすると、旦那さんは照れ臭そうに頭を掻きながらマルタの肩を抱き寄せ、思わず苦笑い。マルタはそんな旦那さんの顔を見て「……はいっ」と幸せそうに笑顔をこぼした。


 皇女殿下の温かな言葉とマルタたちの幸せそうな空気は、重税で冷え切っていた村人たちの心を、まるで春の陽光のように溶かしていく。


「……殿下、ありがとうございます。……ですが、本当に心苦しいのです……。あちらは家畜の餌を育てる放牧地。そこを削れば、我らは上納ができなくなり、村が潰れてしまいます。殿下の頼みを聞きたいのに、どうしても体が動かぬのです……」


 ブラムの言葉は切実だったけれど、シルヴィアは少しも気分を害さなかった。それどころか、快活に笑って、使い古しのくわをひょいっと担ぎ上げた。


「なーんだ、そんなこと! だったら話は簡単じゃない! みんなに余裕がないなら、私がその『余裕』を今から作ればいいのよね! 任せてよ、こう見えてゼノビアにいた頃は私もよく土を耕してたんだから。これくらいお手の物よ!」


「えっ……? 皇女殿下が、土を……?」


「そうよ。土を触っていると、なんだか元気が湧いてくるでしょ? よし、決めたわ。私は邪魔にならないように、あっちの荒れ地を勝手に拓かせてもらうわね! 気にしないでいいわよ。でも、もし私がお腹を空かせて倒れそうになったら、その時は美味しい水の飲み方でも教えてちょうだい!」


 シルヴィアは眩しい笑顔で、荒れ地に向かって真っ直ぐに駆け出していった。



 翌朝。

 村人たちが重い腰を上げて畑へ向かうと、そこには驚くべき光景があった。


 朝霧の中、すでに泥だらけになって鍬を振るうシルヴィアの姿があったのだ。

 銀色の髪は乱れ、頬には土がついていたが、その瞳は昨日よりもずっと生き生きと輝いている。


「あ、みんな、おはよう! 昨日の夜、美味しい水の飲み方を練習しといたから、今日は昨日より長く動けそうよ!」


 冗談めかして笑う彼女を見て、村人たちの間に流れていた「皇女様」という色眼鏡が、音を立てて崩れていった。

 彼女は、自分たちの境遇を憐れむために来たのではない。同じ大地に立ち、同じ汗を流すために来たのだ。


「……殿下、そこまで……」


 ブラムやマルタたちは、自分たちの不甲斐なさに胸を痛めながらも、シルヴィアの背中にこれまで感じたことのない「希望」を見出していた。

 彼女が信じている「リオン」という人物。そして彼女が命を吹き込もうとしているこの荒れ地。


「リオンが『助けて』って言ったんだもの。あの方は私ができるって信じてるはずよ。だったら、私が頑張らないで誰が頑張るのよ! よーし、やってやるんだからーっ!」


 シルヴィアの高く、力強い声がヴィラールの空に響き渡る。

 そのポジティブなエネルギーは、確実に村人たちの心を一つに結びつけようとしていた。

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