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第4話:無一文の絶望と、皇女への切実な願い

 幸せというものは、実にもろい。


 昨日、あんなに子供たちを笑顔にし、リーゼに「自慢のお兄様」と抱きつかれた多幸感は、一夜明けて無慈悲な現実に叩き潰された 。


 理由は単純だ。

 ……ジャガイモが、尽きたのである 。


「……嘘だろ。あんなに山ほどあったのに」


 僕は執務室の片隅、空っぽになった木箱を覗き込んで愕然とした。

 グレモリー公爵の嫌がらせで、数週間分はあろうかという量が運び込まれていたはずのジャガイモ。だが、僕が調子に乗って「お星様」や「お花」、そして大量の「カニさん」を彫りまくったせいで、食用に回す分すら残っていない 。


 しかも、最悪なことに僕の財布は空だ。

 お小遣い(予算)はグレモリーに凍結され、僕の全財産はカスピから持ち帰った、あてにならない「将来の利益への期待」という名の紙切れだけだ 。


「お兄様! 今日もカニさん、みんな待っていますわ!」


 リーゼの無邪気な声が廊下から聞こえるたびに、僕の胃がキリキリと痛む。

 材料がなければ、みんなの期待に応えられない 。


 僕は執務室の窓辺で、一人頭を抱えて唸っていた。

 すると、背後から凛とした、けれど少しだけトゲのある声が掛かった。


「……何よ。またそんな情けない顔をして。リオン、あなたそんなに暇なの?」


 振り返ると、そこにはゼノビア帝国の皇女、シルヴィアが立っていた。

 彼女はツカツカと歩み寄ってくると、胸元の赤いリボンをふわりと揺らしながら、僕の顔を覗き込むようにして身を乗り出してきた 。


「何か悩み事? どうしたの、ちょっと顔色が悪いよ? あなたがそこまで深刻な顔をするなんて、珍しいじゃない。……ほら、言いなさいよ。私に力になれることくらい、あるかもしれないでしょ?」


「あ、いや、シルヴィア……。これは、その……」


 僕が言い淀んでいると、彼女はさらにグイッと、僕の鼻先が触れそうなほどに顔を近づけてきた。

 銀色の髪から、かすかに爽やかな香りが漂う。至近距離で見つめられる彼女の瞳の圧力に、僕は思わず耳まで熱くなるのを感じた。んん、なんだかすごくいい匂いがする 。


「シ、シルヴィア……。顔が、顔が近いよ……」


「……っ! う、うるさいわね。リオンのくせに、何赤くなってるのよ! 黙って答えればいいのよ、黙って!」


 シルヴィアはパッと顔を離したけれど、その頬は僕よりも真っ赤に染まっている。

 彼女はぷいっと横を向いて腕を組んだけれど、それでも僕の返事を待つように、足先で小さく床を叩いていた 。


(……黙って答える。とは?)


 物理的な難問に脳がフリーズしかけたが、今の僕にはこの「惨めな状況」を救ってくれるかもしれない相手は、彼女しかいない。

 情けないけれど、背に腹は代えられない 。


「……ねぇシルヴィア。お願いなんだけれど、助けてくれないかな。僕、どうしても『ジャガイモ』が必要なんだ」


「……ジャガイモ?」


 顔は赤いままだったが、それを知られないとするように、そのプラチナブロンドの髪をかきあげながらシルヴィアが、不思議そうに僕を見つめる。

 僕は必死だった。リーゼの期待に応えるためには、ジャガイモという名の「魔法の材料」がどうしても必要だったのだ 。


「ああ。できれば、質のいいやつをたくさん……。僕を助けてくれるのは、もう君しかいないんだ」


◇◇◇


 シルヴィアは、リオンのその切実な瞳を見て、胸の奥が熱くなるのを感じていた 。


(……ふーん、ジャガイモねぇ? ええ、そういえばあのリオンは最近ジャガイモばかり食べているって噂だったわね。それに、さっきも周りの子たちがジャガイモのハンコで嬉しそうに遊んでいたし……)


 彼女は、ふふーんとリオンが何に困っているのかを、自分なりに理解した。

 彼がわざわざ自分に「助けて」とまで言ってきたのだ。それがただの食事の相談であるはずがない 。


(ふん。まあいいわ! 私だけを頼ってきたんですもの、最高の形で応えてあげようじゃない!)


 シルヴィアは、リオンの返事も待たずに、勢いよくきびすを返した。


「ふーん……わかったわ! 任せておきなさい。あなたに言われるまでもなく、とびきりのを用意してあげるんだから!」


「え? あ、うん。ありがとう。頼むよ、シルヴィア……」


◇◇◇


 翌朝。

 僕はハンスからの報告を受け、自分の耳を疑った 。


「殿下! シルヴィア殿下が、早朝から近隣の村へと向かわれました! なんでも『リオンが必要としている至高のジャガイモを、私が直接調達してくるわ』と仰って、御自ら馬に乗られてここからほど近いヴィラールの村へ……!」


「……は?」


 僕は持っていたペンをポトリと落とした。

 ジャガイモをどこかのお店で買ってくるんじゃない。

 彼女は自らの力で、この王都の近くで生産ルートそのものを確保しようと考えたようだ 。


(いや、僕は……。リーゼと子供たちのために、十個か二十個くらい、彫りやすそうな芋が欲しかっただけなんだけど……)


 窓の外を見れば、シルヴィアが手配したゼノビアの騎士たちが、村への輸送路を確保するために忙しなく動き回っている。

 彼女の中では、僕の「ハンコ材料のおねだり」が、いつの間にか国家的な物資調達任務にまで膨れ上がってしまっていた 。


「……ハンス。シルヴィアによろしく伝えといて。……無理しないでね、って」


「はっ! 殿下の深いお気遣い、必ずやシルヴィア殿下にお届けいたします! お二人の愛の共同作業、このハンスが余さず記録して参ります!」


 こうして、ただ「ハンコの材料が欲しいだけ」のリーゼにいい顔をしたかっただけの僕は、またしても図らずも巨大なうねりを作り出してしまった。

 リーゼの幸せになる未来を想像して現実逃避することしか、今の僕にはできなかったのである 。


 この時の僕はただ、いつになったら新しいハンコが彫れるのか、それだけを考えて途方に暮れていた 。

読んでいただき、ありがとうございます。


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