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第1話:公爵の算盤(そろばん)と、奪われた昼食

 アルカディア王宮、王国財務局長官室。

 そこは、王国の血税を徴税という仕組みに変えて操る、グレモリー公爵の城塞である。


 デスクに向かうグレモリーは、手元にある一通の書類――リオン王子から提出された『昼食代申請書』を検分しながら、薄く笑みを浮かべていた。だがその瞳の奥には、冷ややかな苛立ちが澱んでいる。


(……リオン・アルカディア。奴がそこで、事もあろうに私が修正した数値を『正しく直した』ことだ。おかげで計画が狂ったではないか)


 グレモリーが腹を立てているのは、リオンがカスピで農業を成功させたこと自体ではない。

 彼が許せなかったのは、リオンを僻地へ追放したはずが、奴がそこで「余計な帳簿の整理」を行ったことだ。


 リオンはカスピの地で、現地の徴税帳簿に残っていた数値の不一致を、こともなげに修正してしまったのである。

 そこはグレモリーが長年かけて構築し、とある計画の資金調達の『秘密のルート』であった。


(私の貴重な資金源を一つ、あのような事務処理で潰すとは……。おかげで計画の仕込みにも支障が出かねん)


 さらに言えば、リオンとゼノビアの皇女シルヴィアが、あろうことか強固な信頼関係を築きつつあることも計算外だった。


アルカディアとゼノビアがリオンらを通じて結びつくことは、国を内部から掌握しようとするグレモリーの野望にとって、最大の障害でしかない。


「……ハンス。殿下は、お変わりなく、誠実で清廉潔白なお方のようで重畳」


 グレモリーは、真鍮の印章を愛おしげに撫でながら、控えに立つハンスへ慇懃に語りかけた。


「殿下が正された『誠実な数値』により、不正は正されました。しかし王国の財政は依然大変逼迫ひっぱくしているのは、ハンス、お前も知っておろう。


なにぶん正義だけでは難しい場面も多く、私も腐心していてな……。殿下ご自身にも、その『誠実さ』の対価を、身をもって知っていただかねばなりません」


 グッ、と朱肉がつく。

 次の瞬間、リオンが妹リーゼとの平穏を願って書き上げた『昼食代申請書』に、血のような赤色で『削減・支給保留』の巨大なハンコが叩きつけられた。


◇◇◇


 王宮内、リオンの執務室。

 僕、リオン・アルカディアは、アッシュシルバーの髪を掻きむしり、デスクに突っ伏していた。

 視線の先には、真っ赤な『削減』の文字。


「……やってくれたな、あの算盤そろばん親父……!」


 ネイビーブルーの瞳に、絶望の影が差す。僕にはわかっていた。これは、カスピで僕が我慢できずに帳簿の数値をピタリと合わせてしまったことに対する、グレモリーからの露骨な報復だ。


 かつて、どこか別の場所で。

 上層部のやり方に異を唱えたわけでもなく、ただ「数字が合いません」と報告した翌日に、突然「期待していた報酬」が保留になった、あの冷たい廊下の空気。あの時の虚無感が、今、僕を包み込んでいる。


「僕が……僕が何をしたっていうんだ。ただ、帳簿の数字が合わないのが気持ち悪くて、正しい位置に数値を戻しただけなのに……。その結果が、僕の『おやつ代』と『昼食代』の全額カットかよ……!」


「殿下、しっかりしてください! これは殿下が王国国民に清貧を行っているという範を示しておられるのだと思えば!」


 ハンスがいつもの熱量で励ますが、僕の心には一ミリも響かない。

 そこへ、ワゴンを引いたメイドが申し訳なさそうに入ってきた。

 蓋が開けられた皿の上には、湯気がモクモクとたったジャガイモが数個と、少々の塩。


「……ハンス。これ、何?」

「ジャガイモでございますが、殿下?」


「ハンスぅ。そう言うことじゃなくてさ……」


「……財務局より予算が執行されなかったため、厨房に回せる金が尽きました。本日より、私が安く仕入れた『ジャガイモ』のみを主食とされるように、との通達でございます」


 僕は震える手で、その無骨な芋を一つ手に取った。ゴツゴツとした、素朴な感触。


「クソっ。……うまいじゃないか」


 静かに二口目を口にして、ほくほくとした感触の中にその甘味を感じる。塩もつけると、何だ、結構いけるじゃないか。


◇◇◇


 ――と思った時期がありました。数日前までは。

 五日も同じように出てくるジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ。そして多分明日もジャガイモ。


 僕の瞳から光が消え、感情を捨てて何も考えない方が楽だという、何かを悟った時の心持ちを思い出す。


(グレモリー公爵……あんたは、事務員という生き物を怒らせた。……僕の『生きる喜び』を差し押さえるとは。……食べ物の恨みは怖いんだからな……)

読んでいただき、ありがとうございます。


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