第2話:お小遣いカットの次は左遷!? だけど妹が可愛いからいっか
カツン、カツン、と。
静まり返った廊下の奥から響いていた靴音が、宝物庫の入り口でピタリと止まった。
「――おやおや。こんな夜更けに、このような埃っぽい場所で何をされているのですか? リオン殿下」
ランタンの灯りと共に現れたのは、僕が今一番顔を合わせたくない人物。
急進派筆頭貴族のグレモリー公爵だった。
「ひっ……! ぐ、グレモリー公爵……!?」
「ええ、私です。夜警の報告で、宝物庫の鍵が不正に開けられていると聞きましてね。まさか殿下がいらっしゃるとは」
公爵の目が、獲物を捕らえた蛇のように細められる。
心臓が嫌な音を立てて早鐘を打った。
「こんな夜更けに、お一人で宝物庫におられるなんてことが知れたら……誰かはいらぬことを勘繰ってしまうかもしれませんな。ましてや陛下のお耳に入ればどのような誤解を招くのか、このグレモリー、想像もできません」
図星を突かれた……というか、完全に弱みを握られた僕は、たまらず降参のポーズをとった。
公爵は満足げに唇を歪めると、何かを思いついたようにスッと目を細めた。
「そうですな。殿下には少し遠くで『地方統治の現場』を学んでいただくのもいいでしょう」
「……え?」
公爵はニヤリと笑い、それ以上何も言わずに背を向けた。
***
そして翌朝。
僕は胃のあたりを重機で踏みつぶされたような気分で、玉座の間にいた。
そこには父上――ヴィクトール・アルカディア国王陛下が、なぜか上機嫌で座っていた。
「リオンよ。グレモリーから聞いたぞ。お前、自ら地方の統治を学びたいと志願したそうだな」
(……本当に手回しが早いやがったな、あの蛇公爵!)
僕は隣に立つグレモリーを鋭く睨みつけた。
だが、彼は視線を合わせることなく、口角をわずかに上げてニヤニヤと薄笑いを浮かべている。
その顔は、「弱みを握られているお前に、拒否権なんてないぞ」と雄弁に語っていた。
「……は、はい。その……現場の苦労を知らずして、上に立つ資格はないかと……」
僕は引き攣った笑みを浮かべ、精一杯の「やる気があるフリ」を絞り出した。
「うむ! あの自堕落なお前が、そこまで殊勝なことを言うようになるとは。グレモリー、お前の教育の賜物か?」
「いえいえ、陛下。リオン殿下の高い志に見合う、『適切』な場所を用意してございます。そこでなら、殿下の情熱も存分に発揮できるでしょう」
グレモリーは慇懃に一礼した。
その時、玉座の間の重い扉が勢いよく開いた。
「お兄様!!」
駆け込んできたのは、妹のリーゼだった。
輝くような金の髪をふわりと揺らし、大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、僕の胸元に思いっきりダイブしてくる。
「お兄様、王都から離れてしまいますの!? 私を置いていくなんて、絶対にダメですわ!」
「い、いや、リーゼ……。これは公務で……」
「お兄様がいなくなったら、誰が私とお茶会をしてくれるのですか? 誰がこっそり夜の厨房に忍び込んで、甘いお菓子を分けてくれるのですか!? お兄様がいないお城なんて、退屈すぎて死んでしまいますわ!」
僕の服の裾をぎゅっと握りしめ、上目遣いで訴えかけてくるリーゼ。
……か、可愛い。可愛すぎる。こんなの、前世の激務で荒みきった社畜の心には劇毒だ。思わず「もう全部放り出して一緒に遊ぼうか」と言いそうになるのを必死に堪える。
「ですから、私もついていきますわ! お兄様の側なら、どこへ行っても退屈しませんもの。ねえ、父様? よろしいでしょう?」
玉座の間に、微妙な沈黙が流れた。
王族の公務に、幼い姫が遊び感覚で同行するなど前代未聞だ。
しかし、父上だけは違った。
「はっはっは! リーゼも行くか。兄妹仲が良いのは喜ばしいことだ。リオン、お前も心強いだろう?」
「え、あ、いや……」
「よし、決まりだ! 詳しいことはグレモリーから聞け。期待しているぞ、リオン!」
父上は「いい話を聞いた」と言わんばかりの足取りで、上機嫌に奥へと消えていった。
「やりましたわ、お兄様! 一緒に遠足ですのね!」
「え? あ、うん……遠足……」
「私、さっそくお引越しの準備をしてきますわ! ええと、お気に入りのお茶器セットと、あの子豚のぬいぐるみも持っていきませんと!」
リーゼは満面の笑みを浮かべ、ルンルンと楽しげな鼻歌を歌いながら玉座の間を飛び出していった。
その天使のような後ろ姿を見送りながら、僕は少しだけ安堵していた。
(まあ、リーゼがこれだけ喜んでるんだ。……左遷とはいえ、かわいい妹との旅行だと思えば、悪くないか)
僕はこの時、これから突きつけられる地獄の行先をまだ知らなかった。




