第10話:ルネ回:美への昇華と、捏造される構図
不毛の荒野を見下ろす、小さな岩場の陰。
そこに、周囲の殺伐とした風景にはおよそ不釣り合いな、極彩色のベレー帽を被った人影があった。
女性絵師、ルネである。
彼女は、まるで獲物を狙う猛禽類のような鋭い眼光で、丘の上で繰り広げられる「騒動」を凝視していた。
その手元では、スケッチブックの上を炭筆が狂ったような速度で走り、紙を削る音を立てている。
「……これざんす。これこそが、わたくしが求めていた『美』の極致ざんす……!」
彼女の瞳には、現実とは全く別の、輝かしい光景が映し出されていた。
◇◇◇
ルネの視界の中で、風に舞う白詰草の種は、天から降り注ぐ「祝福の光」へと変換されていた。
まず中心に据えられたのは、シルヴィア・ヴァレリアス。
不慮の事故でシャツの中に種が入り、乱れたプラチナブロンドの髪をなびかせながら、羞恥に頬を染めている姿。
ルネの筆の上で、彼女は「不毛の大地という海から産声を上げた女神」として再構築されていた。
片手で胸元を、そして乱れた裾を押さえるように、もう片方の手でスカートの裾をそっと押さえ、恥じらいながらもシャツの一番上のボタンを留め直そうとするそのポーズは、あまりにも劇的で、あまりにも絵画的だった。
そして、その傍らで控える事務官ハンス。
彼が掲げた「カニ印のマント」は、女神の誕生を優しく包み込み、世俗の汚れから守護する聖なる外套へと昇華されていた。
「そして……ここざんす! この左上の配置が、画面全体に神聖な広がりを与えるざんす!」
ルネが画面の左上に描き加えたのは、リオンとリーゼの姿だった。
リオンが花冠をするリーゼを慈しむようにその腕に抱きながら、空高くから種を振りまいている。
その種はいつやら芽吹き、花になり咲き誇っている。
実際には「種を早く撒き終えたい兄」と「それを見守る妹」でしかないのだが、絵の中ではまるで大地に命の息吹を吹き込む天の使いのよう。
「完璧ざんす! 恥じらう女神と、それを守る騎士! そして天より祝福を授ける兄妹! これこそが真実の構図ざんすー!!」
ルネは恍惚とした表情で、最後の一線を力強く引き抜いた。
◇◇◇
「……あの、ルネ。さっきから何をそんなに必死に描いてるの?」
騒動が一段落し、落ち着きを取り戻した僕たちが歩み寄ると、ルネは「フッ」と不敵な笑みを浮かべてスケッチブックを掲げた。
「見ていただくざんす、殿下。わたくしが目撃した『真実』の記録ざんす!」
差し出された絵を見て、僕は思わず絶句した。
(……いや、これ、サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』かよ!?)
心の中で、前世で見たことのある有名絵画の名前がリフレインする。
そこに描かれていたのは、あまりにも神々しく、そしてあまりにも「出来過ぎた」構図のシルヴィアだった。
胸元と裾を押さえるポーズといい、左上でリーゼを抱っこして種を撒く僕といい、突っ込みどころが多すぎて逆に言葉が出てこない。
「……これ、誰?」
「何を言っているざんす! シルヴィア様とハンス、そして殿下たちに決まっているざんす!」
僕は横にいるシルヴィアを見た。
彼女は自分の描かれた姿――あまりにも美化され、かつ無防備な女神としての姿を見て、顔をゆでダコのように真っ赤にしていた。
「な、ななな……なによこれっ!? 私はこんな……こんなポーズしてないわよ! それにリオン、なんで貴方がリーゼ様を抱っこして空に浮いてるみたいになってるのよ!」
「芸術とは、事実を削ぎ落として真実を抽出する行為ざんす! 殿下、この絵はわたくしが責任を持って、のちに油彩の大作として仕上げるざんす!」
「……まあ、素敵。シルヴィアお姉様、とっても綺麗に描けていますわね。お兄様に抱っこされている私まで、なんだかお姫様みたいですわ」
リーゼが純粋に感嘆の声を上げたことで、シルヴィアは反論の機会を失い、「……もう、好きにしなさいよ」と力なくうなだれた。
◇◇◇
「ハンス、この絵はどう思う?」
僕は、背後で眼鏡を光らせている事務官に意見を求めた。
ハンスはモノクルをクイっとさせてから、絵画に近づき詳細を確認していく。
「完璧ですな、殿下。ルネ殿は、殿下の『種まき』が単なる農作業ではなく、この地の概念を書き換える秩序の再構築であることを本質的に理解しております。特に私のマントの扱い……この厚みこそが、情報の秘匿を重んじる事務方の魂にございますな」
(……いや、これを見せたら、僕が変な宗教でも始めたと思われるんじゃないかな)
僕としては、この高度に捏造された絵画が、将来的にどんな誤解を生むのか不安だった。
けれど、ルネは「美ざんすー!」と叫びながら、既に次のキャンバスの構想を練り始めている。
一粒の種が起こしたハプニングが、変人絵師の手によって「とんでもない記録」へと書き換えられていく。
僕の意図しないところで、カスピの村での日々が、なんだか奇妙な色彩を帯びて保存されていくのを感じ、僕は遠い目をして空を仰いだのである。
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