第1話:そして伝説の聖剣へ
事の起こりは数日前。王宮の廊下で、急進派筆頭のグレモリー公爵とすれ違った時のことだ。
公爵がふとした拍子に落とした数枚の書類を、僕は親切心から拾い上げた。
「おっと、公爵。落としましたよ」
「おお、これはリオン殿下。失礼いたしました。次期領地開発の予算書でしてな」
恭しく受け取ろうとする公爵に書類を渡そうとした瞬間、僕の「元・経理部課長代理」としての習性が、書面の数字を自動的に読み取ってしまった。
「あれ? 公爵、この南区画の廃棄物処理の業務委託費……先月、業者が全部終わらせて検収も済んでましたよね? なんで今月もまったく同じ名目で、同額が計上されてるんですか?」
「……は?」
公爵の動きがピタリと止まった。
「いやぁ、危ないところでしたね。これじゃあ二重計上になっちゃいますよ。監査が入ったら面倒なことになりますから、今のうちに訂正しておいた方がいいですよ。いやー、僕が見つけてよかったです!」
僕は「お疲れ様です!」と爽やかに笑いかけ、その場を後にした。
公爵はひきつった笑顔のまま、何かを震える手で握りしめていた気がするが、きっと僕の的確な指摘に感動していたのだろう。
……そう、僕はただ、純粋な親切心から計算ミス(という名の横領の証拠)を指摘してあげただけなのだ。
それなのに。
***
「……これは、もはや宣戦布告と言っていいだろう」
豪華な装飾が施された自室の机で、僕は一枚の羊皮紙を前に震えていた。
そこに記されていたのは、今月からの僕――アルカディア王国皇太子リオン・アルカディア――に支給される「王族活動費」の却下通知。
平たく言えば、お小遣いがなくなってしまったのだ。
***
僕には秘密がある。
この国の王子として生を享ける前、僕は日本の超大手商社で、ひたすら「定時退社」と「ミスのない帳簿」を追求していた、経理部課長代理だったということだ。
あれは忘れもしない、一二月の深夜。
全社員数千人分の「年末調整」という名の書類の山に埋もれ、電卓の叩きすぎで腱鞘炎になり、コーヒーの過剰摂取で胃を壊し、あと一歩で全ての控除計算が終わる……というところで、僕の意識はブラックアウトした。
つまり、僕は「年末調整を完遂できずに死んだ男」なのだ。
***
僕の震える手元には、僕が提出した「様式-王族活動費申請『お茶会関連予算申請書』」と、デカデカと押された「却下」のハンコ。
犯人はわかっている。グレモリー公爵だ。
先日、僕が親切心で申請書類のミスを指摘してあげたのがよっぽど気に食わなかったらしい。
「最近のリオン殿下は学問もおろそかにし、庭園をぶらつくだけの自堕落な生活を送っておられる」という尤もらしい理由をつけて、僕の生活基盤を削りにきたのだ。
「あの公爵、なんて器が小さいんだ! 逆恨みにもほどがあるだろ……あきらめて、今月は新作の茶葉を我慢するか」
そう溜息をついた、その時だった。
「お兄様!」
扉が勢いよく開き、部屋の中にパッと花が咲いたような明るい空気が流れ込んだ。
最愛の妹、リーゼだ。
「ねえねえお兄様! 今日はとってもいいお天気ですわ! さあ、街まで最高に美味しいケーキとお茶を買いに行きましょう! 私、もう準備は万端なのです!」
その目は、「当然連れて行ってくださいますわよね?」という絶対的な信頼と、無垢な期待に満ち溢れている。
眩しい。太陽よりも眩しい笑顔だ。
彼女は僕の「心の給与」だ。この笑顔が守れるなら、僕は前世の残業代を全て投げ打ってもいい。
だが現実は非情だ。お財布事情がそれを許さない。
「……ああ、リーゼ。そうだね。でもごめん、少しだけ『在庫の整理』が必要な仕事が入っちゃってね」
「ええー、お仕事ですの? わかりましたわ! 残念ですが、お兄様とのお出かけを楽しみにしておりますから、また後日行きましょう」
リーゼは鼻歌を歌いながら去っていった。
扉が閉まった瞬間、僕は決意を固めた。
予算が下りないなら、在庫(資産)を動かすまでだ。
***
その夜。僕は立ち上がり、誰もいない廊下を音もなく歩き出した。
向かう先は、城の最深部にある「皇室宝物庫」。
「……これは窃盗じゃない。死蔵されている国有資産を、真の国宝である『リーゼの笑顔』が得られるのであれば安い物ではないか。フハハハハ」
自分に完璧な言い訳をしながら、僕は薄暗い宝物庫の扉の前に立った。
カチリ、と小さな金属音が響く。
事務員時代、必要書類を手に入れるため、定時で帰った同僚のキャビネットの鍵をクリップ一つで開けてきたこの「解錠スキル(物理)」が、この世界でも冴え渡る。
「よし、侵入成功……。さて、始めようか」
宝物庫の中は、埃をかぶった武具が雑然と並んでいた。
管理表もない、棚番号もない不良在庫の墓場。これなら一個や二個持ち出したところで何年も気がつかないだろう。
「どれがいいかな……。あ、この剣なら、裏市場でタルト100個分くらいには……」
カツン、カツン、と。
静まり返った廊下の奥から、規則正しい靴音が聞こえてきた。
「……ッ!!?」
心臓が跳ね上がる。この足音は、僕を監視しているグレモリー公爵か!?
やばい、やばい、やばい……!!
パニックに陥った僕の視界に、換気用の小さな横長窓が飛び込んできた。
「証拠隠滅だッ!!」
僕は手にした剣を、窓の隙間に向かって全力で放り投げた。
どうか遠くまで飛んでくれ!
僕の切実な願いを乗せた剣は、月明かりを切り裂き、夜の闇へと吸い込まれて消えた。
――この時、彼が証拠隠滅のために適当に投げ捨てた不良在庫が、数年後に魔王を討ち果たす『勇者の聖剣』として世界を救うことになるのだが……。
それはまだ、誰も知らない。
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