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#6 モブキャラ中のモブキャラ

「名前は?」

「メイザー=フェインよ」

「ここに来た理由は?」

「入学試験の実技中」

「……受け答えは問題なさそうだな」


 戦闘から少し離れた小岩に腰掛けるメイザー。その顔を、クギョウ教官が真剣な眼差しで覗き込む。

 魅了魔法にかかったメイザーだが、記憶の混濁や言語障害といった精神的な異常はなさそうであった──ある1点を除いて。


「それよりヒョウガ様、お怪我はございませんか?」


 診察が終わるや否や、メイザーはバネ仕掛けの人形のように俺の元へ駆け寄り、心配そうに俺の腕や頬を撫で回す。

 その瞳はとろりと潤み、頬は上気し、俺を見る視線だけが明らかに異常な熱量を帯びていた。


「えっと……メイザーさん? 俺のこと、嫌いじゃなかったっけ?」

「とんでもない! 私が貴方様を嫌うなんてあり得ません。ああっ、その傷……私が代わってあげられたら……!」


 ぶんぶんと首を振るメイザー。さっきまでの嫌悪感はどこへやら、今は忠犬……いや、飼い主に依存しきった愛玩動物のような懐きようだ。

 クギョウ教官は「ふむ」と顎をさする。


「魅了魔法は闇魔法の一種だ。残念だが、俺の魔法じゃ解呪できねえ。ま、本人に害はなさそうだし、暫くはそのままでいいだろ」

「ええっ!? いいんですかこれで!?」

「ズルイよ〜! ヒョウガ君、僕よりその人がいいの?」


 頬を膨らませて抗議してくるフラン。上目遣いで袖を引っ張ってくる姿は完全に美少女のそれだが、俺は騙されない。お前、さっき素手でオーグリンを撲殺してただろ。


「けっ! なんだよ。最初にコイツを気に入ったのは俺だぞ!」


 グレンまで謎の対抗意識を燃やし始めた。恋愛感情じゃないよな? もしそうならジャンルが変わってくるぞ。

 右に女装男子ヒロイン、左にデレデレ美少女、正面に嫉妬する熱血主人公。なんだこの地獄のようなハーレムは。原作の硬派なファンタジーはどこへ行った。


「……きな臭いな」

「ええ、確かに。獣の臭いとメイザーの甘ったるい空気で、鼻が馬鹿になりそうです」

「臭いじゃねえよ。状況の話だ」


 スコンッ! と乾いた音が響く。クギョウ教官の煙管が俺の脳天に炸裂した。

 痛ってえ……けど、この理不尽な暴力、原作通りでちょっと嬉しい。教官に叩かれた感動を噛み締めつつ、俺は真面目な顔に戻る。


「魅了魔法ってのは、術者の魔力に大きく起因する。あんな大群に俺達を待ち構えさせ、これだけの殺意を維持し続けるなんざ、並大抵の術者じゃ不可能だ」


 教官の視線は鋭く、森の奥──闇が広がる方角を見据えていた。

 言われてみればそうだ。原作設定でも、オーグリンは群れを作るが、統率は取れていない烏合の衆だ。それが軍隊のように待ち伏せし、死を恐れず突っ込んできた。


「それに、魅了魔法は複雑な魔法だ。簡単な術式だと魅了にかかった者同士で戦い始めるし、逆に強すぎると対象者が死ぬ事もある。ボスもいねえのに統率を図り、明確に俺達を攻撃するなんざ……長時間維持出来るわけねえ」


 クギョウ教官は、煙管の灰を足元の岩でグリグリと踏み躙った。その仕草には、隠しきれない苛立ちが見え隠れする。


「じゃあまさか、誰かが俺達に向かって、意図的にオーグリンをけしかけたって言うんですか?」

「十中八九な。本来ならここで実技を切り上げてもいいんだが……どうも胸騒ぎがする」


 教官は短く息を吐き出すと、俺たちの方を向いた。


「予定変更だ。今日はここで野営する。周囲の索敵を兼ねて、一晩様子を見るぞ」

「ええーっ! 帰らないのかよオッサン!」

「文句あるなら置いていくぞグレン。あとクギョウ教官な」


 こうして、俺たちは死屍累々の戦場でキャンプを張ることになった。

 日が落ち、森は完全な闇に包まれた。パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが響く。オーグリンの死骸は少し離れた場所に集められ、風向きのおかげで腐臭はそこまで漂ってこない。

 狩ってきた鳥の肉を焼きながら、クギョウ教官が唐突に口を開いた。


「魔物を殺した感想は?」


 試験の採点、あるいは勇士としての適性診断か。教官の視線が俺たち一人一人を巡る。


「んー、正直物足りねえな! もっとデカくて強いのとやりあいたいぜ!」


 肉を骨ごと噛み砕きながら、グレンが豪快に笑う。

 流石は主人公。戦闘狂の素質は十分だ。グレンにとって戦いは、スポーツの延長線上にあるのかもしれない。


「僕は……やっぱり嫌でした。生き物を殴る感触って、グニュッてなる感じが……うぅ、思い出しただけで食欲なくなるぅ」


 フランは肉串を持ったまま、顔を青くして身震いしている。

 その細腕でゴブリンをホームランしておいてその感想か。ギャップがすごいが、根が優しいのは間違いない。


「私はなんとも。敵なら殺す。それだけです」


 メイザーは冷淡に言い放つ。今は俺の隣にぴったりと張り付いて甲斐甲斐しく世話を焼いているが、敵に対する冷徹さは変わっていないようだ。

 魅了魔法はあくまで「好意のベクトル」を変えるだけで、人格そのものを矯正するわけではないらしい。


「ヒョウガ、お前はどうだ?」


 話を振られた俺は、言葉に詰まった。

 グレンのような高揚感もない。フランのような生理的嫌悪感とも少し違う。メイザーのような割り切りもできない。

 あるのは──もっと生々しい、現実の重みだった。


「俺は……」


 言い淀む俺を見て、何かを察したのか、教官はパンと手を叩いた。


「よし、お前ら飯は食ったな? 腹ごなしに一仕事だ。グレン、フラン、メイザー。向こうに集めたオーグリンの死骸を埋めてこい。血の匂いで他の魔物が寄ってきたら面倒だからな」

「えーっ! 俺達だけでかよ! ヒョウガは?」

「ヒョウガは皿洗いだ。文句あるか?」

「へいへい、分かりましたよーだ」


 ブツブツ言いながら立ち上がる三人。メイザーだけは「ヒョウガ様と離れるなんて……!」と涙目だったが、教官の無言の圧力に渋々従っていった。

 焚き火の前には、俺とクギョウ教官の二人だけが残された。

 炎の揺らめきを見つめながら、俺は重い口を開く。


「……吐きそうです」

「ほう」

「漫──書物じゃ何度も見てきました。敵を倒して、経験を得て、次に進む。当たり前のことでした。でも……」


 俺は自分の手を見つめる。震えは止まっていたが、こびりついた血の感触が消えない気がした。


「初めて生で見たんです。生き物の大量死を。飛び散る血、漏れ出る中身、死にゆく生物の声、鼻腔に張り付く死臭……リアルな死って、こんなに汚くて重いもんなんすね」


 日本という平和な国で、のほほんと生きてきた俺にとって、それはあまりに強烈な体験だった。

 画面越しの死と、目の前にある死は決定的に違う。


「情けないです。俺、魔法も使えないし、剣もまともに振れない。その上、こんな事でビビってるなんて……」


 弱音だった。

 原作知識を持っていても、メンタルまでは最強になれない。俺はただの一般人なんだと突きつけられた気がした。

 教官は黙って聞いていたが、やがて短くなった煙管を懐にしまうと、大きな手で俺の頭を乱暴に撫でた。


「クシャクシャにしないでくださいよ……」

「馬鹿野郎。それが普通だ」


 教官の声は、意外なほど優しかった。


「生物の死に嫌悪感を抱く。吐き気を催す。それはお前の心が正常な証拠だ。その優しい心まで腐っちまったら、お前はお前じゃなくなる」

「教官……」

「勇士になりゃ、こういう仕事は嫌でも増える。魔物だけじゃねえ、時には人の死に直面することもあるだろう。お前もいずれ慣れちまう日が来るかもしれねえ。だがな、その初心──その『痛み』を感じる心だけはずっと忘れるな。それがお前の強さになる」


 頭を撫でられる感触が、じんわりと心に染みる。

 ああ、やっぱりこの人はいい指導者だ。原作で主人公たちが彼を慕っていた理由がよく分かる。


「……ありがとうございます」


 俺が涙を堪えて礼を言うのと同時に、森の奥からガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。どうやら埋葬が終わって戻ってきたらしい。


「ヒョウガ様〜っ! 終わりました〜っ!」


 メイザーが砂埃まみれの姿で駆け寄ってくる。そして迷いなく俺の隣に座り込み、腕に抱きついてきた。


「……」

「あー、なんだ。その……大変だな、お前も」


 教官が同情の眼差しを向けてくる。

 俺はメイザーの頭から砂を払ってやりながら、複雑な溜息をついた。

 正直言うと、嬉しくはない。

 いや、美少女に好かれるのは男冥利に尽きるが、これは彼女の本心じゃない。魅了魔法による強制的な好意だ。

 彼女の本当の心は、今も深い悲しみと復讐心に囚われたままだろう。そんな相手に好意を向けられても、罪悪感しか湧かない。


「早く解いてやりたいです。こんなの、彼女じゃない」


 俺の言葉に、教官はまた煙管を取り出し、紫煙をくゆらせた。


「……魅了魔法ってのはな、術者の魔力や技量に影響するが、ある程度は対象者の『本心』も反映されるもんだ」

「本心?」

「ああ。全くの無関心や、純度100%の殺意を持ってる相手には、そう簡単に効くもんじゃねえ。心の隙間、あるいは深層心理にある感情……それを無理やりこじ開けて増幅させるのがこの魔法の本質だ」


 教官はメイザーを横目で見やる。


「コイツの貴族嫌いは俺も把握してる。だが……スラムのガキを助けたり、お前自身が身を挺して助けたことで、コイツの中で何かが揺らいだのかもしれねえな」

「揺らいだ……?」

「『貴族はクソだ』という思い込みと、『この貴族は違うかもしれない』という小さな戸惑い。その一瞬抱いた微かな好意を、魅了魔法は逃さなかったのかもな」


 教官の考察に、俺は目を見開く。

 じゃあ、この態度の根底には、0.1%くらいは本当の感情が含まれていると?

 いや、期待するのはよそう。魔法が解ければ、また氷のような視線を向けられるに決まっている。それでも──少しだけ、救われた気がした。


「ま、俺の魔法じゃ解けねえし、本人も幸せそうだから緊急性もねえだろ。帰ったら闇魔法を使える知り合いに頼んでやるよ」

「お願いします……命の危険を感じるんで」

「違げえねえ」


 教官はカカカと笑い、豪快に寝転がった。

 翌朝──小鳥のさえずりと共に目を覚ました俺は、顔を洗うために近くの小川へ向かうことにした。

 当然のようにメイザーが付いてくる。


「ヒョウガ様、お顔を拭くタオルはお持ちですか? なければ私のハンカチを……」

「いや、大丈夫。自分で持ってるから」


 冷たい水を顔に浴びせ、意識を覚醒させる。

 昨晩のクギョウ教官の言葉が、頭の中で反復していた。


『誰かが俺達に向かって、意図的にオーグリンをけしかけた』


 俺は濡れた顔を拭きながら、原作知識(データベース)をフル回転させる。

 現時点で、俺達──特にクギョウ班に恨みを抱く敵キャラは誰だ?

 思い当たるのは数名いる。だが、その全てがクギョウ教官個人への恨みだ。あの人は過去がどす濃ゆいので、味方も多いが敵も多い。

 だが、あのクギョウ=トウザを殺すために、オーグリンなんて雑魚モンスターをけしかけるだろうか? そんなもので彼が死ぬとは誰も思わないはずだ。嫌がらせにしては手が込んでいるし、殺害目的にしては弱すぎる。


「ふう……」


 ますます分からない。

 そもそも、原作でのオーグリン編はどうだった?

 確か、プロローグ後の初任務として、辺境の村からのSOSを受ける流れだったはずだ。村が魔物に襲われているという依頼を受けて現地へ向かい、そこで初めてオーグリンと遭遇する。


(待てよ……?)


 俺の手が止まる。

 原作でも、オーグリンは『普段は人里に降りてこない魔物』として紹介されていた。それが村を襲った理由は、原作では『森の奥に強力な魔物が現れ、玉突き事故的に押し出されたから』と説明されていたはずだ。

 だが、今回のオーグリンは違う。人里の近くに潜伏し、明確に俺達を狙っていた。 

 なぜ、行動原理が原作と違う? 誰かが操っていたとしたら、その目的は?

 疑問が点と線で繋がろうとした、その瞬間だった。


 ズウンッ……!!


「ッ!?」

「きゃっ!?」


 突如、大地が大きく震えた。地震か? いや、違う。これは──足音だ。

 ズウン、ズウンと、腹の底に響くような重低音が近づいてくる。

 森の木々がバキバキと音を立てて薙ぎ倒され、鳥たちが一斉に飛び立った。

 そして、木々の間からその巨体が姿を現す。


「グルオオオオオオオォォォォォ──ッ!!!」


 空気をビリビリと震わせる咆哮。

 5メートルはあろう見上げるほどの巨躯。岩のような筋肉に覆われた身体。額の中央には、巨大な眼球が一つだけギョロリと埋め込まれている。

 手には大木を引っこ抜いて作ったような棍棒。


「キュ、キュクロープス……!?」


 俺は息を呑んだ。

 間違いない。こいつは原作における学園編のボスだ。

 本来なら、もっと物語が進んでから──勇士学園の卒業試験編のクライマックスで出会い、メイザーの仲間を食い殺して彼女を闇落ちさせる元凶となるモンスター。

 それが何故、こんな序盤に!? レベルが違いすぎるぞ!


「ヒョウガ様、下がっていてください!」


 メイザーが即座に俺の前に立ちふさがる。だが、その背中が僅かに震えているのが分かった。

 本能的な恐怖。キュクロープスはプロの勇士でも苦戦する相手。魔法を使えるメイザーでも、相手が悪すぎる。今の俺たちじゃ、逆立ちしたって勝てない相手だ。

 だが、絶望はそれだけじゃなかった。巨人の顔を見上げた俺は、ある異変に気づく。

 その巨大な一つ目が、毒々しいピンク色に発光していたのだ。


(こいつも……魅了にかかっている!?)


 オーグリンだけじゃなかったのか。こんなボス級のモンスターまで支配下に置くなんて、一体どれだけの魔力があれば可能なんだ?

 混乱する俺の視界の端、キュクロープスの巨大な足元から、ひょっこりと人影が現れた。


「おやあ? 奇遇だね」


 場違いなほどに明るく、軽薄な声。

 黒いローブを纏い、ニコニコと目を細めるその男を見て、俺は驚愕に目を見開いた。


「あ、あなたは……!?」


 そこにいたのは、冒頭の一コマ以降一切登場せず、本編では名前すら明かされなかった、人気投票0票の圧倒的モブキャラ──マイン教官だった。

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