#33 囚われし美女
インフェルの悪夢から1週間。
学園は休校となり、束の間の休日が訪れていた。
俺は男子寮の自室のベッドに寝転がり、天井のシミを見つめながら物思いに耽っていた。
(……シキ教官の葬儀も終わった。けど、何も終わっちゃいない)
平和ボケした日常が戻りつつあるが、俺の心は鉛のように重い。
原作よりも早い段階で動き出した教団。クギョウ教官すら殺しきれなかった捕虜。そして、俺が開けてしまったパンドラの箱──考えるべきことは山積みだ。
コンコンっと、不意に窓ガラスを叩く音がした。
ん? 窓?
俺は体を起こし、訝しげにカーテンを開ける。
「……うおッ!?」
そこには、窓枠に器用に張り付いた男がいた。
咥え煙草の紫煙をくゆらせながら、不機嫌そうに蹲踞の姿勢でこちらを睨んでいる。クギョウ教官だった。
「よお。開けろ」
俺は慌てて鍵を開ける。教官は「よっこらせ」と土足で部屋に侵入してきた。
「おいヒョウガ。今からメイザーを連れて地下室へ来い」
「は? 地下室? なんでまた急に……」
「いいから来い。グレンとフランには言うなよ。お前ら2人だけだ」
教官はそれだけ言うと、用件は済んだとばかりに窓から飛び降りていった。
シュタッ、という着地音が聞こえる。あの、ここ3階ですけど……忍者かよ。
俺は女子寮へ向かい、メイザーの部屋をノックした。
「メイザー、俺だ。ちょっといいか?」
返事がない。留守か?
鍵はかかっていなかったので、少し隙間を開けて中を覗く。
「ヒョウガ様……私と、私と……」
「…………」
部屋の中央で、メイザーが背中を向けて座っていた。
彼女の手には、2つの手作り人形が握られている。
一つは、ツンツン頭の水色の髪をした男の子。もう一つは、長い青髪の女の子。
彼女は人形の顔同士をコツコツと合わせ、裏声を使って一人芝居に興じていた。
「いやんヒョウガ様ったら大胆♡」
「……何やってんだメイザー」
俺が声をかけると、メイザーの肩がビクゥッ! と跳ね上がった。
「ひょ、ひょひょ、ヒョウガ様ッ!?」
バッ! と振り返ったメイザーの顔は、熟したトマトのように真っ赤だった。
人形を背中に隠して、しどろもどろになる。
「ご、ごめんなさい気付かなくて……」
俺は聞かなかったことにして、クギョウ教官からの呼び出しを伝えた。
人形を使ってキスなんて乙女すぎる……重い。愛が重いよメイザーさん。
俺達は学園の地下深く、厳重な封印が施された特別区画へと降りていった。カビ臭く、冷たい空気が漂う通路の奥で、クギョウ教官が待っていた。
「来たか」
「教官、用件ってのは……?」
「捕虜の女だよ。そいつがお前ら2人と話したいと言ってきやがった」
クギョウ教官は忌々しげに舌打ちをする。
「警告しておくぞ。絶対に飲まれるな。あいつは言葉だけで精神を汚染してくる。何かあったら俺がすぐに介入するが、基本的には手を出さん。それが条件だからな」
「……分かりました」
重厚な鉄扉のロックが、いくつもの音を立てて解除される。
ギギギ……と扉が開いた瞬間、鼻をつくような鉄錆の臭いが溢れ出した。
「うっ……」
俺とメイザーは思わず口元を覆った。
部屋の中は──凄惨だった。
床、壁、天井に至るまで大量の鮮血が飛び散っている。拷問部屋? いや、クギョウ教官がそこまでするとは思えないし。
その血の海の中心に、一脚の椅子が置かれていた。
「あら、いらっしゃい♡」
そこに縛られていたのは、傷一つない絶世の美女だった。
赤紫の縦ロール。妖艶な真紅の唇。豊満な肢体を強調するようなボンテージ風の衣装。
部屋中の血が彼女のものだとしたら、彼女は既に致死量の血を流しているはずだ。
なのに、彼女の肌は滑らかで、切り傷一つ存在しなかった。
不謹慎にも、その美貌に俺は息を呑んだ。
彼女はゆっくりと顔を上げ、長い睫毛を揺らして俺を見た。
「意外と可愛い顔してるのね。まだ子供じゃない……食べちゃいたい♡」
ペロリと舌なめずりをする。その仕草だけで、脳髄が痺れるような色気が放たれる……すごい女性だ。
「この女が……マインと同じ組織の幹部?」
メイザーが警戒心を露わにする。
女はメイザーを一瞥し、俺に向けて微笑む。
「ねえ坊や。この縄ほどいてくれない? お姉さんとキモチイイことしましょ♡ 手取り足取り教えてあげるわよ♡」
「なっ……!」
彼女が誘惑した瞬間、メイザーの表情が一変した。
警戒心から、剥き出しの嫌悪感へ。
「なんなのこの淫乱女は……! ヒョウガ様、耳を貸してはいけません! 汚らわしい!」
俺はメイザーを制しつつ、心の中で情報を検索していた……知ってるぞ、この女。
原作にも登場した敵キャラだ。出番は3話程度しかなかったが、そのエロス溢れる強烈なキャラクターで、読者の間でカルト的な人気を博したキャラだ。
アルドール邪竜教団の神官──ドラスフィル。人気投票26位。回復魔法のスペシャリストにして、不死身の肉体を持つマゾヒスト!
原作ではウェンデルでフランと戦い、フランを精神的に追い詰めた難敵だ……まさかこんな所で会うとは。
「何の用だ?」
俺は努めて冷静に尋ねた。
ドラスフィルはつまらなそうに頬を膨らませ、次いでニヤリと笑った。
「用があるのは私じゃないわ。そっちでしょ? 扉を開けたのは、あなたね?」
「……そうだとしたら?」
「ふふっ、素直でいい子ね」
ドラスフィルは嬉しそうに身をよじった。
「お礼を言いたかったのよ。あなたのおかげで、我々の『第一の目的』が達成できたわ。あの扉、教団総出でも全然開かなかったから困ってたのよ。おかげで無事に『回収』できたわ。ありがと♡」
「……ッ!」
回収……その言葉に、最悪の想像が確信に変わる。
10階層の空洞。そこに何かが封印されていた?
クソ……俺が開けたせいで、奴らはそれを手に入れたんだ。一体なんだ? 何があそこに眠っている!?
「何を見つけた? 目的は何だ?」
「あら、それを聞くの? 野暮ねえ」
ドラスフィルは口元に指を当て、悪戯っぽく笑う。
「具体的なことは内緒……でも、いいことを教えてあげる」
彼女の雰囲気が一変した。
甘ったるい空気が消え、底冷えするような殺気が部屋を満たす。
「このまま勇士の道を進むのなら……あなた達は、必ず破滅するわよ」
「……!」
「勇士協会というシステム自体が、世界を歪める元凶なの。あなた達はその歯車として、使い潰されるだけの運命」
真剣な眼差し──それは嘘やハッタリには見えなかった。
メイザーは「戯言ね」と鼻を鳴らしたが、俺は内心否定できないでいた。
原作のラスボス……そして教団の目的である世界の変革。視点を変えれば、彼らなりの正義があるのかもしれない。
「だからさぁ?」
ドラスフィルはパッと顔を緩め、満面の笑みを浮かべた。
「二人とも、こっちに来なさいよ。大歓迎するわ。坊やは特別幹部待遇、そっちの娘も可愛いから可愛がってあげる♡」
「あり得ないから」
メイザーが即答する。
「私達は勇士を目指す者。貴様らのようなテロリストに与するつもりは毛頭ないわ」
「つれないわねえ……フフ、でもおねえさん分かってるのよ。あなたには闇の素質がある。光がある所に必ず闇があるように、闇は決してあなたを離さない──」
ドラスフィルは甘い言葉で揺さぶりをかける。
だが、俺達の意志は固い。
「断る。俺達は俺達のやり方で、世界を守る」
「あら残念。まあ、焦らなくてもいいわ」
ドラスフィルは艶然と微笑んだ。
「また明日いらっしゃい。ここ、退屈で死にそうなの。仲良くなったら……坊やが知りたい『秘密』も、少しは教えてあげるかもよ?」
「……っ」
俺達は逃げるように面会を終え、地上に戻った俺達はクギョウ教官に全てを報告した。
「……なるほどな。勧誘か」
「はい。あと、やはり扉の奥にあった『何か』を回収したことは認めました」
「チッ、面倒なことになりやがって」
クギョウ教官は煙管を噛んだ。
「だが、パイプが繋がったのは好機だ。あいつは情報を餌にお前らを誘惑するつもりだろうが……逆もまた然りだ」
「え?」
「お前らなら、あいつから情報を引き出せるかもしれん……面倒だが、毎日あの女のところへ通え」
「ええ……マジですか」
「毒を食らわば皿までだ。とことん利用してやれ」
まさかの定期面談という任務を課せられてしまった。
メイザーは「あの女と毎日会うなんて……」と露骨に嫌な顔をしているが、背に腹は代えられない。
昼食の時間。
俺とメイザーは、食堂でグレン、フランと合流した。
「おうヒョウガ! どこ行ってたんだよ、探したぜ!」
「悪い悪い、ちょっと野暮用でな」
「野暮用ってデートか? お前ら仲いいな〜」
グレンがニヤニヤ笑い、フランが「グレンったら!」と怒る。いつもの平和な光景。だが、話題はすぐに真剣なものへと変わった。
「そういえば聞いた? 最終試験の日程が決まったらしいよ。来月だって。中止になった試験を最終まで残ったメンバーだけでやり直すみたい」
「来月……か」
「ギョーザ先生は、焦らず次の試験まで修行するのも手だぞって言ってたけどな〜。俺は修行してもいいかなって思ってるが──」
俺は箸を止めた。
原作では、この事件の後、ほとぼりが冷めるまで3年間の修行期間が設けられた。
グレン達はその期間を経て成長し、満を持して勇士になったのだ。
だが、今回は違う。事態は切迫している。
(3年も待っていられない)
教団は動いている。原作ではあり得なかった、次の手を打ってくるだろう。
悠長に学生生活を送っている場合じゃない。権限と力を手に入れ、世界を飛び回る必要がある。
「……受けるぞ」
「え?」
「俺は来月の試験を受ける。そして最短で勇士になる」
俺の決意に、3人は驚いた顔を見せた。
「お、おいおい、急だなヒョウガ。自信あるのかよ?」
「あるさ。それに……世界は待ってくれない気がするんだ」
俺の言葉に、グレンは少し考え込み──やがて、ニッと白い歯を見せた。
「気に入ったぜ! なら俺も乗る! 俺達4人で、最短記録作ってやろうぜ!」
「ふふ、そうだね。僕達ならやれるよ!」
「ヒョウガ様が行くなら、地獄の果てまで」
フランとメイザーも頷く。
運命の歯車が、加速していく音が聞こえた。
原作崩壊上等だ……ここからは、俺達がシナリオを作る番だ。




