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#32 これからの指標

 冷たい雨が黒い墓標を濡らす。

 メイザーは傘も差さず、ただ立ち尽くしていた。洗脳が解け、正気を取り戻した彼女の瞳には、深い悔恨の色が宿っている。

 サラマドリア──イグニス勇士学園付近の小丘。目の前に並ぶ三つの墓石。ハル、ナツキ、マフユ。かつての級友たちの名前が刻まれている。


『遅くなって、ごめんなさい』


 メイザーは震える手で、白い百合の花束を供えた。

 卒業から数年──彼女は大人になり、背も伸び、容姿も顔付きも変わった。だが、墓石の下に眠る彼らは違う。

 あの日──自身の愚かなプライドのせいで命を落とした、あの瞬間のまま。永遠に勇士学園の生徒であった。


『私だけ……私だけが、時を進めてしまった』


 雨水が頬を伝う。それが涙なのか雨なのか、彼女自身にも分からなかった。


『私がどれだけ生きて、どれだけ皺が増えて、髪が白くなっても……あなた達はずっと、あの時のままなんでしょうね。私の罪と一緒に、時が止まったまま』


 その残酷な事実が、鋭利な刃となって彼女の心臓を抉る。

 自分だけが明日を迎え、老いていくことへの罪悪感。彼らの未来を奪った重圧。


『だから、怖かったの。ここに来るのが……あなた達の止まった時間に触れるのが、どうしようもなく怖かった……ごめん、ごめんね……ハル、ナツキ、マフユ……うあああぁぁ……っ』


 メイザーは墓石にすがりつき、冷たい石に額を押し当てて嗚咽を漏らした。

 その謝罪の言葉は、雨音に掻き消されて誰にも届くことはなかった。


 ────

 ──


 魔物は、皆の尽力と学園長のおかげで全て鎮圧された。

 インフェル古代遺跡群を襲った未曾有の魔物災害スタンピード。数千、数万とも言われる魔物の大群に対し、一般人の死者はゼロ。避難誘導にあたったヨルド教官の巨大防壁、そして学園長の神がかった広域氷魔法が、民衆を死の淵から救い出したのだ。

 人々はその結果を称え、喜び、肩を抱き合って涙を流した。勇士協会の勝利だ。正義は勝ったのだと。新聞は大々的に書き立てた。

 だが、その熱狂の裏で──俺を含めた勇士学園側の人間は、誰一人として笑っていなかった。

 勝利の代償は安くはなかった。

 結果として一般人を危険に晒した罪、そして前線で体を張った者たちの犠牲。負傷者は数百名に及び、死者は教官2名、生徒4名。

 たったそれだけと言うべきなのだろう。原作におけるあの大惨事を知っている俺からすれば、被害は驚異的に抑えられたと言える。

 原作では一般人を含め数百人が虐殺され、会場は血の海と化したのだから。結果だけを見れば、原作よりも遥かに『良い未来』になった。

 だが、その数字の中身が、俺の心を万力で締め付ける。その死者の中に──シキ教官が含まれているという事実が。


(なんでだ。なんでこうなったんだ)


 俺はずっと自問自答を続けている。

 この結果は、一体どういう因果によって引き起こされたものなのか。

 クギョウ教官が不在で、代わりに学園長が前線に出たからか?

 俺達生徒が特訓によってパワーアップし、原作以上に粘ったからか?

 それとも、マインが直接介入し、ゲーム盤をひっくり返したからなのか?

 分からない。あまりにも前から、原作と流れが乖離しすぎていた。俺が良かれと思って起こした羽ばたきが、巡り巡って嵐を呼び、その暴風がシキ教官の命を奪ったのではないか?


「やあ、ヒョウガ君」

「ハル……」


 学園に戻って1週間。

 俺達は変わらぬ日常を過ごしていた。

 原作では無惨に食い殺されるはずだったハル、ナツキ、マフユ。彼らは今も息をして、明日を生きようとしている。


「僕達の新しい教官が決まったよ」

「え?」

「話が早いよね。まだ気持ちの整理ができてないのにさ」


 乾いた笑いを見せるハル。

 シキ教官は原作通り死んだ。だが、その死に様は違った。

 原作では、無謀に突っ込んだ生徒を庇って死んだ。それは生徒の未熟さが招いた悲劇だった。

 今回は違う。俺が……俺が出しゃばったせいで。

 俺がカッコつけて助けに入り、そして詰めを誤ったから、教官は俺を庇って死んだんだ。

 その事実が、焼けた鉄串のように胸に突き刺さり、抜けない。息をするたびに熱を持ち、俺の心臓を焦がし続ける。


「まだ、実感が湧かないよ。明日になったら、教室のドアを開けて『おはよう』って入ってきてくれそうな気がして」


 ハルは気丈に笑うが、その目元は腫れていた。

 俺は何を言えばいいのか分からず、ただ視線を落とした。


「……ごめん」


 口から出たのは、ありきたりな謝罪だった。


「俺がもっとうまくやっていれば……」

「謝らないでよ」


 ハルが俺の言葉を遮った。


「君が謝ることなんて何もない。むしろ、僕達は君に感謝しているんだ」

「感謝……?」

「ああ。あの時、君が来てくれなかったら……僕達は全滅していた」


 ハルは一歩近づき、俺の手を両手で包み込んだ。

 その手は冷たかったけど、確かな力強さが込められていた。


「先生は僕達を守ってくれた。君を守ってくれた。その命を、僕達が無駄だったなんて思っちゃいけないんだ」

「ああ……」

「先生は最期に言ったんだ。『後は頼みましたよ』って。それはきっと、勇士としての意志を継げってことだと思う。だから僕達は……立ち止まらない」


 ハルは強く頷き、空を見上げる。


「もっと強くなる。もう二度と、誰かに守られるだけじゃなく……誰かを守れる勇士になるために」


 その言葉に、俺は胸が押しつぶされそうになった。

 眩しい。彼らの純粋さが、前向きさが、俺の罪悪感をより一層浮き彫りにする。

 俺は彼らを救った英雄なんかじゃない。

 運命を弄び、結果として彼らの恩師を殺した死神だ。

 それでも──俺はその汚れた手を握り返すしかなかった。


「……ああ。俺も、強くなるよ」


 嘘ではない。

 もう誰も死なせないために。この歪んだシナリオを、力尽くでねじ伏せるために。俺は絶対強くなってやる。


「さて……帰るか」


 クギョウ教官が捕虜を捕らえたと、ソニア教官にこっそり教えてもらった。

 マインと同じ教団の幹部らしい。クギョウ教官は地下迷宮の最深部で、彼女とたった一人で戦い、そして生け捕りにしたという。協会へ引き渡すことは、クギョウ教官が拒否したらしい。捕虜は協会へは報告せず、地下室で尋問をするとのことで学園長も納得した。

 事情を小耳に挟んだ他の教官や生徒たちは、流石は雷神だ。幹部を捕らえるなんて大手柄だと称賛していた……だが、俺だけは背筋が凍る思いだった。


(あのクギョウ教官を……1人で足止めしてたって事か?)


 アルドール邪竜教団は、原作では所詮中ボス。

 作中のインフレの波に飲まれ、結局目的も曖昧なまま壊滅したという、あまり記憶に残らない敵組織だった。

 だが俺は、どうも胸騒ぎがしていた。原作ではたまたま回避できたのでは? と思うくらい。

 この組織をこのまま野放しにしておけば、とんでもない事態になると……そう、俺の勘が警鐘を鳴らしていた。

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