#28 無名の強者
東西南北、四方八方から地響きが迫る。
視界の端々で土煙が上がり、おびただしい数の魔物の影が蠢いていた。その数、数千……いや、万に近い。
「ひぃっ、魔物だ! 逃げろぉ!」
「こっちに来るぞ! あっちへ行け!」
コロシアム周辺に集まっていた一般客や生徒達がパニックに陥る。
我先にと逃げ惑う群衆。だが、包囲されている状況で闇雲に散らばれば、各個撃破されるだけだ。
「……ヨルド教官」
「あいよ!」
学園長が声をかけると、群衆の中から色黒の若い男が軽やかに躍り出た。
派手なバンダナに筋肉質の体躯。イグニス勇士学園の地魔法担当教官だ。
「呼びました? 学園長」
「うむ。頼んだぞい」
「了解ッス!」
ヨルド教官はニヤリと笑うと、バッと足を開き、両手を地面に叩きつけた。
「ッハァ〜ッ!!」
ズズズズズズズンッ!! っと、大地が激しく隆起した。俺達を取り囲むように、赤茶けた岩盤がズンズンと空へ向かって伸びていく。
10メートル、20メートル……いや、優に30メートルはある。
しかもただの壁ではない。上部には凸凹の銃眼があり、内側には登るための階段やスロープが複雑に、かつ機能的に形成されていた。
それは瞬く間に、コロシアムを中心とした巨大な『城塞』へと変貌した。
(す、すげえ……!)
俺は息を呑んだ。
ヨルド教官だ! 原作の人気投票32位! 出番は少ないが、地魔法のスペシャリストとして一部に熱狂的なファンを持つヨルド=エルフォーサ!
「これほどの質量の地魔法を、一瞬で……なんて術式なの」
メイザーも驚愕している。
ただ壁を作るだけならまだしも、人が移動しやすいように細部まで構築するなんて。大工いらずだな。
「はいは〜い! まばらに逃げちゃダメダメ〜!」
ヨルド教官が壁の上に立ち、岩壁を徐々に収縮させる。
逃げようとしていた人々は、壁によって強制的に中央へ押し戻され、結果として全員が安全地帯のコロシアム周辺に合流することになった。
「任務完了っと!」
ヨルドはピッと人差し指と中指をくっつけ、それを額に当ててキザなポーズを決める。
「状況報告!」
「東側、防衛ライン構築完了しました!」
「西側、生徒の避難誘導完了!」
シキ教官、ソニア教官をはじめ、会場にいた数十名の教官達が続々と集結する。
普段はモブに見える彼らも、やはり腐っても勇士だ。その動きに無駄はない。当然だ……1人1人が俺達生徒より何倍も強いんだ。
「これで全員です」
シキ教官が報告すると、学園長は重々しく頷いた。
「うむ。これより我々教官で魔物を迎撃、殲滅する……そういえば、クギョウ教官はどうしたのじゃ?」
最強の戦力が見当たらないことに気づき、学園長が眉をひそめる。
「あ、そういえば」
横にいたグレンが口を挟んだ。
「ギョーザ先生なら、残った生徒を回収しにいった教官の後を追って、ダンジョンへ戻っちまったぜ」
「何……? グレン君、その教官はどんな教官じゃった?」
「んー、パッとしない茶髪のボサボサ頭で、普通の顔のおっさんだったけど」
その特徴を聞いた瞬間、学園長の表情が険しくなった。
「3年前に行方不明になった学園の教官と酷似しておるのう。まさか……」
学園長は顎髭をさすり、唸り声を上げた。
「怪しいのう……だが、今クギョウ教官を呼び戻す人員は割いていられん。仕方あるまい。我々だけで対処するぞ!」
「了解!」
教官たちが散開していく。
グレンは「ちぇっ、見てるだけか」とつまらなそうに頭の後ろで手を組んだ。
「こんなすげー魔法使える教官もいて、他にも大勢いるんだろ? 俺達の出る幕ねーな。つまんねーの」
「……」
グレンの能天気な言葉とは裏腹に、俺の心臓は早鐘を打っていた。ドクンドクンと嫌な音が体内で響く。
(違う。この魔物の群れはヤバいんだよ!)
俺の目は、壁の向こうに立ち昇る土煙の量を見積もっていた。とてつもない大群だ。教官達の数では、いずれ消耗して突破される。
原作ではここにクギョウ教官がいた。教官の広範囲魔法があったからこそ、被害は最小限(それでも死者は出たが)に抑えられたんだ。
(なのに、クギョウ教官がいない……)
最強の駒が盤上にない。
このままでは未曾有の大惨事になる。誰のせいだ?
俺だ。俺が余計な知識で扉を開けたから、マインの計画が早まったのか? レイジマンとメイザーが入れ替わったせい? どっから絡まったんだ。ああ、もう分からねえ!
ただの生徒の俺じゃ何もできない。教官たちの背中を見ていることしかできない……大丈夫だろって心のどっかで思ってた。原作キャラは死なない。物語には補正がある。
そんな意味のない安心感に縋っていた。だが、現実は違う。このままじゃ……皆死ぬ!
────
──
地下迷宮、第10階層。
閉ざされた密室で、クギョウは手にした折れた剣を突き立てた。
「あん♡」
ドラスフィルの豊満な胸を、刃のない剣身が貫通する。だが血は流れない。
貫かれた端から、肉がぐじゅぐじゅと音を立てて泡立ち、瞬く間に再生していく。
「ああ、そこ……そこよぉ。気持ちいいわあ♡」
ドラスフィルは苦痛に顔を歪めるどころか、頬を紅潮させ、恍惚とした嬌声を上げた。
「……チッ」
クギョウは舌打ちし、剣を引き抜く。傷口は既に塞がっていた。
「面倒くせえな、回復魔法は」
「うふふ……どうしたの雷神様? もうおしまい?」
ドラスフィルは胸元の破れた服を気にする様子もなく、妖艶に微笑む。
「私はね、他者を傷付ける所謂『攻撃力』は高くないの。でも、絶対に死なない」
「……」
「傷は一瞬で再生する。痛みは快楽に変換される。どんな攻撃魔法も、私にとっては愛の鞭でしかないわ」
彼女は両手を広げ、くるりと回ってみせた。
「あなたでも私は殺せない。時間た〜っぷり、私と踊りましょう?」
「……はぁ」
クギョウは深くため息を吐くと、折れた剣をカランと投げ捨てた。
「あら? 随分余裕なのね」
武器を捨てたクギョウに、ドラスフィルは口元に手を当てて目を細める。
「早くしないと、地上の大事な生徒さんが守れないんじゃないの? それとも、諦めちゃった?」
「勘違いすんじゃねえよ。メス豚女」
クギョウは懐から新しい煙管を取り出し、悠然と火をつけた。
「別に油断してるわけじゃねえ。ここは離れても大丈夫だと判断したから、お前らを追ってきたんだ」
「強がりね〜」
「いいや事実だ。地上には──『あの人』がいるからな」
────
──
地上──押し寄せる魔物の波。
のっそりと進軍する魔物の大群の中を、黒い奔流が切り裂くように疾走していた。
「報告! リュカーオーンの大群です!」
壁上の監視役が悲鳴のような声を上げる。
リュカーオーン──体長3メートルを超える巨大な黒狼。
最大時速200kmで駆け抜ける『漆黒の狩人』。単体でもBランクの脅威だが、群れになればその危険度はAランクに迫る……クソ、こういうのも原作通りだな!
「アオォーウッ!」
壁の奥から悍ましい遠吠えが聞こえてくる。やべえ近いじゃん! クギョウ教官がいないのにどうやって!
黒い疾風と化した狼達が、ヨルド教官の作った30メートルの垂直な壁を、重力などないかのように駆け上がってきた。
速い。迎撃が間に合わない!
「うわっ、来るぞ!」
「防げ! 魔法を撃て!」
教官たちが迎撃魔法を放つが、狼たちは残像を残して回避し、壁上の防衛ラインに喰らいつこうとする。
その鋭い牙が、教官達の喉元に迫った──瞬間。
パキィィィィンッ──空気が凍りついた。
跳躍した狼たちが、空中で静止する。
いや、静止したのではない。分厚い氷に閉ざされ、芸術的な彫像へと変えられたのだ。
「な……ッ!?」
俺は固まっていた。氷の浸食は止まらない。
硬質な音と共に、ヨルド教官が作った赤茶けた岩の城壁が、瞬く間に青白い氷の層で覆われていく。
無骨な砦は、一瞬にして美しくも冷酷な『氷の城』へと変貌したではないか。
壁に張り付いていた数百のリュカーオーンは、一匹残らず氷漬けにされ、城壁の一部となっていた。
「……嘘だろ」
俺は戦慄した。
自分も氷魔法を使うからこそ分かる。これは次元が違う……!
全長数キロメートルに及ぶ城壁を一瞬で凍結させ、かつ味方には一切の冷気を与えない精密な魔力操作。
イメージの解像度、魔力量、出力……どれをとっても神業だ!
(五紫星並だぞ? どれほどの研鑽を積めば、この領域に辿り着けるんだ!?)
誰だ。誰がやった?
俺が視線を上げると、氷の塔の頂点に一人の老人が立っていた。
白いコートを風になびかせ、杖を静かに構える。
「……学園長?」
学園長は凍りついた戦場を見下ろし、静かに──しかし戦場全体に響き渡る声で告げた。
「雛鳥の晴れの舞台を、土足で踏み荒らす輩がおるようじゃのう」
学園長は杖の石突きで、コンッと氷の床を鳴らした。
「魔物とて命あるもの。それを使い捨ての傀儡とし、あまつさえ若人の未来を摘もうとするその所業……断じて許せるものではない」
学園長の瞳から、老獪さを超えた凄まじい覇気が放たれる。
「悪は常に安全なる策源地に潜み、高みより嘲笑うもの。なればこそ、前線に立つのは我ら先達の矜持──」
学園長は杖を、遥か彼方の魔物の群れへと向けた。
「やれやれ仕方あるまい。引退した身じゃが……この老骨が相手になろうかのう」




