#27 こんなに美味い飯は生まれて初めて
地上──赤い月が照らす遺跡の入り口から、俺達は9階で出会った教官の手によって担ぎ出された。
新鮮な空気。だが、今の俺達が求めているのは酸素じゃない。
「み、水ぅ……」
「肉……肉をくれ……」
俺とグレンは、ゾンビのような声を上げて地面を這った。
すぐに協会の救護班が駆け寄り、水筒と携帯食料を差し出してくれる。
俺達は礼も言わずにそれに喰らいついた。
冷たい水が干からびた喉を潤し胃に落ちていく……ああ、うめえ! 全身の細胞に行き渡る! 生き返るようだ。
「ぷはぁっ……! い、生き返った……!」
「うめえええ! なんだこの干し肉! 最高級ステーキかよ!」
ただの水と保存食が、この世のどんな美食よりも美味く感じる。
俺達は一心不乱に貪り食い、体力が回復すると同時に、地面に大の字になって寝転がった。
「死ぬかと思った……」
「ああ……本当に、ギリギリだったな」
俺とグレンは顔を見合わせて笑った。
ポケットの中には、しっかりと8枚のメダルがある。
地獄の底を見て、そこから生還したんだ……ああ、達成感がじわじわと湧き上がってくる。
「君達、無事で何よりだ」
俺達を運んでくれた教官が、ニコリと微笑んだ。
「まだ地下には救助を待つ生徒がいる。私は彼らを回収しに戻るよ」
「あ、ありがとうございます! 助かりました!」
俺達が頭を下げると、彼は手を振り、再び暗い地下迷宮の入り口へと姿を消していった。
本当にいい人だな……原作にはいなかったけど、こういう名もなき勇士達が協会を支えているんだな。
「おい、お前ら」
その時、低い声が頭上から降ってきた。
見上げると、腕を組んだクギョウ教官が立っていた。
「あ、ギョーザ先生! 見たかよ俺達の活躍! 一番深いとこまで行ったんだぜ!」
グレンが跳ね起きて報告する。
教官はふんと鼻を鳴らし、煙管の煙を吐き出した。
「生きてりゃ合格だ。ま、こんなゲームみたいな試練、俺の特訓に比べれば遊びみたいなもんだろうがな」
「へへっ、違いねえ!」
教官の憎まれ口に、俺達は苦笑する。
だが、教官の視線は俺達ではなく、迷宮の入り口──先ほどのモブ教官が消えた暗闇に向けられていた。
「……おいヒョウガ。あいつは誰だ?」
「え? リタイア組を救助している教官ですよ。第9階層で会って、帰りも運んでくれて……」
「9層で会っただと?」
教官の眉がピクリと動く。
「他の生徒はどうだった」
「えっと、俺達が最下層から戻る途中には誰とも会いませんでした。多分、俺達が一番最後だったはずです」
俺の言葉を聞いた瞬間、教官の目が鋭く細められた。
「……きなくせえな」
「え?」
「最下層の生徒を回収したのに、また戻る必要がどこにある? 全員救助したなら、一緒に地上へ戻ればいいはずだ」
言われてみればそうだ。
俺達が最後だったはず。なのに彼はまだ生徒がいると言って戻っていった。
誰を助けに? あるいは──何をしに行った?
「お前ら、ここで待機してろ。俺は少し野暮用を済ませてくる」
クギョウ教官が剣呑なオーラを纏い、迷宮の方へ歩き出す。
「あ、ギョーザ先生!」
「……今のテメェらなら最終試験も簡単だろ。だが油断するなよ。敵はすぐ近くにいるぞ」
意味深な言葉を残し、最強の背中は闇の中へと消えていった。
俺はその背中を見送りながら、胸騒ぎを抑えきれずにいた……嫌な予感がする。原作と違う動きだ。クギョウ教官が現場を離れるなんて。
「最終試験に参加する生徒は、コロシアム前に集合しなさい!」
アナウンスが流れ、俺達は思考を中断して広場へ向かった。
集まったのは24名。80名いたスタート時から考えれば、3分の1以下だ。
だが、その顔ぶれを見て俺は安堵した。
「ヒョウガ君! グレン君!」
「ハル! お前らも無事だったか!」
シキ班の4人──ハル、ナツキ、マフユ、レイジマン。全員五体満足で立っていた。
ボロボロだが、その瞳には自信が宿っている。
「よかった……本当によかった」
俺は心底ホッとした。
原作ではここで彼らはいない。俺が情報を共有し、レイジマンが覚醒し、彼ら自身が強くなったことで運命が変わったんだ。
だが、油断はできない。ここからが本当の地獄だ。彼らの死亡フラグはまだ折れていない。
「それでは、最終試験の内容を発表するぞい!」
壇上の学園長が高らかに宣言する。
「内容は2日後に行われるコロシアムでのトーナメント戦! パーティー戦ではない、完全な個人戦じゃ!」
「個人戦……!」
生徒たちがどよめく。
知恵と協調が求められた第2試練とは真逆。シンプルな個の強さを問う戦いだ。
これはパーティも関係ない。グレンやフランとだって当たる可能性があるという事。というか、原作だと決勝は──
「試合の全てを審査し、勝敗に関わらず勇士としての資質ありと認めた者に称号を与える。皆、力を出し切るんじゃぞ!」
「よっしゃあ! 暴れてやるぜ!」
グレンが拳を突き上げる。
だが、学園長は言葉を続けた。
「今日1日は迷宮探索で疲れた体を休め、明日からの試合に備えよ。解散!」
その言葉に、生徒たちは歓声を上げ、宿舎や休憩所へと散っていく。だが、俺だけはその場から動けなかった。
休む? 2日後?
無理無理、そんな猶予はないはずだ。俺は知っている。明日、最終試験なんて行われないことを。
この休息期間こそが、敵にとって絶好の攻撃チャンスであることを──
「が、学園長! 大変です!」
血相を変えたシキ教官が、転がり込むようにして広場に駆け込んできた。
普段の冷静な彼からは想像もつかない取り乱しようだ。
「どうしたんじゃシキ君、そんなに慌てて」
「ま……魔物です! 遺跡群の北、渓谷の方角から、おびただしい数の魔物の群れが接近しています!」
その報告に、学園長の顔色がさっと変わる。
「なんじゃと……? 数は?」
「す、数千……いえ、万を超えるかと! Aランク級の大型も多数確認されています!」
「……来よったか」
学園長が杖を握りしめる。
周囲の空気が凍りついた。数千の魔物──それはもはや試験のトラブルではない。戦争だ。
十中八九マインの差し金だろう。原作通りきやがった!
俺は拳を握りしめ、震えそうになる膝を叩いた。
原作通りだ。奴らが動き出したんだ!
あれ? ていうかクギョウ教官どこ行った? いないとまずいんだけど──
地下迷宮、第10階層。
静寂に包まれた最下層に、クギョウの足音が響く。
彼は広間の中央で立ち尽くす人影に声をかけた。
「おい。こんなとこで何してやがる」
そこにいたのは、先ほどヒョウガ達を救助した教官だった。
彼はクギョウの声に反応せず、ゆらりと背中を向けたまま立っている。
クギョウは舌打ちし、その肩に手を置いた。
「聞いてんのか、おい──」
手を置いた瞬間、教官の体が崩れ落ちた。
まるで中身が入っていないかのように。いや、実際に中身はなかった。
地面に広がったのは、ドロドロに溶けた肉塊と、古びた骨の残骸だけ。
制服だけが虚しくその上に被さっていた。
「……なんだ、こりゃ」
クギョウが顔をしかめる。
死臭──そして微かに残る不快な魔力の残滓。
「やはり雑な術ですね。死霊魔法は」
背後から、楽しげな声が響いた。
クギョウが振り返ると、闇の中から一人の男が歩み出てきた。
燕尾服を纏った糸目の男。
「……やっぱお前かよ、マイン」
「お久しぶりですね、クギョウ教官」
マインは倒れた肉塊を一瞥し、肩をすくめた。
「学園の教官を殺して操ってたんですが、やはり魅了に比べて華がない。動きもぎこちないし、美しくないですねえ。そう思いませんか?」
平然と、同僚を殺して人形にしたことを語る。
クギョウのこめかみに青筋が浮かび、無造作に腰の剣を抜いた。
殺気だけで空気がビリビリと震える。
「怖い怖い」
マインはわざとらしく両手を挙げて降参のポーズを取る。
その動作を見て、クギョウの目が一点に釘付けになった。
「……その腕」
「おや、気づきました?」
マインは左腕をまくってみせる。
マイン自身が切り落としたはずの腕が、傷跡ひとつなく再生していた。
「回復魔法は素晴らしい。闇魔法はこんな奇跡も自由自在なんですよ」
マインはうっとりと自分の腕を撫でる。
「失った四肢を繋ぎ、死者を操り、精神を書き換える……これこそが真なる魔法。まあ、間もなく『闇』という接頭辞は消え、単に『魔法』と全員が呼ぶことになりますがね」
「遺言はそれだけか?」
クギョウが剣を構える。
質問をしたクギョウだったが、その姿は今まさに飛びかかる獅子の如く、殺気立っていた。
「そうですね……もう一つだけ」
「あの世で言え──」
ドンッ! と床が踏み砕かれる音と同時にクギョウの姿が消えた。
神速の踏み込み。雷を纏った剣先が、マインの喉元に突き刺さる──その寸前。
時間は引き伸ばされた刹那の中、マインは確かにこう呟いた。
「ちなみに、死霊魔法も回復魔法も……私の魔法ではありませんよ?」
ガキィィィンッ!! っと金属音が炸裂し、クギョウの剣が半ばからへし折れた。
切っ先が宙を舞い、床に突き刺さる。
「……あ?」
クギョウが目を見開く。
マインと自分との間に、いつの間にか別の影が割り込んでいた。
折れた剣を受け止めたのは、白く細い指先だった。
「へえ。これがあの『雷神』クギョウ……写真で見るより男前じゃない♡」
甘ったるい声。
そこに立っていたのは一人の女だった。
赤紫色の髪を豪奢な縦ロールにし、真紅の口紅と鋭いアイラインが妖艶さを際立たせている。
スリットの入ったスカートからはガーターベルトを巻いた生足が覗き、肩出しのファー付きローブには、マインと同じ教団の紋章が刻まれていた。
「誰だ、テメェ」
マインが一歩下がり、うやうやしく手を示す。
「僕と同じ、教団の神官が一柱ですよ。彼女は」
クギョウが口を開く直前、ズズズズズ……っと、地響きのような音が鳴り響き、天井からパラパラと瓦礫が落ちてきた。
クギョウが上を睨むと、女は「あらあら」と口元を隠して笑った。
「上で始まったみたいね。せっかく集めた可愛い魔物ちゃん達を一気にけしかけちゃって……品がないわねぇ」
「……何をした」
「簡単なことですよ」
マインが邪悪な笑みを浮かべる。
「ここにはあなたを誘導しただけ。地上で『本番』を始めるにあたって、あなたがいると面倒ですからね。まんまと引っかかってくれて助かりましたよ」
分断工作──最強の戦力であるクギョウを地下深くに閉じ込め、手薄になった地上を魔物の軍勢で蹂躙する。
クギョウは一瞬で理解した。
「おのれ……ッ!」
クギョウが踵を返して戻ろうとするが、入り口の扉が轟音と共に閉ざされた。
「んー、ダメダメ。生徒だって逆行禁止のルールで試験をやってたんですから。教官のあなたがルールを破るわけにはいきませんよねえ? まあ、あなたなら1時間もあれば物理的に破壊して突破できるでしょう」
マインはクスクスと笑う。
「ですが……彼女と戦う時間と合わせれば、十分な時間稼ぎになる」
「……」
「あなたはもう少し自分の戦力を理解したほうがいい。強すぎるが故にこうして隔離される。そして……まんまと閉じ込められて、また大事なものが死にますよ?」
かつてのトラウマを抉るような言葉。
クギョウの全身から、どす黒い雷気が迸る。
「マイン……ッ!!」
「おっと、怖い怖い。申し訳ないですが、あなたはここで彼女と遊んでいて下さい。それでは、良いショーを」
シュンッ、と音がしてマインの姿がかき消えた。転移魔法だった。
残されたのは、殺気立つ雷神と微笑む美女。
完全な密室で、クギョウは女と二人きりになった。
「さて、まだ名乗ってなかったわね。私はアルドール竜教団の三神官が一人──ドラスフィル。お見知りおきを」
女は舌なめずりをして、その豊満な胸元から一本の巨大な杖を取り出した。
「私と一緒に楽しみましょう? 雷神様♡」
地上では魔物の大群。地下では幹部との死闘。
最悪の状況下で、最終試験の幕が上がろうとしていた。




