#16 朝まで踊るって本当に踊ったらヤバい
マインが消えた直後だった。
広場を包む音楽のテンポが、狂ったように跳ね上がった。
「な、なんだ……?」
人々の動きが変わる。先ほどまでの楽しげなダンスではない。
手足が千切れんばかりに振り回し、首を激しく振る。まるで操り人形の糸が絡まったかのような、痙攣に近い動き。
辺りを見渡すと、メイザーが民衆に揉まれていた。俺は彼女を引き寄せ、圧迫される前に逃げ出す。
「ああ、ヒョウガ様! これは一体──」
「メイザー、まずは教官達と合流するぞ! この状況を報告しないと!」
「は、はい!」
俺はメイザーの手を引き、人波をかき分けて進む。
だが、すぐに壁にぶつかった。
「おや、お兄さん! 飲んでるかい!?」
「踊りましょうよぉ! さあさあ!」
仮面をつけた群衆が、俺たちを取り囲む。
彼らは酒瓶を押し付け、無理やり腕を掴んで踊りの輪に引きずり込もうとする。その力は異常に強く、火事場の馬鹿力のようにリミッターが外れていた。
「くっ、退いてくれ!」
「ダメですヒョウガ様! 一般人を傷つけるわけには……!」
「ぬう……あ、教官だ!」
遠くを見ると、クギョウ教官とシキ教官の姿が見えた。だが、彼らもまた身動きが取れずにいた。
クギョウ教官の周りには老婆や子供達が群がり、足にしがみついている。教官が守るべき市民を薙ぎ払うわけにはいかないからな。
くそ、これもマインの罠か。勇士としての立場を逆手に取った卑劣な肉の壁だ。俺や教官が怪我でもさせたら……それこそ、協会の信用を失墜させるマインの思う壺だ。
「ヒョウガ! こっちだ!」
その時、人混みの隙間から聞き覚えのある声がした。グレンだ。隣にはナツキとマフユもいる。
「みんな! 無事だったか!」
俺は安堵して駆け寄る。だが、彼らの様子がおかしいことにすぐに気づいた。
全員、激しく体を揺らしている。止まらない咳のように、小刻みにリズムを刻み続けていた。
「あはは! ヒョウガ、お前も踊ろうぜ! すっげー楽しいんだ!」
グレンが笑いながら俺の肩を掴む。その指が肉に食い込むほど強い。
「グレン? おい、しっかりしろ! マインがいたんだ! ヤバい状況なんだ!」
「マイン? 誰だそれ? いいから踊ろうぜ! ほら!」
グレンが邪魔だとばかりに自分の仮面をかなぐり捨てた。
露わになったその顔を見て、俺は凍りついた。
焦点が合っていない。そして何より──その瞳が、毒々しいほどのショッキングピンクに染まっていた。
「──ッ!?」
魅了魔法だ。なんだよこれ、どうなってんだよ?
思考が空白になる。グレンだけじゃない。後ろにいるナツキやマフユも、瞳が同じ色に輝いている。
「さあヒョウガ! 一緒に──」
グレンが俺の顔に手を伸ばしてきた、その瞬間──ヒュンッ! 視界が暗転した。浮遊感と共に景色が歪む。
「え?」
次に足がついた感触があった時、俺たちは広場を見下ろす屋根の上に立っていた。
「……遅かったわね。あのままだったら、アンタたちまで魅了状態になってたわよ」
気だるげな声。振り返ると、そこには仮面を外したソニア教官が立っていた。
「ソニア教官! 助かった……今の転移魔法ですか!!?」
「そ。短距離の跳躍ならなんとかね……でも、状況は最悪」
ソニア教官が指差した先。
屋根の隅にはレイジマンと、血を流して座り込むフランとハルの姿があった。
レイジマンはしゃがみ込み、肩で息をしていた。
「僕が危機を察知して、いち早く離脱したんですよ。その時に近くにいた2人を回収したんですけどねェ」
ハルも同様に服が破け、血が滲んでいる。
「民衆を止めようとしたら、逆に襲われたんだ……死者みたいに群がってきて、何もできなかった」
ハルが肩をすくめる。
そして、屋根の真ん中には、フランに全身を拘束されたグレンが転がされていた。
フランの腕には、無数の噛み跡やひっかき傷があった。
グレンは「離せ! 踊らせろ!」と獣のように暴れている。
「ソニア教官、俺達だけじゃありません。広場の人たち全員がおかしくなってます」
「分かってるわ……このままだと、全員死ぬわよ」
ソニア教官が冷徹に告げる。
「あれはただの『楽しい』感情の増幅じゃない。脳のリミッターを外して、筋肉が断裂しようが心臓が破裂しようが踊り続けさせる呪い。これだけの規模の魅了魔法なんて……本当に強い闇魔法ね」
教官たちは動けない。仲間は半壊。そして群衆は死に向かって踊り続けている。
唯一動けるソニア教官も、マインが同類だと知っているからこそ、手を出さないでいただけだ。彼女が介入すれば、マインも本気で潰しにかかるだろう。
やべえなこれ。詰んでんじゃねーか?
「全員を強制的に眠らせることができればいいんだけど。そんな芸当、できるわけないし」
ソニア教官が苦々しく呟く。
「……まだ、浅い」
不意に、メイザーが呟いた。
彼女は拘束されているグレンの元へ歩み寄ると、その額にそっと手をかざした。
「メイザー?」
「……消えなさい」
彼女が目を閉じ、念じる。
すると、メイザーの長い青髪が重力を無視してふわりと浮かび上がった。
彼女の掌から、どす黒い靄のようなものが出現し、グレンの頭へと吸い込まれていく。
「がはっ……! ごほっ、ごほっ!」
グレンが激しく咳き込み、何かどす黒いヘドロのようなものを吐き出した。
そして顔を上げた時──その瞳から不気味なピンク色は消えていた。
「あれ……? 俺、なんで縛られて……? ぐええ、苦しいってフラン!」
「なっ、正気に戻った!?」
ソニア教官が目を見開いて仰天する。
「アンタ、今何をしたの? 魅了の上書き? それとも除去!?」
「……分かりません。ただ、こうすれば『消える』という漠然としたイメージがあったから……でも」
ドサッとメイザーが膝から崩れ落ちた。
俺は慌てて彼女を支える。
彼女は胸を押さえて苦しみ、大量の鮮血を吐き出した。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」
「……はぁ、はぁ……平気、です……」
彼女の口元が紅く染まる。
ソニア教官が、その様子を見て息を呑んだ。
「……そっか、アンタも『適性』があるのね。無自覚に闇魔法を行使した代償……体が悲鳴を上げているんだわ」
闇魔法は、術者の生命力を削る。たった一人を正気に戻しただけで、この反動かよ。
だが、メイザーは震える手でソニア教官の白衣を掴んだ。
「ソニア教官……睡眠は、闇魔法の領分ですか?」
「え? まあ、精神干渉の一種だから……」
「なら、私に今すぐその術式を教えてください」
その場にいる全員が言葉を失った。ソニアは目を深く瞑り、眉をひそめる。
「無理よ。死ぬ気? ただでさえ反動でボロボロなのに、広場全体を眠らせる魔法なんて使ったら、あんたの命が持たないわ」
「構いません」
メイザーの瞳に、迷いはなかった。
彼女は俺の方を向き、血に濡れた唇で微笑んだ。
「私は別に、人々を助けたいなんて崇高な思考は持ち合わせてません。でも、ヒョウガ様が皆を守りたいと仰ったんです」
「メイザー……」
「ヒョウガ様をお手伝いするのが私の宿命。だから私も、私は命など惜しくはありません……お願いです、教えて下さい」
その狂気的なまでの献身。
ソニア教官はしばらくメイザーを睨みつけていたが、やがて深くため息をついた。
「一か八かじゃなく、本当に決死の覚悟なのね」
彼女は覚悟を決めたように頷く。
「いいわ。私の魔力をパスにして、アンタの『才能』を増幅させる……やるわよ」
その時、下から悲鳴が上がった。
「うわあああ! やめろ、離せ!」
「きゃああああ!」
限界が来た。踊りの狂乱が、ついに暴力へと変わり始めたのだ。
殴り合い、踏みつけ合い、暴動のような騒ぎが広場全体に伝播していく。
マズい……このままじゃ未曾有の惨事になるぞ。俺は立ち上がる。勝手に体が動いていた。
「俺が時間を稼ぐ。グレン、動けるか?」
「おう……なんか状況よく分かんねえけど、ムカつくことになってるのは分かった! 行くぞ!」
「フランとハルはここで休んでてくれ。レイジマン、この場を頼む」
「やれやれ……一番貧乏くじですが、仕方ありませんねェ。お任せを」
俺はメイザーに向き直る。
彼女は顔面蒼白で、脂汗を流している。それでも、俺を見ると気丈に笑おうとしていた。
「メイザー……任せたぞ。頼りにしてる」
「はいっ……! 必ず……!」
俺の一言に、彼女は顔をぱあっと明るくさせ、嬉しそうにコクコクと頷いた。
その笑顔を脳裏に焼き付け、俺とグレンは屋根から飛び降りた。
「なんじゃこりゃ……」
地上は地獄絵図だった。踊り続ける人々、暴れる人々。足から血が流れようと、決して踊るのをやめない。苦痛なはずなのに……炎面から覗く笑顔は決して絶えない。
だが、俺の目的は暴動の鎮圧じゃない。この狂乱のコンダクターを叩くことだ。
広場の中央、少し開けた場所。そこに、優雅にステップを踏む道化師の姿があった。
「よう。楽しんでるか?」
俺が声をかけると、マインは嬉しそうに振り返った。
「おやヒョウガ君。それにグレン君も……まさか、君達だけで私を止めに来たのかな? 教官を引き連れてやってくると思ってたけど。大穴だったね」
多分だが、驚きなんて一切含まれてないだろうな。全てが計画の範疇なんだろう。絶対的な自信……それに見合う力を持っている。
「君は軽率な人間に見えない。勝算がない戦いを挑むタイプじゃないはずだ。だから、どうして自分(死地)のもとに来たのか興味が尽きないねえ」
ケラケラと笑っていたが、その笑いはやがてため息へと変わり、そして貫くような視線を俺に向ける。
「裏で何かをする為の時間稼ぎなのかな?」
心臓が止まるかと思った。
一瞬で見抜かれた。こいつ、やっぱり頭の切れがおかしい。
人間、生涯に30回くらい殺人鬼とすれ違うなんて言うけど、目の前にいるのはマジもんのマジだ。巨大なものを背負ってる人間ってのは、やっぱ対峙しただけで威圧感がある。それが歪なものだとしても。
俺は震える膝を必死に抑え、虚勢を張って剣を抜いた。
「さあな。単にムカついたから殴りに来ただけかもよ?」
「よく言ったぜヒョウガ。俺らでコイツらぶっ飛ばそうぜ! そしたら一気に勇士になれたりしてな!」
パシンと拳を叩くグレン。それが不可能に近いものだとしても、グレンの言葉なら本当に実行できてしまいそうになる。胸に熱く響くグレンのド根性魂──俺はそれに何度も勇気付けられたんだ。
そうだな、そういうキャラだったよグレンは。お前、やっぱ主人公だわ。
「フフ、いいですねえ。その強がり。嫌いじゃないよ──」
一方、屋根の上。
メイザーは広場を見下ろすように膝立ちになり、両手をかざしていた。
その背後で、ソニアもまた膝立ちになり、メイザーの背中に両手を押し当てている。
「いい? 今からやるのは超絶無理やりなことだから。術式を覚える必要はないよ。私のイメージを流し込むから、アンタはそれを『出力』することだけ考えなさい」
「はい……っ! この一回限りでいいんです!」
「というか、一回しか無理よ──いくわ」
ソニアの魔力が、メイザーの体へと流れ込む。
その瞬間、メイザーの全身に電流が走るような激痛が奔った。
「あ、ぐああぁぁ〜ッ!!」
闇魔法がメイザーの体に侵食する。
血管が沸騰し、骨が軋む。内側から食い破られるような感覚に、メイザーはただ悶絶。
「がはぁ……ッ!」
メイザーが再び大量の血を吐き、ブラウスが赤く染まっていく。
「メイザー。意識を保って! だから言ったでしょ……少し共鳴しただけでこの苦痛よ。気を抜いたらショック死するわ」
「う、うぅ……」
「もうやめる? 今ならまだ──」
ソニアの言葉を、メイザーは首を振って遮った。
「つ、づけて……ください……!」
彼女の瞳は、混濁しながらも一点を見つめていた。
眼下で、マインと対峙するヒョウガの背中を。
「ヒョウガ様が……頼りにしていると、言ったのです……っ! あの方が……私を信じてくれた……なら、私は死んでも答えます……! だから……お願い……!」
血を流しながら、それでも彼女は笑っていた。
その姿にソニアは戦慄し、そして感服した。
「……大した子だわ。これが『愛』の力だっていうの? 分かった……さあ、集中しなさい。この一撃に全てを賭けるわ」
ソニアが再び魔力を込める。
メイザーは大きく頷き、痛みに歪む顔を上げ、広場全体へとその手を伸ばした。




