第十七話:崩壊した論理の書斎
ルシアンの絶望的な問いと、悲痛な感情の爆発を前に、ライラの知性は機能停止に陥っていた。
(なぜ、婚約者なのに、私からしかスキンシップを求めないのだ? ライラからも同じように触れ合ってほしい!」……この要求の論理的根拠と、貴方の目的における効用は、どこにある?)
ルシアンの訴えは感情的で、合理性は微塵もなく、ライラの優秀な頭脳でも解析することが出来なかった。彼女にとって、この要求は、「任務の遂行中に、予期せぬ自然災害が発生した」のと同じ、対処不能な事象だった。
ライラが、その非合理な要求を理解しようと固く沈黙し、思考に沈んでいるにもかかわらず、ルシアンは、ライラが拒否したのだと決めつけてしまったのだ。
「……そうか。拒否するのだな、ライラ」
ルシアンの理性が崩壊した瞳は、愛の絶望で燃え上がっていた。
(拒否? 私は「回答を保留し、論理的分析に入っている」だけなのに。ルシアン様は、なぜこの沈黙を、否定的な結論と結びつけるのか? 感情とは、これほどまでに非効率で、歪んだものだったのか?)
いつから、二人のすれ違いが始まったのか?
それは、ライラが「恩義の返済=道具としての任務遂行」を誓った瞬間から。そして、ルシアンがその論理的な献身を「私への究極の愛」と誤認した瞬間からだった。
「私の最高の道具である君が、私に、感情の自由裁量権を論理的に拒否するのなら……ならば、私は『支配者』として、君に愛を命令するしかない!」
「愛を命令」する――。
ライラには、その言葉の意味が検討もつかなかった。愛とは自発的な感情であり、強制できるものではない。ルシアンという完璧な知性を持つ人間が、なぜこれほどまでに矛盾した非合理な命令を口にするのか。
ルシアンの歪んだ愛の要求は、ライラの論理的な世界を、根底から揺るがす、究極のラスボスとして立ちはだかったのだった。
ルシアンは、ライラの顎を力強く持ち上げ、その瞳の奥まで覗き込んだ。
「私からの最後の命令だ、ライラ。君の『道具』としての役割は、今日で終わる」
彼の声は、甘く、そして恐ろしいほどに冷たい支配を含んでいた。
「君は、私の『公爵夫人』として、私だけの愛の奴隷となれ。私が望む全ての感情的な要求を、論理を捨てて、絶対的に満たせ。これが、君の新たな義務だ」
ルシアンの「愛の命令」は、ライラの「論理的な生」を否定し、全てを支配下に置く究極の束縛だった。




