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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
98/121

93: 衝突

 

 今朝の事。

 一同が簡単に朝食を済ませ、今日の予定を話し合っていた時。意気軒昂に主張を続ける者がいた。


「僕は絶対にアーラ様に付いて行きますよ!」


 何故か急にやる気を出したリシャールが帯同を願い出ていた。

 鼻息荒く嘆願する少年を、当のアーラは頼もしそうに見つめていたが、オーベールを除く他の面々。特にマリッタは胡散臭そうな視線を送っていた。

「お前、昨日は嫌がってただろ? 邪魔だから来るなよ」

 確かに昨日の様子からすると、リシャールは学校への同行を嫌がっていた筈である。それなのに夜が明けると百八十度翻った意見を言っている。

 

「何を言ってるのか分かりません。一番年下の僕が率先してアーラ様の手伝いをしないでどうするんですかっ!」

 最もらしいことは言っているが、これは己の保身の為である。決してアーラの事を考えての発言ではないことは間違いない。

 オーベールだけは不思議そうにしていたが、グラストスやマリッタは少年が何故心変わりしたのかを悟っていた。間違いなく昨日嫌がっていた時には居なかった存在(サルバ)を忌避しての事であろう。

 両者はそんなリシャールに呆れたような視線を突き刺している。

「分かった分かった。お前も来るが良い。お前は中に入れるのだからな」

 肝心のアーラは鷹揚に頷いて、リシャールの同行を認めたのだった。


 そして、少年からアーラを挟んでの反対側で、巨体の男が震えていた。

「ぐぬぅ」

 ギリギリと歯軋りして、リシャールを睨んでいる。

「落ち着け。魔法使い(メイジ)でないとあの学校には入れないんだ。仕方ないだろ?」

 グラストスはそう言って落ち着かせようとするが、サルバは開いているのか分からない糸目を、逆ハの時に歪め続ける。

 ようやく崇拝対象(アーラ)に会えたのに、メイジでないというだけで傍に居る事が叶わない。それだけでも業腹なところに、今のリシャールの台詞である。

 サルバにはリシャールが格好をつけているようにしか聞えなかった。もちろん、アーラに対して、である。

 とどのつまり、サルバはリシャールに嫉妬しているのだった。


「お姫様ぁ。ほんどに大丈夫ですがぁ?」

 これでその台詞は五度目になる。

「心配要らん。昨日も行ってるんだからな」

 アーラにそう断言されては、サルバは何も言えないようだった。ただ、一層リシャールへの視線を強くしていたが。


 

 話が一段落したとみたのか、オーベールが全員を見回した後でアーラに話しかける。

「では、学校に行くのは昨日と同じで、アーラさんとマリッタさんとリシャール君で宜しいでしょうか?」

「ああ」

 アーラは頷く。

「ヴェラさんはこちらで宜しいのですか?」


 オーベールはヴェラのことを敬称付きで呼ぶ。

 この場にいる人間でヴェラだけはアーラの家来であり、両家の関係上、オーベールは当然ヴェラとの付き合いも長く、立場的には呼び捨てが妥当である。

 それなのにそう呼ぶのは、オーベールの人となりの所為という事もあったが、それ以上にそう呼んでしまう何かがヴェラにはあった。


「ヴェラには一つやって貰いたいことがあってな」

 アーラの言葉に、皆の視線がヴェラに集まる。

「…………」

 ただ、ヴェラは何も言わず静かにアーラの隣に控えているだけだった。

「時間の合間が出来ればでいい。皆も良ければ、ヴェラを手伝ってくれ」

 アーラはオーベールとサルバを見て、そう願い出る。そして最後にグラストスをチラリと眺めた。グラストスはアーラに対して小さく頷きを返す。


「分かりましだぁ」

「はい。僕も構いませんよ。しかし、何をすれば良いんでしょう?」

 サルバが一も二もなく快活に答えたのに続いて、オーベールが柔和に微笑みながら尋ねた。

 アーラは問いに答えようとしたのか小さく口を開くが、そこから理由が紡ぎ出されることはなく、

「……それは後でヴェラに聞いてくれ」

 やんわりと手を振りながら回答を避けた。

 オーベールはアーラの様子が少しおかしい事を感じていたが、それ以上の疑問は口には出さなかった。代わりに穏やかな眼差しで了解を示す。

「分かりました」

「すまない……。ヴェラ、後は任せたぞ」

「承知致しました」

 

 それきり声が止む。

 そういった、話が纏まる時を見計らっていたのか、リシャールはチラチラとサルバの方を見ながらアーラに助言する。

「アーラ様ぁ、そろそろ時間じゃないですか?」

「ああ、そんな時間か。なら向かうするか。行くぞ、マリッタ」

「はぁ……」

 気乗りしていない想いを込めたマリッタの力ない返答は、残念ながらアーラの関心を引けなかった。アーラはマリッタが着いてくることを疑ってもいない様に、ドカドカと部屋を出て行く。

 リシャールはサルバと競い合うように部屋を飛び出し、他の面々もその後に続いた。

 一人部屋に残されたマリッタはグシャグシャと乱暴に髪を掻くと、心持ち肩を落としながら部屋を後にしたのだった。



***



 アーラ達を馬車で学校まで送り届けた後、グラストス達は再び村に戻ってきた。

 そして、早速情報収集を開始した。

 昨日の教訓からグラストスは裏方に撤し、情報収集は主にオーベールとサルバによって行なわれた。


 穏やかで物腰の柔らかいオーベールと、巨漢ゆえ初めこそ威圧感を与えてしまうものの、話してみれば朗らかで気安いサルバの相性は良く、比較的多くの村人から話を聞く事が出来た。 

 しかし、肝心の『神の医師』の娘に関する情報は皆無と言ってよく、学校外の情報収集は早々に暗礁に乗り上げてしまった。


「……仕方ありません。出来ることも無いですし、先にアーラさんの用事に取り掛かりませんか?」

 オーベールの提案に、他の三人は躊躇うことなく頷いた。情報を得るのが難しい以上、その方が建設的だろうと考えたからである。

 ただし、サルバだけはアーラの頼みの方が重要だからのようだ。先程までより俄然張り切っているのが誰の目にも明らかだった。


「少し離れた場所ですので、馬車で向かいましょう」

 唯一目的地を知るヴェラに先導され、四人は目的地に向かった。

 『学校』とは反対側に村を出て、そのまま四半刻ほど街道を進む。途中、山の方に向かって伸びている馬車がギリギリ通れるような小道に入り、更に経過する事四半刻。

 大凡半刻の行程を経て、一行はようやく目的地に辿り着いた。


「おぉ? ここがそうがぁ?」

 到着した場所は、山裾にある小さな村だった。

 発達しているとはお世辞にも言えないこの村の周囲には、山に向かって段々に続く畑が広がっている。恐らくそこで出来る作物がこの村の特産物なのだろう。

 この国の地方ならばどこにでもあるような農村だった。


 ヴェラの言葉に従い。村の隅に馬車を止め、その付近の柵に馬を繋ぐ。こんな所に止めるのであれば、見張りが必要だろうと考えたグラストスだったが、ヴェラはそれも不要だと言う。この村では盗難の心配はないのだ、と。

 治安が良い村なのだろうか。そう確信を持てる理由は不明だったが、ヴェラは決していい加減な事は言わない。そのことを知っている三人は、素直に従う事にした。


 それに正直グラストスは、頭を悩まさずに済んだことにホッとしていた。

 もし見張りが必要だった場合、この四人の場合一体誰を残すのか、という事が問題になる。普通に考えれば自分かサルバだろう。

 しかし、今回のことはアーラに前もってお願いされている。であれば、自分が行かないわけには行かず、かといってサルバを残そうとすると間違いなくゴネる。アーラの頼みと有っては、サルバの辞書に”待機”の文字は無い。

 ヴェラには案内して貰う必要が有るし、オーベールを一人にする訳にもいかない。

 そうなると話がややこしくなり、無駄な時間を浪費する事になったに違いないからであった。


「こちらです」

 ヴェラの後ろを、男三人がゾロゾロと並んで付いていく。その様子はどこか滑稽であったが、生憎三人は気付かなかった。

 グラストスはヴェラの背筋の伸びた姿勢の良い後ろ姿を眺めながら尋ねた。

「ヴェラ。一体ここに何があるんだ?」

「…………」

 問いかけられたヴェラは一瞬だけ歩く速度を落としたが、それ以外の反応を示そうとはしなかった。訊いてはいけない事だったのか? と困惑していたグラストスの背後から、能天気な声が降りてくる。

「行けばわがるさぁ」

 のんびり屋な事この上ないサルバだが、こういう時の落ち着きは大物っぷりを感じさせる。

 自分がまるで取るに足らない事を気にしているような気分にさせられ、自然と頭が冷静になっていく。

「そうだな」

 グラストスは、ふぅ、と一息吐いて思考を切り替えた。

 そして、それまで敢えて見ていなかった、村人の方に視線を向ける。

「ところで……視線が痛いな」


 先程から村の中央を歩いている他所者達は、刺す様な視線を送られ続けていた。警戒に彩られた眼差しを向けられる事は、決して心地よいとは言えない。

「小さな村ですから。仕方がありません。街道からも外れてますし、見知らぬ人間はあまり訪ねてこないのでしょう」


 常に誰かしらに監視されてはいたが、結局話しかけてくる村人は居らず、四人はそのまま村を横断した。小さな村ゆえ、直ぐに端まで辿り着く。

「ここまで来ると、もう畑くらいしかありませんね」

 しかし、ヴェラは歩みを止めようとせず、振り返ることなく進み続ける。流石にグラストスは、一体何処まで行くつもりなのかが気になり、口を開かずにはいられなかった。

「この村は関係ないのか?」

「もう直ぐ到着します」

 ヴェラの声に淀みはない。道を間違っている訳ではないようだ。


「到着って言ったって、何も……」

「んん? あれが?」

 村の端にある畑を一区画通り過ぎた頃、視界の端に異質な光景が映りこんできた。オーベールが不思議そうに呟く。

「あれは…………墓地、でしょうか?」

「墓地? あそこが目的地なのか?」

「はい」

 ヴェラは平静のまま答える。

 他の三人は戸惑いを隠さずに、お互いの顔を見合わせた。


「往きます」

 その墓地へは村から細い獣道が続いている。百五十間程度はあるだろうか。その上をヴェラは躊躇うことなく進み始めた。

 僅かの逡巡の後、グラストス達も後を追った。


+++


「づいたぁ」

「普通の……共同墓地のようですね」

 言うとおり、どこにでもあるような変哲もない墓地だった。

 特別注意を引くような豪奢な墓などは存在せず、人の腕ほどの木が不揃いにつき立てられているだけである。


「ヴェラ。ここで一体何を?」

「墓参りです」

「ま、まぁ。そりゃそうだろうけど。一体俺達は誰を参ろうとしているんだ?」

 当然の疑問をグラストスが提示する。他の二人も興味深くヴェラの返答を待っている様子が伺える。

 しかし、

「……申し訳ありませんが、こちらで少しお待ち下さい」

 ヴェラは即答を避けるように、この場を離れて行った。

 三人はその後姿を呆然と見送る。


 恐る恐るという体で、グラストスはオーベールに尋ねた。

「……アーラ嬢の母親って事は無いよな?」

「え、ええ。ベッケラート夫人のお墓は、ビリザドにありますから」

「街の墓地にあるぞぉ。年寄り連中は今でも時々参りに行っでる」

 二人はキッパリと断言する。

 ふと気になり、グラストスは話題を変えた。

「オーベールはアーラ嬢の母親に会った事はあるのか?」

「あるらしいのですが……何分まだ物心着く前の話なので、正直覚えていないのです……」

 オーベールが伝え聞いている話では、とても穏やかで綺麗な女性だったと言うことである。身分に関わらず誰にでも親切で、領地のビリザドでは大層慕われていたそうだった。

 そんな話をオーベールはグラストスに話して聞かせた。

「俺も親父から同じ話を聞いてるぞぉ。ただ俺もちっちぇかったがら、覚えてねえけどなぁ」

「そうか」

「エリザベス様、ってお名前なんだぞぉ」

 何故かサルバは胸を張りながら説明する。

 死して尚、街の人間に慕われ続けているという一点だけを考えても、立派な人物だった事が推察される。サルバのような根っからのビリザド育ちの人間からすると、故人の事を知らない人間に伝えるだけでも嬉しいのかもしれない。

 そんな風に感じながらも、グラストスはどこかで聞いた名だと思ったが、仔細は思い出せなかったので話を戻した。

「じゃあ、ここは一体誰の墓なんだ……?」

 他の二人も首を傾げるばかりであった。


 その後、少ししてヴェラが戻って来た。

 何処に行っていたのか疑問だったが、その手に持っている物を見て三人は事情を察した。ヴェラの手には数輪の白い花が握られていた。お供え用の花を探しに行っていたらしい。


「そろそろ誰の墓なのか教えてもらえるのか?」

「申し訳ありませんが、それはお答えできません」

「な、なら、誰かも分からずに、お参りしろってことか?」

「そうなります」

 グラストスの驚きに、ヴェラは即答する。

 二の句が告げないグラストスは、呆然と立ち尽くした。

 代わりに同じく戸惑いを隠せずにいたオーベールが、困惑した笑みを浮かべて呟くように言った。

「そういった事は……初めてですね」

「申し訳ありません」

 ヴェラは深々と頭を下げた。

 直ぐにオーベールは小さく首を振る。

「いえ。構いませんよ。アーラさんに関係している方である事は間違いないのでしょう?」

「はい」

「でしたら、何の問題もありません」

 そう言って、オーベールはニッコリと微笑む。

 サルバもオーベールの言葉に同意した後で、何か含む所があるような表情でグラストスの方を見やった。

「理由を知らねえと嫌だなんで、グラストスは白状な奴だぁ!」

「嫌だなんて言ってないだろっ!」



 それから三人はヴェラに先導され、ある墓の前に並んで立った。墓自体は隣のモノと何の代わりもない小さな墓である。

 ただ妙に周辺が整っており雑草などは綺麗に刈られている点だけは他のとは違っていた。誰かが頻繁に手入れをしているのだろう。なので特に何か手入れする必要も感じず、四人は花を捧げるだけにした。

 誰からというでもなく、自然と黙祷が始まる。


 そんな中、グラストスは祈りを捧げながら、昨夜アーラに頼まれた事を思い返していた。

 目は閉じたまま、右の腰に提げている剣『ジェニファー』にそっと手を添える。

 アーラの頼みとは、『ジェニファー』を持ってヴェラの手伝いをしてくれ、というものであった。

 それに何の意味があるのかは全く分からない。ただ、そうすることでアーラが満足するというのであれば、何の躊躇いも生まれなかった。

 


 暫しの後、それぞれが参り終えた事を確認したヴェラは深々と礼をした。

「有難うございました」

「もう用事は終わりか?」

「はい」

「なら、戻るがぁ」

「そうですね」

 結局、男三人は何も分からなかったが、もうそんな事を気にはしていなかった。寧ろ、墓地独特の厳粛な雰囲気に包まれていたからか、雑念が払われたような心境だった。心が平静でさざ波一つ立っていない。

 その余韻に包まれていた四人は、それから特段会話をする事もなく墓地を後にした。

 獣道を中程まで戻る間それは続いたが、ふと顔を上げたグラストスは前方から人が歩いてきている事に気付いた。

「誰かこっちに来るな」

「村の方のようですね」

 恐らく墓の掃除でも行なうつもりなのだろう。その手に箒のようなものを持っているのが分かる。もしかしたら、先程の墓の関係者なのかもしれない。

 村人もこちらに気付いたのか、一度警戒するように歩みを止めた。少し様子を伺っている気配がしたが、程なくして再度歩き始めた。


 お互いの顔を判別できる所まで近づき、村人の……中年の男性の両目が大きく見開かれた。顔はヴェラに向けられている。

「ん? お、お前さんは!?」

「……ご無沙汰しております」

 男は少しの間驚きに支配されていたようだが、徐々に落ち着きを取り戻していった。ヴェラに穏やかな視線を向ける。

「あ、ああ。お参りに……来て下さったのか……」

「……はい。お嬢様のたっての頼みで」

「ああ……それは……有り難てぇことだ……本当に」

 男は本当に嬉しそうに、ただどこか悲しそうにヴェラを見つめる。溢れんばかりの感謝の想いを昇華する様に何度も頷いている。


「ヴェラさん。その方は?」

「こちらは…………」

 オーベールの問いかけに対し、ヴェラは言葉に詰まる。

 ただ、男の事を何と説明すれば良いか直ぐに思い浮かばないでいる、というには少し様子がおかしかった。

 そして、ヴェラが意味ありげな眼差しで、グラストスを見つめた時。


「お、お前はっ!?」


 男が突然、悲鳴にも似た驚愕の声を上げた。

 目を大きく見開き、ある一点を捉えたまま固まる。

 その縛りから解放されると、次に全面に現れたのは”怒り”だった。それも憤怒と言ってよいほどの激情である。

「貴様っ! よくも儂の前に現れおったなっ!!」

 男はそう叫ぶと、男の変貌に呆然としていたグラストスに猛然と近づいていった。


「ど、どうしたのですか?」

「何だぁ!?」

 グラストスは四人の最後尾を歩いてた為、オーベールとサルバは道端に押しのけられる。グラストスの目の前まで来ると、男は躊躇うことなく胸倉を掴みかかった。

「貴様、貴様はっ!!」

「ま、またか」

 昨日の出来事を彷彿とさせられながら、グラストスは男にされるがままになっていた。余程の強い想いなのか、男は全身の力を込めており容易に外せそうになかった。

 男は左手でグラストスを掴んだまま、右手を大きく振りかぶる。躊躇うことなくグラストスに振り抜こうとしたその拳を、すんでのところでサルバが止めた。羽交い絞めにして、男を宥めかける。

「落ち付けぇ、おっさん!」

「ぐぬうおおおおぉぉぉっ」

 男も本気だったが、サルバの剛力には敵わない。何とか外そうともがいているが、傍目にもそれが達せられないのは分かった。

 その隙にヴェラはグラストスに近寄り、囁くように告げる。

「……グラストス様は、離れて頂いた方が良いかと」

 それは男を落ち着かせる為には、グラストスの姿が見えない方が良いという判断だった。オーベールも戸惑いながら直ぐに同意する。

「そ、そうですね。ここは僕達に任せてください」

「あ、ああ……」

 確かにこの場に居ては、状況を悪化させるだけなのは間違いなさそうだった。グラストスは素直に従う事にした。

 男の横をすり抜けて、一足先に馬車に向かう。

「待て! 何処へ行く!? 貴様は儂が殺してやるっ! 放せっ。放せえええええっ!」

 腕は外れそうにない為か、足を振り上げて激しくもがきながら、男は叫び続ける。


 背後から投げつけられる暴言を聞きながら、グラストスは軽い混乱に襲われていた。

 自分の失った過去の事が、思い起こされてならなかったからである。もし、仮に男の恨みをかっているのが記憶を失う前の自分だったとしたら、一体自分は彼に何をしたのだろうか、と。

 そんな例えようのない不安に襲われていたグラストスが、男の視界から消える直前。

 男は絶叫した。


「絶対に許さんぞっ! この人殺しがっ!」



***



 玄関口まで戻ったマリッタは、そこに想像通りの光景を見て深々と溜息を吐いた。

「はぁ……やっぱり」

 周囲を見回すが、アーラの影も形も見あたらない。ついでにリシャールも。

 思わず一人ごちてしまう。

「ったく、何処に行ったのよ」

 どうしたものかと立ち尽くした後、マリッタは学校内に足を向けた。あまり乗り気ではなく、足は重かったが。


 その脇を、幾人の生徒達が通過していく。

 ただ、アーラ達の時とは違い、マリッタを注視している生徒はいなかった。

 それは彼らがマリッタを無視しているという訳ではなく、単純な話。ギルド服と学生法衣はパッと見作りと色合いが似ており、気付かなかったのが原因だった。魔法使い用の服を追求した結果。ギルドと学校が同じような結論に達した事の証明である。

 よくよく見れば、作りの細部が異なることに気付いただろうが、マリッタは自然体だったので、特段意識を引く存在には映らなかったのだろう。

 今日、生徒達の大半が忙しいという事も、理由の一つに挙げられるかもしれない。


 そういったお陰もあり、マリッタは誰にも咎められることなく学校内を徘徊する事ができた。

 面倒なことに時間を取られない事は良かったが、その原因が服装にあることには気付いていなかったマリッタは、狸に化かされているような心境だった。

 

 あまり人の居る所には行きたくなかった為、自然とマリッタの足は『中庭』に向かっていた。そこに至る通路を歩いていると、

「あ……」

 前方から小さな声が上がった。

 自分を見ているような気配が感じられ、マリッタは面倒そうに視線をやった。

 そこに居たのは、優雅な佇まいの中に、どこか他者を威圧するような雰囲気を持った金髪の少女。エルネスタだった。


 周囲に取り巻きの姿は見えない。マリッタの記憶からすると珍しい事に、彼女は一人きりだった。

 ただ、顔を合わせたからと言って、挨拶し合うような間柄でもない。

 マリッタはエルネスタの事は気にしない事にして、『中庭』へ足を進めた。

 距離が近づくにつれエルネスタは身を硬くしていたが、マリッタは一瞥もせず隣を素通りしていった。


「……くっ」

 無視したことに加え、そのまま歩き去ろうとしていたマリッタを、我慢の限界といった風なエルネスタが呼び止める。

「…………お待ちなさい」

「……?」

 仕方なくマリッタは振り返った。


 エルネスタはマリッタを睨みつける。

「失礼じゃありませんこと?」

「何が?」

「挨拶ぐらいは出来ませんの?」

 ここに居た頃の事を思い返しても、自分達が挨拶を交し合ったことはない。

 つまり、エルネスタは言いがかりの理由が欲しいだけなのだろう。そうと察したマリッタは、不快そうに顔を歪める。

 そのまま身を翻して歩き始めた。

「お、お待ちなさい! 話はまだ終わっていません!」

「急いでんのよ」

 などと言いながらも、マリッタからは急いでいるような気配は発せられていない。

 エルネスタは器用に片眉を上げて苛立ちを現わしていた。

 しかし、どうにか怒りを押し殺せたのか、代わって落ち着きを装った声で話しかけた。

「あの田舎娘をお探しかしら?」

「…………」

 マリッタの足が止まる。


「何故部外者の貴女達が、のうのうとこの学校内を歩いているんです? 特に貴女は一人きりで。これは衛兵に突き出されても仕方がありませんわよね?」

 アーラの居場所について言及するかと思えば、その口から出たのは非難だった。確かに言っている事は正論だが、それだけに相手をするのも騒がれるのも面倒だった。

「ちっ」

 マリッタはハッキリと舌打ちすると、再びエルネスタを無視して歩きだした。

 当然の如く、エルネスタはマリッタの行動を咎めてくる。

「待ちなさいと言っているでしょう!」

「…………」

「返事をなさい!」

 全く振り返りもしないマリッタに、エルネスタは廊下に響き渡るような怒声を発した。

「こ、この……お待ちなさい!」


 叫んでから、エルネスタは自分の無作法に気付いたようだった。

 人前で感情を露にするのは、貴族の子女に求められる振る舞いからは対極にある。

 自分に対する恥ずかしさから頬を赤く染めたエルネスタだったが、そんな思いをしても尚振り返らず無視を続けるマリッタを見て、顔面を蒼白に変えた。

 一瞬で、貴族の事とか一切合切を頭の中から飛ばして真っ白になったエルネスタは――――


「マリッタ・フェルセン!」


 激情に突き動かされたのか、緑色の光で身体を覆いながらマリッタに走り寄った。感情のままに風の刃(ブレード)を叩き付ける。


 魔法の気配に気付いたマリッタはいち早く反応し、前を向いたまま横に跳躍してその一撃をやり過ごした。

 流石に振り返り、つまらなそうな視線をエルネスタに向ける。

「……見つかったら、退学になるわよ」


「うるさいっ!」

 そこで初めて、マリッタは笑みを浮かべた。どこか愉しそうにエルネスタを見つめる。

「そんな乱暴な言葉、お嬢様には似合わないんじゃない?」

「お、お黙りなさい!」

 エルネスタは生涯発すると思っていなかった下賎な言葉を使用した事に、自分自身で驚いているのか顔を赤く染める。 

 その恥から生まれた苛立ちを払拭するように、再びマリッタに向けて風刃を放つ。


「無駄よ」

 今度はマリッタは避けようとはしなかった。

 ただし、マリッタの目前まで迫った『風刃』は突然霧散する。


「っ!?」

 エルネスタは驚きで目を見張る。

 今のはエルネスタが効果を消した訳ではない。

 当てるつもりだった『風刃』を、マリッタが無効化(・・・・・)させたのである。しかも、マリッタを包み込む魔法光は目を凝らさないと見えない程に薄い。今の行動に、大して魔力を込めていなかったという事である。

 そんな事は余程の技量の差が無ければ出来ない筈で――――


「止めな。どうせ通じない」

「こ、このっ!」

 何度エルネスタが試しても、マリッタの髪の毛一本傷を負わせることは出来なかった。


「そろそろ面倒だし。いい加減にしてくれない?」

「減らず口をっ!」

 エルネスタは上から、横から、下から、と、毎回異なる箇所を狙うが、マリッタは立ち位置から全く動くことなく、エルネスタを退け続けた。

「お互いの為よ?」

「ふっ!」

 エルネスタは愚直なまでに同じ攻撃を繰り返した。だが結果は同じ。マリッタを移動させることすら叶わない。


 正直、エルネスタは信じられない思いで一杯だった。

 マリッタの実力は知っていた(・・・・・・)が、今だここまでの差があるとは思っていなかったのだ。

 エルネスタは研究科に所属しているものの、それは訓練の際に土埃が身体に付くのを嫌った結果であり、決して技術としての魔法行使が不得意という理由だからではない。

 寧ろそれでいて尚、エルネスタの魔法の実力は学校の中でも五指に入る。しかも、それは教師も含めて、である。

 この学校でまるで王女のように振舞っていられるのは、身分の高さだけではなく、その高い魔法の実力があっての事だった。


 しかし、そんなエルネスタを、

「無理よ。アンタのようなお嬢様じゃ」

 マリッタはまるで敵対するまでもない相手のように一蹴する。

 度重なる魔法の行使で、エルネスタは呼吸を乱し始めていた。

 一方、マリッタは呼吸を乱すどころか、呆れたような面倒そうな顔、つまりいつもの表情でエルネスタを見つめている。

 マリッタのやっていることの仕組みは、エルネスタにも分かっていた。


 『魔法』とは呼ばれていても、それは対価無しに発現できるものではない。魔力はもちろんの事、『触媒』が必要な事は周知の通りである。

 『魔法』とは触媒の――エルネスタの場合で言うと大気を操り、超常的な力を実現している。言い換えると、大気を操る為に魔力で事を成しているとも言える。

 それが無効化されるという事は、つまりマリッタはエルネスタの魔力で操られている筈の大気を強引に奪い、解放しているという事に他ならない。

 もちろん、誰に対しても行なえるというものではなく、マリッタの属性がエルネスタと同じ『ウェントゥス』という事が大きいのだろう。

 だが、それは何の慰めにもならない。

 同じ属性を操るメイジとして、これほど屈辱的なことは無かった。


 エルネスタは唐突に動きを止めた。

 ただ身体の動きとは反対に、魔法光は徐々に輝きを増していった。明るい内は左程目立たない魔法光だが、今のエルネスタからはハッキリと見てとれる。

 余程強い魔法を放とうとしている証拠であった。

「私は……あの頃とは……あの時(・・・・)とは違うっ!」


「それは……」

 マリッタの表情が驚きに変わる。

 今エルネスタが放とうとしている程の強い魔法では、今までのようにはいかない。本腰を入れて対応しなければマリッタとて危険だった。


 マリッタの身体をそれまでとは違う強い光が包み込もうとしたが――――直ぐにそれは収まった。

 顎先をエルネスタの背後に向かって振る。

「……残念だろうけど、人が来たよ」


 エルネスタの背後からは、数名ほどの生徒達がこちらに歩いて来ていた。

 まだ二人の様子には気付いていないようだが、時間の問題である。

「くっ!」

 エルネスタも生徒の声が聞えたのか、悔しそうに唇を咬んだ。


 エルネスタがこの学校の生徒の中で権力を持っているといっても、全生徒に慕われている訳ではない。内心自分を嫌っている生徒がいることは分かっていた。

 もし、今近づいてきているのがそんな生徒達だったら、この場を見られて事が良い方向に進むとは思わない。

「……ここまでのようですわね」

 エルネスタは脱力したように、肩の力を抜いた。

 緑色の光が静かに収まっていく。


 それを見届けたマリッタは、もう用件もないだろうとその場で踵を返した。

「マリッタさん!」

 それをエルネスタは慌てて呼び止める。

 しかし、それは何か話があってのことではなく、咄嗟の衝動でのことだった。

「あ? まだ何か用?」

 なので、改めて問われると何も返せず、自分自身に対しての戸惑いを隠しきれずにいた。

 エルネスタはただ少し俯く。

「そ…………いえ。何でもありませんわ」


 やがて、面を上げたエルネスタの表情には、既に狼狽の色は無かった。

 マリッタを一瞥すると、何も言わず中庭とは反対の方向に歩き去っていく。

「…………」

 残された形になったマリッタは、エルネスタの金髪が波打つ後姿を眺めていた。が、直ぐに視線を切ると、当初の通り中庭に向かう為その場を離れた。

 二人は互いに振り返ることなく、別々の方向に歩いていく。



「……………………」


 二人のやり取りの一部始終を、ジッと眺めていた人物が居た事に気付かないままに。

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