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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
93/121

88: 中庭

 

 人探しをしていたアーラ達は、その殆どが貴族の家の人間で構成されている教室を除き、あらかた巡り終えていた。

 残った教室については「医者の娘ってことは、恐らく貴族じゃないんじゃない?」というオレリアの推測の妥当性を認め、調査は一旦中断して一同は中庭で休息をとることにした。確かに貴族が医者という職業に就く、という話はあまり聞いたことがないからだ。

 アーラだけは少し無念そうにしていたが、反論はしなかった。

 既に一刻以上探し続けている。流石に疲れは感じていたのだろう。


 そうして、中庭に向かっていたその途中。

 一同の後方から「ごめんなさい」という声が上がった。

 皆が振り返ると、そこにはディアナがたおやかに立っていた。

「ごめんなさい。私は用事があるからここで抜けさせて頂くわ」

 ディアナはそう言いながら、申し訳無げに詫びる。


 それを受けたアーラは「気にしなくていい」と首を左右に振った。

「こちらこそ連れまわして済まなかった。用事があるのなら仕方ない。気にせずそちらに向かってくれ」

 アーラはここまで付き合ってくれた事への謝意を告げ、ディアナに向かって微笑みかけた。


 もう一度「ごめんなさい」と謝罪した後、ディアナはアーラの後ろでそっぽを向いていたマリッタの前に立った。

 マリッタは少し目を見開くようにして、近づいてきたディアナを見つめた。

 どこか怪訝そうなマリッタに対し、ディアナは穏やかな目で旧友を見据えている。

「貴女達はいつまでこっちに?」

「さぁ? それはアタシも知りたい」

 惚けたようなマリッタの返答に、アーラが言葉を添える。

「何か手掛かりを見つけるまでだ」

 それを聞いて、マリッタは小さく嘆息した。

「……って、ことだそうよ」

「なら、明日もこちらに?」

「そうかもね」

 ディアナは、そう、と小さく呟き、真剣な表情で俯く。


 何事かを考え込んだ後、ゆっくりと面を上げると、愛らしい笑顔を浮かべて言った。

「もしかしたら明日も会えるかもしれないけれど、一応言っておくわね」

 そう一呼吸置いて、

「マリッタ。会えて本当に嬉しかったわ」

 マリッタをジッと見つめ、しとやかな優しい声で微笑みかけた。


 旧友との最後、になるかもしれない言葉である。

 アーラ達は二人の邪魔をしないように、そっと傍に控えていた。

 ただ、当のマリッタは、

「……そう」

 と、小さく反応するだけだった。



 そうして、ディアナは再度謝辞を述べた後、廊下の先に消えていった。

 その背中を見送った後、オレリアが弁解するように告げる。

「あ、と。誤解しないでね。ディアナは私達と違って優秀だから、ほんとに今は色々と忙しくて……」

 アーラとしてはディアナに対しては感謝こそすれ、悪感情を抱くはずもなかった。

 気にしていない、とオレリアに伝える。


 ただ、その事とは別に、少し気になる事もあった。

 オレリアの教室の人間は皆落ちこぼれという話ではなかったのか、ということである。

 別に尋ねるようなことでもなく、巧い尋ね方も分からなかったのでアーラは口を噤んでいたが、表情に出ていたのだろう。

 オレリアは面白そうに笑い、アーラの疑問を正した。


「ディアナは今は違う教室なの。さっきは偶々私達の教室に来ていただけで、本当はこの学校でも優秀な生徒が集まる教室なのよ」

 アーラは、なるほど、と頷く。

「勤勉家で、すっごく出来るのに、ディアナと同じ教室にいる他の生徒達みたいに私らを馬鹿にしたりしないで、困った時にとかによく助けてくれるんだよ」

「ほう。それは立派だな」

 オレリアの惜しみない称賛を聞いて、アーラは感心しながらディアナが消えた廊下の先を眺めた。


 アーラの好意的な反応に、オレリアは嬉しそうに目を細める。

「うん。ディアナは凄くいい娘だよ」

「ああ。それにオレリアと違って、おしとやかで優しいしな」

 これまでずっと黙っていたベルナルドが、オレリアの言葉にしきりに同調した。

 ベルナルドとしてはオレリアを貶めるつもりで発した言葉ではなかったが、オレリアはそうとは受け取らなかったようだ。

「は?」

「あ、いや……」

 己の失言に気付いてベルナルドは脂汗を浮かべた。

 オレリアは視線で威嚇する。

 慌てて、ベルナルドは取り成しの言葉をかけようとした。

「も、もちろんオレリアにも良い所は――――」

「どこ?」

「そ、それは……」

 ベルナルドは必死になってオレリアの良い所を挙げようとしたが、緊張の為か、中々挙げることが出来なかった。

 沈黙は拙い、という事には本人も気付いていたのか、強引に搾り出したのが「よく食べるところ」であった。

 無論、オレリアの関心は引けなかった。


 オレリアの辛辣な口撃が始まった。

 最初こそ我慢していたベルナルドだが、やがて耐えられなくなり、言い返し――――

 それから、二人の間で激しい言葉の応酬が繰り広げられることになった。



 カリーヌは何とか二人を宥めようとした。

 だが、心優しい。言い換えれば気の弱い彼女だけでは、二人の喧嘩は収められなかった。

 そして、他の二人。

 マリッタは何か考え込んでおり、二人の騒々しい言い合いに気付いているのかも怪しい。

 アーラは二人の様子を興味深そうに眺めるだけで、カリーヌに加勢しようとはしなかった。

 自分と同じ年頃の男女の言い争う姿が、新鮮だったからである。


 というのも、まだ道理を知らない幼子の頃は別として、アーラはこれまで異性に本気で怒鳴られた経験などまるで無かった。

 僅かな例外を上げるとすれば、父親と、育ての親とも言える爺やだが――――

 その二人からの叱責は躾や教育の類であって、決して対等な立場でのやりとりではない。

 それ以外の、こと同世代の異性からとなると、皆無と言える。

 同性にしても同じである。同世代の人間に怒鳴られた経験など、アーラには殆ど(……)無かった。

 加えて、ヴェラやマリッタを始めとする身近な女性達が、周囲の男性に怒鳴られている姿を見た事もなかった。

 皆、一筋縄ではいかない女性達だからだろうか。

 その逆ならば何度も目撃しているし、アーラも数え切れないほど経験がある。

 周囲の男性達が気弱なのか、はたまた女性陣が強いのか。

 アーラは前者だと思っているが、男性陣の意見は全く反対なのに違いない。


(……いや。……そう言えば、一人居たな)

 アーラは貴族の身分を笠に着せ、横柄に振舞うことを何よりも嫌っている。少なくとも自分ではそう思っている。

 ただそれでも、自分が平民にどのように思われているかは理解していた。

 皆、まだ小娘と言えるアーラに対しても敬い、友好的に接してくれる。

 それは決してアーラからの見返りを求めて、というものではない事は感じている。

 望んだ身分ではないが、侯爵の娘という立場は変えられない。

 客観的に考えると、そんな自分が叱られるなんてことや、叱る異性の存在などは考えられなかった。


 アーラはつい数日前のことを思い出した。更にその前日の事も。

 別に声を荒げて怒鳴られた訳ではない。それをしたのは寧ろアーラの方だ。


 だが、真剣だった。

 真面目で、本気だった。

 初めての経験と言ってもいい。

 アーラは同世代の異性(グラストス)に、叱られたのだった。

  

 そういえば、とアーラは気付いた。

 その後ドタバタしていた為、グラストスとはフォレスタの森で口論して以来満足に会話していない事に。

 他の人間も居る場なら別だが、二人きりでとなると思い返してみても、そんな場面は思い浮かばなかった。

 ないしは、無意識的にそんな状況を避けていたのかもしれない。

 アーラはそんなことを、思い詰めた様子で考え込んだ。



 カリーヌはオレリア達の喧嘩を自分だけで収めるのは無理だと悟ったのか、助けを求めてジッと黙り込んでいたマリッタに視線を向けた。

 マリッタは廊下の窓辺に立ち、ぼう、と外を眺めている。

 そこには何の感情も浮かんでいない。ただ外を眺めているだけのように見える。

 口を開きかけたカリーヌだったが、マリッタが小さく溜息吐いたのを見ると、気遣わしげな眼差しを送るだけで何も言わなかった。


 なので結局。

 オレリアとベルナルドの口論は、ベルナルドがオレリアに心に傷を残されるほど完膚なきまでに言い負かされるまで続いたのだった。



***


 

 一同は中庭に移動した。

 中庭といっても、十字の形をしている校舎に”中央”の庭はない。

 方角的には北西。休憩場として、十字の校舎の角に設けられた空間のことを、生徒達は”中庭”と呼んでいるのだった。


 中庭の地面は芝生で覆われており、綺麗に整えられている。

 所々に数人掛けの座椅子も並べられていて、休息するにはもってこいの場所である。

 加えて、屋外というのが気に入らないのか、貴族の生徒で利用する者は殆どいなかった。

 なので平民の生徒達にとっては、真の意味で安らげる空間だった。


 アーラ達はその一角にある、二つの座椅子に腰掛けた。

 それぞれの椅子は向かい合うように設けられており、アーラとマリッタが一つの椅子に。他の三人がもう一つの椅子へ、という組み合わせに自然と決まった。

 ようやく腰を落ち着けられた為か、全員どことなくホッとしている。


 少し休息した後、何か晴れ晴れとした風なアーラが唐突に話題を振った。

「マリッタは、ここではどんな感じだったのだ?」


 アーラはオレリア達に尋ねていたが、自分の話題を出されて黙っていられなかったのだろう。

 マリッタは露骨に嫌そうな顔をした。

「……お嬢さん。息抜きに、そんな話は止めて下さい。聞いてもつまらないですよ」

「そんな事はないぞ。私は大いに興味がある」

 アーラはそう言って胸を張った。

 琴線を刺激される話題だったのか、オレリアが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「アーラはマリッタがここに居た時の話は、マリッタから聞いたことがないんだっけ?」

「ああ、全くな。尋ねても、ちっとも教えてくれんのだ」

 オレリアの問いに、アーラは頷きながら答えた。

 マリッタは面倒そうに、そっぽを向く。


「話しても、面白くないからですよ」

「それは聞いてみて、私が判断する」

「…………」

 マリッタは何か言いたげだったが、何を言ってもアーラには通じないと考えたのだろう。

 はぁ、深い溜息を吐くと、黒髪を雑に掻いた。


 そんなマリッタを、オレリアはニマニマと含み笑いをしながら見つめ、アーラの最初の問いに答えた。

「そうだねぇ……見た感じは、今と同じだったよ」


 流れるような綺麗で長い黒髪。

 気の強さが一目で分かる、少しつり上がり気味の目。

 長身で、服の上からでも分かる均整の取れた身体。

 そして、何より。

 何に対しても面倒そうな態度。


 改めて思い返してみても、オレリアの記憶の中のマリッタと、今目の前にいるマリッタ。

 成長による多少の違いはあれど、違和感は殆どなかった。

 思わずオレリアの口から言葉が漏れる。

「マリッタはホンと変わらないね……」

「……うるさい」

 ちなみに、オレリアの背後では、カリーヌがしきりに頷いていた。


 そして、オレリアは何げなく言葉を続ける。

「あと、マリッタは研究科だったんだ」

「研究科? 何だそれは?」

 聞き慣れない単語に、アーラが反応する。

「オレリアっ!」

 だんまりを決め込もうとしていたマリッタだったが、聞き流せない内容だったのか、強い口調でオレリアを怒鳴った。

「そんなに怒らないでもいいじゃん。アーラも聞きたがってるんだし」

「そうだぞマリッタ。何も悪い事をしていたわけでもあるまい。私が聞いてもマリッタに損はなかろう」

「恥ずかしいんですよっ!」

「まぁまぁ。落ち着きなって」

「うむ」


 完全に開き直って面白がっているオレリアに、何も知らないアーラ。

 これ以上何を言っても、更に傷口を広げるだけだと悟ったのか。

「……ちっ」

 マリッタは小さく舌打ちすると、足を組んで深くもたれ掛っていた椅子から、勢い良く立ち上がった。

 そのままその場を離れていく。

「どこに行くんだ?」

 背中に掛けられたアーラの言葉に、マリッタは振り返ることなく面倒そうに返答する。

「話が終わるまで散歩してます」

 そう言うなり、マリッタはスタスタと歩き去ってしまった。


 アーラはマリッタの行動を制することはなく、さして気にもしなかったようだ。

 再び身を乗りだし、話題を戻す。

「で、研究科とは何なのだ?」

「うーーんと、アーラがどこまで知ってるか分からないから、最初から説明するね」

 オレリアはそう言うと、魔法学校の事をアーラに説明し始めた。


 この学校には、大きく分けて研究科・実技科という二つの科がある。

 研究科は、主に魔法理論や新たな魔法の構想、などを研究する科である。

 更に、(イグニス)学科、(アクア)学科など、属性毎にも分かれ、触媒について研究する触媒科や、魔法の実益化を構想する科など、多くの学科に細分化されていく。

 

 実技科は、その名の通り自身が魔法の習得に努める学科である。

 実戦に耐えうる人材を育てることを目標としており、実際にこの学科の卒業生は王都の魔法師団に重用される事が多い。

 実技科は属性の数である四学科に分類されるだけで、他に学科はない。

 その分、一科における構成人数は研究科と比べると多く、学校としても比重を置いている。

 そして、研究科と違い学んだ事を直接的に実用に繋げる事が出来るため、例え王都の魔法師団に重用が漏れたとしても、他に幾らでも採用の先はある。

 そういうこともあいまって、毎年学生人気は実技課の方が高かった。


 そうした説明を終えて、オレリアは更に続ける。

「で、研究科の生徒は毎年何かを研究しないといけなくてね。その研究の成果を発表する機会が、毎年一回あるんだけど」

 オレリアは一旦区切り、

「その発表次第では、”卒業”する前に、王都の研究者達の一員に誘われることもあるの」

 含みを持たせるような低い声で、そう結んだ。


 アーラは、そうなのか、と頷く。

 ただ、オレリアとしてはアーラがもっと驚いてくれると思っていたのか、肩透かしを食らったような顔をしている。

 仕方ない話でもある。

 研究科の生徒にとって、”王都に誘われる”というのがどれ程名誉なことなのか、アーラは知らなかった。


「まぁ、それは噂だけどね」

「噂?」

 アーラの疑問に、ようやく心を持ち直したらしいベルナルドが答える。

「ここ数年は、そんな優秀な生徒は出ていないんだよ。研究ってのは、一年そこらでどうかなるものじゃないし、もっと長い期間をかけるものだから」

 ベルナルドは更に続ける。

「まぁ、いくら魔法学校の生徒になったといっても、研究者としては素人だしね。ここで一から研究を始めて、王都の研究者達を唸らせるような研究なんて、そうそう出来るものじゃないんだよ」

 自分達には絶対無理だと言うような説明に、多少釈然とした思いを抱かない訳ではなかったが、アーラは相槌する。

「なるほどな」


「まぁ、王都へのお誘いはともかくとして、研究科の生徒は毎年の研究発表の内容で成績が決まるんだよ」

 どこか疲れたように肩を落としたオレリアが補足する。

 それがまるで我が事のような反応であることに気付いたアーラは、三人に質問した。

「ところで、皆はどちらに属しているのだ?」

 アーラはグルリと視線を巡らせ、椅子の端に座っていたカリーヌの所で止まる。


 突然注視され、カリーヌは慌てながら答えた。

「わ、私達は全員研究科です」

「お世辞にも、王都に誘われる程の研究者じゃないんだけど」

「まぁ、気楽にやってるよ」

 オレリアとベルナルドは苦笑しながら話す。

 アーラは何かを研究するなど、自分にはとても無理なので、純粋に尊敬の念を抱いた。

 そうすると更に興味が湧いたのか、アーラは再び質問する。

「それぞれ何を研究しているのか、訊いてもいいか?」


 アーラの質問に、三人は一度顔を見合わせた。

 小さく頷き合うと、代表してどこか恥ずかしそうな表情のオレリアが答える。

「それぞれっていうか、私達三人は一緒に研究してるんだよ」

「ほぅ、複数で組んでも良いのか」

 アーラは目を見張る。

「は、はい。五人までなら認められているんです」

「私達みたいのが一人でやるより、皆でやった方が研究自体も深いものになるしね。殆どの研究科の生徒は複数人でやってるよ」

「俺達も同じ考えでやってるんだ。まあ、ディアナに、分からない所を時々手伝って貰ったりしてるけどね」

 確かにものを考えるにしても、自分だけでは気付けないことにも他の人の目があれば気付ける、という事はあるだろう。

 昔ヴェラに教わった東方の諺に、そんな内容のものがあったとアーラは思い出していた。


「私達の研究内容は……あ、アーラ達には教えてもいいよね?」

 オレリアが話を途中で止めて、二人に確認を取る。

 ベルナルドは全く問題ない、というように両手を広げた。

「構わないぞ。ここの生徒じゃないからな」

 カリーヌも小さく頷き返した。

「はい。私も気にしません」


 了解、と微笑むと、オレリアはアーラを見つめ直した。

「じゃ、二人の了解も得たんで教えるけど……」

 オレリアは一呼吸置いて、人差し指をピッと立てると、一息に説明した。


「私達は、”魔法が植物に与える影響”について研究してるの!」


 告げられた内容を脳内で反芻してみて――アーラは困惑した顔で左右に首を振った。

「植物への? どんなものなのか、私には見当もつかないが……」

正直なアーラの感想に、オレリアが苦々しく笑う。

「ははっ。そうだよね……」

「具体的には、どんな内容なのだ?」

 アーラの疑問にオレリアは答えようとしたが、何と説明すればいいのかが分からなかったのか、頬を掻きながらベルナルドに視線を向けた。

 水を向けられたベルナルドも「えーーと……」と、言い淀む。

 困り果てた顔でカリーヌを見つめた。

 カリーヌはあたふたしながらも、細々と答える。

 

「た、例えば、魔法で練成した水と、普通の水で植物を育てた場合、成長した後違いが生まれるのか、というような内容を研究しています……」

 その説明は、厳密に言えば正しいとは言えなかったが、大まかな内容を伝える分には適切だった。

 オレリアとベルナルドも特に訂正はしなかった。


 そんな詳細までは知りようもないアーラは、今の説明を自分なりに解釈したようだ。

 感心したように目を見開く。

「ほぅ。それは細かい……時間の掛かる話だな」

 そして、当然の帰結としての疑問を呈した。

「で、それが分かったらどうなるんだ?」


 研究者であるなら、その研究の結果は予想して然るべきである。

 寧ろ、その為の研究だろう。

 だが、オレリアとベルナルドは乾いた笑みを浮かべた。

「あちゃちゃ、痛いところを……」

「ははは……」

 同じく自分の研究の事も満足に答えられない情けなさからか、表情を曇らせたカリーヌがか細く呟いた。

「……その、正直、私達にも分からないんです」


「なんと。どうなるかという想定もなく研究しているのか?」

 アーラは困惑した表情で三人を見回す。

 向けられた視線を恥ずかしそうに受け止めたオレリアは、努めて明るく返答する。

「まぁ、研究を続けていったら何か生まれるかなっと……」

「実は、なるべく他の生徒達と同じ題材にならないように、突き詰めていった結果なんだよな」

「こらベルっ! それは内緒にしてようって……」


 顔を赤らめてベルナルドを咎めるオレリアの顔を見ながら、なんとなくアーラは理解した。

 どうやら三人の研究は、行き当たりばったりの側面が強いようだ。

 アーラが自分達の現状を把握したのが伝わったのか、カリーヌが一層身を縮こめる。

「……お恥ずかしいです」


 決まりが悪そうな三人を見て、アーラは少し話題を変えることにした。

「ならば、マリッタはここで何を研究していたのだ? 皆と同じ研究か?」

「違うよ。マリッタは、ずっと一人で研究してたよ」

「マリッタらしいな。で、その内容は?」

「それは……」

 オレリアは言い淀む。

 その後をベルナルドが引き継いだ。

「俺達もずっと知りたかったことなんだけど、誰も知らないんだよ。マリッタが何の研究をしていたか、ってことは」

「……マリッタは秘密主義だから」

 ベルナルドとオレリアは、どこかもの寂しそうな笑顔を浮かべる。


「この学校は入学一年目は基礎行程の勉強をして、実際に研究科と実技科に別れるのは二年目以降からなんだ。で、マリッタは二年目の終わりにここを出て行って……」

 オレリアは当時を回想するように目を瞑る。

「研究発表もまだだったから、遂にその内容を知る機会がなかったんだ」

 三人の顔が少し寂しげに曇る。

 しかし、それを吹っ切るように、オレリアが明るい声を上げた。


「それじゃあ、今度はこっちから質問。マリッタは今何をしてるの? 確か、ビリザド出身だったよね?」

「うむ」

 と、アーラは頷いた後、

「そうだな……。マリッタは私の師をしている」

 胸を張りながら説明した。


 三人は驚きで目を丸くする。

「ええ!? マリッタがぁ?」

「ああ、中々に教え上手だぞ」

 アーラは我が事のように誇らしげにする。

 カリーヌとベルナルドは、そんなアーラを物欲しげに見つめた。

「う、羨ましいです」

「ああ……」


 一方、オレリアはまだ驚きが収まらないようだ。

「へぇ~~意外。マリッタが誰かに何かを教えるなんて、ここに居た時じゃ考えられないよ」

「後は、ギルドの受付嬢などもしているな」

 マリッタはこちらの方が本職と主張するに違いないが、アーラの認識としては逆だった。

 ともかく、その事実は先程のことよりも余程三人の心を揺さぶった。


「うええっ!? マリッタが受付嬢!?」

 オレリアは信じられないという風に、両手で頭を抱えている。

 ベルナルドも愕然とした顔で口を大きく開けており、カリーヌも口を両手で覆うようにして声も出ない様子である。

 あっ、と思い出したようにオレリアが声を出す。

「そ、そういえば。マリッタとギルド職員が脳内で一致しなかったから気付かなかったけど、確かにギルドの人が着てる服だったね」

 ベルナルドとカリーヌは、先程のマリッタの姿を思い出しているように瞳を閉じる。 

 再び見開いた時、口々に上がるのは称賛だけだった。

「……に、似合ってた」

「す、素敵でした!」


「私は詳しくは知らないが、中々に人気があるようだぞ」

 アーラはマリッタの受付や、調査員としての評判を言っていたが、オレリアはそれを異性からの人気だと誤認したようだ。

「まあ、マリッタは美人だからね」

 オレリアはさもありなん、と頷いている。


 が、それでは済まされない人間が居た。

 ベルナルドが多分に焦りを滲ませながら叫ぶ。

「ま、まさか、こ、交際している男とかは!?」

「うはっ、必死」

 ベルナルドの慌て様を見たオレリアは、すぐさま指を差して大笑いする。

「う、うるさいオレリアっ!」

 恥ずかしさで顔を真っ赤に染めたベルナルドだったが、思いもよらない所から援護の声があかる。

「そうですっ! 大事な事ですっ!」

 カリーヌが両手を力いっぱい握り締めながら、ずずい、とオレリアに迫る。

「カ、カリーヌ、ちょっと怖い……」

「で、ど、どうなんです!?」

 引き気味なオレリアを尻目に、カリーヌはアーラを凝視する。


「すまない。それは私もよく知らない。……ふむ。正直考えた事はなかったが……確かにマリッタならばそういう人物が居てもおかしくはないな」

 アーラは腕を組んで考え込む。

 アーラには男女の機微などは分からない。

 が、マリッタが美人であることは確信を持っている。

 そして、美人が嫌いな男など居ないだろうとも思っていた。

 総合して、マリッタに言い寄る男が居ても何ら不思議ではない。

 アーラは納得したように数度頷いた。


「男の一人や二人は居るんじゃない?」

 オレリアが茶化すように軽く口を挟むが、

「マリッタさんはそんな人じゃありませんっ!」

「オレリアっ! ふざけるのも大概にしろ!」

 カリーヌとベルナルドは憤然として、顔をオレリアの目と鼻の先まで近づける。

 その鋭い四つの眼光で睨まれれば、オレリアには震えながら「ごめんなさい」と謝罪する以外できなかった。

 そんな三人の様子を何となく観察していたアーラが、ふと話を振る。


「本当のところは、どうなのだマリッタ?」

「は?」

 アーラの視線の先には、ようやく散歩から戻ってきていたマリッタの姿があった。

 いきなり問いかけられたマリッタは、意味が分からず首を捻る。

 アーラがもう一度尋ねようと口を開いた時。



「はぁ、はぁ、はぁ……アーラさまぁ、やっと見つけましたよぉ……」



 どこかに行っていたリシャールが、中庭になだれ込んで来た。

 アーラの傍まで来るなり、荒い呼吸を繰り返しながらへたり込む。

 リシャールが全員の視線を集める中、アーラは不愉快そうに眉を曲げた。

「何だリシャール。急に現れたかと思ったら、これからという所で邪魔をするな」

「そんなぁ……僕は必死で――」

 リシャールは泣きそうな声で、自分がどんなに苦労したのかを訴えようとする。


 だが、アーラはその機先を制し、ポンと手を打った。

「ふむ。そうだ。お前なら何か知ってるかもしれん」

「何がです?」

 ほえ? とリシャールは首を傾げる。

 アーラは真面目くさった顔で、先程の疑問を投げかける。

「いやな。マリッタに交際している男性がいるかどうかを、だ」


「はぁっ!? お嬢さん何を……っ!?」

 突然の話題に慌てたのはマリッタである。

 アーラに詰め寄ろうとして、思わずつんのめっていた。


 リシャールは地面に座り込んだまま、珍しくも動揺で顔を赤くしているマリッタを見上げた。

「マリッタさんに?」

 再びリシャールはアーラを見つめる。

「恋人が?」

 マリッタ以外の興味深げな視線がリシャールに突き刺さる。

 当の話題の本人は、余計なことを言うな、とでも言うような物凄い形相でリシャールを睨んでいる。

 一身に注目を浴びた格好になったリシャールは、始めはキョトンとしていた。

 だが、徐々に内容が噛み砕けたのか、心の内の変化が表情に現れていく。

 それは次第に大きくなり、遂に堪えきれずに溢れ出した。


 笑い声となって。


「あっははははははははははっ」 

 リシャールは呆然とした一同を置き去りにして、一人地面を笑い転げる。

 ひとしきり笑い切ると、笑い疲れた様子でむっくりと起き上がった。

「あはははっ。ま、まっさかぁ。ア、アーラ様も冗談なんて言うんですねぇ。マリッタさんにそんな人居るわけないじゃないですかぁ。もしそんな人が居たら、きっとその人は聖人の生まれ変わりか何かですよっ! あっはっは」

 リシャールは笑いが、ぶり返してきたのか、再び爆笑し始めた。

「ぼ、僕、こんなに笑わされたのは久しぶりですよ。流石アーラ様です」

 先程までの情けない顔はどこへやら、リシャールは心底明るい笑顔を浮かべてアーラを称賛する。


 そして、更に笑い続けようとしたリシャールの頭を、何者かが後ろからガシッと掴んだ。

「…………言い残すことは……それだけか?」


 どこまでも低く、どこまでも昏く。マリッタが静かに呟く。

 声こそ荒げていないが、その怒りは誰の目にも明らかだった。

 具体的には、リシャールの頭部は潰されそうなほど締め付けられていた。

「あ、あは、は…………」

 リシャールは、引き攣った笑顔のままで固まった。

 このままでは拙い。著しく拙い、という事は理解しているのか、リシャールは震える勇気を振り絞ったようだ。

 ギチギチと首を後ろに廻す。

「と、と、言うのはもちろん冗談で! マ、マリッタさんに恋焦がれている男性は、き、きっと十万人くらいは――――」

 リシャールの稚拙な言い訳が最後まで語られる前に、刑は執行された。



 悪鬼と化したマリッタに蹴りたぐられるリシャールを見て、旧友達は恐怖に震えていた。

 マリッタの意外な現状を聞いたばかりだったが、ここまで感情を露にした恐ろしい様子もまた見たことないマリッタだった。


 そんな中、ただ一人アーラだけは暢気そうに眺めている。

「ふむ……リシャールよ。今のはお前が悪いぞ」

 などと言いながら、マリッタを止めようとはしない。


「ぐぎゃあああああああああっ!!」

 なので、それから暫くの間、リシャールの怪鳥のような悲鳴が校舎に木霊し続けたのだった。

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