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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【1章 辺境の自由騎士】
9/121

6: 初夜

 

 出発は明日の早朝ということになった。

 目的地の森はこの街から、一刻程度南に歩いた場所から広がっている。

 依頼が容易い事もあって、日帰りで十分帰ってこられるという事だった。

 グラストスは数日かけて向かうのだとばかり思っていた為、若干拍子抜けしていた。


 明日の動きをマリッタ主導で話し合い、一同が解散して酒場を出た頃には、既に夕日が街を染め上げていた。

 隣を歩くアーラは、先程からずっと満面の笑みを浮かべている。

 聞く所によると、アーラは依頼を手伝うのは初めてのことらしい。

 本人は以前から行いたいと思っていたのだが周囲に……と言うより、今は家を空けている父親付きの執事である爺やと、世話役のヴェラに頑として認めてもらえず、受ける事はおろか手伝う事すら出来なかったそうだ。


 侯爵家の娘として、それは当然の事だ。

 実感としての記憶に乏しいグラストスですらそう思った。

 ただ何度翻意を促しても……全く聞き入れようとしない。

 色々理由を付けているが、単に煩い執事が居ない今が絶好の機会だと思っているだろう。

 ともあれ、明日の依頼は簡単なものだそうだから、彼女を護る事を一番に考えて立ち回れば、傷つけることなく終われる筈だ、ともグラストスは考えていた。

 

 夕焼けに染まった街を抜けて、屋敷の前庭に辿りつく。

 グラストスがそのまま屋敷の中に入ろうとすると、背後から静止の声がかかった。

 何事かと振り返ると、アーラが一転して真剣の面持ちで立っていた。

「……どうした?」

「先に言っておく事がある」

 緊張を(にじ)ませたまま、アーラが意味ありげに口を開く。

 何事だろう? と、思わずグラストスは身構えた。


「明日の事…………私が同行する事は、屋敷の中では決して口にしないように頼む」

 まるで、他言した場合は命の保障はできない、とでも言うような目でアーラはそう告げた。

 その身から放出される異様な迫力が、グラストスを包み込む。

 よくは分からなかったが、アーラの迫力に飲まれたグラストスは逆らわない方が良いと判断し、コクコクと頷いた。 

 その様子をアーラはジッと見定めるように眺める。


 やがて、表情を崩すとニコリ笑った。

「うむ。安心した。では中に入ろう。もう夕食の時間だ」

 そう告げると、屋敷の中に入っていった。

「……何なんだ、一体」

 意味は分からなかったが、張り詰めた緊張から解き放たれたことに安堵すると、僅かに遅れてグラストスも後に続いたのだった。



***


 

 夕食は、侯爵家というからにはさぞかし豪勢なものなのだろう、と思っていたグラストスの考えを吹き飛ばす程、慎ましやかな食事だった。

 話を聞く限りいつもこのような感じらしい。

 領地を持つ侯爵家が、貧しく金策に苦しんでいる…………とは思えない。

 ということは、ここの侯爵様は、よほど倹約を善とする性質なのだろうか?


 そんな事をグラストスは考えていた。

 ただ、まさか尋ねるわけにもいかない。

 それに質素なりに、十分グラストスの舌鼓を打つ程の美味だった。


 料理をしたのはヴェラらしい。

 記憶を無くしているので断言は出来ない。

 だが、これ以上の味を求めるのであれば、王都等の多くの人が集まる大都市の、一流食堂にでも行かなければ味わえないのではないだろうか?

 この味が、記憶をなくした自分の基準になってしまう可能性を恐れながらも、綺麗に平らげたグラストスなのであった。



 そうして、夕食を終えヴェラに料理のお礼を言ってから、割り当てられた自室に辞去すると、早速寝台の上に寝転がった。

 天井をぼんやりと眺めながら、グラストスは今日の事を考えた。


 目覚めたら全ての記憶を失っていた事は、実はもうそれほど気にしてはいなかった。

 記憶がないと言うことは、自分に纏わるしがらみや、あらゆる懸念事から解放されたとも言えるからだ。

 もちろん記憶を取り戻した時には、そういった事柄が自分を苛めることになるのかもしれないが、それはその時に悩めばよい事だ。

 このまま記憶が戻らないという可能性もあるのだ。

 というより、その方が可能性としては高い。

 何しろ、以前の自分を知る人間が周囲に一人も居ないのだ。記憶を刺激されようがない。


 正直、寧ろこのままで良い、とグラストスは思っていた。

 そう思えるのは、今日出会った人達の恩恵が大きいからに違いない。

 恐らく自分は幸運なのだろうと、グラストスは思った。

 記憶を失い、目覚めたその日に五人も知り合いが出来た。


 侯爵家の娘なのにも関わらず剣の鍛錬を行っており、貴族なのに親しみを感じさせるアーラ。

 そのアーラに付き従う、無口な世話役のヴェラ。

 どこか大雑把な部分を感じさせるが優秀な魔法の使い手だという、ギルド支部長の娘のマリッタ。

 命の恩人でもある、酒好きの自由騎士ドレイク。

 臆病で頼りなさそうだが、どこか捨て置けない印象を抱かせる、少年自由騎士リシャール。


 流石に一日では互いに心許せる程親しくなれた訳ではないが、記憶の無い自分にここまで親切にしてくれた彼らを、悪く思える筈も無い。

 彼らがこれからの自分にどれ程関わっていくことになるのかは、まだ予測もつかない。

 ただ出来るなら、このまま友好的な関係を続けていきたいと、グラストスは思っていた。


 それから、今後の事に思いを馳せる。

 記憶が無いとは言え、いつまでもアーラの好意に甘えている訳にもいけない。

 傷が治り次第、ここを出て行く必要がある。

 ただ、生憎先立つものを何も持っていないのが悩みの種だったのだが、どうやらこの街のギルドはかなり盛んなようだ。

 ギルドで依頼をこなしていけば、屋敷を出るだけの資金が手に入るだろう。

 問題は依頼の難易度が、どの程度のものかが分からないことだった。

 ただ、運良くそれを知る機会を得た。


 寝台脇に立て掛けられた長剣を手に取る。

 鞘から抜こうとしたが、グラストスは左手が使えない事を思い出し、諦めて鞘に入ったままのそれを眺めた。

 話に聞くと、これが自分が握りしめていた剣らしい。何の変哲もないありふれた鉄剣である。

 この剣が元々愛用していた剣なのかは分からないが、そうだとすると、やはり元は平民の出だったようだ。

 ただ剣を持っていたということは、農民や商人ではなかった可能性が高い。

 剣を日常的に扱う生業をしていたといすると、自由騎士か、それとも騎士団に所属していたのか…………。

 もしそうであれ、記憶をなくした自分がどれほど剣が使えるのか、グラストスは正直分からない。

 体が覚えていてくれる事を願うが――――


 そんな事をグラストスが考えていると、不意に眠気が襲ってくる。

 眠るには、まだ少し早い時間帯である。

 食事で腹が満たされただからだろうか。まだ体が本調子でないからかもしれない。

 グラストスは剣を寝台脇に立て掛けると、その睡魔に抵抗することなく、そのまま深い眠りにつくことにした。



***



 翌日、待ち合わせの場所の街門前にグラストスが向かうと、そこには既に二人の姿があった。

 所在無げに立っていた二人に、グラストスは近づく。

「あ、グラストスさん。おはようございます。今日はよろしくお願いします!」

 グラストスに気付いて、まるで子犬がじゃれ付くように話しかけて来たのは、少年自由騎士リシャールだった。

 昨日はあれほど情けない様子を見せていた少年だったが、今はまるでそんな気配はなかった。

 独りでない事がよほど安心と活力を与えているのだろう。


「……やっと来たわね」

 リシャールとはうって変わって無愛想なマリッタが、きつい目でグラストスを見る。

 待ち合わせの時間に遅れてはいないので、非は無い筈だ。

 ただ一応、「すまない」とグラストスは謝っておいた。


 しかし、マリッタは自分より後にグラストスが現れた事で、自分が時間をきちんと守るような真面目な人間に思えてしまった事が、癪に障っていただけだった。

 謝罪する必要など全く無いが、そんな内心の機微をグラストスが知る由も無い。

 

「あれ? アーラ様はどうしたんです?」

 リシャールがキョロキョロと周りを見回しながら、グラストスに尋ねる。


 そう、グラストスは一人でこの場に合流しており、アーラの姿はどこにもなかった。

 マリッタも同様の表情でグラストスを見つめている。

 その目が「お嬢さんは?」と問うていた。

「いや……俺もよく分からんのだが……」

 グラストスも戸惑いながら答える。

 あのお嬢様が何を考えているのか、グラストスもよく分かっていないのだ。


 と言うのも、今朝グラストスは準備を整え、後は出発するだけという状態で、一向に現れないアーラを屋敷の前で待っていた。

 ようやく、ヴェラを付き従えて現れたかと思えば、まるで自分は行かないという風に「念の為に持っておけ」と、グラストスに干し肉を持たせてきた。

 そして、訳も分からないグラストスは何も説明されることなく、アーラに見送られたのだった。

 昨日あんなにも楽しみにしていたのは、何だったのだろうか?


 その事を、リシャールとマリッタに話す。

 リシャールは首を傾げていたが、マリッタは何か合点がいったという表情を浮かべ、

「じゃあ、そろそろ行くわよ」

 と、街門に向かって歩いていき、門衛に挨拶するとそのまま街の外に出て行った。

 思わず顔を見合わせるグラストスとリシャール。

 だが、そうしていても仕方ない。二人はマリッタの後を追った。


+++


 街の外に出ると、街道の脇から南の森にのびる間道に入り、道なりに歩いていく。

 リシャールは最初こそ戸惑っていた様子を見せていたのだが、直ぐにいつもの事だと思い直し、グラストスにあれやこれや話しかけ始めた。

 この少年は、元来人懐っこい性格らしい。

 昨日会ったばかりのグラストスに物怖じせずに、話しかけてくる。


 グラストスはそんな少年に適当に相槌を打ちながら歩いていると、何か声が聞こえてきた気がした。

 その声は次第に大きくなる。こちらに近づいてきているようだ。

 何事かと声のする方向に向き直ると、遠目にも分かる鮮やかな金髪が、物凄い勢いでこちらに向かって走ってきていた。


「アーラ嬢?」

「アーラ様だ!」

 グラストスとリシャールの声が同時にあがる。

「やっぱり来たか……」

 どこか残念な様子で、マリッタが呟く。

 マリッタだけはアーラが追ってくる事を分かっていた様だった。


 アーラはそのまま、三人の傍まで駆け寄ってくるなり、

「私を忘れるな!!」

 と、怒声を上げた。

 屋敷からずっと走ってきたのか、かなり息が乱れている。

「いや……てっきり来ないのかと」

 グラストスが困惑しながら、アーラに言葉を返す。

 リシャールとマリッタは、アーラの相手はグラストスに任せたとばかりに、一歩後ろに下がっていた。

「馬鹿者! あれはヴェラに対する偽装にすぎん!」


 アーラは今日の事を明かすことで、ヴェラに屋敷内に監禁されることを恐れていた。

 馬鹿正直に今日の事を告げた場合、まず間違いなくそうなっていただろう。

 だからヴェラの目を誤魔化す必要があったのだと、アーラは熱弁する。


 それなら先にそれを言っておいてくれ、とグラストスは思った。

 ただ、これ以上興奮させても仕方がないので、「すまなかった」と低姿勢でアーラを宥め続けた。


 アーラはそれから、それでも警戒を緩めず、いつも以上にアーラの傍を離れようとしなかったヴェラから、如何にして抜け出してきたのかを熱く語り続けた。

 そうして、ひとしきり語ったら満足したのだろう。

 アーラも先程のまでの怒りをケロリと忘れたように、機嫌良さげに森への道を進んでいった。

 その後を、慌ててマリッタとリシャールが追う。

 グラストスは早くも疲れた顔でため息を一つ吐くと、皆の後に続いた。


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