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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【間章1】
80/121

間話: 捜査

 

「そう言えば聞いたぞ。お前の嫁さん、子供を授かったんだって?」

 尋ねたのは、革製の軽鎧を身に着けた三十代ごろの男だった。

 日頃はいつも鷹揚に構え仲間に慕われる男だが、今はどこか不満そうな表情で覆われている。

「えっ? 何でそれを!?」

 答えた男は尋ねた男よりは多少若く、同じく革の鎧を身に着けている。

 よほど予想外の事だったのか、驚きを顔に貼り付けて目を大きく見開いていた。


 まだ昼前で人通りは少ない為、対して忙しくはないのだろう。街の中央にある屯所の前に、彼らは二人並んで立っていた。

 巡回までの暇な時間にこうして雑談するのは、彼らの日課のようなものだった。

 人が多く、自然と犯罪発生率も高い都会とは違い、辺境の領地ではこうした光景は至って普通である。なんてことはない。ありふれた自警団員の日常だった。


「ウチのかみさんから聞いたんだよ。おい、何で黙ってたんだ!?」

「いや~~~~折角内緒にしてたのになぁ。生まれるまで黙ってて驚かせてやろうと思ってたんですけど……」

「ニヤけた面して何馬鹿なことを言ってんだ。聞くところによると、知らなかったのは俺だけだったみたいじゃねえか。お陰でかみさんに『後輩の祝い事も知らないなんて!』って、怒鳴られちまったぞ!」

 その時の事を思い出しているのか、男は苦々しい顔で不満を吐く。


 一方、後輩の男はそんな不満もどこ吹く風、

「ええ~~~もうそんな噂になってるんですかぁ? いや~~参ったなぁ」

 ちっとも困っている様子はなく、デレデレと相好を崩しているだけだった。

「ったく、嬉しそうにしやがって…………ただ、まぁ」

 そんな後輩を困った顔で見ていた男だったが、ふと穏やかな笑みを浮かべながら後輩の肩をポンと叩いて言った。


「オメデトさん! 遂にお前さんも父親か」

 可愛がっていた後輩の祝い事である。それは彼にとっても、喜ばしいことだった。

 後輩も男の気持ちが伝わったのか、満面の笑顔で礼を返した。

 ただ、その後で困惑した表情で付け加えた。


「……でも、それはまだ気が早いですよ。まだ奥さんの腹もそんなに大きくなってないですし」

「いやいや。俺の経験で言わせて貰えば、あっという間だぞ? だから、お前も父親としての心構えをだな…………」

「だから、気が早いですって。まだ授かったばかりなんですから」

 最近歳の所為か、多くなってきた男の小言を聞いて、後輩の男は苦笑しながら答えた。

 その後で、ふと重大な事を思い出したような真面目な顔になる。

「…………ただ、生まれてきた子供に、俺のこと何て呼ばせるようにすればいいですかねぇ?」

「どっちが気が早いんだ。別にそんなもん『父ちゃん』でいいだろ?」

「それは、ちょっと野暮ったくないですか?」


 三十代と二十代の感覚の違いなのかもしれない。

 世代の差を感じた際の決め台詞。"これだから最近の若い奴は"を呟くと、男は断言する。

「何がだ! 別にいいじゃねえか。こんなもんは、親しみやすいのがいいんだ」

「ええ~~そうかなぁ。ここは、もっと上品にですね……」

「上品って柄か、お前が」

 半笑いする男に、後輩は憤慨する。

「あっ、ひどいな。俺だって、それなりに勉強してるんですよ?」

「勉強? 何をどうやって勉強するってんだ?」

「それは……他の人の振る舞いを見たりしてですよ」

「お前の周りの人間は、皆下品な野郎ばっかりじゃねえか」

「まぁ……確かにそうですけど。……じゃなくて、俺じゃなくて彼女の交友関係づてですよ」

 

 男は面識もある、後輩の妻の女性を思い浮かべた。

 確かに、こんな後輩には勿体無いくらい繊細で美人の女性だった。

「いくら奥さんの集まりたって、ビリザドの田舎じゃあ、そんな品のある人間なんていねえだろ。ウチのかみさんなんて、ひでえもんだぞ? 今じゃあ、人前でも平気で屁をこきやがる」

「先輩の奥さんと一緒にしないで下さいよ!」

「何だと!?」

 自分で馬鹿にしておきながらいざ妻を否定されると憤慨するのは、言葉の裏にも深い愛情があるからなのか。

 そんな事を一瞬思った後輩は、慌てて誤魔化す。

「あ、いや……。っと、そ、それより、忘れちゃいませんか? こんな田舎にも、都会のご婦人方に決して劣らない、一輪の雅な華が咲いている事を」

「ああ~~~? 何を似あわねえ事言ってやがんだ。こんな田舎にそんな人間が…………」

 男は考え込もうとして、直ぐに答えに辿り着いた。呟きが口をついて出る。

「……居たな」


 男達の脳裏には、ある一人の女性の姿が浮かんでいた。

 この辺境で最も美しいと、誰もが認めている女性を。

「俺の奥さんは恐れ多くも、『あの方』と親しくお付き合いさせて頂いてるんですよ。その席に同席させて貰ってりゃあ、自然と俺の振る舞いも上品になっていくってもんです」

「ちっ、幸せな奴め…………。あの方に見惚れてるのがばれて、嫁さんに愛想を尽かされちまえ」

「へっへっへ、嫉妬は聞き苦しいなぁ」

 ニヤニヤと笑う後輩に、男はふんっと鼻を鳴らす。

「言ってろ。それに別にそんなに羨ましくねえよ。俺はどちらかって言うと、アーラ様派だからな」

「確かに、アーラ様の方が気楽ですけど…………上品さを学ぶには、ねぇ?」

「お、お前……恐ろしい事言いやがるな!? た、確かにその通りかもしれねえが……今のがアーラ様の耳に入ったらどうするつもりだ?」

「その点は抜かりなく。今アーラ様はフォレスタに行っていて、ビリザドを離れてますからね。そんな心配は無用です。流石のアーラ様もそんな地獄耳では無いでしょうし」

 そうは言いながらも、後輩は内緒話をするように小声で話す。

 だが――――


「――――確かに。お嬢様は居りませんが、別の耳が聞く事はあるでしょうね」


 話に集中して、周囲が見えていなかったようだった。

 二人は突然割り込んできた呟きの主を慌てて向きやった。

 いつの間にか二人の直ぐ傍に、一人の女性が立っていた。まるで無表情で、二人を冷たい視線で捉えている。

「えっ!?」

「なっ!? ヴェラさん!?」


 そこに立っていたのは、ビリザド侯爵家の小間使い兼アーラの教育係でもあるヴェラだった。

 主の居ない屋敷の留守を預かっている筈のヴェラが。

 つまりここはビリザドで、二人は街の自警団でも比較的古参に当たる団員だった。


 ヴェラは別に貴族ではない上、二人の方が年長でもある。そこまで二人が気を遣う相手ではない筈なのだが、どうも敬語で接してしまうのだった。

 だが、これは別に二人だけに言える話ではなく、ビリザドの領民の殆どの男も同じである。

 そして、今はそんなヴェラがいつもにも増して怜悧な視線で見据えてくる。

 二人は、特に後輩の男は激しく動揺せずにいられなかった。


「今のお話は、私からお嬢様にお伝えしておきましょう。さぞ、喜ばれる事でしょう」

「あっ、いやっ、い、今のは違うんですよ。何と言うか、言葉のあやというか……」

「ならば、それも伝えておきましょう」

「そ、そんな!?」

「お前……終わったな」

 先輩の男は小さく被りを振る。

 先程の話がアーラに伝えられ、もし傷つけるような事になれば、街中の男のみならず街中の女からもそれはそれはとても冷たい仕打ちを受ける事だろう。

 例えば、今後彼の名前は"上品野郎"で統一されることは間違いない。嘲笑と罵倒を込めて。そして、二度と再び本名を呼ばれる事はないだろう。

 もちろん、奥さんからの呼び方も同様である。"あなた"が、"上品野郎"に置き換わるのである。

 心の休まる時は再び訪れまい……。


 後輩もその未来図を垣間見たのか、必死の形相で謝罪し始めた。

「ご、後生ですヴェラさん!! 俺には身重の奥さんと、産声を上げるのを待っている子供がっ!」

 泣き落としだった。


 ヴェラはそのままジッと後輩を見ていた。まるで審判である。

 男は生きている心地がしなかったが、

「……そうですね。お子様に免じて、今の言葉は私の胸に仕舞って置きましょう」

 と、ヴェラが頷くと、思わず地面にへたり込んだ。

「はぁ~~。良かった。……娘よ。父さんは万事無事にお前に会えそうだ」

 どうやら彼の中ではお腹の中の子は、娘という認識だったようだ。

 感涙を流しながら、生と死を司る神(アマニ)に感謝していた。


 そして、ようやくヴェラは視線を和らげると男に祝いの言葉を述べた。

「おめでとう御座います。奥方様が、お子様を授かられたそうで。今度改めてお祝いにあがらせて頂きます」

「あ、ありがとうございます!」


 話も一段落したと考えたのか、先輩の男は真面目な表情で話を変える。

「で、ヴェラさん。こんな場所に何の御用です?」

「はい。実はお二人に、先日の件でお話を聞かせて頂きたく参りました」

 ヴェラは即答する。

 その内容に、二人を包み込む空気が変わった。

 今まで騒いでいた後輩の男も、途端に真剣な表情になる。


「……あいつらの話ですか」

 男の問いに対し、ヴェラは無表情に首肯した。

「その通りです。ビリザドを崩壊させる所だった、あの者達の()についてです」



***



 ヴェラ一人の時、話しかけてくる人はそれほど多くない。

 敬遠されているという話ではなく、その存在感の希薄さが原因だった。

 主よりも目立つことなく一歩下がった位置で控えることは、使用人の取るべき振る舞いであるというのがヴェラの信条である。

 それをアーラが幼少の頃から続けているので、もはや存在感を消す事はヴェラにとってごく自然な事だった。それがヴェラ本人にとって良い事なのかは分からないが。

 ともかくそういった理由で話しかけてくる人間は居らず、ヴェラは屋敷に戻るまでの道すがら、自警団員二人から聞いた話を脳内で纏める作業に専念できていた。


 あの日の事件を回想する。

 まず、あのならず者二人が殺害された牢屋は通常のそれとは違い、地下に隠されるようにして作られた特殊な牢屋だった。

 その小部屋の存在を知っているのは、今の二人の自警団員とヴェラ。アーラとグラストスだけである。

 自警団を引退した人間の中で少なくとも三人は知っている者もいるが、存在は知っていても鍵の場所は変えられており中に入る事はできない。

 その内二人は酒場で飲んでくれていたという証言があり、一人は北の街道に退避した時に腰を痛めてしまい、寝込んでいたので不可能だった。仮病でない事は医者から聞いている。

 他には、あの牢を作った人間達も当然知っているだろう。もしかすると合鍵も持っているかもしれない。 が、その者達は復興作業に手一杯で、あの日も朝からずっと作業していた所為で夜は倒れるように眠っていた事は既に調べがついていた。

 よって、名を挙げた五人以外は除外しても良いだろう。


 そして、自警団の二人は特に侯爵家に忠義を示している二人であり、アーラの命に背くことをするような人間達ではない。

 一人はこの街の生まれで、ヴェラも人となりはよく知っている。人を殺したり出来るような人間ではない。

 もう一人はこの街の生まれでこそないものの十年ほど前に移住してきて、今は伴侶を得て完全にこの地に根付いている。心理を考えても、子供を授かったばかりの男が人を殺められるとも思わない。

 二人ともこの街を愛しているのは間違いなく、自警団員の中でも信頼できる者達だった。

 だからこそ、あの日牢屋の番を任していたのだとも言える。


 自分が手を下していないことは自分がよく知っているし、アーラは考慮する必要すらない。

 つまり消去法で考えていった際に、ヴェラとしてはグラストスしか思い浮かばなかった。

 加えて、グラストスだけは夜の所在地を把握できていない事も理由の一つである。

 リシャールかサルバに話を聞けば、多少は事情が分かるだろう。

 が、この前からリシャールの姿を見かけない。

 アーラ達が旅立った日、偶然出会った時のあの様子では、リシャールは旅に付いて行った可能性が高い。


 なので、残るはサルバだけだった。近いうちに話を聞く必要があるだろう。

 ヴェラはいつの間にか辿りついていた侯爵家の前庭から屋敷を眺めながら、そう思い決めていた。


+++ 


「遠路はるばるご足労頂き、有難うございます。我が主に代わり、お礼申し上げます」

 翌日、昼過ぎ頃に『監獄』からの使者が屋敷を訪れた。

 ヴェラは屋敷へ登る坂の下の通りで出迎え、主の不在を謝罪した後深々と頭を下げた。


 頑丈そうな鉄で覆われた護送用の馬車に乗っていたのは、四人の男達だった。

 正確に言うと、二人が馬車に乗っており、恐らく罪人の逃亡を想定しているのだろう他の二人はそれぞれ馬に跨っていた。

 監獄という特殊な環境の役人をしているせいか、皆どこか陰気な気配を醸し出している。

 その中の一人が進み出ると、無遠慮にヴェラの全身に視線を送った後でボソリと言った。

「罪人をお引渡し頂こう」

「…………」


 二人は当に死んでおり、遺体の腐敗が始まる前に信用の置ける医者に検分させ、その後は南の森の中に拓いている小さな共同墓地に弔っていた。

 引き渡せる訳もなく、ヴェラは事情を説明する他なかった。

 ただ、真実を馬鹿正直に述べても、それはあまり意味がない。

 というより、ビリザドの……ベッケラート侯爵の立場を考慮してみた場合には、負の影響の方が大きかった。


 別に彼らに誤解されても問題はないといえば無い。領主には私刑を執行する権利が認められている。そして、その権利を行使する領主は少なくない。

 だがベッケラート侯爵がその権利を行使したことはない。

 その事が侯爵の人間性を周囲のみならず、パウルース中の人間に伝えている。

 もし仮に、この事を彼らが吹聴しまわった場合、その清廉さが貶められる、という事にはならないかもしれないが万が一ということはある。対処しておくことに損はない。

 それに、彼らの上役に疑いを持たれるのは問題だった。

 正確に言うと、監獄の管理を一手に行なっている、この国の宰相に、である。

 

 この国の宰相が非常に切れ者であることは国民のみならず、周辺国家の人間も知るくらい有名な話だった。

 この小国パウルースが大国二国に挟まれながらも占領の憂き目をみないのは、宰相の絶妙な外交手腕が担うところが大きかった。

 ただ、そうした卓越した能力もあり、国王からの絶大な信頼を受けていれば多少は驕り高ぶりそうなものである。

 しかし、この国の現宰相は私心の無い男だった。賄賂などは絶対に受け取らない上、立場を利用して高慢に振舞う事も無い。

 ただ、相手が例え王だろうと言うべきことは言う。

 まさに宰相という職は彼の為にあるような人物だった。


 彼の職務は非常に多く、外交、王の相談役などを加え、この国で発生する重要な行政処理は、彼の目を通らずに行なわれることはなかった。

 そして、各領地からの様々な報告事は、王の元に伝えられる前に先ず宰相の耳に入る。その後で宰相は報告する必要がある内容だけを王に伝えて、他の雑事は全て自分が処理しているのだった。

 その宰相に、この領地の。強いてはベッケラート侯爵の管理能力に疑いを持たれては、侯爵の王都での立場に多大な影響があるだろう。

 恐らく、侯爵本人は宰相に睨まれようと対して気にしないだろうが、ベッケラート侯爵家の使用人としてそれは避けねばならない事だった。


 という理由により、ヴェラは二人が舌を咬んで自殺を図ったということにし、遺体は既に森の中に弔ったのだと淡々と説明した。

 ただ、役人達は不快そうに視線を厳しくするだけだった。

 本当に自殺だったのか、抵抗の出来ない人間を私刑に掛けたのではないか? とその目が疑っている。


 ヴェラはその視線を涼しい顔で受け止めると、予め用意していた布袋を彼らに差し出した。

「遠路はるばるお越し頂いたのに無駄足を踏ませてしまい大変申し訳ありませんでした。つきましては、街の宿に部屋を用意させて頂いておりますので、どうかそちらで旅の疲れをお癒し下さい」

「……それは?」

「お食事代でございます。道中の分も含めさせて頂いております」

「……ふむ」

 中には銀貨が三十枚も入っていた。四人居るとはいえ、とても一日で使いきれる額ではない。余りは当然そのまま自分達の懐に入ることに成るのだろう。

 それを見て役人は一瞬喜色を浮かべた後、ゴホン、と咳払いをする。

「……そういうことであれば、ご好意有難く頂くとしようか。我々は無駄足を踏んだのだからな」

「あ、ああ。そうだな。謝意という形ならば、断わるのも失礼というものだ」

「はい。申し訳御座いませんでした」


「まあ、仕方がないな」

「ああ、仕方がない」

 監獄の役人とはいえ、所詮人間である。

 金、権力、女。普段は律しているとしても、こうして任務地より遠く離れた場所で目の前にちらつかせられれば、己の欲を御するのは難しいだろう。

 そう読んでいたヴェラの目論見はあたり、役人達は「仕方ない」と平静を装いながらも、隠し切れない悦びを滲ませながら、ヴェラの差し出した銀貨の入った布袋を受け取った。

 それをヴェラは少し温度の下がった眼差しで見届けると、一礼して言った。

「では、宿にご案内したします」



***



 翌日、昼過ぎまで寝ていた役人達は酒の臭いを周囲に充満させながら、頭をふらつかせて帰っていった。

 街の街門まで見送りに出ていたヴェラは、四人が街を離れる前に穏やかな笑みを浮かべながら言い添えるのを忘れなかった。

「周囲に変な誤解をされるやもしれません。余計な他言は決して致しません。なので、皆様もご安心してお戻り下さいますよう……」

「と、当然だ」

 ヴェラは暗に、"賄賂を受け取ったことを口外しないので、お前達も余計な事を吹聴するな"という意味を込めていた。

 それを理解したのだろう。役人達は苦い表情で、同意しながら街を離れたのだった。

 

 絶対ではないが、これで彼らの口を多少硬くすることには成功した。

 ヴェラはとりあえずそれだけの成果に満足すると、昨日考えたとおりサルバに話を聞きに行くことにした。

 ただサルバの家はここからは半刻以上掛かる。流石にそれほど長い間、屋敷を無人にする事は出来ない。

 ヴェラは少し考えて、屋敷近くに住む侯爵家の馬屋番の者に留守を任せる事を決めた。早速その者の家に向かう。

 だが、少し歩くとその必要はなくなった。

 北の山道へ続く道と交差する大通りを抜けようとした時、見覚えのある大男の後姿を発見したからだ。

 この街にあれほどの大男は二人しかいない。その内の一人は北の山の鍛冶屋に篭りきりなので、必然的に誰なのかは決定する。

 どうやら今日は、運命を司る神(アルプト)の加護が付いているようだ、とヴェラは思った。


「……サルバさん」

 三度、四度声を掛けた所で、ようやくサルバはヴェラの事に気付いて振り返った。

 話しかけていたのがヴェラである事が分かると、人懐っこい笑顔を浮かべる。

「ヴェラさん。どうしたんだぁ。珍しいなぁ」

 言われてみて、ヴェラは今まで自分からサルバに話しかけたことが殆ど無かった事に気付いた。

 そんなどうでも良いことを一瞬考えて――――我に返ったヴェラは本題に入ろうとした。


 だが、サルバは機先を制して質問をしてくる。

「なぁ、お姫様(ひいさま)はいるかぁ? 親父からの伝言があるんだぁ」

 出鼻を挫かれた形だったが、仕方なくヴェラは答えた。

「……お嬢様はフォレスタに旅立たれています」

「…………はぁ? フォレスタぁ? ……一人で行ったのかぁ?」

 サルバはどうやら初耳だったようで、不思議そうな表情で尋ねる。

「いいえ。マリッタさんにドレイク様。……グラストス様と、恐らくリシャールさんも同行しております」

「……………………んなぁっ!?」

 サルバは線のような細い目をまん丸に見開くと、変な大声を上げて愕然としたまま固まってしまった。

 一方、ヴェラはサルバの目が開いたことに内心驚いていた。

 そんなヴェラの驚きを他所に、サルバは頭を抱えて叫び始める。


「な、なんでだあああああぁぁぁ。どうじて、お姫様ああああぁぁ。俺も一緒に連れていっでぐれねかったんだああああぁぁぁ」

「そんなに長い旅でもありませんので」

「他はどもがく、リシャールよりがは、俺は絶ってえ、やぐに立つのにっ!!」

「……リシャールさんは護衛に選ばれた訳ではなく、個人的に付いて行かれたようです」

 サルバの人並みはずれた大声に微かに顔を顰めながらも、ヴェラは律儀に応答した。

 サルバはそれに反応する。呆然としながら尋ねた。

「個人的に……勝手に付いて行っだってことかぁ?」

「……そうとも言えます」

「ぐぞおおおおおおおおおおっ! リシャールのやづぅぅぅぅぅ!」

 誰に対しても大らかで朗らかであるサルバだったが、アーラの事に関してだけは人が変わったようになる。

 別にリシャールに罪はなかったが、サルバは自分が付いていけなかった不満を一番ぶつけ易い所にぶつける他、切なさを抑える事は出来ないようだった。


 その後もわんわん喚くサルバの叫びを、ヴェラは少し離れた位置で聞き流した。

 ようやく、サルバが落ち着いたのを見やって、改めて尋ねる。

「それより、お伺いしたい事があるのですが」

「うぅぅぅぅ……何だぁ?」

 サルバは呆けた顔で聞き返す。まだ引きずっているのか、一体何を尋ねられているのかも分からない様子だった。

 ヴェラは少し時間を置くべきかと一瞬考えたが、一応そのまま話を続けてみる事にした。

「……四日前のことです」

「ん……んんぁ?」

「あの夜、貴方がたはずっと行動を共にされていたのでしょうか?」

「ん~~~~??」

 反応は芳しくない。

 あの日のことを忘れているというより、一体いつの事を言われているのか分かっていないのだろうとヴェラは判断した。


「貴方とグラストス様、リシャールさんの三名で、森に一泊した夜の事です。確か依頼の為に向かわれたと聞いておりますが」

「……んああ! 猪の罠を仕掛けに行っだ夜のごとかぁ!」

 猪の罠とは一体何の事か、ヴェラには分からなかった。

 少し考えて、木こりの者達から巨大な猪による被害報告が出されていた事を思い出した。

 確かあの依頼はギルドに流された筈で――――時期は重なる。恐らく、その話で間違いないだろう。

 ヴェラは更に質問を続けた。


「その夜はずっと三人で行動されていたのですか?」

「おうっ! 猪の罠の為に、三人で穴を掘ってたんだぁ……つっても、結局その罠は意味ながったけどなぁ……」

 サルバは心なしか肩を落とす。何か事情がありそうだったが、ヴェラにとってそんな話はどうでもよかった。

「皆さんは、一時も離れず行動を共にされておりましたか?」

「んん? そりゃあ、小便する時は別だったけどなぁ」

 堂々と下品な話をするサルバに対して、僅かにヴェラは目を細め冷たい空気を発した。

 が、基本的に鈍感であるサルバはそれには気付かずに考え込んだ。

「それ以外は……あっだがなぁ?」


 その時である。

 自警団員と思わしき男が慌てふためいた様子で、二人の前方を駆け抜けて行った。

 何だ、と二人は目を向ける。

 続いてもう一人、二人の前を走りぬけようとしていた者がいる事に気付いた。こちらは私服の娘だった。

 その娘も自警団員である。

 その事を知っており、顔見知りだったサルバは彼女を呼び止めた。

「なんだぁ? そんなに急いで何かあったんかぁ?」


 話を中断されたヴェラだったが、今は彼女の様子の方が気になり思考を止めて話に耳を傾ける。

 突然のダミ声に、自警団員の娘は慌てて立ち止まった。

 驚いた表情で声の方向に視線を送り、そこに居るのがサルバとヴェラである事に気付くと、ホッと胸を撫で下ろしていた。

「サルバに……ヴェラさんも一緒ですか…………。あの、実は……」


 女団員の話を聞き終えると、二人は固まった。

 意外にも先に我に返ったのは、サルバだった。サルバは悲痛な表情で女団員に同行を告げると、二人はそのまま走り去っていった。

 その背中を見送りながら、この場に残されたヴェラはもう一度話を脳内で反芻した。


 団員の話はこうだった。

 自警団員の一人が今朝突然倒れ、そのまま亡くなってしまった、と。

 その団員の事は、ヴェラもよく知っていた。昨日も直接話をしたばかりである。昨日見た感じでは、心身共に健康そうであったが……。

 少なくとも、今日突然倒れるような気配は全く無かった。


 その亡くなった団員とは、昨日話を聞いた二人の内――――子供を授かったばかりの自警団員だった。 

グラストス達が旅立った時から、四日後の話です。

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