74: 大博打
賭け金が無ければ賭けには参加できない。当然の事である。
見事軍資金が零になった三人は、他の客の好奇の視線を浴びながら、すごすごと部屋の隅に移動していた。そこで、今後の対策を練ろうという事だったが――――
「だから全部賭けるのは止めた方が良いって、あれほど言ったのにっ!!」
リシャールの怒声は止まらない。結局自分の判断で、ドレイクに従った事はすっかり忘れ去っているようで、ひたすらに全掛けの罪について攻め続けていた。
「…………」
そんなリシャールの言葉を聞いているのかいないのか、ドレイクは先程からずっと腕を組み目を閉じて、何かを考え込んでいる。
二人に傍に立ち尽くしているオーベールもどうすれば良いのか分からないのだろう。リシャールを宥めるでもなく、困った表情を浮かべ二人の事を見つめていた。
「ど、どうするんです! どうするんですかっ!?」
一行に止まる事の無いリシャールの声は、ドレイクを貶す怒声から、これからの対応についての問いに変化していた。ただ、自分では良い案は思い浮かばないのか、あくまでドレイクの対応策に期待しているようだった。
暫くの時間の後、リシャールが叫び疲れて肩で息を始め出した頃、それまで岩のようにジッと動かなかったドレイクが、静かに瞳を開いた。
滅多に見ることのできないドレイクの真剣な空気を感じ取り、二人は思わず姿勢を正し、ドレイクの姿を凝視した。
二人の視線を一身に浴びる中、ドレイクは真顔で重たそうな口を開いた。
「よしっ。ここは、金を借りよう」
力づくで助け出す決心でもしたのか、と二人は緊張していたが、ドレイクの口からでたのは予想外の言葉だった。その為、理解が及ぶのが遅れる。 ようやく頭に浸透すると、困惑した表情で二人は同時に尋ねた。
「…………はぁ?」
「えっと……どういうことです?」
「だから、金を借りよう」
同じことをドレイクは繰り返す。
「借りるって……誰に? あっ、他の客にですか?」
「なるほど……しかし、貸してくれる方がいらっしゃるでしょうか?」
二人は合点がいったように、未だ賭けに興じている他の客に視線を移した。金を貸してくれるような比較的穏やかそうで、且つ羽振りが良さそうな人物…………。
二人は爪先立ちをしながら探していたが、
「いや、違う」
というドレイクの言葉に、「え?」と不思議そうに振り返った。
「こんな場所で金を貸してくれる奴なんていねぇだろう。居たとしてもよっぽど腹に一物ある奴に決まってる」
ドレイクはハッキリと告げる。あまりにキッパリと断言するものだから、二人は思わず納得してしまった。
「じゃあ、誰に借りるんです? 他に貸してくれる人なんて……」
「いる」
「えっ? 誰です? あ、誰か知り合いでも居たんですか? もしかして、この前の留守番中に知り会ったとか!?」
リシャールは期待に声を大きくする。しかし、ドレイクは「いや、違う」と、あっさりとそれを否定すると、
「それより、坊主」
唐突にリシャールを見つめた。急に視線を向けられた為か、リシャールは思わず身を引いてしまう。
「な、なんです?」
「……お前は、もちろん兄ちゃんを助けたいよな?」
何故そんなことを訊いてくる意味が分からなかったが、リシャールは「当たり前でしょう」と返した。
その答えに、満足そうにドレイクは頷いた。更に続ける。
「あのペッピンも助けてあげたいよな?」
「それは……もちろん」
リシャールのみならず、オーベールもドレイクの質問の意図が分からず、疑問符を浮かべながら会話に耳を傾けていた。
「なら……お前はあの二人の為に頑張れるよな?」
「そ、それは、もちろん……ですけど……」
「よし。それを聞けて安心したぜ。これで腹は決まった」
ボソボソと不安そうに返したリシャールの言葉に、ドレイクはニンマリとした笑顔を浮かべた。
途端に体の全身を嫌な予感が駆け巡ったリシャールは、慌てて言葉を付け足す。
「だ、だからと言って、危険な事はしませんよ!? 危険なく、安全にですね――――」
「大丈夫だ。俺っちが、お前を危険な目に合わせようなんて、考える訳はねえだろう?」
「は、はぁ……」
強い口調で言われて、リシャールは考え込んだ。
はたして、ドレイクが自分を危険な目に合わせようとした事があったかどうか。
(そうだ。確かにドレイクさんが僕を危険な目に合わせた事なんて――――)
目を閉じたリシャールの真っ暗な瞼の裏に、色々な場面が浮かびあがる。
『ええ。確かに子供は居ませんが……。まあ変装ですわ。変装すれば何とか子供に見えないこともない者がいるでしょう?』
『それも只の変装ではありやせん。女の子に化ける必要があるんですわ。盗賊は女性を襲うんですからね』
『じゃあ、坊主。さっさとこれに着替えろ』
この後、女装させられた。その所為で盗賊に捕まった。
(そういえば、あの時も――――)
『避けろよ~~』
『ほら、助かったんだから良いじゃねえか』
『だから、避けろって声をかけただろ』
大剣を投げつけられた。死ぬかと思った。
(…………あの時も)
『それで、一体何を狩りに行くんですか? 準備をしたって事はもう獲物の事は知ってるんでしょう?』
『あ~~大した奴じゃないよ』
そう言われて入った森で遭遇したのは区分Bの凶悪な魔物だった――――
リシャールはくわっと目を見開いた。
「危険な目に合わされたことなんて、めちゃくちゃありますよっ! どの口がそんな事いうんですかっ!!」
突然叫んだリシャールに、ビクッと身を竦めたのは隣にいたオーベールだけだった。
気付くと、先程まで居た筈の場所に、ドレイクの姿はなかった。
「ど、何処に行ったんですっ!?」
猛烈に嫌な予感が込み上げてきたリシャールは、大部屋の隅々までキョロキョロと視線を廻らせた。
「ド、ドレイクさんなら、あそこに……」
鬼気迫るリシャールの様子に、オーベールはおっかなびっくり、リシャールの背後を指差した。 リシャールは、その指の先の方向にがばっと振り返る。
すると、部屋の隅にドレイク姿を見出す事が出来た。「見つけた!」と走って間を詰めようとしたリシャールは、ドレイクが誰かと話しているのに気付いた。それは、先程まで自分達を見張るように付いて来ていた、門番の男だった。
その男とドレイクが話をしている。
猛烈な嫌な予感、否、悪寒が全身を駆け巡ったのをリシャールは感じた。
リシャールは駆け出した。
門番の男への畏怖も忘れて、飛び掛るようにしてドレイクにしがみ付く。
そして、ドレイクへの警戒の旨を告げる前に、襟首を掴まれ猫のように抱え上げられてしまった。
「な、何をするんですかっ!? 離して下さい!」
リシャールは何とか手を逃れようと空中で暴れるが、ドレイクの手はビクともしない。必死の抗議もドレイクはどこ吹く風で、男と会話を続ける。
「こいつだ。どうだ? 素材としてはそこそこ良いと思うが?」
「……二十だ」
「おいおい、そりゃねえだろ。よく見てくれよ。その手の好事家には引く手数多だぜ? せめて四十はいくだろう?」
「離してって……話を聞いてくださいよっ!」
「……なんと言おうと、二十だ」
「足元見やがって……」
「それが嫌なら諦めろ」
「あ、あの。ちょっと?」
「はぁ……仕方ねえ。分かった。それで手を打とう」
「商談成立だな……」
男はそう呟くと、この場を離れ大部屋から出て行った。
それを見送って、渋い顔のドレイクは、ようやくリシャールを解放した。
突然手を離された為、そのまま着地に失敗して尻餅をついたリシャールは、打ち付けた尻を押さえながら立ち上がり、ドレイクを振り返った。
「なんなんですか一体!?」
「ん? ああ……大した事じゃない」
離れた場所で伺っていたオーベールが二人に近づく。そして、ドレイクに疑問を投げかけた。
「もしかして、あの人にお金を借りたんですか?」
「んん? あーーー。まあ……そうなりますかねぇ」
歯切れの悪いドレイクの返答に、リシャールは驚愕する。
「うえっ!? まさか、本当ですか!? 一体どうやって借りたんです!?」
「よく貸して頂けましたね?」
反応の熱の差はあれど、二人とも目を丸くしている。その四つの目は、"一体どんな魔法を使ったのか?"という物言わぬ言葉を発していた。
「ああ……まぁ、きっちり話したら分かってくれたと言いますか……」
「なるほど、素晴らしいです。やはり、どんな人であっても、きちんと向き合って話せば事情をを分かってくれるものなのですね!!」
ドレイクのどこか力ない言葉に、オーベールは両拳を握り締めて満面の笑みで納得していた。
「…………」
ただし、リシャールはどこか納得がいかない様子で、ドレイクを見つめていた。しかし、特に何を言うでもなく、訝しげな視線を送る。
そうした三人の前に、門番の男が戻ってきた。
二人は男が片手に乗る程度の、小さな布袋を握っているのに気付いた。
男はそれをドレイクに放り投げる。片手で受け取ったドレイクは確かな重みを感じるように握り締めると、一つ頷いた。
「確かに」
「……交渉成立だ」
「ああ……分かってる。おい、坊主」
またもや二人の間でのみ分かる会話を続けていたかと思えば、ドレイクは隣にいたリシャールに急に向き直った。
「なんです?」
「お前を形にしたから」
「は?」
「これがその報酬だ」
ドレイクはまだ意味の分かっていないリシャールに、受け取った布袋の中身を見せた。そこには銀貨が入っているのを見て、リシャールは目を剥く。
「ほえぇ~~本当に借りたんですね」
「何か取引できるようなものをお持ちだったのですか?」
オーベールの問いに、ドレイクはあさっての方向を見ながら答える。
「お持ち……というか、居たと言いますか……。まぁ、ともかく、坊主。お前形にしたから」
「?」
「へぇ~~そうなんですかぁ。でも、これでまたグラストスさん達を助ける事が…………………………って、形?」
再び『札当て』の台に向かおうとしていたリシャールは、一歩、二歩歩いた所で、ピタリと立ち止まった。
「形……ってなんです?」
「そらぁおめぇ……形っつったら形だよ」
リシャールの疑問に、やはりドレイクはそっぽを向いて答える。
二人はそのまま首を捻っていたが、やがて、オーベールは何かに思い至ったようで、形の良い顎を手で掴むようにしてドレイクに尋ねた。
「…………もしかしたら、借金の形、という事でしょうか?」
「ん、まぁ、そうですな」
曖昧に答えるドレイクに、二人はポカンとした視線を向ける。そして、そのままジッと何かを考え込み始めた。
「じゃあ、坊主。直ぐに助けるから兄ちゃんと待っててくれ」
そう言うと、ドレイクはその場から離れて、『札当て』の台に向かおうとした。
リシャールは言葉の意味が分からなかった。ただ、何かが繋がりそうで、繋がらない。そんな状態に陥っている。――――と、そう思い込もうとしていた。
"まさか、そんな馬鹿なこと"と、最悪の考えを振り払うように首をしきりに左右に振る。そんなリシャールを、門番の男に連れられた関係者の数名の男達が取り囲んだ。
リシャールは後ずさりしながら恐る恐る尋ねる。
「な、なんです?」
間髪いれずに男達は答えた。
「来い。お前は銀貨二十で売られたんだ」
もう限界だった。
「このおおおおおおおおお、クソ中年があああああああああっ!!」
本日何度目かのリシャールの怒声が、大部屋の中に響き渡った。突然の大声に、他の客達の視線を集めていたが、そんな事には全く構わず、リシャールは全力でドレイクの背後に飛び掛った。
「このクソ親父!! よ、よ、よくも、ぼ、ぼ、僕を売ったなっ!?」
「耳元で喚くな。……まぁ、そうとも言うな」
「そうとしか言わないでしょうっ!? 何考えてるんですかっ! 何考えてるんですかっ!! 何を考えてるんですかっ!? あれですか!? 馬鹿なんですかっ!? 何で僕をっ!? 自分を売ったら良いでしょう!? 自分が負けたんですからっ!」
リシャールは顔を真っ赤にして、矢次に攻め立てる。リシャールの怒りはもっともなものであったが、ドレイクは聞いているのか聞いていないのか、どこ吹く風で「仕方ねえだろう」とだけ返答した。
その態度に、リシャールは顔に体中の血液が集まっているのではないか、と見紛う程真っ赤にする。余りの怒りによってか、息が上手く吸えないようで、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返している。オーベールは、そんなリシャールの背中を優しく撫で続けていた。
暫くそれを続けると、ようやくリシャールも落ち着いてきたのか、徐々に呼吸が小さくなっていく。
「あ、そうだ。坊主。一つだけ言っておく事があった」
「い、今更謝ろうたって、僕は絶対許しませ――――」
憤慨するリシャールの言葉を遮るように、ドレイクは真顔で言った。
「女装したら、もちっと銀貨が増えるかもしれん。お前ちょっと女装してみろ」
そう言うと、"こんなこともあろうかと"などと呟きながら、どこに隠し持っていたのか、ドレイクはいつぞやの街娘の服を取り出した。
それを呆然と受け取ったリシャールは、そのまま固まっていたが、次第にプルプルと震え出し――――
次の瞬間、再び大部屋に怒声が響き渡ったのだった。
***
「まず、僕の釈放金からですからねっ!」
「分かった分かった」
怒り冷めやらぬリシャールを何とか宥めるのに、半刻近く掛かっていた。他の手は無かったと主張するドレイクに、リシャールは完全に頭に血が上っている所為か、明確な別案を挙げることが出来なかったので、強引に押し切られてしまった形だった。
しかし、本来ならそのままグラストスと同じく牢屋に捕らえられる筈のリシャールは、今現在『札当て』の台の前に居る。
金を借りたのはドレイクだったが、ドレイクが信用できないリシャールは、自分が居ない所でその金を使われる事を嫌った。なので、自分が金を借りたと言う事にして、少なくとも借りた銀貨が無くなるまでは大部屋に居られる事を、門番の男に認めさせたのであった。
この店からすると、借りたのがリシャールでもドレイクでもどちらでも良かった。寧ろ、ムキになったリシャールに散財させ、更なる負債を負わせる事で、新たな形を確保できるかもしれないのだ。リシャールの主張を拒む理由は無い。そういう判断だった。もちろん、リシャールがこの賭場から出ることは認められなかったが。
そういうことで、何とか束の間の半自由を手に入れたリシャールは、何とか自分の釈放金を手に入れようと先程以上に鼻息を荒くして、『札当て』の席に着いたドレイクの背後に陣取っているのだった。――――その周囲を見張りに抑えられながら。
なお、リシャールの釈放金は百枚というかなりの高額が設定されていた。その額を聞いた時、リシャールは卒倒しそうになった。グラストスと比較して二倍の価値があると認められたという事だったが、逆を言えば自由の身になるのが、二倍難しいという事である。優越感など感じられる筈が無かった。
「絶対、絶対勝って下さいよ!?」
「分かったって」
これで何度目なのか分からない程の確認を繰り返すリシャールに対し、ドレイクは前を向いたままお座なりに対応する。
その様子からは、まるで罪悪感を感じている気配は伺えない。その事が更にリシャールの不安を煽っているのだが、既に意識は『札当て』に飛んでいるドレイクは、それに気付いていなかった。
ただ、罪悪感こそ無かったが、ドレイクとしても今回手にした二十枚の銀貨で何とかするつもりだった。これ以上形に出来るものが無いからである。
実はドレイクは最初は自分を形にしようとしていたのだが、何故かドレイク自身が形になることは認められなかった。ドレイクでは金にならないと判断されたのかもしれない。
多少虚しくもあったが、そういう話では仕方がない。かといって、オーベールを形にする訳にもいかず、リシャールに白羽の矢が立ったのだった。
その為、ドレイクとしてもこれ以上の借金をする訳にはいけなかった。
計銀貨三百五十枚。個人が所有するには少し現実的ではない額である。羽振りの良い商人、有力貴族くらいしか、そんな数の銀貨に触れたことはないに違いない。
それほどの金額を一夜にして稼がないといけない。自然、流石のドレイクの肩にも力が入った。
「……次の局を始めます。掛け金を」
親の声に従い、子達は再び掛け金を提示する。
今はドレイクの他に三人の男女が座っていた。勝ったり負けたりを繰り返している所を見ると、熟練者ではないのかもしれない。
その三人が提示し終わり、次はドレイクの番となった。
ドレイクは布袋の中の銀貨を台の上にジャラリと放出した。その山を片手で抑えると、力強い声で言った。
「二十!!」
「な、何を言ってるんですかっ!?」
が、それは背後のリシャールによって止められた。
「なんだ坊主、邪魔するな」
「邪魔しますよっ! するに決まってるじゃないですか!! まだ懲りてないんですか!? いきなり全部賭けたりしちゃあ、一度の負けで終わりじゃないですかっ! ちゃんと、安全に、大事にやって下さいよっ!!」
リシャールの怒鳴り声に、ドレイクは顔を歪ませる。
「うるせえなぁ……」
「ドレイクさんっ!!」
「分かった。分かったって……ったくしょうがねえな」
ドレイクは頭を掻き、溜息を吐きながら、自分の前に出した銀貨の山から半分を、手元に戻した。
「わりぃな。やっぱり銀貨十にしてくれ」
「むぅ…………」
半分にしたドレイクだったが、その額もリシャールには不満だったらしい。眉を顰めて台の上の銀貨を見つめている。ただ、唸る以外は何も言うこともなく、真剣な眼差しを台の上に向けていた。
「頑張って下さい。ドレイクさん」
オーベールだけが純粋にドレイクを応援していた。
「では、開示します…………『六』です」
確率で考えると、当然『小』のほうがあたる可能性は高い。
他の子達はその常識的な考えで予想を行い、三人とも勝利を収めた。
この流れでいけば、残るドレイクも同じ予想をすると、この場の誰もが疑わなかったが――――
「大だ」
ドレイクは自信に満ちた声で、ハッキリとそう告げた。
「ちょっ、ドレイクさん。大丈夫ですか!? ここは小にした方がいいんじゃ――――」
「大丈夫だ。俺っちを信じろ」
確信に満ちた回答に、リシャールはそれ以上何も言えなくなる。オーベールはその背後で、ゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、ドレイクは静かに札を捲った。
結果は――――『三』
「…………」
「…………」
「…………」
「では、回収します」
銀貨十枚が、親によって回収されていくのを、三人は切なげな顔で見送った。
リシャールとオーベールは静かに、ドレイクに視線をやる。
「一体、今の自信はなんだったんですか……」
「そ、そりゃあ……おめえ……」
「何か根拠あってのことですよね?」
「あ、いや、もちろん……」
「それは何です? 何の根拠があって、確率の低い方に賭けたんですか?」
「そりゃあ、その…………勘だ」
ボソリと述べたドレイクの弁解に、リシャールは瞬時に目を怒らせる。
「ふざけないで下さいっ!! さっきもそれで負けたでしょう!? そんな役に立たない勘に頼らないで下さいよっ!!」
リシャールは唾を飛ばしながら怒鳴っていたが、ドレイクは全く意に介するなく、淡々と答えた。
「つったってなぁ。この『札当て』は結局のところ勘だぜ?」
「何開き直ってるんですかっ!! 僕の体が掛かってるんですよ!? もっと大事にですね……!」
「ま、まぁまぁ。リシャール君落ち着いて。まだ十枚はあるから、大丈夫。終わりじゃないよ」
ドレイクが賭けたのは半分。オーベールの言うとおり、まだ半分は残っている。十枚もあればまだ挽回は可能である。
それに気付くと、リシャールも徐々に頭が冷静さを取り戻していった。
「はい……オーベール様がそう言うんでしたら……」
「そうだぞ坊主。一度の負けなんて気にするな。肝っ玉の小せえ野郎だと思われるぞ?」
「アンタが言うなっ!」
だが、ドレイクの言葉によって再び激発する。
「~~~~もうこれ以上ドレイクさんに任せておけませんっ! 代わって下さい。今度は僕がやりますからっ!」
「えーー」
「ほらっ! 退いて下さいっ! 僕ならドレイクさんのような失態はしません!」
「しょうがねえなぁ……本当に出来んのかぁ?」
「出来ますよっ」
ドレイクは渋々リシャールに席を譲り、背後に廻った。
「残り十枚しかねぇ。慎重にいけよ。坊主」
「誰の所為でしたかねっ!? 誰の!」
ドレイクは真面目なのか、からかっているのか、判断に困る表情でリシャールの感情を煽る。
リシャールはそれをまともに受けて、肩を怒らせながら鼻息荒く席に着いた。
「次の局を行ないます。掛け金を提示して下さい」
親の要求により、次の局が開始される。
他の客は皆十枚以上の銀貨を賭けた。それを羨ましげに眺めていたリシャールは自分の番がくると、途端に落ち着かなくなった。
緊張からか、明らかに動揺しており、どもりながら掛け金を提示した。
「い、一枚」
「ちょっと待った坊主。それじゃあいつまで経っても終わんねぇぞ。全掛けしろとは言わねぇが、もちょっと多く出せよ」
「う、うるさいなぁ。わ、分かりましたよっ! ……じゃあ、二枚で……」
リシャールは、ペチッと、先程提示した銀貨の上に、一枚の銀貨を乗せた。
「坊主…………」
みみっち過ぎる。ドレイクは呆れたように吐息を漏らす。その溜息に圧され、リシャールは仕方なくもう二枚だけ、上に載せた。
「これで良いんでしょっ!」
「では、親の札を開示します」
親が手元の束から一番上の札を捲る。
そこには『九』の文字が記載されていた。
「よっしゃっ、貰ったぜ」
他の客は、三人ともその数字を見て喜びの声を上げた。
そして、それはリシャール達も同じだった。
「よおし。幸先が良いじゃねえか」
「これは、いけそうですね」
ドレイクとオーベールの口元は緩んでいる。
「日頃の行いですよ。日頃の」
リシャールも勝利を確信しながら、自分の番を待った。他の客は当たり前のように、『小』を選択し、勝利を得ていた。
リシャールも当然の如く、『小』を予想した。
そして、何ら迷うことなく札を捲り返す。
『十』
「何でえええええええええええっ!?」
「坊主………」
「これは……ツいてないですね……」
日頃の行いの結果だった。
掛け金が回収されていくのを、リシャールは涙目で見送った。
+++
次の局に行く前に、他の子達が席を立ち、代わりに周囲で見ていた客達が席に着いていた。
その合間に、ドレイクはリシャールに通告する。
「やっぱり、坊主じゃ駄目だ。俺っちと代われ」
「な、何言ってるんです! 一回だけじゃないですか! もう一回はやってみないと分かりませんよっ!」
「いや、分かる。お前じゃ駄目だ。今のでよぉく分かった」
「なっ、何が分かるっていうんですっ!? そ、それを言うならドレイクさんだって……っ!」
そのまま二人は、椅子の両端をそれぞれ握り締めて、自分がやるべきだ、と言い合いを始め互いに一歩も譲らなかった。
客の入れ替えが終わった頃、ようやく話はある方向で纏まろうとしていた。
「じゃあ、ここは間を取って、銀貨をそれぞれ分けようじゃねえか」
「分かりました。良いですよ。どっちが本当に強いのか勝負ですっ!」
この時、二人が釈放金のことを本当に覚えていたかは、定かではない。
「そうだ、オーベール様もやりましょう。丁度二枚ずつになりますから。きっとドレイクさんよりはずっと頼りになるでしょうし」
「そうだな。坊ちゃんにも参加してもらいましょうか。坊主よりは運が強そうですしな」
「え、で、でも僕は……」
言い争いを始めた二人を、脇でずっと宥めていたオーベールだったが、急に自分も頭数に加えられたことに戸惑いの声を漏らす。
「いいからいいから」
そう言いながら、ドレイクはオーベールの銀貨二枚を手渡した。そして、自分はリシャールの隣に腰を下ろした。オーベールは手の上に乗せられた、銀貨を不安そうに見下ろす。
オーベールは自分が足を引っ張らないか、それが不安だった。
「安心してくだせい。心配しなくても俺っちが金を稼ぎますから」
「安心して下さい。僕がきっちりと三人分稼ぎますから」
「お、お願いします」
何故か自信に溢れた二人に勇気付けられながら、オーベールは一番端っこの席に座った。
左から、他の客二名、ドレイク、リシャール、オーベール、という並びである。
そして、次の局が始まった。
+++
一度始まってしまえば、リシャールもドレイクも、雑談はしなかった。真剣な表情で台の上に視線を落としている。傍から見れば、二人はこの賭場の雰囲気に違和感なく染まっているように見えているだろう。
一方オーベールは、そんな空気に浸透しているとは言えなかった。初参戦ということもあり緊張が押さえきれなかったのだ。よって三人に、気持ちを宥めてくれる人間はおらず、必要以上に肩に力が入りながらの勝負となっていた。
「十五」
「十よ」
他の子が掛け金を提示する。続いてはドレイク。
「二だ」
迷うことなく全掛けだった。
「一です」
その次はリシャール。こちらも迷うことなく一掛けだった。
オーベールは不満気な表情で、何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。
最後のオーベールはそんなドレイク視線を見ていたからか、
「……二枚でお願いします」
恐る恐る全掛けの提示をした。
「では、開示します……」
親が札を開示する。
数字は――――『五』。
難問だった。
「俺は、降りる」
「アタシもよ」
他の子たちは迷うことなく、勝負を諦めた。
「じゃ、じゃあ僕も……」
続いてリシャールも降りようとする。
「……降りると一枚没収となりますが、それでも降りますか?」
「えっ!? あ、そうなんだ。じゃ、じゃあ降りません」
親の情報に、リシャールは両手をフルフルと左右に振って、前言を撤回した。外れても一枚没収だとすると、勝負しないのは損というものである。
そんなリシャールを見て、情けなさそうに首を振っていたドレイクは、自分の番が来ると親の目を見ながら告げた。
「大だ」
ドレイクは迷うことなく予想する。
「しょ、勝負するんですか?」
「当たり前だ。選んでられるような立場じゃねえだろ」
「むしろ、僕としては今選ばずにいつ選ぶんだという気持ちですけど……」
リシャールの後ろ向き発言を聞いても、ドレイクは揺るがない。そのまま思い切り札を捲った。
『七』。ドレイクの勝利だった。
「おめでとうございます」
「な、中々やりますね」
二人の賛辞にドレイクはニヤリと笑って返した。
「じゃあ、次は僕ですね……」
リシャールはそのまま暫く考え込む。ただ、あまりにそれが長かった為、親に予想を促されてしまった。
「あ、す、すみません。ぼ、僕は――――『小』です!」
そう言って札を捲ろうとするが、結果が怖いのか、それもまた時間が掛かった。再び親に促され、ようやくゆっくりと捲る――――『五』
「ううぅ」
ガックリと頭を垂れるリシャールに、ドレイクが追い討ちをかける。
「……『同じ』を予想してれば、十倍だったな」
「そ、そんなの分かるわけないじゃないですか!」
「はぁ……」
「あんなの誰にだって、無理ですよっ!!」
甲高い悲鳴のような叫びを上げて、リシャールは自分に責はないことを主張する。ドレイクはそれでも大袈裟に残念がって、リシャールを挑発しているが…………。これは明らかにドレイクはリシャールの反応を愉しんでいた。
怒りによってそれに気付かないリシャールは、そのまま弄ばれ続けた。
オーベールはその事に気付いていたが、何も言わずに苦笑しながら二人を見つめていた。それは二人のやりとりが楽しそうに見えたからであった。
――――ただ、本当に二人は今の状況が分かっているのか、という事については些か疑問の余地があるような気がしていた。
そんな事を考えていたオーベールだったが、次は自分の番である事を思い出し、静かにそれを告げた。
「僕は、『大』でお願いします」
そして、札を捲る。――――結果は『六』。
「やりました!」
オーベールは喜びの声を上げた。二人も素直に称賛の声をかける。
「やりましたな」
「流石です。オーベール様」
「ありがとう」
これで三人の計で考えると、銀貨九枚となった。まだ先は長い。
しかし、オーベールの勝利で、三人を包む雰囲気は良いものにと変化した。このままいけばきっと誰かしら勝てる、そんな思いに満たされながら次の局を向かえ――――三人の表情は一変した。
「次が最終局となります。提示を」
親の言葉を聞いて、三人は固まらずにいられなかった。周囲を見回すと、他の台にいた客が帰り支度をしていているのに気付いた。確かに、考えてみれば中に入ってかなりの時間が経過している。
「な、なぁ。最後っつーのは、この『札当て』だけかい?」
札を切っている親に向かって、ドレイクは慎重に確認する。親の回答は「いえ、この賭場自体が終了の頃合です」というものだった。
三人とも言葉を失くした。
後一局で三百四十一枚も稼がないといけない。どう考えても不可能だった。
三人は自分の番が廻ってきたので、条件反射のようにそれぞれ全掛けしつつも、何か対策はないか、という事を必死に考えていた。
しかし、妙案などはそうそう思い浮かぶものではない。
囚われる事が決定しているリシャールなどは、既に涙目だった。
そんな状況でも工程は進み、親の札が開示される。
親の出した数字は『十』。
子の勝利は確定しているような数字だった。
他の客の子達は当然のように、『小』を宣言し、勝利を得ていた。
続いてドレイクも『小』を宣言するだろう事は誰もが疑わなかった。
が、ドレイクは何故かそのまま固まった。そして、突然自分の体を探り始めた。
「ど、どうしたんです?」
「あれは? あれだ、あの紙」
「えっと、これでしょうか?」
オーベールが恐る恐る差し出したのは、『札当て』の詳細が記載されている紙だった。それを見て、ドレイクは「そうそうこれです!」と、紙を引っ手繰る様にして目を通し始めた。
「……おお! これだ!」
ドレイクは満面の笑みで二人にある一点を指し示した。
そこに記されていたのは、
『○親の札が十で、子の札が零
・大きいと予想していた場合、百倍』
という内容だった。
「これだ。これならまだ可能性はある」
確かに可能性はある。ドレイクか若しくはオーベールが勝てば、銀貨四百枚。金を払って余りある額が手に入る。
だがしかし、二人の顔はすぐれなかった。
「な、なるほど……ですがこれは……」
二人の懸念点はある一点だった。それをリシャールが代弁する。
「ば、ば、ば、馬鹿じゃないんですかっ!? その次の行を見て下さいよ! よく見てくださいなんて書いてあります!? 言いましょうか!? 負けたら十倍ですよ十倍! 更に負債を抱えてどうするんですかっ!」
「……まぁ、それは仕方ねえだろう。賭け事つーのはそんなもんだ」
「何を達観してるんですか! ……だいたい」
更に不満を続けようとしたリシャールを、ドレイクは右手を上げて押し止め、台に背を向けると、二人に顔を寄せるように手招きした。二人は戸惑いながらも身を低くして円陣を組むようにしてドレイクに身を寄せた。それに満足気に頷くと、ドレイクは低い声で考えを話し始めた。
「よく考えてみろ」
「何をです!?」
「落ち着けって……考えてみろ。このまま普通にやったら、絶対に三百四十枚なんて稼げやしねえ」
「そりゃあ、まあそうですけど……」
「だろう? 確かに負ける可能性の方が圧倒的に高いが、全員が負けたとしても負債は銀貨九十枚だ」
「そうですけど、それが問題なんじゃないですか! そんなお金一体どうするんです? 僕が百枚ですよ? 例えドレイクさんが身売りしても絶対九十枚にはなりませんよ!」
リシャールの自惚れている様な発言だったが、一応真実でもあったので、ドレイクは何も突っ込まなかった。
もしこの場にマリッタが居たとしたら、リシャールは気を失うまで殴られていただろうな、とは脳の片隅では考えたが。
それより今は対応の方が大事だった。
「それはそうだが……それは何とかする」
「何とかって、どうするんです? どうしようもないでしょう!?」
二人の意見は平行線を辿るように見えたが、ここでオーベールが口を挟んだ。その表情は決意で満ち溢れている。
「僕が身売りしましょう。僕だけではそんな額にはならないでしょうけど、家の事を告げれば何とかなるかもしれません」
「そいつぁ……いけやせん」
「それは駄目ですよ!」
二人は目を丸くしてその提案を退けようとするが、オーベールは怯まなかった。
「いえ、そもそも、こんな事になった切欠があるとすれば、僕が財布を落としたことです。その責任を取らせて下さい」
「…………」
「だ、駄目ですよ。考え直して下さい。ほらっ! ドレイクさんの所為でオーベール様がこんな事を言い出しちゃったじゃないですかっ!」
「リシャール君。いいんだよ。僕だって仲間だろう? 何かしたいんだ」
「でも……」
あくまでオーベールが犠牲になるのを反対するリシャールに、オーベールは一度ふと優しく微笑んだ後、申し訳なさそうな表情を浮かべて、静かに言った。
「――――それに本音を言わせてもらうと、こんな所で停滞しているのは困るんだ。折角安死病の治療の糸口が見えかかった今。僕としては一刻も早くヒルニに向かいたい。だからこそ、より可能性がある方を選択したいと、僕は思う。その……自分の事ばかりで本当に申し訳ないんだけど……」
「オーベール様……」
オーベールの気持ちを聞き、二人は本来の目的を思い出していた。
確かにグラストス達を救うというのは、あくまで状況であって最終目的ではなかった。
「…………そうですな。あい、分かりやした」
ジッとオーベールの話を聞いていたドレイクは一つ頷いた。
「そういうことなら、坊ちゃんのことも勘定に入れさせて頂きやしょう」
「ドレイクさん!?」
「落ち着け坊主。坊ちゃんの意思だろうが。お前がとやかく言って決める事じゃねえ。それに―――――」
ドレイクはニヤリと笑う。
「まだ、負けると決まったわけじゃねえ。勝つかもしれねえだろうが。というか、俺っちとしてはその可能性の方が高いと思ってるぞ」
「勝つって言ったって……」
「大丈夫だよ、リシャール君。僕もそんな気がするんだ」
「えぇ……?」
まだ戸惑いを抑えきれないリシャールを残して、ドレイクは席に座り直した。
「悪い。待たせた。次は俺っちの番だったな」
ドレイクは他の子達と親に謝罪すると、躊躇うことなく言った。
「俺っちの予想は、大だ!」
そして、他の客の驚きが冷めるのを待たずして、ドレイクは札を捲り返す。
『四』
ドレイクの予想に驚いていた周囲の客たちだったが、当然の結果が出たことに声を上げて笑った。
「……いけそうな気がしたんだがなぁ」
「ほ、ほらぁ! だから言ったじゃないですかぁ! これで銀貨四十枚の負債ですよ!? 一体どうするんです! だから僕は――――」
「次は坊主の番だ」
批判しようとしたが、その前にピシャリと出番を告げられ、リシャールは思わず黙り込む。
ドレイクに対しての不満は胸の内に押し込んで、自分の予想を告げようと口を開いた。
「僕は……」
周囲の視線が自分に突き刺さっているのを感じた。特に両隣。
その強い視線にリシャールは遂に耐え切れなくなり、「ああ、もうっ!」と叫ぶと、
「僕の予想は、大です!」
言うなり、札を捲り返した。
――――札には『十』の文字が記載されていた。
「ああ……やっぱり……」
「坊主……運がいいのか悪いのか……。小と予想しても駄目だったな……。まあ、とりあえず、五倍没収はなくて良かったじゃねえか」
「はぁ……」
ガックリと項垂れるリシャールの肩を、二人は左右からポンポンと叩いて、勝負した事を称えた。
「最後は僕ですね」
オーベールは手元の札を静かに見つめた。
予想を何にするかが決まっている以上、今祈った所で、結果は既に決まっている。だが、それでも祈らずにはいられなかった。
想いを込めるようにオーベールは札の上に手を乗せた。そして、先に予想を告げる。
「僕も大と、予想したいと思います」
オーベールの言葉に、周囲の客も、おお、と沸き立った。ドレイク、リシャールと続いて大の予想をしていたことで、周囲の客はオーベールもそうするのではないかという予想は何となくついていた。
親が『十』で『大』ということは、二十一枚の中に一枚しかない『零』であることを予想するということと同じことである。
手持ちの金が充実している人間がそれを予想し、ごく稀に当てる事はある。
だが、明らかに金に困っている人間がそれを予想することは滅多にない。あるとすれば、それは己の人生を賭けた賭けで、見物するには余程そちらの方が楽しかった。
そんな状況に居合わせた事を運命を司る神に感謝しながらも、ニヤニヤとこの後の結末を想像し愉しんでいた。
「……宜しいので?」
親が一度無表情に確認する。
オーベールはただそれに頷き返した。そして、札に手を掛ける。
流石に緊張しており、オーベールの手は小刻みに震えていた。
ドレイクとリシャールは、その札から片時も目を離さずに、ただ一度唾液を嚥下した。
オーベールは中々踏ん切りは付かず止まっていたが、唐突にある人物に告げられた言葉が脳裏に浮かんだ。
それは正にこの状況を暗示していたかのような言葉で……。オーベールの口元に微笑が浮かんだ。
そして、オーベールは決心を固めると、この場の全員の視線を集めた札を、ゆっくりと捲り返した――――